第56石 フェイズ
出だしは上々。手数を見せずに警戒させられた。
「雲川さん、早く行ってくれ」
「ですが、」
「邪魔なんだ。すまない」
雲川さんが息を詰まらせ、黙る。少し待って局員に指示を出し、先程の男性を担いで裏に向かわせる。
去り際、一言だけ。
「どうか、ご無事で」
「その言葉、百人力だ」
走り去る雲川さんを見届け、ラグナルに視線を戻す。
「……嗚呼、如月様……とても、とても残念です。これでは貴女を……殺さなくてはならない」
「御託はいい。臨むところだ」
構える。ラグナルの構え……軍人か? 昔1度、父様の仕事で海軍に連れて行ってもらった時に見た動きだ。
悲しいことだ。これ程の武人が、怨恨に溺れるとは。
「では、手早く通らせて頂きます」
凄まじい踏み込みだ。常識外れの脚力で、距離を一気に詰められる。流石に1撃の威力が高い。まともに受ければひとたまりもないな。
攻撃の全てを、受け流してかわす。威力が高いが故に動作が大きい。ほんの僅かな隙があれば十分。
動作の間隙を縫って確実に筋肉にダメージを与える。流石によく鍛えられているな。だが、塵も積もれば山と成る。ふらつきは、早い段階で現れた。
狙える。
「これで……」
「青いですなあ」
視界に、鋭く光る銀色を捉える。慌てて地面を蹴り、ラグナルから距離を置く。
頬が熱い。触れてみると、指にべったりと血がつく。
「仕込みナイフ……」
「先程、丸腰ならば、と申されておりましたので。卑怯千万は承知の上、武道よりも優先すべきことがあるのです。お許しを」
ラグナルが馴れた手つきでもう1本ナイフを取り出す。だらりと両腕は下げられているが、全く隙は無い。厄介だな。
攻め方を考えあぐねていると、ラグナルが仕掛けてくる。
「キェエエエエエ!!!」
「くっ……!」
ラグナルの猛攻は、途切れることなく繰り出される。雄叫びを上げ、時に服の上からでも分かる程に筋肉を隆起させ蹴りを放ってくる。
「20年も生きていないような子供に遅れはとらん!」
「くそっ…………」
腕にナイフが当たる。すぐに回避行動はとったが、無傷とはいかなかった。
痛みに顔をしかめる。味を占めたように猛攻は更に激しさを増す。
戦闘に支障を来す程ではないが、脚や胴にも切り傷ができる。
「古文書に戦場を追われ、古文書に家族を殺された怒りが!! 苦しみが!! 恐怖が!! 貴女には分かるまい!!!」
決めの一手を振るうラグナル。回避のその先まで見据え、確実に相手を追い詰めて喉笛を切り裂く一手。
「ああ、分からない」
前に進み、正中をずらす。それだけでいい。
後は体が勝手に動く。
「なっ……!?」
ナイフが顔のすぐ横を掠め、髪を数本だけ刈り取る。私も未熟だ。母様なら、髪先まで操るように動ける。
「ハッ!!」
「うっ……!」
喉に1発。これで動きが鈍る。ラグナルの関節を捻りナイフを落とす。
「セイッ!!!」
「ごっ……」
顎。その後膝を正面から蹴り落とし、関節を砕く。すぐに飛び上がり、足を振り上げる。
「ハアアァ!!!」
「ブッ……」
踵を鼻に叩き落とす。
ラグナルは後頭部を地面に打ちつけられ、数回バウンドして完全に動きを止める。
「威力落ちたかな……」
足の調子を確かめて呟く。体の傷や筋肉の疲労を確認していると、ラグナルの体が微かに動く。
「ウグッ…………ガハッ!! ゴホッ!!」
「タフだな……だが、無理に動かない方が良い。膝と鼻は、恐らく全治2ヶ月では済まない」
「ブフッ……もう、遅い…………は、は、は、は」
力無く笑うラグナルの言葉に、不気味な何かを見る。痛みで意識を保つことさえ苦痛だろうに、尚もラグナルは笑う。
「は、は、は…………計画は、次のフェイズに、移行、致しました…………もう、遅い」
「次のフェイズだと? 何をする気だ」
「ゴホッ、は、は、は…………革命軍に、勝利、有れ……」
ラグナルが手を天井に向けてかざし、やがて力を失う。気を失ったか。
次のフェイズという言葉が頭の中に残る。
ドンッ!!!
