第108話
剣術科では、一睡もしていないリュートが、誰よりも、朝から元気に、朝の鍛錬をこなしていたのだった。
疲れている生徒たちが、続出している。
鍛錬を欠かさない姿に、生徒の多くが、ジト目で窺っていたのだ。
元気なリュートを、鋭い眼光で、セナが眇めている。
(体力バカ)
戻ってからも、セナは眠ることが、できなかった。
そのため、すこぶる機嫌が悪い。
周りも、誰一人として近づかなかったのだ。
剣術科は、非常に、ざわついた状態に、なっていたのである。
原因の一つである、夜中の爆音。
生徒のほとんどが目を醒まし、何事かと、騒然となっている状況を、剣術科の生徒の護衛に、当たっていた一部の教師たちが宥め、落ち着かせていたのだった。
爆音騒動もあり、十分な睡眠がとれないことも、生徒たちの疲れの要因となっていた。
そして、テロスたち六班が、未だに戻ってこないことに、一部の生徒たちの中で、訝しげていたのである。
ダンとパウロだけは、爆睡していたこともあり、夜中の爆音騒動に気づいていなかった。
朝、目覚めるまで、ぐっすり眠り込んでいたのだ。
「その図太い神経、信じられないわね」
冷たい双眸を、ローゼルが注いでいる。
眠れなかった一人だ。
「しょうがないだろう。だったら、起こせよ」
まさか、寝ている者がいるとは、誰も思わなかったのだった。
「普通、あんな大きな音、起きるでしょ」
さらに、目を細めていた。
「「……」」
自分たちの失態なので、それ以上、何も言い返せない。
ブスッとしたままだ。
溜息を漏らし、ローゼルが澄み切った空を見上げる。
気持ちとは裏腹で、清々しいほど、眩しい空だった。
「……これから、どうするのかしら?」
「何がだ?」
「体験学習の続きよ」
ローゼルの返答にも、首を傾げている二人だ。
原因不明の爆音に、カイルが大丈夫と説明していたが、どうしても、腑に落ちなかった。だから、このまま、体験学習が、中止になる可能性を、見出していたのである。
もう一度、盛大な溜息を吐いた。
「……不測の事態が、起こったのよ。続けられる訳ないじゃない」
「大丈夫だろう。先生たちも、大丈夫だって、言っていたんだろう?」
楽観的なダン。
ただ、ただ、呆れるしかない。
騒然としている現状を、カイルが見回していた。
芳しくない状況だ。
(よくないな)
鍛錬をしている者や、食事の用意をしている者、様々な生徒たちの顔を、窺っていたのだった。
どの顔も、落ち着きがない。
疲れを滲ませ、ざわついていた。
アクシデントの連続に、辟易しているが、カイルの表情に、あまり浮かんでいない。
経験の差である。
(とにかく、落ち着かせないとな。いつも通りに、行動をさせないと)
生徒たちの間を、颯爽と、通り抜けていく。
「何をしている。体験学習は、終わっていないぞ!」
声を高く張り上げ、動揺を隠せない、生徒たちの双眸を、見つめていった。
「少し、気が緩んでいるんじゃないのか!」
カイルの声で、生徒たちが、一斉に、自分たちの仕事をしていく。
そうした仕草に、カイルの口角が、上がっていったのだ。
「先生。テロスたちは、今後、参加しないんですか」
疑念を抱いているローゼルが、投げかけてきた。
カイルの言葉に、惑わされなかったのである。
「……そうだな」
歯切れが悪い、返事しかできない。
(あちらにも、行きたいが、持ち場を離れる訳には……)
揺れ動く心。
至急、テロスたちの救出をしたかった。
だが、周りの教師たちから、止められていた。
心の中で、嘆息を吐いている。
「……ケガでも、したんですか?」
「……そうなるかな」
どこか、曖昧な返事だ。
視線を、宙に彷徨いさせながら、どうにか、言葉を紡ぎ出している。
納得のいかないローゼルを、双眸に捉えていた。
(どうするかな……)
「何か、あったんですか? 詳しい説明は、してくれないんですか?」
容赦ないローゼルの質問攻めに、たじろぐカイルだ。
(俺自身、どうなっているのか、知りたいんだが……)
救出に向かうのを止めた、教師たちの顔を、忌々しげに掠めている。
心の中で、苦虫を潰しているカイル。
だが、テロスたちの状況が、把握できない状態で、どう言えばいいのかと、考えあぐねいでいた。
