第11話
《瞬間移動》で特別A棟にある保健室に行くと、ひと足先に柔らかな陽射しを浴びるテラスで、カテリーナが座って、優雅にお茶を嗜んでいた。
ほのぼのとした時間が流れている。
その雰囲気を一人で満喫していた。
(いつ見ても、強いとは思えないな……。先生がここに来て、のんびりお茶してて、大丈夫なのか?)
妹ミントの話から、カテリーナとは保健室でよく会うと聞いていたのである。
保健室にグリンシュの趣味で、テラスがあった。
鉢植えの植物たちが、綺麗に置かれていたのだ。
僅かに遅れて、ミントも姿を現わした。
お互いに顔を見合わせ、先を争うように無言のまま席につく。
先にいたカテリーナに挨拶もなしだ。
テラスに保健室の主がいなかったが、二人は一切気にも止めない。
用意してあった木苺のパイを元気よく食べ始める。
来てすぐに食べられるように、テーブルの上に二人分の木苺のパイとフォーク、ナイフが揃えられていたのである。そして、白く立ち昇る淹れたてのティーも添えられていた。
時間も、予測していたかのように。
食べている二人を眺めながら、グリンシュが奥から新たな木苺のパイを持って現れる。
食べることに夢中な兄妹。
「来ましたね」
「えぇ」
代わりにカテリーナが答えた。
「作り甲斐がありますね」
「ホントに」
見事な食べっぷりを披露している二人を、温かい眼差しで眺めている。
新たに木苺のパイを持ってきたグリンシュの存在に気づいていない二人。
無我夢中で、木苺を頬張っていたのである。
グリンシュが腰掛けると、リュートたちに遅れること、数分でトリスたちもやってきた。
到着早々にセナが、瞠目してしまった。
「何、あれ……」
「言っただろう」
二人の視線は、木苺のパイを頬張って食べている兄妹の姿に傾いていた。
美味しそうに食べている姿に、本当に好きなんだと納得する。聞いただけでは、どこか半信半疑なところがあったのだ。
一心不乱に食べている姿に、ある意味鬼気迫る感じも滲み出ている。
「二人とも、空いている席に座ってください」
グリンシュに促され、トリスがリュートの隣に腰掛ける。空いている席は、カテリーナの隣しかなかったので、少し萎縮しながらセナも座った。
チラッとカテリーナの横顔を見て、自分の太ももに視線を戻すことをくり返した。
慣れない状況に居た堪れないのだ。
授業で教わっているものの、プライベートで接する機会がなく、どうしていいのか右往左往していたのである。
カットしてあるバナナのパウンドケーキを、グリンシュが後から来た二人に出した。
木苺のパイは好物な二人の取り分となっていたのだ。
目の色が違う二人の前で、とても木苺のパイを食べようとする強者はいない。
新しいお客様二人に、カテリーナが香りのいい紅茶を出して注いであげる。
紅茶を淹れて貰い、恐縮し続けるセナ。
「セナ。ソースは好みで使ってくださいね」
慣れた仕草で、グリンシュがソースを指した。
ソースの種類は、生クリームを緩く泡立てたものや、ブルーベリーなどのフルーツのジャムがたくさん置いてあった。
食べ慣れないセナが何をつけて食べるのかと思って、慣れていそうなトリスに視線を走らせる。案の定、慣れた手つきで、何もつけずに、そのまま食べていた。
全然、参考にならない。
(役立たず!)
