第15話
チェスターとナルが、〈宝瓶宮〉で立ち話の光景を見てから、数日が過ぎた空き時間。
いつものように、リュートとセナの些細な口ケンカが始まっていた。
段々と親しくなったからと言って、ケンカがなくなった訳ではない。
幾度となく、口ケンカはくり返していたのだ。
理由は単純で、物事をよく知らないリュートに切れるセナと言うパターン、それにもう一つのパターンは……。
リュートの母リーブのことだ。
尊敬してやまないセナが、熱くリーブのことを語ることに、瞬時に切れてしまったのが口ケンカの始まりだった。
周囲にいるクラスメートたちは、いつものことだと無視している。
それぞれに話で、夢中になっていた。
かかわり合わない方が賢明と判断し、最近では誰も止めようとしない。
ケンカの仲裁に入ると、両者からとばっちりがあったからだ。
「本当に〈法聖〉リーブ様の息子なの! 信じられない」
「ああ。息子だよ。それが悪いか!」
バーンと机を叩き、両者が立ち上がる。
変なところで、息が合う。
顔をここぞとばかりに付き合わせた。
二人の眉間のしわが深く刻まれている。
「悪いわよ」
「何っ」
「私が尊敬している〈法聖〉リーブ様の子供があんたなんて、とっても信じられない!」
「俺だって好き好んで、母さんから生まれた訳じゃない。そんなになりたかったら、お前がなればいいだろう」
「なれるものなら、なりたいわよ」
息ぴったりにそっぽを向く。
「なったら、生きていないだろうな」
横目でセナを眺めながら、ボソッと呟いた。
その呟きを聞き、自分がバカにされた気がして、余計に腹立たしく、鋭く尖った視線を浴びせた。自分の体質をバカにしたのかと思ったからだ。
リュート自身、体質をバカにした訳ではない。
純粋に心配し、出た呟きだった。
怒り心頭なセナに、そんな思いが通じる訳がなかった。
「何様のつもりよ。『バトル』に出てみなさいよ、自分の弱さを知ることになるから」
「そんなに強いやつが出るのか?」
強気な態度に呆れてしまう。
(何で強気なのよ! バカじゃないの!)
「出るに決まっているでしょ! リュート、あなた絶対にスコット・ウィンには勝てないから」
(勝ってみなさいよ! 勝てるものならね。ふんだ!)
「スコット・ウィン?」
「そうよ」
「誰だ? そいつは?」
「あんたね……」
段々とセナの急上昇していた怒りも鎮火していった。
世間知らずリュートに、腹を立てている自分がバカらしくなったのである。
軽く息を吐き、気持ちを落ち着かせてから、椅子に腰掛けた。
それに促されるように、リュートも椅子に腰掛ける。
「スコット・ウィン、剣術科八年生よ。そして、『十人の剣』の一人であり、前年度の優勝者よ」
「優勝したのか? そいつが?」
スコット・ウィンと言う人物に興味が湧く。
「そうよ。魔法科の生徒を、あっという間に倒したんだから」
熱を帯びたセナの話に、少し尾びれがついていた。
最後の決勝戦で、圧倒的な強さでスコットが勝った訳ではない。
剣術科の方が、強いところをみせたかったに過ぎなかった。
「俺が勝ってやる!」
「バカ! 何言っているのよ。私だって、まともに勝てやしないのに。スコット先輩に勝てる訳ないでしょ!」
無謀なことを口にするリュートに、またしても怒りが上昇してしまった。
ムッとしていると、闘志を漲らせている姿に酷く呆れる。
「聞いているの? 剣術だけでは、絶対にスコット先輩には勝てないからね。ちょっと私の話、聞きなさいよね」
「んっ? 大丈夫。俺、勝つから」
「どこから、そんな自信、出てくるのよ」
「ここから」
当たり前のように、自分の胸を指し示した。
「信じられない!」
その様子を声に出さずに笑っている人物がいる。
担任のカイルだ。
廊下にも響き渡る二人の声に気づき、見物するために教室に入ってきたのである。
うんざりとした顔で、生徒が話しかけてきた。
「そこにいるなら、止めてくれてもいいんじゃないの?」
「面白いだろうが、見物している方が」
先生とは思えない発言と共に、いたずらな笑みを零していた。
これでも先生かと抱き、途方に暮れてしまう生徒。
自信に満ちている姿に、カイルはリーブの姿と重ね合わせる。
「やはり、母と子だ」
七年生の魔法科の授業が終わり、珍しく授業に参加していたトリスは、次の授業が空き時間となっていたのである。
久しぶりに顔を出しても、誰も声をかける者がいない。
いるも、いないも、クラスメートは慣れっこになっていたのだ。
(リュートのところでも行くか、それとも村へ足を延ばすか、出なければ……)
