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【短編】あなたの魂に安らぎあれ

作者: 樊城 門人


 ガラスで区切られた部屋の中の一つに、マホガニー材で出来た執務机がある。周囲には同じ素材で構成されたチェストや本棚などがずらりと並んでおり、この部屋の持ち主の趣味と嗜好を露呈していた。執務机の椅子に腰を下ろし、部屋の持ち主――フランク=トロイ部長は背後の窓へと向かって、首を巡らす。午前特有の清々しい 空気を身に感じながら、一度大きく深呼吸をし、開いた窓をゆっくりと閉めた。

 彼は視線を落とすと、綺麗に磨かれた革靴を見つける。両足に寸分の狂いなくはまったそれの感触を確かめながら、これから来る人物と、現在発生している問題とを同時に思考した。来る人物については、期待と信用を寄せているのを分かっている。しかし起こっている問題については、なにぶん眉を顰めてしまう事情があり、歯がゆい思いをしているのは確かだ。確実に解決されなくてはいけない問題なのだ。だからこそ“彼”を呼んだ。

 トロイ部長は象牙の葉巻箱を開くと、中から一本の葉巻を取り出し、同じく机に置いてあったシガーカッターで片面を切り落とすと、葉巻を口にくわえた。マッチを擦り、先を炙るようにすると、マッチを持った方の手を軽く振って、火を鎮火する。腔内に煙を蓄え、存分に愉しんでいるときに、“彼”は来た。

「失礼します。ラハナー執行官です」

 数回のノックの後に、低く、それでいて遠くまで響きそうな張りのある声が聞こえる。来たなと葉巻を片手に取り、煙を吐き出しながら、トロイ部長は答えた。

「入り給え。ラハナー君」

 ドアノブを開き、会釈とともに入ってきたのは全身をダークブルーの背広で包んだ、屈強な男だった。彼の姿を見て、満足気にうむと頷くと、トロイ部長は椅子から緩慢に立ち上がった。鷹のような印象を人に与える男だった。如何にも敏腕執行官という風体だ。部長は開いたままの葉巻箱を指し示して、言った。

「葉巻はどうだね。最高級というわけにはいかないが、それなりだよ」

「いえ。お気持ちはありがたいのですが、遠慮させてください」

「ふむ。そうか」

 一種のストイックさを持つ男だとトロイは思う。一つのことを確実にやり遂げる質の男だ。だからこそ信用がおける。咳払いをしながら、続けた。

「ラハナー君。君は魔術協会のホープだよ。執行人“ジャッカル”といえば、“掟破り”どもからすれば畏怖の対象さ。これまで何人のクズ魔術師どもを狩ってきたことか。私利私欲のために神聖なる魔術を利用するバカどもには、君もうんざりしないかね。うん? よりによって魔術協会は一般人には秘匿されているんだ」

「恐縮です」

 ラハナーは踵を合わせると、軽く頭を下げた。視線は未だトロイに合わせっている。なるほど、世間話は良いから問題について説明しろということか。トロイは心中で苦笑いしながら、表面では表情を引き締めて言った。

「さて、本題に入ろう。今回、君に与えられる任務は今までとはそう変わりはない。少なくとも目的自体はな」

 怪訝そうに眉を押し下げるラハナー。肩を竦めながら、トロイは執務机の引き出しを開け、茶封筒を取り出し、それを机の上に投げた。

「詳しくはそこにある。後でじっくりと読むといい」

「失礼ですが、部長。どういうことです?」

 喰い付いてきた。左右に視線を遣りながら、当の本人は言おうか言わざるまいかという態度を見せた。ラハナーは黙って続きを待つ。部長は大きく溜息を吐くと言った。

「少々君には酷かも知れないが……まあ、めぐり合わせと思うしか無い」

「なにをです」

「ザヴィエ=マンゾン」

 ラハナーの身体が一瞬硬直した。トロイは意に介せず言葉を紡ぐ。

「元協会の魔術師にして、君の親友だった男だ。そして現在では一級の掟破り。彼を“消去”するのが、今回の君の仕事だ。ジャッカル」

「……彼は一体なにを」

「死者蘇生、と言えばいいか」

「できるはずがない」

 ラハナーが軽く憤った。トロイはそれを目で諌めながら、言った。

「君は我々の解析班がぼんくら揃いだとでも言うつもりかね。間違いなく、奴はネクロマンシー系の魔術を使用した。結果は分からない。屍体は無かったからな。しかし儀式を行ったのは確実だ。協会は彼を一級掟破りとして認定した。彼は犯罪者だ」

