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第46石 忘却の使徒

「お前……『忘却』の…………」


「申し訳ないが、僕は君のことを記憶に留めていない。……この状況は喜ばしくないな。場所を変えよう」


「待て……よ…………」


 男を引き止めようと手を伸ばした一瞬、意識が飛んで視界が瞬く。その間に男は出口まで移動している。


「君は無くさないみたいだ。さあ、行こう」


 穏やかに歩き出す男を再び目で捉えた頃には、男は既に外に出ていた。

 後に続いて外に出る。男は尚も歩き続け、人気の無い場所──倒れている人の少ない場所までたどり着いた。ここは……廃工場か……?


「さて、君は『何』なのかな? 器には成れていないようだが……」


「お前のものさしで俺が何なのかなんて知るか。人を勝手に気絶させてんのはお前か」


「そういう捉え方もできる。だが、僕が行使するのはあくまで」


「お前と会話ができねえのは初対面の時に嫌って程思い知ったよ。俺の要求は簡単だ」


 男の言葉を意図的に遮り、簡潔に要件だけを伝える。男は穏やかな微笑を湛え、俺の言葉を聞いている。


「全員の記憶を戻せ。んで起こせ。以上」


「それも、君のものさしでの簡単だろう。悪いが、君の要求をおいそれと飲むわけにはいかない」


 ここまではまあ予想通り。


「……遊園地の時も思ったんだが、お前は何がしたい。場合によっちゃあ協力できるかもしれん」


 当然嘘っぱちだが、殴るのは話を聞いてからでも問題無い。前回こっぴどく負けているし、迂闊に飛び込む気も起こらない。


「魅力的な申し出だが、それは不可能だ。君が君のまま僕に協力するのは、絶対にね」


「それが分からねえ。俺が俺のままってのはどういうことだ」


「君の中には、精霊がいるはずだ」


「それがどうした」


「そして、君は今人間として僕と言葉を交わしている。僕は、この世界に再び精霊を住まわせたいんだ」


 相変わらず意味が分からん……。軽くいイライラしてきたが、相手の頭がおかしい以上こちらが折れないと話が進まない。


「精霊を再びってのと人間の意識を奪うのに何の関係がある」


「1人掛けの席には1人しか座れない。当然だろう」


「分かるように言え」


「精霊の器として、人間は最適な形だ。だが、そこに人間の意識は不要なんだ」



 精霊。俺の中にいる『夜』も精霊の1人。1体か? その精霊を、人間の中に住ませると。



「何の為に」


「それが僕の全てだからだ」


「これ以上は不毛か……」


 頭を掻き、ため息をつく。体の怠さを感じながらも、いつでも動けるように意識を作る。


「もう1回だけ確認する。皆を起こす気は?」


「皆……面白い表現だ。人は何にも属してなどいないというのに。すまないが、僕は僕の存在意義を果たすよ」


「じゃあいいや。起こさせる」


 今回は躊躇しない。

 脚に力を入れ、一気に距離を詰める。拳を突き出すが、これは当然かわされる。

 前傾した体を捻り、蹴りで男を追うも、また空振り。


 俺の体勢が崩れたと判断したのだろう、男が距離を少し詰め、俺の胴に肘を入れようとする。

 予め腹部に纏わせていた古文書(アーカイブ)の力に男の肘が触れる瞬間に、力を収縮させて男の肘を潰しにかかる。


「──!」


「チッ」


 勘付かれたか。男が夜の力に触れる寸前に肘は離れ、男が距離をとる。

 一連の攻防を終え、男が口を開く。


「君には驚かされてばかりだ。どの程度か計り兼ねてはいたが、ここまでとは」


「こちとら今ので終わらす腹積もりだったよ」


「はは、流石にそこまで僕も愚鈍じゃないさ」


 軽い皮肉を一笑に付し、崩れかけた微笑を取り戻す男を見て、舌打ちを禁じ得ない。

 手の内がバレる前に終わらせたかったが、実力を見誤った。今の攻防で、冷や汗どころか呼吸の乱れすら感じさせない。


 余裕綽々って顔だ。


「今のを見た感じ、お前は見えるんだな」


「明瞭にではないが、ぼんやりと感じるよ。現状はそれで十分だ」


 ハッキリ見えなくても勝てると。それ程に奴は自分の実力に自信があるってことか。


「否定できないのが悲しいわな……」


「恥じることじゃない。単に付き合いの長さの問題だ」


 今度は男が地面を蹴り、高速でこちらに近づいてくる。夜の力を両腕に纏わせ、攻撃を受け止める。力のお陰で殆ど腕に力を入れることなく攻撃を受け止められる。

 人と殺し合うことに慣れたのか、相手の攻撃も目で追える。攻撃に軽く触れるだけで面白いように吹き飛ぶ男の手足に、心に余裕が生まれる。

 あわよくば手足を潰そうと思い、数度試みてはいるが決定打が入らない。それでも、間違い無くダメージは蓄積させているはずだ。

 体力的にも俺が断然有利だ。押し切れば……



「手を煩わせてすまないね」



 意識が遠のき、体が脳の制御を外れる。目を覚ました時には体が宙を舞い、右肩が悲鳴を上げていた。


「うぐっ……!」


「少し拍子抜けだ。精霊の力を、額面通り行使するだけではね。君達のそれは共存じゃない」


 地面に体が叩きつけられ、骨が軋む。その間に男は語る。挑発ではない、本心からの失望のため息を乗せた言葉で、俺の実力を評する。


「しかし弱ったな……君を、君だけを消すのは、少し難しそうだ。計画に遅れは出るが、範囲を狭めようか。心配しなくていいさ。誤差の範疇だ」


 男が独り言──恐らく精霊との対話なのであろう言葉を呟き、深呼吸をする。


「今すぐに仕留めろ」


「夜……? 急に出てきて何だよ」


「とっとと仕留めろと言っている」


 聞いたことの無い圧力で語りかける夜の言葉に、反論する気が失せる。

 すぐに力を全身に回し、男に肉薄する。力が男に触れれば、それで勝負がつく程の密度。

 力が男に触れるまで残り10センチも無いというところで、奴は動いた。



「これで本当にお別れだ」



 どうやってかわしたのか、かわせているのかはよく分からない。だが、男に向かって直進していた体躯を、古文書の力を地面に叩き込むことで無理矢理吹き飛ばしたことは覚えている。

 男が差し出した手、その直線上から逃れるための精一杯の行動。不思議とその行動は正解に思えた。


「察しが良いな。だが……」


 男は表情を崩さず、手だけをこちらに向け直す。 真っ白なのにどこまでも暗い光が、男の手を包んでいる。


「それではまだ足りないな」


 視界が、白く染まった。

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