「遠慮しないでいいのよ。セナちゃん」
優しい声音で、カテリーナが声をかけた。
「は、はい」
教師の前で、緊張しながらか細い声で返事した。
とりあえず、一番近くにあった生クリームを選んで、バナナのパウンドケーキがある皿の上に入れる。
生クリームが好きだった訳じゃない。
ただ、一番近くで、無難だろうとチョイスしただけだった。
フォークとナイフを使って、小さく切って口に運ぶ。
普段だったら、そのまま口に運び、パクパクと食べていた。
チラリとトリスを窺うと、無造作に手で掴んで食べている。
(気にしないトリスが羨ましい……。私だって、気にせずに直接……)
優等生なセナは、トリスのように食べられず、以前教えて貰った作法を思い出し、フォークとナイフで、小さくカットしてから口の中へ運んでいく。
バナナの風味が口いっぱいに広がっていった。
あまりの美味しさに、何度もフォークを使って口の中へ放り込む。
「※△×◇○」
咀嚼して飲み込むのは勿体ないと思うほど、グリンシュの手作りのお菓子にはまってしまった。自分の頬に手を当て、堪能しているセナに、微笑ましい笑みを零しながら、グリンシュが彼女の皿に、追加のパウンドケーキを乗せてあげる。
残った1ホールの木苺のパイを巡って、激しい火花を散らし、小さいながらも熱い戦いに入り込もうとしていたのである。
「俺のだ」
「私の」
「俺!」
「私!」
二人は一歩も譲らない。
最後の1ホールを奪い合う。
「ケンカはいけませんよ。ただ、奥にありますから」
「本当か」
「本当」
爛々と瞳を輝かせる二人。
目の前にある木苺のパイを半分に切って、グリンシュが二人に分けてあげる。
渋々ながら、しょうがないと半分の木苺のパイを口にした。
「どうですか? お味の方は?」
「上手いけど、何か違う気がする」
食べさせて貰っているにもかかわらず、リュートが率直な意見を漏らした。
「うん。違う気がする」
ミントもそれに追随した。
「当たり前です。リーブの作る特製の木苺パイは、彼女しか作れませんから。お気に召さなかったら、食べないでもいいんですよ」
寸分の狂いなしに、二人が褒める。
「「とっても、美味しいです」」
「食べ続けてください。また、たくさんありますから」
「「はぁーい」」
二人の変わり身の早さとシンクロにトリスが呆れていた。そして、見事に飼い慣らしているグリンシュの手腕に、トリスとセナが喝采を送った。
食べている二人を静観していると、別世界にいて戻ってきたカテリーナが声をかけてくる。
「久しぶりに食べたいですわ。リーブが作る特製の木苺のパイ」
うっとりとした表情をカテリーナが覗かせる。
「そうですね。あれは美味しいですから」
「ホント、美味ですね」
二人が褒めている特製の木苺のパイとは、どんなものかとセナの中で興味を抱く。
(〈法聖〉リーブ様が作る特製の木苺のパイ、私も食べてみたい……)
「カテリーナ先生。特製の木苺のパイって、どんなものなんですか? 作り方とか違うんですか」
「見た目は同じですよ」
「同じ?」
見た目も味も違うと想像していたので、的が外れてしまい、少々出鼻をくじかれた感が否めない。
新たな木苺のパイを配膳し終わったグリンシュが、カテリーナの言葉を補足するように、この中でリーブ特製の木苺のパイを知らないセナに説明してあげる。
「ある物を入れるのです。その分量が、とても難しいんです」
「ある物?」
何だろうと首を傾げる。
「マーダ草です」
発せられた言葉に、セナが目を剥く。
マーダ草とはしびれ薬に用いられる毒草の一種だからだ。
驚愕が隠せないままセナが、リュートたちが食べている木苺のパイを直視する。新たな木苺のパイしか、目に入っていないリュートたちは、グリンシュたちの会話が耳に入っていなかった。
さすがの情報通のトリスも、その事実を知らなかったようで、食べていた手を止めている。
あんぐりと口を開け、微笑んでいるグリンシュの顔を食い入るように、見ているトリスの目は点になっていた。
トリスもリーブ特製の木苺のパイを、何度も食べていたのである。
咄嗟に、気づかずに食べている二人に視線を注ぐ。
常日頃、冷静なトリスの目を剥いた姿に、グリンシュがクスクスと微かに笑みが零れていた。
「大丈夫です。これには入っていません」
セナとトリスは、同時にグリンシュに顔を傾ける。
その顔には、ホントに大丈夫なのか?と不安が拭えない表情だった。
「だから、話したでしょ? 分量が難しいと。リーブしか作れないんです、特製の木苺のパイは。リーブ以外の人が作ったら、大変でしょうね。ただし分量さえ、間違えなければ、大丈夫ですよ」