「何かの間違いということは」

「無い。諦めろ。奴は法を犯した。魔法を犯したのだ」

 強調するように言い、机を拳で叩く。しばしラハナーとトロイの睨み合いが続き、折れたのはラハナーだった。

「……了解しました」

「では受けてくれるな」

「一つだけ。なぜ私に?」

「ネクロマンシー系の魔術は非常に希少価値が高い。遣い手や儀式詳細については協会も喉から手が出るほど欲しがっている。つまりそれを探るのに、君の経歴は便利だったわけだ。更にもう一つ。身内のケリは身内でつけろという上層部の慈悲があったことも、付け加えておこなければならないだろうな」

「慈悲、ですか」

「そうだ。ラハナー」

 噛み締めるようにして、彼は頷く。黙ってラハナーは執務机に歩み寄ると、任務指令書を脇に抱え、足を揃えた。

「クラウス=ラハナー執行官。任務を受諾しました。これより実行に移ります」

「うむ。そうしてくれたまえ」

 ラハナーは風に吹かれるようにして、部屋を去る。彼が完全に出ていったのを確認すると、トロイはふうと溜息を吐き、葉巻を口にくわえた。

「因果な仕事だ」

 彼は天井を見上げた。



 列車に揺られながら、彼は車窓から流れ行く景色を見ていた。過ぎ去っていく景観は、手を伸ばしても届くことはない。足元にあるトランクケースの把手を片手で弄りながら、ラハナーは物思いに耽った。今から向かうのは任地、アルデールである。親友を殺すのだ。この手で。失敗は許されない。法の番人が私情を優先してはならない。絶対に。

 ――何故だ。

 何度だって繰り返すであろう問いは、意識の奥に沈潜していった。間違っても魔法を犯すような人間ではなかった。最後に会ったのは三年前。ラハナーは思い出す。穏やかな、百合の花のような婦人と元気一杯といった調子の子供に囲まれ、彼は幸せそのものだった。

 ――人は変わる。

 彼の妻子が事故に巻き込まれて亡くなったと聞いた時、ラハナーは遠く外国だった。祖国に帰ってきてから、まず最初にしたのは親友の様子を見に行く事だった。彼は別人のようだった。幽鬼のような顔には絶望と虚無は貼り付き、口からはアルコール臭が漂っていた。

 以来、ラハナーは彼に会っていない。仕事だなんだと言い訳を付けて寄ることもなかった。友人として失格の行いだろう。しかし彼は怖かったのだ。挫折と感染が。あまりにもお互いの距離が近すぎて、それが自分にも影響するのではないかと恐れて。

 列車は、アルデールへと到着する。



 古風な駅を出ると、中央市街に出た。眼前では英雄の像が天を突くように立ち、噴水が舞っている。穏やかな日和だった。ラハナーは目を細めると、周囲を掠め見る。のんびりとした調子の男性が広場を横切り、ベンチに座った子供連れの家族は幸福そうな笑みを漏らしている。端にある喫茶店の外テラスでは男女が談笑していた。

 悪い街ではない。それは分かる。

 彼はまず広場から少し奥まった通りに軒を構えている、『ロジェント』ホテルへとチェックインを済ませると、協会の情報部から受け取った情報を頭に浮かび上がらせながら、目的地まで向かった。

 街の地勢は頭に叩きこんである。ラハナーは行き交う人々の中に紛れながら、段々と街の旧市街へと歩いて行く。旧市街のとあるBARでザヴィエの目撃情報があったらしい。ラハナーはまずそこへ赴くことにした。

 歩きで三〇分ほど。

 旧市街の一角にBAR『ルランティエ』はあった。格式高い、というよりかは大衆酒場の名残を残しているBARで、だからといってがなり立てる客が多いわけでもなく、大人しい人々が静かに談笑しながら楽しむ庶民の社交場のようだった。中に入り、視線を巡らす。

 数人の客がテーブル席で語らっている。カウンターを見渡し、ラハナーは一番端の席に、知っている顔を見つける。しかし、覚えている面影とズレがあり、どこか不愉快な感覚が伝播する。ひとまず彼を尾行するため、魔術印が込められたメダルをしっかりと握ると、自らの気配を消して、隅の暗がりにある席へと腰を落ちつけた。

