第120話
女子の部屋では、トリス兄弟のことで、話が盛り上がっている。
先ほどの異様な食事風景を、顔を顰めつつ、セナが、思い返していた。
セナたちは、すでに身軽な服装に変え、いつでも、寝られる状態になっていたのである。
勿論、何が、あってもいいように、動けるような格好だ。
お菓子や飲み物を、部屋に持ち込み、まだまだ、起きていようとしていた。
不意に、食事の際から、ずっと、不貞腐れているミントに、視線を注ぐ。
三人の会話に、一人だけ、入っていない。
注がれている視線。
ミントは、完全無視を決め込んでいる。
一人で、用意されている、お菓子を食べていた。
自分自身の感情を、持て余していたからだった。
カレンも、アニスも、気遣うような眼差しを向けていたのだ。
「あんなに、喋っているリュートの姿を見たのは、初めてかもしれない」
髪を下ろし、リラックスしているセナ。
「意気揚々としているところは、何度も、見ているけど。あんなに、饒舌に話しているところは、見たことはないかも」
セナの話に、耳を傾けている二人だった。
一年生の頃から、リュートの姿を、振り返っているカレン。
記憶の中にも、あれほど、饒舌の喋る姿がない。
いつも、つまらなそうな表情だった。
「そうですか? よく、見ますけど?」
一人だけ、アニスが首を傾げている。
セナとカレンの、大きく見開いている双眸が、アニスを捉えていた。
突如、見られ、狼狽えるしかない。
「えっ、何か、変なこと、言いましたか?」
「「だって、アニスは、あんなリュートの姿、見たことあるの?」」
半端ない、二人の眼光。
ただ、ただ、気圧されるだけだった。
「……はい」
か細い返事しか、できない。
「「どこで!」」
さらに、距離を詰められ、食い入るように、見つめられている。
たじろぎ、逃げ場を、ついつい、求めてしまう。
けれど、どこにもない。
揺れ動く、ラベンダーの瞳だ。
「……本のことで、話したりすると、ああ、なりますよ」
本だけではなかったが、仲のいいカレンにも、二人だけの訓練のことは、秘密だったので話せなかった。
アニスの背筋には、汗が流れている。
二つの眼光に捉えられ、視線を、剥がすことが許されない。
「「本だけで!」」
信じられないと言う顔を、二人が覗かせている。
アニスの言葉を、完全に、鵜呑みにしていたのだ。
疑っていない二人。
そんな二人を、訝しげに、アニスが見つめている。
嘘を言っていない。
だが、すべてを話していないことに、僅かに、罪悪感が芽生えていた。
もう、アニスのことを、見ていない二人だった。
「そんなに、読むのが好きなの?」
剣術科では、剣を振って、稽古しているイメージしかなかったのだ。
後は、遊んでいるところしか、見ていなかった。
「確かに。好きかも」
それに対し、カレンは、何度も、読書をしているリュートの光景を、目にしてきたのだった。
「マジで」
目を見開くセナ。
コクリと、頷くカレンだった。
「いたずらをしないで、おとなしくしている時は、大抵、本を読んでいるから」
「へぇー」
驚きを隠せない。
「剣術科では、読んでいないの?」
「剣を振って、稽古している感じ」
「あのリュートが? 真面目に、修行しているの?」
セナの言葉に、カレンが、瞠目していた。
「物凄い、集中力で」
「マジで!」
カレンの中のリュートは、一切、修行をしなかったからだ。
真面目に、授業を受けているとは、聞いていたが、どこか、半信半疑なところがあったのだった。
「魔法科では、しなかったの?」
愕然とした顔を、セナが滲ませている。
「リュートが、真面目に修行しているところ、一度も、見たことがない」
「一度も?」
「そう、一度も」
「……」
「それで、学年で、一位を、誰にも、譲ったことないんだから、凄いでしょう」
首を縦に頷く。
剣術科では、稽古や、真面目に授業を受けている、リュートだったが、セナ自身としては、まだまだ、不真面目なところがあると、眉を潜めていたのだ。