天使か、悪魔のような微笑みを崩さない。
その微笑みに、二人は悪意が感じられた。
言葉を失っている二人を横目に、木苺のパイに合うミックスティーを淹れ始める。
温めて置いた新たなカップに、ミックスティーを注ぎ淹れた。
グリンシュが漂う香りを嗅ぐ。
「いい香りですね」
白い湯気と一緒に、爽やかな甘酸っぱい香りが部屋中に溢れる。
それぞれの前に、淹れたばかりのミックスティーを置く。
動じていないカテリーナが香りを楽しんだ後、そっとカップを口につけた。
リュートとミントは木苺のパイを、それぞれ7ホールずつ平らげる。
二人は喉の渇きを癒すために、ミックスティーを飲み干した。
満足げな姿に、グリンシュが『バトル』について尋ねる。
『バトル』とは剣術科、魔法科の優秀な生徒が戦う試合のことである。『バトル』に出場するには先生たちの推薦が必要だった。
フォーレスト学院では、四月に三日間もかけて行われる体育祭がある。その最終日に行われるのが、『バトル』の本選だった。予選は体育祭の初日に行われる。予選に勝ち残った十六名が、本選で戦えたのだ。『バトル』の支流は、七年生や八年生で、九年生や十年生になると、授業の一環として旅に出ているために、九年生以上の生徒がほとんど出場しない。七年生や八年生にとっては、特別な試合と言ってもよかったのである。
「出たい」
意気込むリュートが、グリンシュに意欲を示す。
カイルから話を聞いた時は、グリンシュの中でまさかと言う気持ちが存在していた。
だから、その真意を確かめるために聞いたのだ。
「今まで拒んでいたのに?」
「ああ」
「随分と変わりましたね」
「……」
魔法科に所属していた時、リュートは三年生の時に推薦して貰っていたのである。それにもかかわらず、拒否して、出場しなかった。
『バトル』に出場できるのは六年生からで、三年生からの推薦を貰えるのは異例だった。
興味がなかったリュートは、予選の試合に出ず、森の中で昼寝をして過ごしていたのだった。それに学院内にある村に遊びに出かけてしまったこともあったのだ。
さらに、何か言いかけたグリンシュを遮り、ムッとした顔で口を開く。
「悪いのか」
それに対して、不敵な笑みを零しているだけだ。
それが余計に苛立たせる。
二人の会話に、トリスが割って入り、機嫌の悪いリュートに突っ込む。
「予選、すっぽかしていた癖に」
「あの時は、出たくなかった。それに去年はお前だって、すっぽかしただろう」
人のこと言えるのかと言う表情で、関係ないと言った態度をしているトリスを、鋭い眼光で睨む。
「じっちゃんのところへ、出掛けていただろう。だから、出なかった」
去年を思い出し、確かにそうだったと納得する。
「出て……」
「それは俺の自由だろう? それに急遽呼ばれたんだよ」
「確かに。自由だ」
「何で? 予選出なかったのよ」
憤慨しているセナが、リュートに理由を尋ねた。トリスが出場しなかった理由は、二人の会話で把握したが、まだリュートが欠席した理由を知らなかったからである。
セナもリュートが『バトル』の予選に出なかったことを知っていた。それに生徒たちが憧れている『バトル』に、欠席したリュートたちのことが、学院内で話題になっていたからである。それにセナは、去年の『バトル』の予選に出ていたからだ。
結果は呆気なく、予選を敗退してしまい、本選に出られなかった。
でも、六年生で選ばれることはとても名誉なことなのである。
「羊紙が要らなかったから」
真面目な顔で答えた。
予選に出場した人に、参加賞として羊紙が貰えた。
勉強しないリュートにとって、羊紙は必要なかったのだ。
「それだけの理由なの? ホントに?」
「それ以外、何がある?」
単純な理由に呆れてしまった。
そんなセナを微かに笑いながら、こういう人間なんだよとトリスが呟く。
「では、何で今回は出るのでしょうか?」
拳に力が入る。
「自分の実力を知るためだ」
「今度はまともな意見でしたね」
一笑しながら、グリンシュが突っ込みを入れる。
「いつでも、俺はまともだ。羊紙があるのに貰ってもしょうがない」
怒りを通り越しているセナが、どこがまともなのよと心の中で突っ込んだ。
「そうですよ、グリンシュ。リュート君はいつでも真面目ですよ。必要ないものがあっても、困りますものね」
天然ボケなカテリーナが援護した。
「……」
「それは失礼しました。リュート、頑張ってくださいね」
何を考えているのか読めないグリンシュが、リュートの空になったカップに、新たなミックスティーを注ぎ淹れた。
読んでいただき、ありがとうございます。