第13話
〈第五グランド〉で使用した用具を、カイルが一人で片づけていた。
生徒たちは誰もいない。
授業が終わるのが少し遅れてしまい、次の授業に間に合わないとぼやく生徒たちを帰し、一人で片づけをしていたのである。
すると、そこに次の授業のために、準備に向かうマドルカが姿を現わす。
「生徒は?」
「帰らせた。次の授業に遅れそうだったからな」
「優しいな」
「そうか」
そうでもないだろうと言う顔をカイルが覗かせる。
「手伝おう」
「サンキュー」
カイルと背中合わせの状態で、マドルカが小道具を箱の中へと片づけ始めた。
「準備は間に合うのか?」
校舎から一番離れている場所である〈第七グランド〉で、一年生の授業を行うことを把握していたので、授業に支障がないかと気に掛けていたのだ。
「まだ時間がある。大丈夫だ」
「助かるよ、マドルカ」
だいぶ片づけが終わる頃。
見た目でわからない程度の、マドルカの変化に気づく。
それがチェスターに関係していると感じ、口角が若干上がる。
いつまでも変わらない二人の姿に、羨ましさを募らせていた。
「大変じゃないか。一年生で〈第七グランド〉は?」
校舎から離れた位置にある〈第七グランド〉は、学院内に八つあるグランドの中で、もっとも遠い位置にあった。生徒たちの中では、もっとも嫌われている。
十分間ある休み時間で、着替えて、移動するのは難しく、小柄な一年生たちは、いつも五分の遅刻をしていたのだ。
「そうか。いい体力づくりになると思うが?」
「優しいな、マドルカは」
マドルカの目が微妙に動く。
「体力は基礎だ」
「元々はチェスターだったんだろう?」
「……」
「それを交換してやるなんて、ホント優しいよ」
「……」
くじ運悪く、その場所にチェスターが当たってしまった。
校舎から遠く、授業に支障してしまうと悩んでいたチェスターに声をかけ、体力づくりために、交換してくれないかと頼んだ、経緯があったのである。それをカイルに、すべて見抜かれていたのだった。
「……バカにしているのか」
「いいや、そうじゃないよ」
警戒しているマドルカの手が止まった。
「誰かの味方でいるなんて、誰にもできることじゃないって、褒めているんだ」
「私はバカにされているような気がするが?」
「気にするような言い方をしたのなら、謝る。ごめん、マドルカ」
「いや」
素っ気なく答えた。
まだ、探るような眼差しを注ぐマドルカ。
しょうがないかと、カイルが肩を竦める。
「誰かの味方でい続けるなんて、大変だよな。俺にはできなかった、チェスターの味方を続けているお前が羨ましいよ」
珍しく、胸の内をカイルが吐露した。
聞いているうちに、マドルカの眉間のしわが濃くなっていった。
「何かあったのか?」
陽気なカイルが、いつになく真面目な姿に、少し戸惑いが隠せない。
「昔に、ちょっとな」
飄々と、いつもの軽い調子だ。
それ以上は聞かない。
聞いてはいけない気がしたからだ。
「そうか」
会話が終わり、二人は黙々と残りの片づけをした。
不意に、マドルカの脳裏に憮然としているリュートの顔が浮かぶ。
「リュート・アスパルトに会った」
「印象は?」
片づける手は、互いに止めない。
「子供だな」
率直な印象を述べた。
チェスターやカイルたち教師からしか、リュートの印象を聞いていなかった。その中で子供っぽい印象を感じていたのである。
「だろう」
ふと、カイルが笑みを零す。
以前、マドルカから印象を聞かれた時に、まだまだ幼い子供のような感じと伝えていたのである。
「面白い子だな」
「いじめがいあるぞ、あれは」
「どういう意味だ?」
「リーブがいじめたくなるのがわかる気がする」
不可思議なことを口にするカイルに、瞬きをくり返し、当惑する。
昔を思い出し、カイルが笑ってみせた。
二人の母であるリーブに、マドルカは会ったことがない。
別に、今まで会いたいと思ったことも一度もなかった。
けれど、最近よく耳にする名に興味が芽生えていた。
「〈法聖〉リーブ様って、どんなお方だ?」
「どんなと言われてもな……」
ポリポリと頭を掻いている。
(メチャクチャなやつと言う変か……。今のリュートに似ているんだよな。リュートより常識があったか……。でも、それをそのまま口にすると、一応、〈法聖〉の威厳がないか。でも、リーブのやつ、そう言うのは気にしないからな……)
階級の上位である〈法聖〉・〈剣聖〉は全世界で敬われる存在だ。
敬意を表す際に名前の前に〈法聖〉、または〈剣聖〉をつけて、最後に様とつけて呼んでいたのである。
以前からリーブの人となりを耳にし、息子リュートにも、そっくりだと言う話だった。だから、天上界の話だと思っていたマドルカは、徐々にリーブのことに、興味を持ち始めていたのである。