 ラハナーは対象をじっと見つめていた。ザヴィエ=マンゾンは記憶している姿よりかは幾ぶんか太り、口ひげを生やしていた。一見、気の良いおじさんといった風体の彼だが、ラハナーは彼の穏やかな目の奥に灯る挫折と絶望、悲嘆を如実に感じ取った。そこには成功という喜びも、狂気という苦しみも、悪意という憎しみも何もなかった。あったのは容易に虚無へと変貌するようなものたちばかりで、それが逆にラハナーをぞっとさせた。

 彼はチビチビと飲む。哀愁を誘うように微笑すると、彼はBARの勘定を払い、外へと出た。ラハナーも立ち上がり、慎重に相手を追う。

 旧市街の建築物から降りかかる影に紛れるように、サヴィエは陽光を避けて、旧市街をとぼとぼと進んでいく。ラハナーは縫うように追いながらも、一種の当惑を覚えていた。

 何かを成し遂げた気概、というものが彼からはまったく感じられなかった。

 次第に、旧市街でも特に古い地区へと入っていく。サヴィエは人通りの少ない道を通って、一軒の小さな二階建てへと入っていった。鍵を持ち、扉を開け、緩慢に中へと入り、扉を閉める。

「ザヴィエ=マンゾン……」

 その一連の様子を道の影から見ながら、ラハナーは呟いた。何かが彼には欠落していた。自分に酷く重たいものが落ちてくるのを知覚して、思わず胸を抑えた。久しい感情だった。彼は確かに哀しみと哀れみを心に見つけていた。

 ひとまずホテルのある中央市街まで戻る。

 そこでチェックインした部屋に戻ると、ジャケットを脱ぎ、ベッドへと腰掛けた。両手で顔を抑え、拭うようにして上下に動かす。ラハナーは顔をぶるりと振るうと、時を待った。

 二時間ほどして。部屋がノックされる。ゆっくりと扉を開けると、フロントの男性が両手にボストンバッグを持って、佇んでいた。彼はラハナーの顔を見るとにこりと微笑む。

「ヴィクター=ロイド様? お荷物が届いております」

「ありがとう」

 ラハナーは丁寧に、それでいて手早くバッグを受け取ると、曖昧な微笑を返した。男性が「なにかあれば、また」と言って去るのをしっかりと確認した後、扉を閉めて鍵をかけると、部屋の隅にバッグを置く。そして彼はポケットから六芒星が描かれたハンカチを出すと、手に包ませ、その上でバッグのファスナーを開いた。

 中から出てきたのは黒塗りの銃。リヴォルバーだった。何やら細かい紋様が銃身から銃把まで、フレーム全体に刻み込まれている。装飾こそ古風だが、肝心の本体の方はそう古い機種ではないようだった。

 ラハナーは銃を手に取ると、まずサムピース(回転式弾倉を露出させるための装置)を押し、シリンダー部分を横に出す。ざっと見てから彼はまた戻し、更に撃鉄を倒すと引鉄を引いた。歯車が上手く噛み合わさったかのような音がして、ラハナーは頷く。

 彼はバッグに手を突っ込み、黒檀で出来た長方形の小箱を取り出した。スライド式のそれを開くと、中から白銀色で銃と同じような装飾が施された弾薬が二〇個ほど勢揃いしている。内の六つを取ると、銃のシリンダーを開き、空いた部分を全て埋めるようにして六つ全てを押し込んだ。引鉄を引けば発砲できるそれを、慎重にベッドへと置くと、彼は三度バッグへと手を入れて、銃のホルスターを出す。ホルスターに銃を入れると、ベッドの上にある枕の下に銃を入れ、一連の作業は終了した。

 男は窓を向く。射日は暖かく、穏健であったがラハナーの心は晴れなかった。



 翌日。彼は尾行したザヴィエ=マンゾンの家の側にいた。空は相変わらず散歩日和であり、旧市街でも穏やかな日々が流れている。ラハナーは道の影から標的の家を伺った。ふと、ガチャリと扉を開け、生気の無い様子のザヴィエ=マンゾンが玄関へと続く階段から降りてくる。