次の授業がある生徒たちは急ぎ、次の授業が行われる教室へ行くために、こぞって教室から姿を消していった。トリスのように授業がない生徒たちは、のんびりと片づけて出て行ったりしていたのである。
そこへ、クラインがトリスの背後から声をかける。
「レポート、書いたのか?」
顔だけ後ろに傾けた。
近くにカーチスたちの顔がない。
考えてみると、教室内に三人の顔がなかった。
サボりかと推測する。
カーチス、ブラーク、キムの三人が授業をサボって、村に遊びに出かけたのである。テストで妖しい雲行きを感じる担任の一限目の授業だけ出て、他の授業には出ていなかったのだ。
「いや。そっちは書き終えたのか?」
「ああ、一応な。リュートのやつ、頑張っているようだな。さっき見かけたよ」
魔法科の校舎の四階の窓から、リュートたちが汗だくになって、走っている姿を見かけたことを話した。
「そうか。クラインはどうする? お前も空きだろう?」
「気になる点があるから、図書館で調べものだ」
「それじゃ、俺は保健室でも行くかな」
「近頃、よく保健室に行くな」
「話が合うんでな」
数度しか見かけたことがない保健士グリンシュの姿を、頭の奥底から呼び起こしている。それも何かを感じさせる、不敵な微笑みを覗かせる姿を蘇らせていた。
何を感じているのかわからないと言うのが、クラインが抱いているグリンシュのイメージだ。
クラインたちは保健室に縁遠い存在だった。
ケガをしても、トリスの実家が薬草店をしている関係で、常にトリスが薬草を携帯しているので、それを使用していたからだ。
「合うかもな。お前とあの先生」
「んっ?」
「じゃ、俺行くわ」
軽く手を上げ、クラインは教室から出て行った。
それを見送ってから、教科書や羊紙を片づけて、暇を潰すために保健室へと足を進めた。グリンシュと話をするのを、トリスは気に入っていたのである。それに学院に長くいるグリンシュの情報に面白みがあり、仕入れたいネタでもあった。リュートたちの母親リーブや、その仲間たちの話を聞けると言うのが、今まさに保健室に通っている理由でもあった。
保健室のドアを開けると、内気そうな少年に占いを行っている最中だった。
(保健士って、占いもするのか……)
その意外な姿に、別な一面を垣間見れ、グリンシュの存在が、さらに大きくなっていった。
唐突に姿を現わしたトリスに仰天した少年は、占いの途中にもかかわらず、顔を隠すように保健室から出て行ってしまった。
その姿を軽く、目で追いながら話しかける。
「タイミング、悪かったか?」
「ですね。でも、すぐに来ますから、気にしなくてもいいと思いますよ」
「そうか」
怒っているふうでもないので、そのまま保健室へ歩みを進める。
「占いね」
占い用のカードに視線を注ぐ。
占いに対して興味がない。
自分の運命は、自分で切り開くものだと思う現実主義者だからだ。
「俺には理解できないな」
「でしょうね」
微笑むグリンシュ。
何気にトリスはカードを一枚手に取った。
「占いの好きな子で、何でも占いに頼ろうとするんですよ。また、新しい悩みを抱えて、今日中にここに訪れるでしょうね」
「そんな感じ」
逃げるように立ち去った少年の顔を思い出し、平然と語るグリンシュに納得した。
業務の一環として、頼まれれば、占いや生徒たちの相談も聞いていたのである。
その情報を少しだけ手にしていたので、薄く笑うグリンシュを眺めながら、これでいろいろと情報が入ってくる訳だと感嘆するのだ。
「凄い情報網」
距離を置くように、トリスが椅子に座った。
「そんなことありません」
「あるだろうが、人の相談乗っていれば」
「微々たる情報です」
「嘘つけ」
「トリスの方が、なかなかの情報通だと思いますよ」
「そりゃ、どうも」
クスクスと口元が緩んだ。
二人の間に、忽然とリュートが姿を現わした。
「リュートらしい、登場ですね」
「そうだな」
その言葉を素直に応じるように、リュートがVサインを送っている。
「驚いたか?」
「えぇ。驚きました」
驚いてない癖にと心の中でトリスが突っ込む。
「リュート。魔法が大っ嫌いと言うわりに、魔法を使うんですね」
「それは……」
狼狽える姿に、可愛いとほくそ笑む。
チラッと楽しげなグリンシュの横顔をトリスが窺う。
「焼き菓子はいかがですか? 先程焼いたものですけれど」
「マジ! 食べる、食べる」
先程までのリュートとは違い、表情が一変して目映く輝き出す。
その変貌ぶりに呆れながら、姿を見せた理由を尋ねる。
「付き合って貰おうと思ってさ、トリスを捜していた」
「さっきまで走っていたんだろう? 大丈夫なのか、体力の方は?」
