第41石 空前絶後の空騒ぎ
「なあ立花ー、いい加減謝り行けよー」
「…………」
佐倉兄妹との、文字通り死闘を終え、その代償である苦痛の清算も終えた数日後。テストが目前に迫り、午前授業で帰れるという喜ばしい日々が訪れたある日。放課後、さあ帰るかという段に入った時。
呆れ顔で俺に話しかけるのは一条だ。
一条といえばだが、あの勉強会の後の一条行方不明について。本人に確認をとったところ、
「悪い悪い! 観たいアニメあったの思い出してさあ。ダッシュで帰ったんだよ。ホントごめん!」
とのこと。奇跡的にタイヨウ誘拐の現場も猿2匹も目撃してはいないらしく、念のため確認したら間抜け面をかましていた。
そんなタイミングは無かった気がするんだが、本人が知らんと言う上、事実あの場から一条は消えていたため追求はしていない。
窓から飛び下りでもしたのだろうか。……一条なら、まあ不思議ではないのかもしれない。
もとい、今の状況である。
「何度も言うようだけど、ありゃあお前が悪いぜ?」
「……るせえな」
「まー、唯ちゃんもちょこーっとしつこいところはあったけども……でもあれは無いわー……」
「うるせえっての。何なんだお前。関係無えだろ」
これと言って特別なことがあったとは思っていない。いつも通り雲川が俺に絡み、いつも通り俺が雲川をあしらっただけのこと。変わったことがあるとすれば、雲川に会う前に一条に捕まったくらいだ。
しかし今回は普段通りのやり取りだけでは終わらなかった。
雲川が、あの雲川が、泣いた。
俺は狼狽えた。かつて無い程狼狽え、言葉を失った。あろうことか雲川はその後何も言わずに走り去り、それっきりだ。いつもは休み時間になると毎回毎回教室まで押し入って来る癖に、今日は朝以来あいつの顔を見ないまま放課後になった。
「関係は無いけどさあ……でもなあ……」
「どうしたんだ2人共。なんだか暗いぞ」
如月……佐倉兄妹との件の後、泊めてもらった時は様子がおかしいかと思ったが、すっかりいつも通りだ。あの時の如月は、明らかに眠っていなかった。疲れたからと言っていたが、それなら尚更眠くなるよな……。
考え込んでいる間に事の顛末を一条が説明していたらしく、如月の顔が険しくなっている。
「立花お前……本当に気づいていないのか……?」
「何がだよ」
「……はあああぁぁ…………」
ため息うるさっ。ため息でその音量って出るもんなのか。
というか何。俺が特別何かしたってのか。それは無いな。本当にいつも通りの言葉の応酬しか俺は……
「何をぼさっとしている。早く行け」
「何なんだよさっきから……俺が一体な」
「いいから行け!!!」
びっくりした。だが驚いたのは俺だけじゃなかったらしく、一条も如月を見て目を見開いている。
流石にあの剣幕に逆らおうという気にはならない。というか、逆らった方が間違い無くめんどくさそい。
まだ帰ってはいないだろうから、校門で待ち伏せる。いや伏せてはいない。普通に待つ。
そう待たず、雲川が中から出てきたので声をかける。
「よう」
「っ……立花先輩…………どうも」
いつもならどんな些細な挨拶だろうと拾って茶化して妄想に繋げるこいつが、俺の言葉に普通の返事を返したことに寒気を覚える。
なるほど、これは確かに異常だ。
自分が何かとんでもないことをやらかしたのだということを自覚し、気を引き締める。
「お、おい。どうしたんだよ。何か変だぞお前」
「……どうした、ですか…………先輩のせいじゃないですか」
「……?」
「先輩のせいでこんなに落ち込んでるって言ったんですよ!!!」
びっくりした。今度は洒落にならないくらいびっくりした。あの雲川が、いつも何考えてるのか分からない雲川が、感情を露にして怒鳴った。しかも涙を目に溜めて。
驚き過ぎて茫然とする俺を置いて、雲川は走り去る。その背中を目で追う。たぶん今口開いてるよな俺。