けれど、以前から、トリスから、天才的なリュートの話を聞いていたものの、どこか、トリスの言葉だから、眉唾ものだと、すべてを信じていた訳ではなかった。
だが、徐々に、そうした噂話を、受け入れ始めている最中だった。
友達となった、カレンの言葉を耳にし、ようやく、破天荒でありながらも、リュートが、天才だと言うことを、骨身に染みた気がしていたのである。
(リュートって……)
同じ人なのに、こうも違うのかと、セナが抱いていた。
「レポートだって、何も調べたり、文献を読んだりしないで、その場で、スラスラと書けるのよ。腹立たしいのを通り越して、呆れるしかなかった」
ラジュールからの、課題を告げに言った際、その場で書き、渡すように、頼まれたことがあったからだ。
渡された課題のレポートを、読んだことがあり、書かれている内容に、自分では書けないぐらい、詳細に、的確に、書かれていることに、絶句したことを、カレンが掠めていたのだった。
「……」
「今、思えば、時間潰しに読んでいた本が、リュートにとって、勉強だったのかもしれないわね」
遠い目をするカレンだった。
二人の話を黙って、耳にしていたアニス。
(凄いな、リュートは)
「アニス。リュートって、普段、どんな本を、読んでいるの?」
興味のある眼差しで、セナが、アニスに顔を巡らせていた。
「様々な本ですね。後は、ビブロス先生の、お勧めの本なんかを、読んでいますよ」
「ビブロス先生って、〈第五図書館〉の司書よね」
知っていることを、カレンが、口に出していた。
二人の興味が、得体が知れない、ビブロスに変わっていく。
「そうなんだ。私、〈第五図書館〉って、一度も、いったことがないかも」
「私も、いったことがないの。あそこって、辺鄙な場所に、立っている上に、どうしても、雰囲気が馴染めないし……、それに、大抵は、近くの図書館で、間に合うから」
(わからなければ、リュートやクラインに聞けば、よかったしね)
「そうなんだ……」
カレン以上に、セナは、図書館を利用していないので、図書館のことを、よく知らなかったのだ。
「随分と、そのビブロス先生って言う人と、リュートのやつ、仲良くしているみたいだけど?」
「私も、それを聞いて、びっくりしちゃった。あの先生って、何か、怖いような気がして。人を近寄せないって言うか……」
「そんなことないよ、カレン。ビブロス先生は、優しいよ」
アニスの言葉に、信じがたいと言う顔を、カレンが覗かせている。
カレン自身、何度か、ビブロスを、見かけたことがあった。
挨拶をしても、こちらを窺うだけで、話が続かなかったのだ。
そうしたことが続き、見かけても、声をかけなくなっていった。
「鋭い眼光で、睨まれないの?」
「確かに、そういうところが、あるかもしれないけど。困ったことがあったら、本の相談ものって貰えるし、いろいろな話をしてくれるよ」
食い入るように、二人が、アニスを捉えている。
「……えっ、何?」
「「……図書館で、仲良くなったんだ」」
「……うん」
見つめられているだけなのに、物凄く、気圧されていく。
追い詰められていることに、まだ、気づかない。
「「で、リュートのこと、どうなの?」」
同時に、二人が、口の端を上げている。
「……どうって?」
「どういう、印象なの? リュートのこと、昔は、あんなに怯えていたのに」
「それ、トリスから聞いた」
カレンとセナが、顔を見合わせ、どれほど、アニスが怯えていたのか、カレンが教えていたのだった。
そうした隙に、逃げ出そうと目論む。
そっと、二人から、離れようとした途端、アニスの両脇に、カレントセナが立ちはだかったのだ。
「「逃げは、許さないわよ」」
「……」
「「きっちりと、吐きなさい」」
「……怖いよ、二人とも」
ふふふと、不敵に笑うカレンとセナだ。
一人、蚊帳の外にいたミント。
未だに、ソルジュに対し、モヤモヤとする気持ちに、眉を潜めていたのだった。
読んでいただき、ありがとうございます。
今年、最後の投稿となります。
来年も、読んでいただければと願っています。
よいお年を。