第10話
午後の授業が中止となり、リュートとセナが〈東の森〉で剣術の稽古に汗を流していた。魔法科の午後の授業をサボって、トリスも二人の稽古に付き合っていたのである。
早朝も稽古し、夜遅くまでリュートは剣術の稽古をしていた。
身体は傷だらけの上、体力もかなり消耗している。
がむしゃらな姿に、何かを感じ始め、近頃トリスはリュートの稽古を手伝っていたのだ。そして、稽古にセナも時々加わるようになっていた。
息を切らし、リュートが素振りをくり返す。
魔法科時代には、よく授業をサボり、勉強しないことで有名だった。
学院内にある村に遊びに行く問題児だったのである。
それが剣術科に転科してから、授業にも出、進んで稽古に励む生徒に変貌し、周囲の生徒は勿論、教師たちも驚きを隠せなかった。それほど剣術科に転科したリュートの変化に、別人と入れ替わったなどの噂が、学院中を闊歩していたのだ。
それを他人事のように聞き流していた。
頑丈な身体を作るために、セナはトリスに攻撃呪文を唱えて貰い、呪文に対する耐久性を強化することに重点を置いて稽古している。
「次!」
無傷なトリスは、威力を抑えて、《風の矢》を放つ。
「耐えろ」
眼光を見開き、セナが歯を食いしばった。
身体に呪文が吸収される。
「うっ……」
耐えようとするが、耐え切れずに、大地へ片足がついてしまう。
普通の人に比べ、傷のダメージが大きい。
そんな苦痛に歪めているセナをトリスが眺めている。
(ダメか……。どうして、セナは他の人より耐久性がこんなにもないんだ……)
立ち上がろうとする姿を見定める。
「……お願い……」
「わかった」
攻撃呪文を唱えながら、汗だくで素振りをしている姿によく続くなと抱く。
視線の矛先を目が虚ろなセナに戻した。
全身に異様な汗を掻いている様子に、攻撃呪文を放つのをやめる。
「休憩」
「ちょ……」
か細く声で、続行を求めるが拒否された。
「リュートも、休憩」
体力の消耗がある二人を気遣う。
それに対して、渋々といった顔でセナが頷いた。
何度も攻撃呪文を喰らって限界だった。
負けん気の強さだけで、辛うじて立っている状態だった。
息を吐きながら、セナは身体を休める。
これまでのセナの戦い方は、呪文を極力避け、呪文を放たれるために、速攻で相手を叩きのめす戦い方だった。リュートと対戦して、これまで逃げてきた、呪文に対する耐久性の強化を図ろうとしていたのである。それにトリスが付き合っていたのだった。
ヨロヨロと歩きながら、持ってきた水を一気に飲み干す。
その水をトリス目掛けて放り投げた。
「サンキュー」
ゴクリと貰った水を飲んだ。
だいぶ呼吸が落ち着いてきたセナ。
まだ、稽古を続けようとするリュートに、眉間にしわを寄せながらトリスが視線を移す。
(休憩と言っただろうが。これ以上続けたら、倒れるぞ)
疲労感を滲ませるリュートに、セナが声をかける。
「そのくらいにしたら? 身体がいくつ合っても、足りないよ」
アドバイスを送るセナの言葉が届いていない。
身体を痛めつけるように、身体を動かす。
遅れている分を取り戻そうと、リュート自身必死なのだ。
その光景を観察していた二人は、意地っ張りと巡らせる。
「稽古もいいが、明日の授業に出られないでも、知らないからな」
言うことを聞くツボを心得ているトリス。
チラッと、不機嫌なトリスの様子を窺った。
「……」
「あーあ。また、遅れるな」
止めの一言をくり出した。
口を尖らせながら、稽古をやめる。
不愉快した表情で、リュートが即効性のある薬草を口に放り込む。
ブスッとした顔で咀嚼し始めた。
二人のやり取りに、セナがこれが幼馴染なんだと感心する。
手に届く範囲に剣を突き刺し、大きな岩を背に凭れるように胡坐を掻いて座った。
休憩に入ったことを見定めてから、トリスもようやく同じぐらいの岩に寄り掛かったまま身体を預ける。
二人は滝のようにとめどなく汗が流れていた。
「はい」
持っていたタオル二つを、セナがそれぞれに投げる。
「どうも」
礼を言うトリスに対し、リュートは無言で受け取った。
何日か一緒に過ごすうちに、頑固で負けず嫌いな性格を把握するようになり、少々のことでは腹が立たなくなっていたのである。
重い溜息を、リュートが零した。
自分の体質に悩んでいたのだ。
それは自分がピンチの際に、無意識のうちに魔法を唱えてしまう癖が、直らなかったからである。
普通の人にとってみれば、羨ましい悩みだろう。
けれど、魔法嫌いなリュートにとって、苦々しい癖だった。
「な、リュート。昔に比べたら、辛抱できるようになったじゃないか。そんなに悩むなよ、気長に行こうぜ」
無理な慰めはよせと睨む。
(何が気長に行こうぜだ、俺の気も知らないで)
睥睨しているリュートに、今度励ますように明るい口調でセナが話しかける。
「そんなに気に掛けなくっても、いいと思うけど。どんなに私が魔法の耐久性を上げようと稽古しても、魔法のセンスがない私には無理なんだから。その点、リュートは……」
汗を拭きながら言っているセナに、鋭い双眸を投げかけた。
その顔は不機嫌そのままだ。
顔を引きつらせ、少し言い過ぎたかなと思い、セナがぎこちなく笑って誤魔化した。
その手に煌々と燃え上がる《火球》が浮いている。
致命的だと、思わず目を瞑った。
こんな身体で受けたら、ひとたまりもないと自分の体質を心得ていたからだ。
バァン!