そんなアホ面を世間様に晒していると、今度は中から一条と如月が出てくる。
「おいおいおいおい立花よお。今度はお前何言っちまったんだ」
「いや……様子がおかしいから……どうした、って……」
「おまっ……バカじゃねえのか!?」
何故ここまで言われねばならない。というかこいつ何も教えてくれねえし。謝るにしたって内容が分からないで謝ったら変な奴だろうが。ヘルプのつもりで如月を見る。
「見損なったぞ立花……」
見損なわれた。これは最早いじめの域だろ。
「お前ら何怒って……」
「「いいから追いかけろ!!」」
綺麗にハモったな。一条はともかく、如月はこのままだと俺を殴りそうな勢いだったので急いで雲川の去っていった方向に走る。あいつに殴られたら一撃で致命傷になりかねん。
こんなことで古文書の石を使ってたまるか。
5分程度走ったが、体力が人並みにすら無い俺には拷問のように感じられた。
川原まで来たか。こっちの方に来るのは初めてだな。単純に家が逆方向だし。いるわけないかと思いつつ川原を見渡す。
いた。嘘だろ。
傷心で川原って……ドラマか何かか。とにかく、事態を解決しないと如月に殴り殺される。面倒を回避した結果死ぬのはごめんだ。俺だって命は惜しい。
とりあえず雲川の座る位置に向かうため、歩き始める。息が切れて話せないのもアホらしいので、呼吸を整えるためにゆっくりと。
雲川の半径2メートルに入ったところで、雲川が動いた。反射的に警戒するが、雲川の手は自分のすぐ隣の地面を叩くだけだ。
座れ、と。そういうことだろうか。
良い予感がひとつもしないが、とにかく早く事を治めなければ。雲川の指示に従い、地べたに腰掛ける。
どう声をかけたら良いのかも分からず、川面をただ眺めていると、向こうが先に口火を切ってくれた。
「先輩」
「なんだ」
「謝って下さい」
「……すまん」
「何に謝ってるのか分かってるんですか」
「…………いや」
「救いようの無いバカですね」
このやろう減らず口は健在か安心したよ。急に泣くからえらく驚いたが、そこまで重症ではないことが分かっただけでも収穫だ。
反論もできないため黙っていると、再び雲川が口を開く。
「嫌いって……」
「あ?」
「先輩が、嫌いって言ったから……」
「……はい?」
何言ってんのか分からん。俺が? 嫌いと言った? 何を?
「先輩が、私のこと嫌いって言ったから……なんか、泣いちゃいました……」
「………………それだけか……?」
「それだけって……! 私がどれだけ傷ついたか……」
「あーいやすまん。全面的に俺が悪いのは認めるし、本当に申し訳ないとは思ってるんだが……原因はマジでそんだけか……?」
「私だって意味分かんないですよ。こんなことでここまでショック受けるなんて」
マジかよ。今朝の、あのテンプレートの様なやり取りの中で、俺が殆ど無意識で放った『嫌い』というワードに、あの雲川が泣く程傷心だったと。
……これ、如月と一条は分かってたのか? いや、あいつらの様子だともっと深刻な感じだった。大いに誤解している可能性がある後で説明しないと、より面倒なことになる……。
いずれ来る面倒に頭を抱えていると、雲川にどつかれた。
「いって、何だよ」
「ムカついたから殴りました」
「どこのガキ大将だよ……」
「…………最初はおふざけだったんですよ」
唐突に、雲川が言いづらそうなると語り始める。
「先輩が不思議な目をするなあって思ったのは本当ですけど。先輩と接触したのは仕事ですし、仕事の後はちょっとした護衛というか、こう……罪悪感みたいなもので付きまとってたんです」
今日は驚いてばかりだ。こいつの口から罪悪感という言葉が飛び出すとは。タイヨウを人質に俺を脅し、無理矢理働かせたことを、ちゃんと反省していたのか。こいつに反省とか無いと、割と本気で思っていた。案外人間らしいところもあるんだな。