 彼は道をぶらぶらと昨日酒を飲んでいた酒場への方角へ歩き出した。ラハナーも後を追う。

 結局、彼は昨日と同じ道を往きながら『ルランティエ』まで歩き、店の中へと入る。それから数分して、ラハナーも後へと続いた。メダルを握りしめて。

『ルランティエ』の内部は天候と同じく、変わりがなく、ただ細々とした喋り声と控えめな笑い声だけが聞こえる。そこが定位置なのか、ザヴィエもカウンター席の端へと座り、昨日と同じく酒をチビチビとやっていた。ラハナーも暗がりの席へと座り、改めて状況を整理する。

(彼は俺が執行人であることも、ジャッカルであることも知らない。同じ協会の魔術師程度とぐらいしか思っていないはずだ)

 上手くいくかも知れないし、いかないかも知れない。どちらでも良かった。協会は悩みの種が消えればいいのだし、おまけ程度にしか考えていないものは消えれば残念かも知れないがその程度だろう。凍てついた頭脳が素早く結論を弾き出す。と、また胸に沈み込むものを感じた。今度は無視できるようなものではなく、音を立てない程度の歯軋りでそれを紛らわせなくてはいけなかった。彼は少しだけ苛ついていた。

 そのせいだろうか。果断とも言うべき決断を彼は行った。席から立ち上がり、メダルをポケットへと落としながら、今入ってきた風にしてカウンターの端まで近寄る。

「マスター。ジン・ライムを」

 疲れたとばかりに席へと腰を下ろした男を、近隣のザヴィエが緩慢に見つける。そしてその顔が驚きと当惑に包まれた。彼は一度言葉を飲み込むと、もう一度だけ言葉を発する。

「……ラハナー? クラウス=ラハナー?」

「うん? 誰だ」

 胡乱げに顔を回し、ザヴィエを見る。そして心底驚いたとばかりに彼は顔を歪め、次に喜色を表した。

「おい。ザヴィエか!」

「あ、ああ。どうしてここに」

「やっと会えたな」

 行動にこそ表さないものの、声に感無量といった調子を混ぜる。これが彼の真の感情の出し方だと知っている、 ザヴィエは遅れて口元に笑みのようなものを浮かべた。

「クラウス。こっちこそ」

「見違えたぞ」

「……お前は変わらないな」

 軽くごつき合い、間に友人特有の空気が形成される。不意に、ラハナーは視線を落とし、唇を噛んだ。

「すまない。俺は――」

「いや、良いんだ。今更だ。気になんかしないさ」

 演技がぼろぼろと顔から崩れ落ちていく気がして、ラハナーは焦った。しかしそれと同時にこうしていたいという感情が強く芽生えた。彼は戸惑った。任務中にこのような感情を感じたことがなかった。

「……すまない」

 何も言えなかった。ただ唇を演技ではなく、本気で噛み締めた。血の味がする。彼は自分が自分で分からなくなった。

「止してくれ。さあ、飲もう。友の再開を祝して」

 どこか痛ましいほどの笑顔で、ザヴィエは言う。ラハナーはそれに釣られるようにして、酒を頼んだ。

 彼らの話題は尽きなかった。お互いに深くまで詮索しようとはせず、当たり障りのない話を選んだが、それでもお互いに霧が晴れていくのを感じていた。突然、ザヴィエが言った。

「なあ、クラウス。良ければ家で飲まないか。こんな楽しいのは久しぶりだ」

「俺もだよ……」

 ラハナーはザヴィエの笑顔に、めったに見せない心からの微笑みを見せた。ラハナーは追いやっていた。自分がジャッカルであること。執行人で、ザヴィエがその対象なこと。大事な時に側にいられなかったこと。全てから目を背けた。ただ彼に相応しくない感情で動いていた。

 二人は勘定を済ませると、談笑しながら市道を歩いて行く。やがてザヴィエの家に着くと、彼はラハナーを家の中へと招き入れた。

 古風で純朴な内装だった。多くのものが昔ながらの木で出来ている。ザヴィエとともにラハナーはリビングへ入ると、中央のテーブルへと座った。ザヴィエは戸棚へと歩いて行って、酒瓶と二人分のグラスを持ってくる。

