第96話
多くの生徒が寝静まり、教師たちや警備員たちは、少しだけホッとできる、ひと時を味わっていたのである。
日中は、生徒たちが動き回っているので、神経を尖らせていたのだった。
この時間帯は、割りと穏やかに、周囲を見張っていたのだ。
敵側だけを、気にかければ、いいだけだからだった。
学院に残っている生徒たちは、まだ、就寝時間ではない。
大多数の生徒たちが、寮の部屋で、騒いでいたのである。
けれど、体験学習をしている、ここでは、日暮れと共に、生徒たちを寝かせていた。
安堵の表情が、窺えるカイル。
密かに、警護している教師たちに、この後の警護をお願いし、学院にある温室へ向かっている。
学院から離れると言うこともあり、何重もの警備が引かれていた。
だが、緩む自分たちではない。
その間も、周囲の警戒を、忘れてはいなかった。
すでに、ここまで、入り込んでいる可能性もあるからだ。
神経を尖らせている真面目な姿に、周囲の警戒に当たっている教師たちが、小さく苦笑している。
彼ら以上に、カイルが、仕事を神経質なほど、こなしていたのだった。
段々と、カイルの背中が、小さくなっていく。
カテリーナから連絡があり、待ち合わせ場所に、指定された温室に訪れていた。
室内に入ると、心地よい温度に、ふと、緊張の糸が解れる。
連日、緊張の糸を、張り巡らせていたのだ。
それらを、一気に解き始めたのだった。
「ご苦労様。カイル」
柔和な微笑みを、漂わせているカテリーナ。
徐々に、癒やされていった。
辛うじて、残っていた疲れも、吹き飛ぶようだ。
カイルを迎えるに当たり、和んで貰うため、様々な用意を施していた。
「ああ」
「生徒の一部の方が、バドに捕まったようですね」
カテリーナの言葉に、思わず、渋面になってしまう。
すでに、報告しに来た教師から、自分の教え子であるテロスたちが、魔法科のバドに捕獲された件を、聞かされていたのだった。
聞いた直後は、助け出そうと、駆け出しそうになったが、他の教師たちに、止められてしまう。
新任の教師を、失いたくないと。
必死の形相だった。
新任教師たちがいなくなれば、自分たちの仕事が増えてしまうからである。
自分たちの都合しか、考えないと抱くが、強く言えない。
すでに、自分たちの仕事が、オーバー気味だったからだ。
そして、ついに、根負けしたのだった。
教師の都合で、生徒たちが危険に巻き込まれても、いいのかと抗議したが、これも勉強になるし、ある意味、身体が鍛えられると説き伏せられ、結局、引きざるを得なかったのである。
まだ、スッキリしていない。
「大丈夫ですよ」
ニコニコした顔で、大丈夫と言われても、どこか不安が残っている。
(あのバドだぞ)
剣術科の教師の中でも、バドのことは広まっていた。
剣術科の新米の教師も、何度か、捕まったことがあったからだ。
その教師たちは、残っている者もいるが、やめている人間もいた。
そして、何をされたのか、聞いても、誰も、口を噤んでいたのだった。
「自分が、育てた生徒を、信じられませんか?」
まっすぐに、注がれる眼差し。
ただ、黙ったまま、カイルが見つめている。
(信じているが、あの有名なバドだからな……)
僅かに、眉間にしわを寄せていた。
テロスたちの顔を思い浮かべ、バドの研究に、つき合わされているかもと思うだけで、気もそぞろな気分が抜けない。
まだまだ、荒削りがあるが、手塩にかけた、自慢の生徒たちだった。
それに、何人もの新任の教師たちが、バドの研究の餌食になり、学院を辞めていったのを見てきたからだ。
顔を顰め、逡巡しているカイルだった。
クスクスと、カテリーナが笑っている。
「とりあえず、座って、お茶でも、どうぞ」
テーブルには、焼き菓子やタルトなどのお菓子に、暖かな紅茶が、セッティングされていた。
到着する時間が、わかっているかのように。
促され、カイルが椅子に腰掛ける。
座るのを見届けてから、もう一つの空席に、カテリーナも、腰掛けたのだった。
「綺麗な花だな」
テーブルの上に、生けられている、色とりどりな花を眺めている。
疲れているカイルを癒やすため、カテリーナ自ら摘んだものだった。
勿論、巡回に出ていない。
巡回する時間帯は、カイルがいなかったので、別な友人が代わりに、受け持っていた。
「和みますか?」
「勿論だ」
「それは、よかったです」
優しげな笑顔を、カテリーナが覗かせていた。
つられるように、カイルも微笑む。
「学院の方は、どうだ?」
「とても、忙しいです」
「そうか。当分、続きそうだな」
「そうでしょうね。きっと、リュート君たちが、卒業するまでかしら?」
ふふふと、楽しそうに笑っていた。
まだ先の話に、カイルが渋面してしまう。