頭上で、何か爆発する。
ゆっくりと、両目を見開き、頭上を見上げる。
モクモクと鼠色の煙が上がっていた。
目を瞑った瞬間に、リュートがセナの頭上目掛けて、《火球》を放ったのだった。
ホッとセナが胸を撫で下ろす。
さすがのリュートもセナの状態を把握していたのである。
「俺は魔法が大っ嫌いだ!」
ムッとしているリュートはさらに続ける。
「魔法で、どんな目にあったか、知らないセナに言われたくない」
怒気が含んだまま、吐き捨てた。
憤慨している様子から、鬱憤が相当溜まっていることを察する。
それほど激高していたからだ。
何か声をかけようとするセナを、やれやれと首を竦めているトリスが制する。
「ほっとけ。いつものことだから」
何もかも承知しているトリスが、訓練を再開し始める。
それに促されるように、セナも休めていた身体を動かした。
トリスとセナの距離は、五メートルほど離れている。
「セナ。用意はいいか?」
コクリと頷く。
いつでも攻撃呪文を唱えてもいいように身構える。
法力を落とした《電撃》を放った。
《電撃》は稲妻を巻き起こしながら、一直線に剣を構えているセナに向かっていく。
セナの全身に電撃が走る。
悲鳴を上げながらも、持ち堪えようと我慢した。
だが、セナの両足は震え、今にも倒れそうだ。
「我慢しろ!」
気を失いそうになっているセナに、トリスの声が響かない。
両ひざから崩れを落ち、両手が地面についてしまった。
先程の《風の矢》と比べ、威力を抑えた《電撃》を放っていた。けれど、呪文を受け続けていたせいで、体力も落ちていたセナに、《電撃》は効きすぎてしまう。
困惑するトリスは、かなり手加減して呪文を唱え続けていたのである。
「また、ダメか……」
ダメージの激しいセナの様子を窺いながら、トリスが吐露した。
(セナほど魔法が弱いやつはいないぞ。かなりの条件次第で、魔法科の三、四年生でも倒れるんじゃないのか)
七年生になると、このくらいの魔法を受けても、ここまで酷いダメージにはならなかった。でも、どういう訳か、セナの場合、魔法を身体に吸収してしまっていたのである。
剣士として致命的なセナの体質に、首を傾げてしまう。
「もう一回……」
か細い声で、訓練の続行を頼む。
「火傷の治療してからな」
傷だらけのセナに近づく。
赤くただれた腕に、持ってきた薬草を当てる。
「吸収しやすい身体なんだ」
「……知らないわよ。そんなこと」
膨れっ面のセナは、自分でも変な体質に嫌気がさしていた。
直せるものなら、直したいと願い、トリスの訓練を受けていたのである。
「セナ」
状況を観察していたリュートが声をかけてきた。
同時に視線をリュートに移す。
「どの系統の呪文が最もダメージを与えるのか知ることだ。それによっても戦法が変わってくるだろう」
「確かにな。どの系統が弱いかとにって、戦い方が違ってくる」
「それに現状で、闇雲に呪文を受けていても、埒が明かない。とりあえず、呪文を受けても、ダメージが弱いものから強化していった方がいい。それと同時に系統が悪いものは、どう避けるか、それを考えた方が効率的だ」
リュートと的確な意見に、逡巡したトリスが同意する。
「……確かに」
「うっ」
しみる治療に、呻き声を漏らしてしまう。
「しみるけど、すぐに治るから我慢しろ」
苦痛に歪ませながら、我慢する。
てきぱきと慣れた手つきで治療を続行した。
(よくこんな体質で、『十人の剣』に選ばれたものだ。今までは俊敏さで逃げていられたけど、これからはそんな程度では無理だな。もっと強いやつらはいるし、セナの弱点に気づき、そこを突いてくる者もいるだろうな)
セナから意識が離れると、頭の中は母リーブでいっぱいになった。
「まさか、こんなに母さんのこと、知っている人がいるなんて、思わなかったよな……」
頑迷蒼白な表情のリュートは、カテリーナやグリンシュの言葉を思い返していたのである。稽古に入り込む理由として、いくつかあったが、リーブの件を忘れてしまいたいと言うものもあったのだ。
カテリーナを初めとする、フォーレスト学院の教師たちがリーブの同期、先輩後輩だとは考えてもみなかったのである。
その話を聞いた時の衝撃は、とてつもなく大きかった。
突然、立ち上がり、リュートは腹の底から声を張り上げ吠える。
