第14話
一般教養の授業が終わり、午後の授業がない一年生たちを寮に戻した。
一年生の教室に誰もいない。
教室に残っているのは担任であるチェスターだけ。
机をきちんと並べ、時間をかけて、一つ一つの机を綺麗に拭いていく。
生徒たちが、気持ちよく授業を受けられるようにするためだ。
ひと段落したチェスターが、教室の戸棚の整理を行った。
次の日も万全に使えるように、生徒たちが帰ってからも、教室の整理に余念がない。
三つ目の棚の整理が終わり、四つ目の棚を整理していると、生徒がケガした際に、使うスコラ草を切らしていることに気づく。
「薬草、切らしているな」
可愛い生徒たちの楽しげに、授業をしている光景が目に浮かぶ。
勝手な思い込みだ。
生徒たちは強烈な熱血チェスターに、顔を引きつらせている毎日である。
可愛い生徒がケガした時、大変だと頭に過っていた。
整理をいち早く終わらせ、学院内に十二ヵ所も存在する薬草園の一つである〈宝瓶宮〉に向かう。
〈宝瓶宮〉は、魔法科の一年生が使用している校舎近くにある薬草園で、主に切り傷や火傷に使う一般的な薬草を栽培している。
学院の敷地内にあるリザイア村に住んでいる村人たちが、薬草園の手入れをしていた。
村人たちに声をかけながら、切らしてしまったスコラ草を探す。
作業を邪魔しては悪いと抱き、自分で探そうとしていたのである。
スコラ草と似た薬草があるので慎重に目を凝らす。
間違って使用してしまえば、毒にもなってしまう薬草もあるからだ。
すると、腰を曲げた一人の老婆がチェスターに声をかける。
「何をお探しですか?」
「大丈夫です。自分で探しますから、作業を続けてください」
「お気になさらずに、何でも申しつけてください」
「すいません。では、スコラ草を」
「わかりました」
老婆が辺りを見渡し、薬草に水をかけている若い娘に視界を止める。
「ナル」
水をかけていたナルと言う少女が、いったん動かしていた手を止めた。
声をかけてきた老婆に視線を傾ける。
「先生に、スコラ草を取ってお上げ」
仕事をしていたナルを視界に捉えた瞬間、目の前に輝く、美しい天使がチェスターの中で降臨したような錯覚を憶える。
ゴクリとつばを飲み込んだ。
老婆に返事をし、ナルが隣に立っているチェスターに向かって軽く会釈した。
「美しい……」
耳の遠い老婆に、その呟きが聞こえない。
「あの者が探して参りますので」
流れるようなナルのブラウンの髪が、柔らかくそよぐ。
「天使だ……」
呆然としているチェスターに、老婆が頭を下げ、自分の仕事へと戻っていった。
何度も頭を下げているチェスターに、きょとんとナルが眺めている。
その奇妙な光景に、思わず笑ってしまった。
クスクスと笑っているナルと同調するように、後頭部にサッと手を置き、ハハハとぎこちなく笑ってみせる。
「スコラ草ですね。少々お待ちください」
如雨露を下に置く。
ナルの位置から四つ先の薬草に足を運んだ。
清々しく茂っているスコラ草を優しく労わるように摘む。
その摘む仕草に、美しいと目を輝かせていた。
立ち尽くしているチェスターに近づき、摘んだばかりのスコラ草を差し出す。その周囲は宝石が散りばめられたように、キラキラと七色に輝いているように、チェスターの瞳に映っていたのである。
薬草を差し出しているナルに見惚れていた。
「どうぞ。スコラ草です」
「ありがとうございます、ナルさん。一生大切にします」
意味不明な言葉に、首を傾げてしまうナル。
「ナルさんが丹精込めて育ててくださったスコラ草、必ず僕が育てます、はい」
満足げなチェスターがそこにいた。
どうしようかと、ナルは戸惑いを隠せない。
「……ありがとうございます? でも、これは使うものではありませんか」
ハハハハハ。
さらに一段階高いキーで、チェスターが笑っている。
周囲で薬草を手入れしていた村人たちが、一斉に突然笑い出したチェスターと、困惑しているナルに注目している。
すぐさまに村人たちが自分たちの仕事に戻っていく。
「そうでした。ところで、ナルさん。好きなものありますか?」
「はぁ?」
「好きなものです」
一人歓喜している姿に、一瞬何を言われているのかわからない。
「……好きなもの?」
「はい。何でも言ってください。お礼がしたいので」
ますます当惑してしまうナル。
「何でも言ってください」
言わないと終わりそうもない雰囲気に、僅かに口元が引きつってしまう。
「……お礼ですか?」
「はい。ナルさんにお礼がしたいんです」
次から次へと出てくる言葉に瞠目する。
助けを求めようとは周囲に目を移すと、誰も仕事をして、こちらを見ようとはしない。
「でも、私一人だけではありませんから」
「清らかなる心で摘んでくれた、ナルさんにお礼がしたいのです」
「はぁ……」
あやふやな返答しかできない。
星の瞬きのように、目を輝かせ、頬をピンクに染めているチェスターの笑顔に、珍妙な面持ちでナルが凝視していたのである。
「髪飾りなんて、どうでしょう? きっと、ナルさんに似合いますよ」
「あのー」
噛み合わない会話に、さらに困惑する。
でも、楽しげに話すチェスターの姿に、面白い先生もいるものだと巡らせていた。
チェスターの独り善がりが続く。
二人の光景を薬草園の外から眺めている人物がいた。
授業を終え、〈第二職員室〉に戻ろうとしていたカイルとマドルカだ。
〈宝瓶宮〉の正面入口から反対側の位置で、ナルとチェスターが話している光景が目に飛び込んでいたのだ。
舞い上がっているチェスターは、自分でも気づかぬうちに声のトーンが上がって、少し離れた場所にいる二人のところまで、会話が筒抜けになっていたのである。
無言のまま、楽しげに話している二人を眺めていた。
無邪気にはしゃぐチェスターに釘付けになっている。
「今度はリザイア村のナルか」
「……そのようだな」
「お前も大変だな」
「別に」
チラッと表情を崩さずに、二人を直視しているマドルカを見つめる。
冷静な視点で、ナルを観察していたのである。
苦笑いをカイルが浮かべた。
マドルカの苦労が増え、何日も大変なことになるのが、目に見えてわかっていたからだ。
恋多きチェスターの恋は、今まで一度も実ったことがない。
それは周知の事実だった。
振られるたびに、大きなショックを受け、授業も手につかずに、落ち込み度も日常の落ち込み度より、輪をかけて酷くなるのだ。マドルカが赴任するまでは、周囲の人間が落ち込んでいるチェスターを励まし続けていた。
剣術科の教師まで、励ますために出向くほどだ。
特別棟の校舎の三階の窓からリュートとトリスも、カイルやマドルカ同様に二人の様子を傍観していたのである。
かなり離れていたので、会話までは聞こえなかったが、トリスはある程度の会話の流れを感じ取っていた。
「大変なことになるな」
苦笑交じりの笑みで、トリスが呟いた。
「何やっているんだ、チェスターは」
恋の花が咲いているとはわからずに、身振り手振りで、一生懸命に話している奇妙な行動が理解できなかった。
「自分を売り込んでいるんだろう。必死で」
「なぜ?」
わからないと首を傾げるリュート。
(どうやったら、こんな鈍感になるんだろうか)
「そのうち、わかるだろう」
「そのうちじゃ、わからん。教えろ、トリス」
面倒なやつと、さっさと歩き始めるトリスに、教えろと連呼し、後を追うリュートであった。
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