第38石 Side佐倉昂──その1
今回から数話、秋人主観ではないです。
母さんがリュースに所属していることを知ったのは、つい最近のことだった。
──「あなた達に紹介したい人がいるの」
絵を描く深冬と菓子をつまむ俺に、母さんは突然そう告げた。
4年前──俺が中学1年の時だから間違いない──、父さんを事故で亡くし、女手1人で俺と深冬を育ててきた母さん。
そんな家庭で母さんが紹介したい人が誰かなんて、まあ分かりきったことだ。
俺はすぐに察したが、深冬は首を傾げている。
「別に構わんけど……急だね」
「あら、2年前からぞっこんよ?」
「うおぉむしろ今までどうして気付かなかったし俺」
「昂にぃ?」
「んー?」
「どういうこと?」
「んんー……」
教えて良いもんか。とりあえず母さんに丸投げ。
「新しいお父さんになる人ができたのよ!」
「あ、あっさり言うんだ」
「お父さん!?」
深冬の目が輝く。うわー眩しい。
学校で何かあったのか、ちょっと前から父親がいないことを気にしていたのは知っている。直接言いこそしないが、言葉の節々から感じてはいた。
ま、俺も反対ではないし、反論はしない。
「そんで? その人とはいつ顔合わせ?」
「もう来てるわ!」
「うっそだろおい」
うっそだろおい。あ、口に出てた。いや、ちょ、え? 俺あんまり急な環境の変化には慣れてないから。マジでこれから親父(仮)来んの?
「入っていいですよ、心さん」
「ちょま」
止める間もなく、見知らぬ男が入ってくる。
「初めまして、昂君、深冬ちゃん」
………………爽やかですこと。
──「あはははは! きゃー!」
「待て待てー!」
好青年。この言葉がピッタリだろう。母さんと結婚するってことは実年齢はそこそこなんだろうが、見た目は20代後半に見える。
少し茶色がかった髪、細身だが筋肉のある体つき、スラリと伸びた脚、整った顔。ルックスで言えば非の打ちどころが無い。
俺達の新しい父親になるという男は、会って数分で深冬の心を掴み、一緒になって庭を駆け回っている。
その光景を横目に、俺は母さんに疑問をぶつける。
「名前」
「神威心さん。名前に違わずとっても優しいのよ」
「年齢」
「35歳。35歳には見えないくらいかっこいいわよね!」
「職業」
「古文書関係よ。実はお母さんの職場の社長さんなの! お仕事も彼に紹介してもらったの。若いのに社長なんて……尊敬しちゃうわ!」
質問への返答に必ずのろけを挟む母さんを無視し、思考する。
何故だ。何故ここまでの優良物件が母さんなんかと……。
確かに母さんは仕事はできるが、美人かどうかと聞かれるとよく分からんラインだし、なにより性格がこのポヤヤン具合だ。今まで数々の旦那様候補がその天然っぷりに匙を投げるほどのド天然。実の息子である俺でさえたまに何を言っているのか分からない。
それに加えて母さんのこの傾倒具合。さっきも言った通り母さんは天然だ。天然を超え、最早お花畑だ。俺達の本来の父さんと結婚したのだって奇跡みたいなもんなのに、よくこの人を墜とせたなあの社長さん……もとい神威さん。
なんか名前も選ばれし者感出ちゃってるし。
「昂にぃも! 昂にぃも遊ぼ!」
深冬……お前、もう3年生だというのに精神が幼すぎやしないか。最近はきちんと大人びたところも見せ始めた深冬だが、新しい父親ができることが余程嬉しかったのか、絶賛幼児退行気味である。
「おお! ぜえ……ぜえ……昂君も……はあ、一緒に、遊ばないか……!」
「18にもなっておいかけっこは……あと神威さんは命を落とす前に休んでください」
目がキラッキラしてる深冬と、汗だくになって爽やかスマイル満開のイケメン(35)。案外体力無いんすね神威さん。
「そんで? 神威さんとは今日は顔合わせだけ?」
「違う違う。もー、さっきも言ったじゃない。これから皆で心さんのお仕事のお手伝いに行くの」
「全然初耳だけど…………皆でって……俺も?」
「昂も」
「深冬は?」
「もちろん深冬も」
「何がもちろんなんすかね……」
この計画性の無さだけは本当に何とかしないと絶対に大変なことになる。
深冬の行きたいという声もあり、有無を言わさず社会科見学が敢行されることとなった。
ところでさ、古文書ってなに。