二人は驚き、吠えている姿を見上げた。
「どうした? びっくりするじゃないか」
リーブの影が自分の周りにあると、か細い声で嘆く。
情報通のトリスは、すぐさまにそれがカテリーナたちを示していることを察した。
「エリートの宝庫だったらしいからな、しょうがないじゃないか」
「でもさ、何でよりによって、学院にいる。どっかの王家とかに仕えればいいだろう。エリートだったらさ」
学院の卒業生の多くは旅に出たり、王家に仕えたりしていたのである。優秀な人材がこれほど多く教師になっている例は少ない。そして、エリートなら、尚更、学院の教師になるのは珍しかった。
「そんなこと、私に言われたって知らないわよ」
悩みが尽きない頭を抱えてしまう。
リーブの微笑む顔が消えない。
そんな嘆く姿に、少しずつ回復しつつあるセナがほとほと呆れる。
どうして自分の母親を恐れるのか、理解できなかったからだ。
いきなり、落ち込んでいるリュートが叫んだ。
「魔法なんか、大っ嫌いだぁー」
そこへ、グリンシュの伝言を言いに来たミントが現れた。
学院から珍しく徒歩で来たのだ。
「私、魔法好きよ」
胡乱げにリュートが視線を注ぐ。
「何しに来た?」
「用事がるからでしょ」
「ところで、ミントちゃん、何で歩きできたの?」
「歩いてみたかったから」
兄とは対照的に愛らしく答えた。
妹の言葉に、ムッとするリュート。
「また、授業サボったな」
今度はリュートの言葉に、ムッとする番だった。
《火球》を投げる体勢のまま、顔を引きつらせているリュートに言い返す。
「午前中しか、なかったの」
ジリジリと兄妹の距離を縮める。
「何か、言いたいこと、ある」
距離を詰めてくるので、リュートは後方に退いていくしかない。けれど、機嫌の悪いミントが距離をさらに縮めようとしてきた。
煌々と、《火球》が鮮やかに燃え上がっている。
大量の法力を注ぎ入れていた。
行き場を失い、リュートが木の幹に背中がぶつかる。
《火球》とミントの顔を見比べた。
「誰にでも間違うことがある。それを怒ってはいけない。ミントちゃん」
「こういう時だけ、ちゃん付けなのよね。お兄ちゃん」
「……すぐ怒ると言うことは、カルシウムでも不足しているのか? それはいけないな、ちゃんと取らないと」
腕組みをして、リュートが何度も頷く。
「それはお兄ちゃんでしょ」
白々しいと顔を引きつらせているリュートを眺める。
咄嗟にバカらしいと思ったミントが、《火球》を引っ込めた。
愛嬌のある微笑みを携える。
その表情に、何だ、これは?と思ったリュートがさらに身構えてしまう。
二人の兄妹ケンカに付き合っていられないとセナが、何か企んでいそうなミントに、訪ねてきた理由を聞いたのである。
「そうだった」
用件を思い出したミントが手を叩く。
「トリス、セナ。グリンシュが木苺のパイ、たくさん作りすぎちゃったんだって。だから、ぜひ、食べに来ませんかって」
「木苺のパイ!」
険しかったリュートから、満面に笑みに変わった。
木苺のパイはリュートとミントの大好物だった。
ほんわかとうっとりしている顔に、ミントが思いっきり背伸びして自分の顔を近づける。
「お兄ちゃんはいらないって、グリンシュに言っておくよ」
「ミ、ミント! 食べるに決まっているだろう」
狼狽ぶりに呆れるセナ。
「知らない」
聞こえない振りしてみせる。
もうすでにリュートの頭の中は大好物の木苺のパイしかない。
ミントの肩に手を置いたと思ったら、《瞬間移動》で消えてしまった。
「あっ。お兄ちゃん、ずるい」
兄の後を追うように、《瞬間移動》でミントも消えた。
「……」
残されたセナが何なの?と言う顔で、トリスを見つめる。
しょうがない二人だとトリスが首を竦めていた。
「木苺のパイって聞いただけで、あの騒ぎ振りは何?」
「二人とも、木苺のパイに目がないんだ」
「へぇ?」
「それもリーブおばさんの、得意なお菓子なんだ。大っ嫌いも好きなうちってね」
渋面しているセナにウインクしてみせる。
「魔法も同じさ。素直じゃないんだよ、あいつは」
二人がいなくなってしまった場所を見つめ、リュートが剣術科に転科してから、呆気に取られているセナは、ほとほと脱力してしまった。
読んでいただき、ありがとうございます。