「では改めて乾杯」

 グラスを軽く合わせて、二人は腔内に酒を入れる。喉が締まるように熱くなって、心地よかった。

 ラハナーとザヴィエはぽつりぽつりと言葉を交わし、たまに笑いあった。ふとラハナーはチェストの上に倒して置かれている写真立てを見つける。視線に気づいたザヴィエが薄く笑った。

「ああ、妻子のだよ」

「嫌なことを思い出させたな」

「いや。もう充分だ。忘れるべきなのかもな。いや、そうなんだろう。クラウス、お前はまだ協会にいるのか」

 僅かにグラスを握る手が強くなったラハナーは、答えた。

「まあね」

 ザヴィエは酒をくいっと飲み干した。

「……クラウス。俺が魔法を犯したといったらどうする」

 声が途切れ、静寂が訪れる。三人目の客は二人を見つめた。ラハナーは目を伏せ、ザヴィエは目にあの負を宿していた。五分ほどして、客は去っていく。

「笑える冗談じゃない」

「俺はジョークなんか言わない。言わないよ」

「……どうして」

「クリスとアーロンが奪われた時、俺は恨んだよ。ありとあらゆるものをな。恨みの後は最初はぼうっとして、数週間を過ごすんだ。まだ死というものを実感できないんだ。それでやっと実感する時に、人は気づくんだ。もう戻らないんだってな。世の中は理不尽が少しばかり多すぎる」

「だからか!」

 不意にラハナーが怒鳴った。

「だから、お前は魔術師の禁忌を!」

「なにが禁忌だ」

 それを冷めた目で見つめていたザヴィエは酒をグラスに注いで、続けた。

「そんなものはまやかしだ。糞だ。ファックだ。結局のところ、何もしてくれはしない協会のグズなルールに従ってるだけだ。俺はアホらしいと思ったのさ。ネクロマンシー系の魔術。気味の悪い爺から数ヶ月で学び取った。そいつは言ったがね。どうしてもと想う人の気持ちに逆らうことなんてできない。さて、俺はそういうことだ。妻子の屍体を」

「ザヴィエ!」

「……儀式にかけたんだ。なのに、出来たのはなんだと思う?」

 昏い両眼で往年の友人を見据え、ザヴィエは無機質な声で言い放つ。

「ゾンビだよ。知能も何もない、面影すらない。ただのゾンビ」

 途端に、かっと酒を飲むとグラスを地面に叩きつけ、叫んだ。

「なんでだよ! 俺がなにしたってんだ! ただ家族がいて! 可愛いガキンチョと! 美人な奥さんもらって! 馬鹿なことにも笑い合って! 辛いことだって乗り越えてきただけだ! なあ! なにが不足だってんだよ! 俺はなにもしてねえよ! カミサマよお!!」

 激烈な慟哭だった。魂の哭き声だった。その様子は地獄で苦しむ囚人たちよりも酷いのではないかと思われた。 今まで黙っていた、ラハナーが言った。

「黙れ」

「ああ!」

「黙れと言ったんだ」

 凍えるような声調に、はっとザヴィエは自分の様子に気づいたようだった。彼はよろよろとテーブルに突っ伏し、ただ口を噤む。

 数十分も経っただろうか。ザヴィエの肩を優しく揺り動かすものがあった。彼は顔をあげる。

 そこには静謐な微笑みを湛えたラハナーがいた。ザヴィエは動揺した。彼のこんな姿を見たことは無かった。

「……ザヴィエ。俺の友達。精算なんて考えちゃいない」

 すっと懐から何か、小さい長方形状の紙のようなものを彼は取り出した。それは色あせた写真だった。協会の建物を背景に二人の青年が肩を組み合って、笑い合っている。それは若き日のラハナーとザヴィエだった。

「俺はお前のそんな様子を見るのが辛いよ。何かしてあげられたら良いのに、何もできないんだ」

 ラハナーは言う。少しして彼の目元が赤くなって、口元が震えているのに気づいた時、ザヴィエはぽつりと言った。

「お前が持ってたんだな……。この写真」

 ザヴィエは蚊の鳴くような声で続けた。

「嬉しいよ」



 男たちは決心した。それは誰かの為ではなく、彼ら自身の意思だった。誰のためではなく、自らのために。

 男が男であることを。彼らが彼らであることを。彼らにしか出来ないことを。



 その日は運悪く曇り空だった。ぐずついた天気に子供連れの主婦は眉を顰め、いつもはテラスで語らう恋人たちも肩を竦めて外の様子を伺う。みな、雨音が近づいてくるような気がしていた。