「周りの反応とか、先輩が嫌そうな顔するのとか面白かったから、こ、告白みたいなこともしてました」
前言撤回。こいつは悪魔だ。人の日常やら人生をしっちゃかめっちゃかにして責任も取らずに立ち去る愉快犯だ。
このやろう帰ってやろうかと思ったところで、また雲川が話し出す。
「でも、なんか、その…………」
「お前らしくもねえ。はっきり言えよ」
「いや、ですね……えっと…………」
「……帰っていいか?」
「ここで帰ったら明日如月先輩に言いつけますよ」
「クソッ!!!」
こいつ……やはり人のウィークポイントを的確に突いてきやがる。為す術もなくまた地面に座り、雲川の言葉の続きを待つ。
「……笑わないで下さいよ?」
「分かったよ」
「絶対ですよ」
「分かったって」
「笑ったらあることないこと如月先輩に吹き込みます」
「代償重すぎんだろ」
これで俺が笑えないという状況が確立された。精神的にも。
「………………好きに、なっちゃったんですよ」
「……誰が?」
「私、が」
「…………誰を」
「た、立花先輩、を……」
耳まで真っ赤になりながら俯く雲川。よく顔は見えないが、恐らく顔中真っ赤っかだろう。
「……何言ってんのお前…………」
「わ、私だって意味分からないですよ!! でも、な、なっちゃったもんは仕方ないじゃないですか!!」
見事な逆ギレをかます雲川。半泣きの顔を予想通り真っ赤にして叫ぶ雲川。
「お前はアレだろ。いつも冷静で人をおちょくるのが趣味の変人ポジションだろ?」
「違いますよ何ですかそのイメージ!!」
「それがお前……突然意味の分からないこと言いやがって。めんどくさいからやめろよ……」
「私だってなりたくてこんなことになってるんじゃないんですよ!!! このアホ!!!」
酷い言われようだな。一応言い分は分かったが、何やら本人も現状が理解できていない様子。本人が分からない状況を俺にどうしろと……。
「……まあ、他人の心の機微なんて俺は分からないし、分かろうと思ったことも無い。たぶんこれからも興味なんて持たないだろうしな」
「………………」
「ただ、そのー、あれだ。今日お前が絡みに来なくて、違和感みたいなもんがあったのは確かだ」
「先輩……それって……」
「だから、無理に距離置くとか、そういうことはしなくても」
「オッケーってことですか!?」
「違うから黙ってろ」
案外バカなのは新発見だが、人の話を聞かないところは歪まないらしい。そこだろ、1番直さなきゃいけないの。
「俺は恋だの愛だの、そういうことは全く分からん。知らん。興味も無い。めんどくさそうだから自分から触れようとも思わない」
「そう、ですか……」
「ただ、今後俺はお前を避けることはしないし、無理矢理突き放そうとかは思わないから……なんて言うんだろうな…………好きにしろ」
「……はい」
落ち込ませたか。許せ雲川。本当に、マジで人の心の機微については俺は無力だ。思ったことをそのまんま口に出すしかない無能だ。これ以上のことはできない。
「それ……殆ど公認ってことですよね」
「帰るわ」
「いやいや先輩。折角だから一緒に帰りましょうよ」
「さっきまでのしおらしい雲川はどこ行きやがった!」
「いやあ、よく考えると、本当に好きであろうが悪戯目的であろうがやることは変わらないなあと思いまして。てなわけで、さっきまでの私はクビです。解雇です。サヨウナラです。今後ともよろしくお願いしますね、立花先輩」
ハートが付きそうな語尾でそう言うと、例のごとく俺の腕に蛇の様に絡みつく。
今までのやり取り何だったんだよ。如月の殺意を俺はどうしたらいいんだよ。ああ、それはもう平気なのか。雲川はケロッとしてるわけだし。
だったらまあ、どうでもいいか。
何かがうやむやになって、めんどくさい1日が幕を降ろす。
休憩回なのにこの密度。
僕は何かを間違えましたよ。ええ。
いつも通り後悔はしてませんがね!




