第40石 Side佐倉昂──その3
俺は神威さんから透明な石を受け取り、深冬はあのまま紅い石を受け取り、その日は解散になった。
しかし、万が一を考えて深冬はリュースに残り、俺も付き添いで残ることにした。……つまり誰も帰ってはいない。
さっきから深冬は、紅い石に語りかけるばかりで、こちらを見向きもしない。
楽しそうな深冬を見ていると、後ろから声がかけられる。
「寂、しい?」
「うおおびっくりした……フェルギフさん。お仕事はいいんですか?」
「敬語は、いい。たぶん、私の方が、年下だもの」
「……それもそうか。んで? フェルギフは仕事は?」
「一区切り、ついたから」
「ふーん」
…………気まずいんですが。あちらさんから話しかけてきた割に無口だし。しかし、寂しい、か。
「寂しいのかも、しれない」
「?」
「いや、深冬って家族大好きだから。母さんと俺のどっちかにいつもベッタリでさ。あんまり慣れてないんだよね。ただ見てるだけってのも」
「シス、コン?」
「否定し切れないのが辛いから止めて」
無口な癖に痛いところ突いてくるな……まあ、深冬が頼ってくれるのも悪い気はしないし。
「……私も」
「え?」
「私も、寂しかった」
無感情に思えた声に、確かな悲しさが籠められていたように思える。何か、口を挟んではいけないような気がして黙ることにした。
「私の他にも、子供は、いる、けど……その子、殆ど、出払ってる、から。こんな、見た目、だし、話しかけてくれる、人も、いなくて」
やっぱり目隠しには何か事情があったのか。良かった余計なこと言わないで。
「でも、翠さんは、そんなの、気に、しなかった。2年前から、私、寂しく、なくなったの。翠さんが、来たから」
「……母さんはなんつーか……天然だからなあ。デリカシーが無い! って怒鳴られたことも何度あったことか」
「でも、私は、救われたよ」
「…………役立ってんなら、まあいいや」
ひとしきり会話を終えると、フェルギフは踵を返して立ち去っていく。その時、フェルギフが小さな小さな声で、一言呟いた。
「寂しくなったら、私が、話し相手になる、から」
びっくり。ちょっとぶっきらぼうだったかなと思ったけど、可愛いところもありますな。
──石を持ち始めて1週間が経ったが、特に変わったことは無い。
そんなもんかねえと思いつつ、今日も深冬とリュースの研究所に報告に行く。
研究所に入り、いつものように応接室で待っていると母さんが来た。珍しく走って。
「母さんどしたの。母さんが走ってるの見るのたぶん3年ぶりくらいな気が……」
「昂、深冬、よく聞いて。今からお母さんが言うところまで、できるだけ速く逃げて」
「……はい?」
気の抜けた声が出る。逃げるって何からだよと笑って言おうとしたが、母さんのかつて無い程深刻そうな顔を見て、茶化そうという気が失せる。
「どうしたの。一体何が……」
「時間が無いの!」
肩を掴まれ、体がビクッと跳ねる。母さんのこんなに切羽詰まった声、今までに聞いたことがない。深冬も異常を感じ取ったのだろう。今にも泣き出しそうな顔で母さんと俺の顔を交互に見ている。
「いい? まずはここから……」
「困るんだよねえ、勝手なことされちゃうとさあ」
ねっとりと絡みつくような、恐らく少年であろう声が応接室に響く。
奥の研究室から悠然と現れた少年は、心底意地の悪そうな笑顔でこちらを睨んでいる。
「先生も困るんだよお。折角の逸材をこおんなあっさり手離すのはさあ」
その少年が話すのに構わず、母さんは俺に指示を出し続ける。俺の脳はかつて無い程に研ぎ澄まされ、母さんと少年の言葉、どちらも明瞭に聞き取れた。