チラリと、鍛錬しているリュートの姿を捉える。
黙々と練習をし、汗を流していた。
(リュートに、聞くか? バドは、一体、どんな実験を、させるつもりかと)
経験者でもあるリュートに聞く方が、早いと巡らせる。
けれど、ローゼルの質問に、他の生徒たちも、興味があるようで、聞き耳を立てている状態だった。
(こんな状態では、無理か……)
何度目か、わからない嘆息を、心の中でしていた。
「……これが、終わったらな」
歯切れが悪いカイルの仕草に、胡乱げな形相になるローゼルだった。
突如、生徒たちが、騒然と、ざわつき始める。
口を開こうとした途端、カイルの視界に、テロスたちを浮遊させた状態で、何食わぬ顔でバドが姿を現したのだ。
テロスたちは、意識がないようで、眠っているようだ。
そして、六人を軽々と、浮遊させている状況に、多くの生徒たちが、大きく口を開け、眺めていたのである。
異様な光景に、警備している教師たちも、息を飲んでいた。
その中で、平常通りなのが、リュートだった。
「バド。実験が、終わったのか?」
瞬時に、捕まったテロスたちを見て、テロスたちを、実験体にしたことを察していた。
「まぁまぁかな。十分に、納得できるデータが、取れなかった」
不服そうな表情を、バドが滲ませている。
そして、周囲を窺っていたのだった。
「何を、やっている?」
矛先を、リュートに傾けている。
あり得ない状況に、剣術科の生徒たちは、愕然と、様子を窺っていたのだ。
「何がだ?」
きょとんと首を傾げ、獲物を狙う双眸のバドを凝視していた。
「鍛え方が、足りない」
バドの言葉が理解できず、顰めっ面だ。
「何を、やっているんだ、リュートは。もっと、あいつらを鍛えろ。魔法の耐性が、弱過ぎるぞ。もう少し、粘れると踏んでいたのに……」
「俺は、剣術科だ」
不愉快な姿にも、バドは動じることもない。
「いつも、魔法科では、使っていただろう?」
「あれは……」
思わず、リュートが視線をそらした。
何度も、魔法を使い、教室を破壊した過去が、通り過ぎていく。
そのたび、友達は、ケガを負っていたのだ。
してしまった後、一応、リューとなりに、後悔した時もあったのだった。
「足りない、足りない。もっと、爆発させろ」
危険極まりがない言葉を、バドが連発していた。
黙り込んだまま、口を尖らせている。
カーチスたちが、頑丈になったのは、リュートがところ構わず、魔法を使ったせいもあるが、バドの実験体にさせられたことも、身体が頑丈になった一因だった。
リュートとバドが、話している間も、バドの近くで、テロスたちが浮遊している。
辛うじて、理性を失わないでいるカイル。
頬を引きつりながら、様子を眺めている。
「バド。そろそろ、テロスたちを、下ろしてくれても、いいんだぞ」
頬を上げているが、そのカイルの眼光が、笑っていない。
言われ、ようやくカイルの姿に、バドが双眸を巡らす。
つられる形で、リュートも傾けていた。
慇懃であるが、冷めた眼差しだ。
「確か……。カイル先生でしたね」
「そうだ。バド・レスニー」
レスニーと言う響きに、剣術科のマールが瞠目し、食い入るように、近くにいるバドのことを捉えていた。
頭からつま先まで、見つめている。
そうしたマールの動きを、見逃さないバド。
「……私のことを、知っていると言うことは、ミシャール王国の出か?」
唐突に、ワナワナと、マールが震えている。
二人の様子が理解できず、リュートが渋面していた。
それは、他の生徒たちも、同じだった。
ある程度、二人の会話を、把握できる教師たちは、顔色に変化がない。
不敵に、バドが笑っている。
身体を強張らせ、視線を剥がすこともできない。
「聞いている」
鷹揚なバドに促され、どうにか口にする。
声音だけで、気圧されていたのだ。
「……はい。ですが、私は、貴族ではなく、庶民です」
「そうか」
興味が薄れていく。
「マール。バドのことを、知っているのか?」
目を見張りつつも、リュートが尋ねたのだった。
尋ねられた方は、どう応えていいものかと、両者の顔を見て、狼狽していた。
カイルは、軽い眩暈を起こす。
そして、憐れなマールの姿を窺い、代わりに口を開いた。
「リュート。聞いていないのか? バドから」
「何を?」
