第39石 Side佐倉昂──その2
「まずはようこそ。ここは、僕が所長を務める古文書研究所。通称『リュース』だ」
…………まあ、古文書という言葉がよく分からない時点でお察しだが、知らん。間違いなく聞いたことがない。
若干申し訳なく思っている俺を尻目に、神威さんは話を続行する。
「僕達は、独自の方式で古文書の力を調査、解析し、今後の文明の向上に役立てるため、日夜研究を進めている。2人は古文書のことは知っているかい?」
「申し訳ないんですけど……名前すら聞いたことが無かったくらいで」
「そうなのかい? 翠さん、仕事の話はしていないんですか?」
「あら? 前にしなかったかしら……」
「母さんは無視して下さい。よくあることなんで」
母さんにかかれば国家機密レベルの情報でさえ瞬時に漏洩してしまうだろうし、昨日の夕飯の献立でさえ永遠に外部に漏れることはない。母さんにとって記憶などというものは、ただ風の前の塵に同じなのである。てか天然なんだよ。筋金入りの。
「昂にぃ知らないの? 古文書は、わろーが管理……? してるんだよ」
「お、深冬ちゃんよく知ってるね。その通りだ」
「えっへん! この前テレビで観た!」
ま、負けた……小学3年生の妹に……しかもテレビで古文書のことってやってんの? もしや一般常識? え、俺の知識、古すぎ……?
「もっとも、古文書についての詳細な情報は、WAROによって意図的に伏せられているけどね。普通の人間に分かるのは、古文書が存在しているということと、古文書には人智を超えた力が秘められている、ということぐらいかな」
人智を超えた、ねえ。知識は得ても実感が湧かないからなあ。
「話聞いたら尚更手伝いとかきつそうなんすけど……」
「まあまあ、ここまでは古文書についての説明だ。さっきも言ったが、僕達の活動は、WAROとは別途で古文書についての研究を行い、その莫大な力を僕達の生活、延いては世界に役立てるのが目的なんだ」
人智を超えたとか世界のためとか、ちょっと壮大過ぎて俺引いちゃう。
ただ、この神威という人の話には、何か人を惹き付けるものがある。その熱意のせいなのか、誠実な人柄のせいなのか分からないが、聞いてみるかという気になる。
「……とは言っても、実はあまり成果は出ていないんだけどね」
大丈夫なのそれ。母さんが給料貰ってるからある程度はやれてるんだろうけど、若干今後が心配である。
「そこで、君達に協力してもらって、研究を1段階進めたいんだ」
「期待が重いんですけど」
やべ、口に出てた。いやだって、結構重役ってことでしょ? 俺と深冬にそんな……
「ははは、言葉にすると大変に聞こえるけど、やってもらうのは簡単なことだよ。2人共、この石を持っていてほしい」
そう言って神威さんが懐から取り出したのは、2つの石だった。
片方は色が無く透き通っていて、もう片方は水色に鈍く輝いていた。
人工物には見えないが、形は整えてある。
「これは……?」
「古文書の石。古文書の力の源。最近発見してね。恐らくWAROも既に発見しているはずだ」
「そういや、なんでWAROと別で古文書の研究をしてるんですか? 話を聞く限り、WAROの方が研究自体は進んでる感じですよね」
「WAROの手に古文書が渡ると、殆どの情報は秘匿されてしまう。それは、僕達の『古文書の力を世界に役立てる』という理念に反しているんだよ」
なるほど。WAROが情報を隠す理由がよく分からないけど、神威さんの言い分は分かった。
あと知りたいのは、
「えと、この石をどうすればいいんですか?」
「持っていてほしい」
「いや、その、持っていてほしいのは分かったんですけど、それで何をすれば……」
「持っていてくれればいいんだ」
「は?」
思わず失礼な聞き返しをしてしまう。だって簡単過ぎるもの。持ってるだけて。
「古文書の石は、どういう条件でなのかは分からないが人間に『適応』することがある。前例は1人だけなんだが、それが10代の女の子だったんだ。そこで僕達は、若い人間の方が古文書に適応しやすいという仮説を立てた。そして君達に協力を求めた」
なるほどなるほど。理解はできたし、そんなに簡単なことなら大丈夫かな……
「えっと、それじゃあ……」
「引き受けてくれるかい?」
「はい、簡単そうなことですし。それで助けになるなら」
「ありがとう! 本当に嬉しいよ! 深冬ちゃんはどうかな?」
「…………誰?」
「? どうかしたかい?」
深冬が神威さんの手に乗った石を眺めたまま硬直し、小さな声で呟く。
「また、声がする……呼んでる、深冬を呼んでる……!」
深冬が立ち上がり、走り出す。何事かと俺も立ち上がり、深冬の後を追う。さっき案内されたばかりの研究所内を迷うことなく走る深冬。度々声をかけても止まることなく、ただ走るだけだ。ようやく深冬が足を止めたのは、案内の途中に深冬を見つめていた扉の前だった。
「深冬! どうしたんだ……!」
「聞こえる、聞こえるの。ここから声がする。深冬を呼んでる! 昂にぃは聞こえないの!?」
んなこと言われても……母さんを見るが、母さんも困り顔で狼狽えるばかりだ。神威さんだけが何かに気づいたのか、カードキーを取り出して扉を開けた。
扉の前で待っているようにとだけ言い、神威さんが中に入る。しばらくすると、神威さんはさっきとは違う石を持って出てきた。赤い、紅い、血のよううな光の石。
「深冬ちゃん、もしかして、声はこの石から聞こえていないかい?」
「…………うん、聞こえる。この石だ!」
何が起こってんの……全く意味が分からない。説明を求めるべく神威さんの顔を見ると、すぐに察してくれたのか、話し始めた。
「……古文書の力は、遥か古代に存在していた『精霊』が遺したものだと言われているんだ。そして、古文書の石とはその『精霊』そのもの。この石には、古代の精霊が眠っている」
「それが一体…………まさか……!」
「僕もこんなことは初めてだ。深冬ちゃんは、精霊の声を聞いているのかもしれない」




