第47石 忘れさせてくれねえ
視界が、白く染まった。
感覚という感覚全てを手離し、思うことすら止めてしまいかけたその時、視界が黒くブレ始め、次第に元の世界を取り戻していく。
「……ぁ、かはっ! ゲホッ!」
呼吸が止まっていたらしく、肺が悲鳴を上げている。むせながらも男からは目を逸らさず、次に備える。
「……本当に、君には驚かされる」
本当に驚いた様子で男は顎に手を当てる。
「前言を撤回しよう。精霊との対話は可能なようだ」
男の顔には、最初よりも深い笑みが刻まれている。心から嬉しそうに手を叩き、祝福するような声色で喋り続ける。
「僕以外に、ここまで密に精霊と繋がった人間を見るのは初めてだ。名前を聞いても構わないかな?」
「答えるかよ」
「はは、まあいいか。その顔だけは、絶対に忘れないように彼にも頼んでおくよ。
……君にひとつ提案がある」
態度からは分かりにくいが、嬉々として男は俺に向かって手を差し伸べる。
無邪気ともとれる笑顔で、男は告げる。
「僕の手伝いをしないか?」
「……はぁ?」
唐突にも程がある。さっきまで殺しにかかってた相手に何を言うのか。
思わず間の抜けた声を出す俺を半ば無視し、男の話は続く。
「文字通りだ。君も、僕と精霊の世界を取り戻そう。 いずれは僕達も消えて無くなるが、君程精霊を解しているのならば、『彼』も拒絶はしないだろう」
さも当然といった口振りで言葉が紡がれる。
予想外の提案に少し呆けてしまいそうになるのを堪えて、極めて冷ややかに返す。
「それは、勝手に人の意識を奪う手伝いをしろってことか?」
「捉え方の問題だ。僕には」
「お前の思想はどうでもいいんだよ。興味も無い。質問にだけ答えろ」
「……表面的には、君の言った通りだ」
「…………」
戦闘の体勢を解き、ただ普通に立つ。まだふらつく頭を軽く小突き、意識を保つ。緊張している筋肉を解すため、体を動かしながら男の言葉に応える。
「確かになあ、人間、沢山いてもめんどくさいし、ちょっと減らねえかなと思ったことはある」
「…………」
「人付き合いだのノリだのテンションだの、面倒で仕方がない」
「……では」
「でもなあ……お前のやってることは気に入らねえ」
男の言葉を遮り、怒気を含めて言う。
「選ぶ権利すら奪うお前の行動は、誰がどう見たって悪で、目障りなんだよ」
「残念だ……とても残念だよ」
真っ暗な白を全身に帯びる男の顔が、無感情に染まっていく。笑うことを、怒ることを、生きることすら忘れてしまったかのような男の表情。だが、彼の声色に落胆は無かった。提案を断られて尚、現状を楽しんでいる。そんな声色。
「夜、遠慮はいらないぞ」
「お前ごときに遠慮する気遣いなど元々持ち合わせておらん」
「さっきから力の量調節してんのお前だろ?」
「全てはうまい『苦痛』の為。長く楽しみたいだけだ。……いいのか、今夜精神が消し飛んでも」
「後のことは後で考える」
「…………阿呆が。知らんぞ」
夜の力が、際限無く溢れた。
自分で調節ってのも難しいもんだな。
溢れた力が体から離れて霧散しないよう、体の周りに留まる形に押さえつける。
「立花秋人」
「……何だ?」
「俺の名前だよ。気分良いから教えてやる」
「立花秋人、か……せめて、僕だけは忘れないでおこう」
「お前は?」
「忘れてしまったよ。『彼』を受け入れたその時にね」
「精霊とまとめて『忘却』でいいか……せめて俺だけは覚えといてやるよ」
「はは、感謝しよう」
通用しないであろう皮肉を言い、互いに黙る。無駄なお喋りはここまでだ。
真剣な殺し合いが始まる。
「おらあ!!!」
「……くっ!」
踏んだコンクリートの地面が陥没し、砕け散る。滅茶苦茶な移動速度をそのまま攻撃力にし、蹴りを放つ。
回避が間に合わずに腕で受け止める男の白い光を黒で上塗りし、肉体まで到達させる。
ミシミシと骨が軋み、男が面白いように吹っ飛ぶ。
「規格外だな」
「そりゃどうも」
再び地面を踏み、男の懐に飛び込む。
脇腹に拳をねじ込もうとしたが、男は足を踏み変えるだけでそれを紙一重で回避する。夜の力は、白い光に阻まれて男にダメージを与えられない。
空振りする腕を男が掴み、膝を叩き込んでくる。
ゴキュッ
「あっ……ぐあ……!!」
「これで……っ!」
足下を粉砕し、男の体勢を崩す。蹴りで男を吹き飛ばし、無理矢理距離をとらせる。
強烈に痛む肘を押さえ、夜の力で修復する。
痛みが薄れ、あらぬ方向に曲がっていた肘が、正常な位置に戻る。
「……何だ……?」
肘が、正確には攻撃を受けた右肘から先が動かない。攻撃を受けた肘だけでなく、右手の指先すらピクリとも動かない。
「めんどくせえ能力だな……」