親友のリーブの話題に、片づける手が止まっていた。
片づけているマドルカに、視線を傾ける。
「会ったことなかったか」
「ない」
即答した。
「そうか。様って感じじゃないな。突っ走ると一つのことしか、見えなくなるかな、それに少しだけカテリーナに似ているかな」
リーブのことを思い返しながら、紡いでいった。
「天然娘にか」
眉間に、思いっきりしわを寄せている。
カテリーナのことを、天然娘とマドルカが呼んでいた。意味不明な言動からつけたものだった。
〈法聖〉と言う地位から、カテリーナの天然振りと似ているとは想像できない。
突拍子もない言葉に、思わず吹き出して笑ってしまう。
「天然娘か。カテリーナにぴったしのネーミングだな」
考えれば、考えるほど、しっくりくるネーミングだった。
段々と、カイルの笑いのツボにハマってしまい、腹を抱えて笑っている。
「天然娘……。ぴったりだ。ハハハ……」
笑いが止まらず、徐々に腹が痛くなっていく。
「そこまで笑うことか?」
冷たい視線を注ぐ。
(同期なんだろう。なぜ、そこまで笑える? 同期でしかも、親しくしているのに……。言っていた私が思うもの変だが、私なら許せないが。カイルたちの思考はわからないな)
涙目で、何度も頷いてみせた。
笑いが止まらないカイルに呆れながら、笑いが止まるのを律義に待ち続けていた。
「俺の周りで、カテリーナのこと、天然娘って呼ぶやついなかった」
「そっちの方が意外だ」
「言われてみれば、そうだな。何で今まで気づかなかったんだろう」
「気づかない方がおかしいだろう? どう見ても、あれは天然だ」
きっぱりと吐き捨てた。
「確かに、天然なところがあると思っていたが、それが当たり前だって、気がしていたからな」
「カイルも含めてだが、周りのやつらの方がおかしいんじゃないのか?」
「そうかもな」
不快感もなく、あっさりと認めった。
(いつの間にか、あいつらの毒牙でマヒされていたんだろうな。付き合い、長いからな……)
「考えてみると、俺の周りには、おかしいやつらばかりだったからな」
過去を真面目な顔して、振り返っている。
それをマジマジと、マドルカが眺めていた。
「まともなやつは誰も、いなかったのか?」
「……いなかった」
「……」
憐れむようなマドルカの視線に気づく。
ゴホンと咳払いをした。
「とにかくだ。リーブはいいやつだよ」
まだ納得がいかない様子に、カイルが言葉を続ける。
「会えば、わかるはずだ。リュートに比べて、気持ちがストレートだ」
「ストレート……?」
いろいろと集めたリュートの話を総合してみても、いい意味でも悪い意味でも、まっすぐなのだろうかと過らせていた。
「会ってみたかったけど、会うことは難しいだろうな」
ボソッと呟いた。
〈法聖〉の立場で、むやみに外に出ることがないからだ。
階級が最上級になると、協会にいるか、自宅の屋敷にいて、すぐに連絡が取れるようなシステムになっていたのである。
ここ数年は定例会議に、リーブは出席していない情報を得ていたのだ。
つまり、屋敷にこもっていると言うことになる。
「大して難しくはないと思うが? そのうち、フラッと遊びに来るんじゃないのか」
すぐ会えるぞと言うカイルの態度に訝しげている。
「あり得ないだろう」
「そうか」
のん気な姿に、数年定例会議に出ていないことを話す。
うーんと唸り声を漏らし、マドルカの話に信じられないと言う表情を浮かべていた。
(あれがおとなしくしている? 絶対にあり得ない。あれの性格は一生直るはずがない。それに……)
「あれが屋敷にこもっているとは思えない。それに時々、会っているらしいぞ、カテリーナたちとは」
さらりとリーブの近況をカイルが語った。
それを聞き、眉間のしわが濃くなる。
「ホントなのか? その話」
「ああ。マジの話だ、カテリーナたちから聞いたからな」
(どういう人なんだ、〈法聖〉リーブ様は)
ますますリーブのことが、わからなくなっていくマドルカ。
「それよりも。リュート、どう思う?」
剣の実力のあるマドルカに意見を求めた。
どれほど、マドルカ自身が評価しているのか知りたかったのだ。
「さー、わからない。剣を交えたことがないからな」
「そうか」
「……ただ、今後次第では、モノになるかもしれない」
率直に感じたことを伝えた。
カイルも同じ見解を持っていたのだ。
「あまり鵜呑みにするな、お前の思ったようにやればいいだろう」
「そうだな」
何か思い出し、カイルが手を軽く叩く。
腰ベルトについているポーチから、一枚の紙切れを取り出した。
「これ、知らないか?」