「大丈夫。食べてから稽古するから」
幸福感に満ちたような顔に、これはダメだ、一生直らないと感じずにはいられない。
甘いもので手名付けられていることに気づかない様子に、諦めの境地でトリスが小さく嘆息を漏らしていたのである。
「それでは用意をいたしましょう」
グリンシュが立ち上がると、同時に保健室のドアが開く。
一年生を抱えたマドルカが入ってくる。
「ケガした。診てくれ」
一瞬だけ、マドルカの鋭い双眸がリュートを射抜く。
「わかりました。それではベッドに」
指定したベッドにそっと横にし、的確なケガした状況をマドルカが説明していった。それを聞きながら、無駄のない動きで身体の具合を診察していく。
診察の邪魔にならないように外に出て、見えないようにカーテンを閉めた。
リュートとマドルカの間に、険悪のムードが流れる。
閉められているカーテンを眺めながら、ヒシヒシと殺気だけをリュートに傾けていた。
殺気を当てられ、当惑しながらもマドルカの後ろ姿を睨むだけだ。
「随分と、暇してるな」
「優秀なんで」
素っ気なくトリスが答えた。
「大した自信だ」
「どうも」
ブスッとした顔で、マドルカとトリスを交互に見比べる。
自分に向けられる殺気の意味がわからない。
自分を取り残して、トリスと話していることに納得できなかったのだ。
「今後、チェスターにかかわるな」
不機嫌なリュートを見ようとしない。
「かかわっているつもりはありません。あっちから突っかかってくるんです」
「そうは思えないが?」
「あっちからです」
きっぱりと断言した。
「だったら、チェスターの周りに行くな」
マドルカの強気な態度を崩さない。
「……できれば」
リュートの額から、一筋の汗が流れる。
先程からマドルカの殺気に当てられ、圧倒され続けていたのである。
その中でも心の底からワクワクするのを感じ、この状況を楽しんでいる自分に気づく。
「物騒なマネ、しないでくださいね」
カーテン越しに、グリンシュが声をかけた。
緊迫した渦中に落とされていたトリスは、身体を動かすことなく、視線だけで二人を交互に傍観していたのである。そして、グリンシュの言葉によって、緊迫している状況から抜け出した。
「助かった……」
肩の力を抜き、息を思いっきり吐き出した。
カーテン越しから、生徒の具合を尋ねる。
治療を施しながら、端的にケガの具合を説明していく。
カーテン越しの影からでも、機敏な処置をしているのが見て取れた。
しばらくしてから、カーテンから姿を現わす。
「今日はこのまま休ませます。マドルカは戻って授業を続けてください」
「そうか。後は頼む」
「はい」
まだいるリュートに睨んでから、自分の授業へ戻っていった。
何事もなかったかのように、笑顔で見送り、リュートとトリスは複雑な心境で、その後ろ姿を眺めている。
「何なんだ、あの先生は?」
先に口にしたのはトリスだった。
「何がですか?」
「生徒に対して、あの殺気は?」
リュートを目の敵にしているチェスターさえ、あんな殺気を出したことはない。
それほど凄まじい殺気を放出していたのである。
「マドルカを怒らせない方が賢明ですよ。強いですよ、彼女は」
まだ汗を流しているトリスが納得していた。
未だに口を閉ざしているリュートの姿を、チラッと視界に捉え、ふふふと笑みを零していた。
グリンシュは焼き菓子とお茶の用意をし始める。
「どうですか? マドルカは?」
「……凄いな」
グリンシュの問いに一言で返した。
僅かにその顔が笑っている。
立っている二人に座るように促し、温かい紅茶をカップに注ぎ淹れた。
「さすがプリロダですね」
口の端を上げながら、グリンシュが呟いた。
二人の顔が上がる。
「プリロダって、まさか」
微かに驚きの声をトリスが漏らした。
「えぇ。二人が推察した通りです」
プリロダとは、マドルカが卒業した学院で、フォーレスト学院と同じような学院である。そして、実力がない者はすぐに切れ捨て去れ、フォーレストに比べて、退学者の数が多かった。その中で、マドルカは上位の成績を収め、プリロダ学院を卒業したのである。
「彼女は優秀ですよ。卒業後はある王家のエリート騎士団で四年間、剣の腕を磨いていたのですから」
「凄い!」
焼き菓子を食べるのを忘れるぐらい、トリスは詳しく事情を知っているグリンシュの話に耳を傾けていた。
リュートはグリンシュの話を聞きながらも、決して大好きなお菓子を食べることをやめなかったのだ。
グリンシュの話はその後も続き、一年間冒険者の旅をしてから、マドルカがフォーレストの教師になったと語ったのである。
読んでいただき、ありがとうございます。