「君の『夜』も大概だ」
一言だけ呟き、再びお互いに肉薄する。
殴打、蹴り、肘打ち、膝蹴り、頭突き。
持てる限りの手数を打ち合う。
骨は軋み、筋肉は千切れ、血が飛び散る。時折飛びそうになる意識を引っ張り、回る目を見開き、ただ、相手を叩き潰すことだけを考える。
気を抜けばそこで終わる攻防の中、男の放つ光が俺の両足を捉えた。
力が抜け、膝をつく。
一瞬の集中力の途切れ。無意識に視線を脚に向けてしまう。自分の愚かさに気づき、男のいた場所に目を向ける。
「手遅れだね」
低く落ち着いた、しかし少し高揚した声が、背後から聞こえる。
夜の力で後方をまとめて吹き飛ばそうとしたが、その前に男の手が俺の首を絞める。
「終幕だ……」
「う…………っ……! クソッ!! 動け、動け、動け動け動け動け動けええええええええええええぇ!!!」
体が、俺の意思に従わない。力無く倒れ、そのまま指1本すら微動だにしない。
夜の力だけで男に攻撃するが、全て白い光に消されてしまう。
「精霊は回収させてもらうよ」
男の手が頭に触れる。目の前が段々と白く霞んで、何も分からなくなっていく。眠りたくなどないのに。まだ終わらせるわけにはいかないのに。
体は動かず、夜の力は届かない。
「お断りだ」
男の手が何かに弾かれるように離れたのは、『夜』の声が聞こえた直後だった。
短いの静寂の後、男が絞り出すように声を発する。
「……どうして……僕は、君達の為に…………」
「いらん世話だ。小僧、貴様……何か勘違いをしているようだな」
男は『夜』の声が聞こえているのだろうか。背後からは、乱れた呼吸音が聞こえるばかりだ。
「我は好きでこいつの中にいる。それに、何が悲しくて『忘却』の小僧に管理されねばならん。願い下げだ、格下が」
男の呼吸音が止まり、穏やかなものに変わる。
「残念だ。僕も、厚意を無下にされて尚尽くす程の気概は無い。最後にもう1度だけ問おう。君に、好きな器をやる。僕達と来ないか?」
「失せろガキ共」
男の存在感が、禍々しく、強固なものに変わる。言外に伝わってくる。次だ、次で終わる。
「くっ……! おおおおおおおおおお!!」
「おい、立花秋人」
「なんだよ……! 今はお前に構ってる暇は……」
「動けるようにしてやろうか?」
「できんなら早く……」
「神経がどうにかなるかもしれんがな? 何らかの形で障害が残ることは」
「いいから早くやれ!!!」
心底楽しそうに告げる夜の言葉を無視し、先を促す。
「貴様……我の言葉を遮るなど」
「うるせえんだよ! とっととしろ! 後で構ってやるから!!」
「こんのガキ…………後で覚えておけ……」
ズキッ
男に絞められた首に、鈍い痛みが走る。
「あがっ…………うっ、ぐっ……!! お"、お"、お"
おあああああああああああああああ!!!」
じわりじわりと痛みが体全体に染み込んでくる感覚。ひどく冷たいものを首から流し入れられるように、順番に痛みが行き渡る。
痛みは治まることなく体を蝕み続けるが、変化は確かに訪れる。
「! 腕が……!」
動く。自分のものでなくなってしまったようだった体が、次第に脳の制御下に戻る。体を捻って男の方を向くと、白い光は男の姿を隠す程に濃く集まっていた。
「消え去れ」
「ごめんだよ!!」
爆発する白い光に古文書の力をぶつけ、僅かに隙間を作る。その隙間に飛び込み、間一髪で光の範囲外に出た。
「何故動ける……! 君の体はもう……」
「おらああああああああああああ!!」
断続的に与えられる痛みで視界が乱れ、意識が途切れ途切れになる。一瞬でも気を緩めたら気絶してしまいそうだ。
体中に力を籠め、痛みに耐える。夜の力で白い光を打ち消し、拳と脚で、純粋な暴力で、男を打つ。
当然攻撃一方とはいかない。受け流された攻撃は空を切り地面を打ち、拳は真っ赤に染まっている。
それが何だ。
体中はとっくに狂う程の痛みに襲われている。拳の肉が抉れても気がつかない程に。骨も砕けているかもしれない。それでも打つ。貫く。
殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る。
「何故だ!! カハッ……何故、何故消えない!! 君の体は、もうとっくに忘れているはずだ!!」
「忘れねえよ! 俺の『相棒』が忘れさせてくれねえ! 死ぬ程の痛みが! 俺の体に生きることを忘れさせねえんだよぉ!!!」
血に塗れ、痛みで肉体のあらゆる感覚を麻痺させながら男を殴り続ける。
倒れろ、崩れろ、負けろ、壊れろ、消えろ。
終われ、終われ、終われ、終われ、終われ、終われ。
「終われええええええええええええぇぇ!!!」
全てを乗せた拳が、男の胸に突き刺さる。




