第49石 懺悔
「どうもどうも、おはようございます如月先輩」
登校中、いつも通りおどけた風に挨拶する雲川さん。しかし、少し元気が無いように見えるのは思い違いだろうか。
「おはよう雲川さん。WAROは大丈夫か?」
「まだ事件から1週間ですからねえ。局員総出で後片付けです。政府からも『何があったのか説明しろー!』とか『対策はどうなってるんだー!』って言われてますからね。ま、あんなことがまた起きて、またこうしてきちんと起きられる保証もありませんし、仕方が無いとは思いますが。山本局長も、3割増しで老けましたよ」
クスクス笑いながら言う。笑い事じゃないだろうに。
イタズラっぽい後輩を微笑ましく思う。これでWARO日本支部の副局長だと言うのだから驚きだ。ちょっと失礼かもしれないが。
他愛も無い話をしていると、雲川さんが思い出したように話し出す。
「ああ、今日は私日直でした。朝の準備がありますので先に行きますね」
「あ…………ちょっと待ってくれ!」
軽やかに走り出そうとする雲川さんに、思わず声をかけてしまう。
くるりと体を翻しこちらを向く雲川さんに、言葉が詰まる。
さっきまでの話の中、ずっと言おうかどうか迷っていたこと。心を決めて告げる。
「今日の放課後、立花の、見舞いに行くんだ…………雲川さんも来ないか?」
言葉が段々小さくなってしまったが、聞き取れたようだ。曇る表情が物語っている。
「私は……行けませんよ。立花先輩を起こす手立てを見つけるまで、顔向けできません」
一瞬だけ見せた悲しい顔を、元の微笑に戻して言う。
そんなこと言わないでくれ。君がそんな風に言ってしまったら、私は…………あいつにどんな顔をして会いに行けばいいのか、分からないじゃないか。
──ピンポーン
この扉をくぐるのは、今日で何度目だろうか。訪れた内の2回は意識を失っていたのだから余計におかしな話だ。
少し待つと、パタパタと走る音が近づいてくる。
「はーい。あ、桜花ちゃん! どうしたの?」
「こんにちはタイヨウちゃん。……立花のお見舞いに来たんだ」
「…………そっか。上がって待ってて! お茶用意するね!」
お構い無く、と。そう言う前に去ってしまう。
私が『立花』と言った瞬間、タイヨウちゃんの表情に影がよぎったのを感じた。
中に入って、ドアの鍵を閉める。灯りは点いていないが、窓から差し込む太陽の光だけで十分に明るい。
リビングに向かう。途中で通り過ぎる寝室の扉の前で足が止まり、胸がズキリと痛む。入るのを数度躊躇った後、寝室の扉をノックした。
「入るぞ」
返ってこない返事に、泣きそうになる。
扉を開けても、怠そうな悪態は飛んでこない。後ろ手に扉を閉めて、暫くその場でベッドを見る。
真っ白な顔。
死人の様に土気色という訳ではないが、生きていると言うにはあまりに生気が無い。
歩み寄り、ベッドの傍の椅子に座った。ここでタイヨウちゃんが、立花の世話をしているのだろう。
今の立花は、心肺機能以外の活動をしない。食事も、排泄も、勿論寝返りも。食事しなくとも、何故か呼吸は止まらない。呼吸と鼓動以外、朽ちることさえ忘れてしまったみたいだ。
立花の手に触れようとして、途中で止める。
「よう立花。昨日ぶりだな。ここ1週間、毎日のように押しかけてすまないな」
静かに、しかし暗くならないように意識したトーンで語りかける。手持ち無沙汰な両手は、自分の膝の上だ。
「今日は良い天気だ。いつぞや遊園地に行った時を思い出すな」
存在さえ希薄になったかの様な立花に、ゆっくりと丁寧に、言葉を紡いでいく。
「そうだ、今朝は雲川さんと少し話せたんだ。WAROも大変そうだ。局長さんが3割増しで老け込んだと笑っていたぞ。笑い事ではないだろうになあ」
乾いた笑いしかできない自分に嫌気がさす。手をぎゅっと握り、唇を噛む。
「あの時、日本中皆の意識が無くなって、時間が消えてしまったみたいだった」
ああ、我慢していたのに。
声が震える。
「立花、お前は……あの時何をしていたんだ? ……私達が眠っている間、戦ってくれていたんだろう? ……私はお前に、助けられてばかりだ…………助けられてばかりで……何も……何もできない…………」
声を出して泣き出しそうになる寸前に、私の肩に手が触れた。
「桜花ちゃんのせいじゃないよ」
「でも、私は、立花になんてことを……」
「そんなに自分を責めないでよ。桜花ちゃんが悪者だったら、私なんか魔王様だよ。……1番酷いのは、私だよ」
「友人として、立花の力に、なりたいと……そう言ったのに……私は、立花を忘れ、恐れた…………夜になると苦しんでもがく立花の姿を見て、私は……恐いと…………思ってしまった…………」
堪えきれない感情のまま、私だけが知っている秘密を口走る。肩に乗った手がぴくりと震えるが、すぐにその手は私の体を包み込む。
「そっかぁ……恐かったね、苦しかったね。もう1人で背負いこまなくていいんだよ。大丈夫大丈夫、秋人はとっても優しいもん。きっと、素直に恐いって言ってくれて安心してるよ。」
溜め込んでいた全部を吐き出して、それを受け止められて。
申し訳なくて、情けなくて、悔しくて、悲しくて。
子守唄のような声に溶かされて、心は我慢することを許してくれない。涙が止めどなく溢れて、膝の上の手を濡らしていく。
私の懺悔を、私を包み込む太陽だけが、優しく溶かしていく。
──「長いこと居座ってしまってすまない。また来るよ」
「うん、そうしてあげて。秋人も喜ぶよ」
「そうかな……またうるさいのが来たって怒るんじゃないか?」
「そんなことないよ。秋人ってば実は寂しがり屋さんだからね」
2人でクスクスと笑い合う。
「ねえ桜花ちゃん。悲しまないであげてね。いつか秋人が起きた時に、笑って出迎えてあげて。桜花ちゃんのおっきい声で、遅い! って叱ってあげて」
「笑うのか叱るのか、難しいところだな」
「あれ、ほんとだ…………笑いながら叱っちゃえ!」
また2人で笑い合って、今度は私から、タイヨウちゃんを抱き締めた。
「本当に、今日はありがとう。強いな、タイヨウちゃんは」
「……強くなんかないよ。でも、秋人と約束したんだ。誰も死なせない、誰も悲しませないって。秋人はまだ生きてるよ。私達の言葉だって聞こえてる。たまにね、心臓が速くなるの。生きたいって、動きたいって頑張ってるんだよ。だから、私達が諦めちゃいけないんだよ」
タイヨウちゃんの言葉は、希望に満ち溢れていた。嬉しそうに話す彼女を見て、安心する。本当にタイヨウちゃんは大丈夫なんだ。立花が生きているから、絶望なんかしないんだ。
「そうだな…………それじゃあ、私はそろそろ行くよ」
「うん。……桜花ちゃん!!」
タイヨウちゃんに呼ばれて振り返る。タイヨウちゃんが輝くような笑顔で叫ぶ。
「また明日!!!」
「ああ!! また明日!!!」
私も全力で、それに応えた。