「大丈夫です。みんながいるから」
「……そうだな」
脳裏に、不安がある顔が、ちらついていた。
主に、ラジュールや、デュランの顔だ。
「カイルの方は、どうですか?」
コテンと、可愛らしく首を傾げている。
「今のところはな。だが、リュートが抜け出した」
苦虫を潰したような顔を、滲ませていた。
捕まらないだろうと巡らせつつも、抜け出すなと言ったにもかかわらず、意図も簡単に抜け出したことに、憤慨していたのだった。
キツい罰則を与えても、リュートは平然としていたのだ。
他の生徒たちは、かなり堪えているのに。
「きっと、トリス君たちと、合流したのではないですか」
「たぶんな」
「そういえば。ラジュールが、何人か捕獲したようですよ」
嘆息を漏らしたカイルである。
平然と、見張る側を放棄し、探索する側に回ったラジュール。
彼の行動に、納得できていない。
もう少し、生徒たちの傍らにいろと、抱いていたのだ。
けれど、何度、説いても、放置することをやめないラジュールだった。
「ラジュールのことが、心配ですか?」
「……別に」
一人で、行動しているだろう、ラジュールを掠めている。
組むことを拒み、単独で、何でも行動してしまうのだ。
それを、一番案じるのは、カイルの役目だった。
「大丈夫です。ラジュールが、遅れを、とられることはありません」
自信満々に、語るカテリーナ。
そこには、疑う余地もないほどだ。
「当たり前だ」
「だったら、もう少し、リラックスしてください」
「……別に、ラジュールを心配していない。生徒の心配を、していただけだ」
目を泳がせ、段々と、声がか細くなっていった。
そして、微かに、頬が赤く染まっていたのである。
そんなカイルの姿が、微笑ましく、カテリーナの瞳に映っていた。
「そうですか。それよりも、お茶が、冷めてしまいますよ」
まだ、口をつけていなかった紅茶を飲み、グリンシュが作ったお菓子を堪能し始めた。
嬉しそうに、カテリーナが眺めている。
久しぶりの、二人の団欒だった。
このところカイルが忙しく、二人で会うことが叶わなかった。
カイル好みのお菓子が、並べられている。
喜んで貰おうと、グリンシュに頼んだ結果だ。
口にするものの、すべてを食べきることができない。
それほどの量があった。
残ってしまったお菓子に、目をやる。
「大丈夫です。残ったものは、グリフィンたちに、配りますから」
「そうか」
愛らしい瞳を、傾けていた。
「……」
居た堪れないカイルが、そらしてしまう。
それでも、カテリーナは見続けている。
「……何だ?」
「カイルは、仕事が忙しいと言って、私のところに、来てくれません」
カテリーナの頬が、やや剥れていた。
何度か、来て欲しいと言う要請を受けていたが、仕事が忙しいと、連日、断っていたのだった。
だが、今回は来てくれないと、家出をすると、言付けを受け取っていたので、カテリーナの元へ来たのである。
「……すまない」
「カイルは、何でも、背負い込み過ぎです。何度、言えば、いいのですか?」
何度も、言われ続けていた言葉。
でも、改めることができない。
自分の性分に、思わず、小さく笑ってしまう。
「笑い事では、ありませんよ」
「……すいません」
真摯に、謝った。
「謝らないで、ちゃんと、実行してください」
「……善処する」
ようやく、怒っていたカテリーナが、息を吐いた。
それでも、表情が緩むことがない。
厳しいままだ。
「ホントに、善処してください」
「……うん」
「そうしてくれなければ、私にも、考えがあります」
何とも言えぬ雰囲気。
カイルが、飲み込まれていく。
それほどのオーラを、珍しく、カテリーナが放っていたのだった。
「リーブやラジュール、デュラン、みんなにも、手伝って貰い、カイルを休ませますからね」
強い声音だ。
いやなメンツに、顔が引きつってしまう。
そして、カテリーナは、やり兼ねないところがあった。
みんなと言う響きにも、強張っていたのだ。
カテリーナの熱狂的なファンが、何度か、押し寄せてきたことがあった。
学院の校長でも、手を焼ほどだ。
(精神的にも、肉体的にも、地味に辛い)
「……わかった。みんなにも、手伝って貰う。一人では、決してやらない」
「わかってくれて、嬉しいです」
ニッコリと、微笑むカテリーナだった。
「必ず、善処する」
「はい。では、もう少しここにいて、休息していってくださいね」
「……わかった」
可愛らしいカテリーナに、勝てる者など、どこにもいない。
まして、カイルは物凄くカテリーナに、弱かったのである。
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