「おい……おいおいおいおいおいおい!! ボクが喋ってんだろお!? 何をすればベラベラと喋ってんだよ!! ああうっぜえ……ちょおっと先生に気に入られたくらいで調子に乗りやがって……テメエは実験動物に過ぎないんだからさあ!! 大人しく管理されときゃいいんだよお!!!」
少年が突然癇癪を起こしたように叫び、地団駄を踏み始める。たかが地団駄だというのに、床は砕け、どんどん穴が広がっていく。
なんだアレ……何なんだよ……
「死ねよカス共があぁ!!!」
「待ち、なさい」
少年がこっちに走り出そうとした瞬間、どこからともなくフェルギフが現れた。
フェルギフの制止で少年は動きを止めるが、怒りは健在だ。
「んだよフェルギフ……お前はあのカス共の味方をすんのかあ……?」
「そうじゃ、ない。先生から、殺すなと、言われてる、でしょ」
「……チッ……ああムカつく…………あああぁ!!!」
少年が蹴りつけると、ハリボテのように壁が砕ける。
今度はフェルギフがこちらを向き言葉を投げかける。
「翠さん、今、深冬を、連れて行かれるのは、とても、困るの。だから……」
「フェルちゃん、ごめんなさい。それはできない。子供達に、殺人はさせられないわ」
「違う、翠さん……先生は、殺人なんて……」
「あなたも助けてあげたかったけど、ごめんなさい。いつか必ず助けるから。昂、深冬を連れて言った通りのところに行きなさい」
「でも、じゃあ母さんは……?」
急激に展開する状況に思考が置いてけぼりにされる。俺達が殺人? 助ける? 理解できない言葉と状況の中で、俺はいじましく平穏を求めた。また、母さんと深冬と3人で暮らす、なんでもない日々にすがった。母さんはどうなる。その日常に、母さんは不可欠なのに。
「……深冬、お兄ちゃんは好き?」
母さんが身を屈め、深冬に目線を合わせ、深冬の頬に触れながらそう言う。
何言ってんだよ。そんな場合じゃないだろ。
「好き……昂にぃも、ママも大好きだよ……」
「そう、良い子ね。あなたは本当に優しい子。世界で1番優しい、家族想いな子。お母さんも深冬のこと大好きよ」
母さんは深冬を抱き締め、その後に俺の手を握った。
「昂。折角綺麗な顔なのに、ぶっきらぼうなのが勿体ないわ。でも、そんな不器用な昂が、お母さんは大好きよ」
「何、言ってんだよ……説明しろよ……これは、一体……」
「いつも私と深冬を見守ってくれて、いつも一生懸命に支えてくれた。これから、深冬をちゃんと守ってあげてね」
「違う……そうじゃないよ……そんなことが聞きたいんじゃない…………」
「昂は私の宝物。とってもとってもとーっても綺麗で、かっこよくて、大事な宝物」
今度は深冬と一緒に俺も抱き締め、絞り出す様な声で言った。
「2人共、お母さんの子でいてくれて、ありがとう」
泣いていた。大粒の涙を流し、母さんは泣いていた。
俺は泣いていない。泣けるものか。こんな訳の分からない状況で、何を泣けばいい。
しばらくすると母さんは静かに立ち上がり、フェルギフ達の方を向き直る。
「もう終わったあ? くっさい意味不明な猿芝居」
「あら? あなたには今のがお芝居に見えたのかしら。いつか分かると良いわね」
「あーあーうっさいうっさい……殺すぞ?」
「あなた達に私は殺せない。だってほら」
母さんがポケットから2つの石を取り出す。いつか見た水色の石。もう片方は、見たことの無い石だった。その2つを口に放り込み、飲み下す。すると、いたずらっぽく笑って告げた。
「大切な石、私が預かっちゃったもの」
「翠さん……なんてことを…………」
「お、まえ……やりやがった……やりやがったなカス女があああああああああ!!?」
少年が激昂し、こちらに突っ込んで来る。獣の様に口を開け、獰猛に目を輝かせながら。
「行きなさい!!」
母さんの言葉で、弾かれた様に体が動き出す。逃げ、ないと。逃げなきゃ。逃げなきゃ、逃げなきゃ!