地の底に響くような衝撃が走る。外からだ。
急いで外に出て、衝撃の元を探す。煙が昇っているのがそうだろうか。煙の発生源まで疾走する。
「これは……どうなっているんだ……」
1人の男が、泣き叫びながら辺りを火の海にしている光景。
ごうごうと燃える炎は、男の口から次々と吐き出されている。
「違、オオオオオオオォ……! あの、男に、何か……オオオオオオオオオオオオオォ!!」
明らかに自分から発せられる炎を制御できていない。その様子を、少し離れたところで撮影している集団がいる。
1人、見覚えのある厳つい装備を着けた人間が、さながらニュースキャスターのようにマイクを持ち、カメラの前に立っている。まるでテレビの中継だ。
「まさか…………!」
近場の家の窓ガラスを割り、中に入る。テレビを点けると、あの男──グランが映っていた。
『国民の皆様、よぉ~くご覧下さい。あれが、古文書を持った人間の末路。あれじゃあまるで、化け物だよなぁ』
テレビには、炎を吐き出し続ける男性も映っていた。
『だぁから古文書持ちは、こうして殺さなきゃいけない』
ターン……
テレビと外、若干のタイムラグを伴って銃声が響く。炎を吐いていた男性が倒れ、動かなくなる。
「これが、人間のやることか……?」
怒りで手が震える。
暴動が始まる。人々が、接続者を殺す為に動き出す。奴等が暴走する前にと。これは正義だと叫びながら。
外に出て、グランに向かって走る。あいつに、撤回させなければ。今すぐに止めないと。
あと20メートル、15、10……
あと5メートル無いというところで、視界が横にぶれる。
地面を転がり、呼吸ができないことに気がつく。脇腹に攻撃を受けた。何とか意識を保ち、呼吸しようと努めながら立ち上がる。
「残念だったなぁ、ヒーローちゃん」
グランがこちらに向き直り、嘲笑う。
今の攻撃は……?
気がつくと、私を取り囲む様に数十人の男が立っている。何故誰も銃器を持っていない? それに、防護服のようなものも、グラン以外誰も身につけていない。ただの軍服。
呼吸が落ち着いた。肋骨は……ヒビが入った程度。骨折など慣れっこだ。
銃器を持っていないなら、勝てない相手じゃない。
端から撃破してやると意気込んで飛び込む。
「ハアアアアアアァッ!!!」
棒立ちの男の1人の鼻を、拳が完全に捉えた。
「なっ…………!? ごぁっ……!」
拳を受けた男に、ダメージというダメージが見当たらない。その上、軍隊仕込みとは言え、放たれた突きは有り得ない破壊力で私の腹を襲った。
再び地面に転がり咳き込む私に、グランの愉快そうな笑いが降りかかる。
「っははははははは!! 古文書殺しが古文書使うとは思わねえわなぁ!! あ~、なんつったかな……『土の古文書』だったかぁ……? そこの全員がそれを持ってる。軍人からすりゃ最高だなぁ」
『土の古文書』の接続者。この、数十人が全員。
私の戦意を削ぐには、十分過ぎる情報。あれを得た時の力は、私も知っている。ただの地団駄がコンクリートを踏み抜く威力を持った兵器に変わるのだ。
丸腰の女子高生を1人殺すには余りある戦力。
「さぁて一条。お前が言ってたガキはどこだ?」
一、条……?
「家を知ってる。早く行こう」
聞こえてきたのは、いつも学校で聞いていた声。グランの隣に立つのは、見慣れた顔。
「一条君……どうして、ここに…………?」
いつも立花にまとわりついては周りを笑顔に包んだ、人懐っこい男の子。
無表情に固められた顔は、別人のようだった。
別人だったら、どんなにか良かったろう。
「やあ、如月さん」
名を呼ばれ、その願いは虚しく散った。