受け取り、紙を覗くと、そこにはなかなか手に入るのが難しい球根の名前が、綺麗な文字で記載されていたのである。
「ほしいのか?」
ゆっくりと、カイルに視線を投げかける。
期待する眼差しを傾けてきた。
「知っているのか?」
「ああ。知り合いの道具屋のオヤジが、持っているはずだ」
「それ、分けて貰えないか?」
「たぶん。分けてくれると思うが」
「それは助かる」
剣術科の授業を見学していたトリスは、途中でフラッと姿を消した。授業の途中で、いつも姿を消すことが多く、最後までいることは少なかったのである。
授業は問題なく終わり、終業のベルが鳴った。
リュートは空き時間となり、セナは選択授業へと向かっていった。
「一人か……」
トリスに稽古相手になって貰おうと思い、グリンシュのところへ行く。何となく、保健室にいるような気がしたからだ。
ノックもせずに、ドアを開ける。
「トリス。付き合ってくれ」
開口一番、トリスに声をかけるが、室内にグリンシュしかいない。
「リュート。入る時はノックしましょうね」
優しい微笑みで注意した。当のリュートは、当てが外れたと言う顔を覗かせていた。
「おう」
「トリスなら、来ていませんよ」
「そうか」
これからどうするかと悩み始める。
すると、自分を見ているグリンシュの視線が視界を捉える。
稽古するのをやめ、保健室のベッドの上に、ひょいと腰を下ろした。
当たり前のように、グリンシュがお茶の準備を始める。
「マドルカって言う先生のこと、教えてくれ」
「会ったのですか?」
目を見張っているグリンシュの問いに頷く。
チェスターとマドルカが話している際に、遭遇したと伝え、自分に向かって、鋭い視線をぶつけられたことも話したのである。
「それは災難な時に、会いましたね」
「災難?」
グリンシュの言葉が把握できない。
「あの二人、リュートとトリスのように、幼馴染なんですよ。とても仲良しのね」
意外な事実に、目を丸くする。
「本当か?」
「嘘ついても、私には何の得もありませんよ」
「そうか。そうだな」
「気づきませんでしたか? 仲良く話していたでしょ。姉のような立場でマドルカは、チェスターのことを可愛がっているのです」
二人が話していた光景を思い返している。
グリンシュの言う通りに、楽しげに話していたと感じた。
教師同士の会話にしては、チェスターの様子が違っていたのだ。
「そうなると、マドルカ先生もここの卒業生か……」
憂鬱な表情でぼやく。
自分の母親と知り合いの教師が多く、うんざりしていたのである。
用意できたハーブティーを、不貞腐れているリュートの前に置いた。
「違いますよ。チェスターは確かに、フォーレストの卒業生ですけれど、マドルカは別な学院の卒業生です」
青天の霹靂と言う顔で、自分を見ているリュートがおかしく、面白いと抱きながら、ニヤリとほくそ笑む。
「何でまた、違う学院なんだ。幼馴染で、仲が良かったんだろう?」
「えぇ。とても仲良しさんでしたよ」
「だったら、何で?」
「同じ学院に入る予定だったのですが、チェスターの方が手続きを間違って、フォーレスト学院の方に、手続きをしてしまったのです。チェスターらしい、間違いでしょ?」
「バカだ」
すんなりと、零してしまった。
「言い過ぎですよ」
軽く窘められ、そっぽを向く。
「リュートも、そういうところあるじゃないですか」
「俺? 俺がそんなバカなことする訳……」
最後まで言葉を言いきることができない。
走馬灯のように、過去の出来事が駆け巡っていく。
「転科希望の欄に」
「……」
剣術科の転科希望を出す書類に、魔法科に希望すると書いていたのである。
「な、何で、知っている」
狼狽するリュート。
羞恥心に襲われていた。
「蛇の道は、蛇ですよ。リュート」
「うっ」
嫌いなチェスターと、同じような間違いをしたと言う事実に、頬を少し赤らめる。
自分や他人の細かいことまで知っているんだよと思いながら、グリンシュの情報網の多さに舌を巻き、驚愕と気持ち悪さを交差させていた。
「入学したばかりの彼は意気消沈で、毎日のように、マドルカに手紙を書いていましたね」
少し前の記憶を呼び起こし、昨日の出来事のように懐かしく感じていた。
学生だったチェスターは、毎日のように保健室に通い、保健士のグリンシュに、いろいろな悩みを話していたのである。
フォーレスト学院での、話し相手はグリンシュだった。
「何で、手紙書いていたって、知っている」
「さぁー、どうしてでしょう?」
複雑な表情を浮かべているリュートを、不敵な笑みと共に眺めていた。
「教えろ」
「ハーブティー、冷めてしまいますよ」
読んでいただき、ありがとうございます。