──「お帰り、なさい、先生」
……いやいや、またご冗談を。いないいない。目の前に両目目隠しの白髪美少女とかいるわけねーから。俺疲れてんのかな。あれだ、昨日食べたやたら油っこいカレーパンのせいだ。
「ああ、ただいま」
「こんにちはフェルちゃん」
「翠さんも、お帰り」
不自然に途切れ途切れな喋りで母さんの名前を呼んだ女の子……フェルちゃん? は、控え目に微笑んで神威さんと母さんを迎える。たぶん微笑んだ。目隠しのせいでよく分からんけど。
「そっちの、2人、は?」
「前にも言った、昂と深冬、私の子よ」
「初、耳……」
フェルちゃんさんごめんなさい。こういう人なんです気分を悪くしないでください。
そんな心配はいらないと言わんばかりに、和やかに3人の会話は弾む。
てかフェルちゃんさんも同僚なの? んなわけないよな。俺より年下だろうし。
「さあ、それじゃあ中を案内しよう。と言いたいところなんけど、僕はこれから少しやることがあってね。悪いけど、案内はフェルギフにお願いするよ」
「分かった。よろ、しく」
フェルギフさんっつーのか。勝手にフェルちゃんって呼んでさーせん。心の中でだけど。
フェルギフさんの施設案内はそりゃもう淡々としていた。時たま母さんと言葉は交わすものの、基本無言。こんなに黙っている母さんを見るのは初めてかもしれん。
母さん曰く、「フェルちゃんは静かなのが好きなのよ」だそうだ。まあ、俺もうるさいよか静かな方が好きだし、そんな感じだろ。
ある部屋の前を通った時だった。
「……ん? どした、深冬」
俺の服を掴んでいた深冬の手が離れ、深冬が1つの扉を凝視した。何事かと扉を見るが、開けるには職員専用のカードキーが必要らしく、扉は閉じたままだ。
古文書の中には人体に有害なものもあるから、こうして研究室は厳重にロックされているというのはフェルギフさんの談である。
深冬は扉をジッと見たまま、うわ言のように呟いた。
「誰?」
その言葉に驚き、もう1度扉を見るが、特に変わった様子は無い。もちろん人もいなけりゃ虫もいない。
「深冬?」
「あなたは、誰?」
相も変わらず深冬は扉を見つめ、小さな声で呼び掛ける。俺は深冬の手をとり、今度は少し強い語調で名を呼ぶ。
「深冬!」
「……っあ…………何? 昂にぃ」
「何じゃないだろ。どした、なんかあったのか」
「うん……声がね、したの」
「声……?」
フェルギフさんの話じゃ、ここにあるのは件の古文書とやらだけらしい。研究員も今は出払っていていないらしいから、中は無人の筈だ。
「気のせいじゃないのか?」
「ううん、した。絶対した」
親バカみたいで嫌だが、深冬の五感はどれをとっても一級品だ。100メートル先の草原に紛れ込んだクローバーのキーホルダーを数秒で見つけた時は流石の俺も度肝を抜かれた。
その他数々の伝説を持っている深冬が、音を、しかも人の声を聞き逃すことはないとは思うんだが…………弘法も筆の誤り。ここは先に進むとする。なんにしても扉は俺達じゃ開けられないしな。
「後でフェルギフさんにでも聞いてみよう。ほら、母さん達先行っちゃうぞ」
「うん……」
いまいち納得していなさそうだが、ひとまず深冬は回収できたため母さん達を追う。
しかし、母さんが研究職とは……大丈夫かな。器具壊したりしてないよな。
──「お疲れ、様。案内は、とりあえず、終わり」
「ありがとうフェルちゃん。私1人だったら迷子になってたわ!」
「母さん、ここで働くの2年目なんだよな?」
我が母ながらあっぱれの記憶喪失。応接間的な部屋で茶をすすっていると、神威さんが来た。
「いや、申し訳ない。ちょっと立て込んでいてね。落ち着いたから、本題に入ってもいいかな」
「手伝いって話でしたよね。……自分で言うのもなんですけど、俺ド文系なんで、研究とかそういうのは向いてないと思うんですけど……」
「ははっ、そんなに気負わないでいいさ。それに、まずは話を聞いてからでも遅くはないだろう?」
それもそうか。どうやんわり断ろうか悩んでいた頭が動きを遅める。その安堵の隙間にするりと入り込むような、穏やかな声で神威さんが話し始める。
「まずはようこそ。ここは、僕が所長を務める古文書研究所。通称『リュース』だ」