溜息を漏らし、何も、話していないバドを、カイルが半眼していたのだ。
された方は、涼しい顔を漂わせている。
「親しんだろう? なぜ、話さない?」
「私は、隠していたつもりはない。聞かれなかったことだ」
「……」
優雅に笑っているバド。
ついつい、ジト目になってしまう。
軽く目頭を押さえ、他の生徒たちも、好奇な目を滲ませている状況に、舌打ちを打ちたくなっていった。
「……バドは、ミシャール王国の、レスニー公爵家の五男だ」
多くの生徒が、瞠目している中で、リュートだけは変わらない。
「それで?」
「それでって……。一応、高貴な貴族ってことだ」
あえて、王国中に広まっている、変人の巣窟になっていると言う部分だけは、省いていた。ミシャール王国の中で、代々、宰相まで勤めている家柄でありながら、家系に変人が集まっていると、国中に広まっていたのである。
バドなりに、名誉も、あるだろうと言う優しさからだ。
「それが、どうしたんだ?」
「「「「「……」」」」」
「バドは、バドだろう?」
「リュートの言う通りだ。私は、私だ」
バドの口角が、楽しげに上がっている。
「……そうだな。ま、気にするな。それよりも、早く、テロスたちを、下ろしてくれないか?」
「そうだった」
運ぶため、浮遊しているテロスたちを、慣れた手つきで、地面に下ろした。
下ろした瞬間、続々と、潜んでいた教師たちが出てきて、テロスたちの容態を確かめる。
「大丈夫だ。移動させるのに、騒がれると、面倒だったので、眠らせておいた」
的確なバドの言葉。
その言葉を、鵜呑みにしない。
教師たちは、テロスたちの容態を、入念に見極めていた。
手馴れている教師たちの作業に、他の生徒たちは、胡乱げだ。
「何の実験をさせた?」
低い声音で、平然と構えているバドを、カイルが眇めている。
「それは、秘密だ。まだ、完成もしていないのに、喋る訳もないだろう」
教師と、話しているにもかかわらず、態度が、鷹揚なままだった。
それに対し、怒る素振りはない。
ただ、カイルが怒っているのは、勝手に、自分の生徒を、実験体にさせられたことだった。
「力ずくでも、喋らすと言ったら?」
「……対抗するまでだ。私も、研究に対し、真摯でいたい」
睨み合う二人。
息を飲んでいる生徒たち。
まさか、カイルに、歯向かう生徒がいるとは、考えてもいなかったのだ。
徐々に、認識が変貌していく生徒たち。
生徒たちも、テロスたちがバドによって、何かされたことを察し始め、仲間を傷つけられたと、横柄なバドに対し、戦闘体勢を取り始めていった。
その陣営を見比べ、リュートは、どちらにつこうかと、ウキウキと逡巡していた。
「リュート。顔が、ニヤけている」
呆れ顔のセナに窘められ、キリッとした表情に戻した。
リュートたちのやり取りで、頭が冷えていったカイル。
放っていた殺気を、瞬く間に霧散させる。
(何をやっているんだ。 生徒相手に……)
「お前たち。戦闘体勢を解け」
カイルの指示に、次第に生徒たちが、納得できないもの、戦闘体勢を解いていった。
「いいのか?」
至って、冷静なバドであった。
「生徒を、巻き込む訳にもいかない」
「そうか」
「それに……、バドは、ラジュールの生徒だろう? そう簡単に、ねじ伏せるのは、ひと苦労させられそうだしな」
それなりに、バドの腕前を、把握していたのである。
「つまらないな。久しぶりに、リュートと、組めそうだったのに」
「そうだな」
つまらなそうな顔を、バドも、リュートも、覗かせている。
二人は、やる気満々だったのだ。
魔法科では、何をやっているんだと、首を竦めているカイルだった。
「こいつらは、置いていく」
「な、バド。どうするんだ、この後は?」
「村で、うろちょろしている雑魚を、捕まえる」
バドの話した内容に、カイルが眉を潜めている。
「手伝うか?」
「いや、大丈夫だ」
ニコッと笑っているバドに、マールが戦慄していた。
「じゃな、リュート」
「おう」
鮮やかに、まとっているローブを捌き、バドが森へ消えていった。
その方向は、魔法科が滞在している場所ではなく、村へと続く方向だった。
頭の痛い出来事に、カイルは、何とも言えぬ顔を、滲ませていたのである。
読んでいただき、ありがとうざいます。