深冬の手を引いて走り出す。母さんの言ったところまで、急げ、急げ、急げ、急げ。
「昂にぃ!! ママが、ママ……!!」
「母さんは、母さんは俺達を守るために残ったんだ」
「いや! そんなの知らない! 一緒じゃなきゃダメなの!!」
「もう、無理なんだよ……!」
「無理じゃない!! ママと一緒に……」
「言うこと聞けよ!!!」
初めて、深冬に怒鳴った。それまで泣きそうな顔だった深冬が、瞳に涙を溜めて泣き出した。張り裂けそうな泣き声で、俺の心を引きちぎるように泣き叫ぶ。
俺は深冬を抱え、また走り出す。
振り返るな。振り返るな。振り返るな。振り返るな。
そのまま5分は走っただろうというタイミングで、目の前に霧が立ち込めてきた。灰色の霧。やがてその霧の中から、灰色の石扉が現れる。扉からは、フェルギフが姿を見せた。
「お願い。戻って」
「嫌だ」
「お願い、だから」
「嫌だ……!」
「聞いて、あなた達の」
「嫌だ!」
「翠さんが!! …………死んだ、の」
俺の知る限り、フェルギフが初めて声を荒げた瞬間だった。その似つかわしくない大声で告げられたのは、あまりにも残酷な事実だった。
「……嘘、だろ…………」
「…………ごめん、なさい」
「……ふざけんな…………」
「ごめんなさい……」
「ふざけんなよフェルギフ!! 母さんはお前を救ったんじゃなかったのかよ!! 母さんのおかげでお前は寂しくなかったんだろ!? なんで死ぬんだ!! お前が!! お前が!! お前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前が!!!
なんでお前が母さんを殺すんだ!!!」
「………………」
否定、しなかった。否定してくれなかった。私は殺していないと、せめてそう言ってくれれば何かが変わったのかもしれない。
だが、フェルギフは口をつぐんだままだ。
鋭い立ちくらみがして、俺は深冬を地面に降ろす。深冬は泣きながら自分の肩を抱き、うわごとの様に『ママ』を繰り返すばかりだ。
守る。深冬は、深冬だけは。約束した。母さんが俺に言った。深冬を守る。絶対に。何があっても、他の誰がどうなろうと、俺が、死んでも。
ポケットに入れていた石が熱を持ち、何かが体に流れ込む。何も分からないのに、俺の体は行動を始める。
深冬の手を掴み、『力』を行使する。内臓がひっくり返る様な感覚に吐き気をもよおすが、構わず動く。
目の前に、リュースの研究所があった。一瞬で移動して来たのだと、不自然に頭が理解する。
「母さん……!」
うわごとを言う深冬を抱え、研究所の中に入る。応接室はグチャグチャに荒れており、元の姿は無い。
ソファー。いつも深冬と俺が座っていたソファーに、母さんが寝かされていた。
「母さ……! ……あ…………」
母さんの体は、既に四肢が人型を保っていなかった。焦げ付いたような色、半液状の物質。ヘドロとしか形容できないそれを見て、胃液が込み上げる。
「おおぇ……! おあっ……カハッ…………!」
その辺の床に胃の中身をばらまき、呼吸を荒げる。
違う、違う違う違う違う違う……もう、あれは、『アレ』は母さんじゃ……
「ママ……ママだ……!」
深冬が母さんに駆け寄り、溶け出した腕をとり、嬉しそうに頬擦りする。
「良かった……ママ……ママ……」
「深、冬……」
愛する母と妹の姿を目に映しながら、俺は恐怖した。異常だ。こんなのおかしい、狂ってる。
「くはっ、あはははははははは!! 気持ち悪いなあ。君の……妹ちゃんかなあ? 狂っちゃったねえ、おかしくなっちゃったねえ、トんじゃったねえ!? あははははははははは!!! 憐れだなあ可哀想だなあ!!」
いつから見ていたのか、少年が下品に、楽しくて仕方が無いという様に笑う。
「そんな母親気持ち悪いよねえ? そんな妹愛せないよねえ? 捨ててきなよ。ボクが楽しく料理しといてあげるからさあ!!」
「……置いてかねえよ」
「ああ?」
「くたばれっつったんだよ。ゲス野郎」
母さんと深冬の体を抱え、『力』を再び行使する。母さんに言われた道筋を必死に思い出し、そこに行きたいと強く願う。
──内臓の痛みに耐え切れず、口から血を吐き出す。
鉄の部屋だ。壁も床も天井も、丸っきり鉄。使われた形跡は殆ど無い、鈍く光る不気味な空間。
「昂にぃ、ママ、ケガしてるみたい……治してあげなきゃ……」
「深冬…………っ!」
もうそこに、母さんの姿は無かった。あるのは、醜いヘドロと、それをいとおしそうに撫でる深冬の姿だけだった。
守るんだ。母さんと、約束した。
「……そうだな、薬を、持ってこないと」
俺は深冬を守る。例え、全てを嘘で固めても。
このお話も、大分欲望に忠実に書き始めました。
書きたいから書いた。後悔はしていない。