 この日もザヴィエ=マンゾンは家から出て、日課を果たすべく、いつもより人通りの少ない道を向かっていった。またBARで一杯やるつもりなのだろう。空を見上げながら、かぶりを振った。

 いつも通りの道。いつも通りの風景。

「良い街だ」

 彼は思った。自分には勿体無いほどの街だ、と。

 通りの角を曲がり、いつも通りに路肩へと車を置いてある通りへと入る。

 ふと、彼は車に近づいていくにつれ、不穏な感覚を覚えた。身体にピリッとしたものが走り、勘が何かを訴える。


 車の影に隠れていた男は、近づいてくるサヴィエを見ながら手元の感触を確かめた。銃把の固い感触。死を与える金属機械。小型の死神は出番を待ち望んでいる。

 サヴィエが射程距離まで接近してくる。一歩、二歩、三歩。入った。


 突然、車の影から飛び出してきた中折れ帽に厚手のコートの男。サヴィエは彼の顔を良く見ようとした。最中、身体に衝撃が走り、鼓膜を銃声が駆け抜けた――。


 胸を押さえて崩れ落ちるサヴィエ。それを確認すると、人払いの魔術を行使していたコートの男は銃を持ったまま、サヴィエへと走り寄った。

 彼は仰向けに倒れていた。胸部からは夥しいほどの血液が流れ落ちている。


 歪んだ視界の中で、自分を撃った刺客を確認したサヴィエは震える唇を必死に動かした。


 男は彼の顔をじっと見つめていた。標的は何事か口をもごもごと動かしていた。男はそれを読み取った。


「……迷惑を……かけて……すまない……」


 途端、ぐずついた天気は鳴き出した。スコールのような雨が突如として曇り空から二人に降り注ぐ。

 サヴィエの顔は穏やかだった。満足したとでも言うように笑っている。

 絶命した彼を、コートの男はただただ眺めていた。激しい雨が身体を包む。頬を水滴が流れた。中折れ帽を深く被る。男は懐から色あせた写真を取り出した。二人の男が並んでいた。男は写真を中央で千切ると、クラウス=ラハナーと呼ばれていた男が写っているほうを懐に納め、もう一人のザヴィエ=マンゾンが写っていたほうは今しがた絶命した男の胸へと落とす。

 男は人払いを解くと、雨の中を紛れるように去っていった。



「これが報告書かね。ラハナー君」

「ええ」

 相変わらずの部長室で、フランク=トロイ部長とクラウス=ラハナー執行官は向かい合っていた。部長は机に置かれていた茶封筒をふむと摘むと、また軽く投げた。

「君はサヴィエ=マンゾンを消去したものの、彼の研究結果の出処を明確に掴むにはいたらなかったわけだ」

「はい」

「何か、弁明は」

「特には」

 はあとトロイは溜息を付いた。もうこんな茶番は沢山だとばかりに、葉巻を取ると、片面を切り落とし、マッチを擦る。紫煙を堪能してから彼は答えた。

「よし。とにかく君は掟破りを任務通りに抹殺したわけだ。で、どうだった」

「どうだった、とは?」

「休暇か何かが必要かね。良ければカウンセラーでも紹介するが?」

「結構です」

 眼前で大樹のように延びる男に、トロイ部長は思い切り良く言った。

「……そうか。任務ご苦労だった。これにて作戦は終了。ゆっくり休め」

「恐縮です」

 振り返って、未練なく出ていく男の後ろ姿を見ながら、トロイは煙を窓に吐いた。

「我ながら胸糞悪くなるな」



 部屋を出て、廊下を歩いて行く最中。休憩所があった。クラウス=ラハナーは何気なく近寄ると、開かれた窓へと寄り、清涼な風を感じた。あの街で浴びたような日差しが降り注いでいる。

 ラハナーは懐から千切れた、色あせた写真を取り出す。そこにいたのは間違いなく愛おしい誰かと誰かだった。――今は一人だ。

 風が頬を打った。

 逆らわずラハナーが手を離すと、写真は風に呑まれて、空を浮遊し、日差しを浴びながら飛んでいった。

 何処までも、何処までも。




【了】



一つずつ、着々にやっていこうと思います。

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