第30石 懇願
灰色の髪との対比で、異常な程に白く見える肌。両目を黒い布で目隠ししているこの女に、俺は以前殺されかけた。
灰色の霧から石板を無数に生み出し、その石板で扉を作り出すことで自由に移動できる。霧がどう発生しているのかが不明な今、彼女の移動はほぼ反則とも言える"瞬間移動"に近い。
目隠しのせいで感情の機微は読み取れないが、相変わらずの無表情だろう。
「何の用だ」
「反則君も、いるんだ。…………チッ」
苛立ちを隠すこともせず、よく響く舌打ちをしながら口元を歪めるフェルギフ。苛立ちはしているようだが、攻撃してくる様子も無い。
「私は、命令に従って、来た、だけ。あなた達に、危害を加えるつもりは、無い。たぶん」
「立花、こいつ相当前回のことを根に持ってるみたいだぞ」
知らねえよ。それに命令……? 夜の石に用が無いなら、こいつはなんで俺達の前に現れたんだ。
「ここだと、思った、けど……もう、移動した、後だった、かな。あの、でくのぼう……逃げ足だけは、速い」
「ちょっと待て」
立ち去ろうとするフェルギフの腕を掴み、さっきの発言を頭の中で反芻する。こいつの目的が、もしかしたら俺の目的と被っているかもしれない。
「反則君、大胆、ね。殺すよ」
「お前は1度尻尾巻いて逃げたろ。それより、お前が追ってる奴はどんな奴だ。教えろ」
「教える義理は、無いわ」
「頼む」
真っ直ぐにフェルギフの顔を見て言う。目隠しのせいで目は完全に見えないが、それでも目で訴えかける。
「立花先輩、こいつはリュースですよ。頼んだってまともに取り合うわけが……」
「黙ってろ」
タイヨウの追跡を撒かれた負い目を感じてか、その一言で口をつぐむ雲川。しばらく黙りこくっていたフェルギフが、ため息をついてこちらに向き直る。
「どんな奴、って、身体的特徴のこと? それとも、素性の、こと?」
「素性はどうでもいい。身体的特徴だ」
「よかった、ね。後者だったら、教えて、ない。長身の男、いつも、だるそうで、むかつく、奴。そして、接続者、でもある」
タイヨウを連れ去った男だと断定するには要素が不十分にも程があるが、雲川の感知で追えない以上、フェルギフに頼る他無い。
「そいつを追うんだろ? 俺達もそいつのところに連れてけ」
「は? 嫌。無理。頭、おかしいんじゃ、ない?」
俺もそう思う。だが、過去に起こったことなんてどうでもいい。殺されかけたことなど知ったことか。タイヨウがさらわれていて、その犯人の場所に行ける可能性があるなら何だってやってやる。
「頼む」
「嫌」
「頼む」
「生理的に、無理」
「頼む」
「しつこい、離して」
「頼む」
「うる、さい!」
フェルギフの細い脚が唸りを上げて腹に突き刺さり、内臓に到達する。呼吸が止まり、膝を地につく。
「立花!」
「立花先輩……! 貴様……!」
「怒られる筋合い、無い。それじゃ、急ぐ、から」
「頼……む…………」
「なっ……!」
地に膝をつき、体をくの字に折っても、絶対にフェルギフの手は離さない。今このチャンスを逃せば、次は無いかもしれないんだ。このぐらい何でもない。
目隠しをしてなければ、目を丸くして驚くフェルギフが見られたのにな。驚きで硬直したフェルギフの手を掴んだまま立ち上がり、脂汗を流しながら懇願する。
「頼む」
「……気持ち、悪い…………本当に……」
「頼む」
「…………土下座」
この交渉と言えるのか分からない会話において、フェルギフが初めて否定以外の言葉を発した。
「土下座、して。お願いの、姿勢」
「お前……! いい加減に……」
「いいよ雲川。安いもんだろ」
迷いは無かった。元々薄っぺらいプライドがより一層すり減っただけのことだ。土下座ごときで要求が受け入れられるならやらない手は無い。手早く地べたに正座し、手を前につく。
「頼む」
「いいよ。スッと、した」
「いいんですか!?」
「それでいいのか!?」
雲川如月両名から意味不明な抗議が上がる。お前らどっちの味方だ。
「私別に、特殊性癖は、持ってない、から。鬱憤を、晴らしたかった、だけ。踏んだりした方が、良かった?」
「ああいや、あんまりあっさりしていたものだから思わず……踏むのはちょっと絵面的にもよろしくないからやめてくれ」
「立花先輩をいじめていいのは私だけです」
「雲川は泣かす」
雲川はマジで殴る。今は時間が無いから後で殴る。泣かす宣言をしたにも関わらず嬉しそうに身をくねらせて何か呟く雲川は無視。しかし、これで移動手段は得た。あとはフェルギフの追ってる奴があの男であることを願うだけだ。
「行くなら、早く、して。反則君」
「行く理由とかって聞かないんですか? お互い」
「どうでもいいだろ」
「どうでも、いい」
「……そうですか」
重要なのは行動そのもので、行動原理じゃない。フェルギフがどんな事情を抱えていようが関係無い。究極的に言ってしまえば、俺はリュースが何をしていようが知ったことではない。タイヨウが悲しむから、苦しむから動くだけだ。
どうか、この扉の先に、タイヨウがいますように。




