第15章 帝国動乱 北方統一完了篇
シレンティウム市
今日はシレンティウム同盟の全体会議が開催される。
シレンティウムの付属都市に“第1同盟者”の称号を持つクリフォナムの南部諸族に加え、今回同盟に参加した北部諸族の首長や部族長達が大挙してシレンティウムを訪れているため、何時にも増して混雑の度合いが酷い大通り。
ルキウスが治安官吏を率いて交通整理を行ってはいるが、各部族長達に随行している戦士や一族のみならず、主立った族民達も、シレンティウムを一目見ようとこの機会にシレンティウムへとやって来ているので、なかなか上手くいかない。
人混みをかき分けて馬に乗った一団がルキウスの前に現われた。
「そこの族民!市内での騎乗は禁止だ、直ぐに降りるんだ!」
ルキウスから大声で注意され、きょとんとした後に慌てて馬から下りているのは、恐らくクリフォナム東部諸族の族民達だろう。
その服装はこの付近では見かけないものであるし、何よりも騎乗していることからそれが直ぐに分かる。
今回、ハルが行ったシレンティウム同盟に対する参加の呼びかけに応じ、東部諸族と東南部諸族がシレンティウムを訪れているので、シレンティウムに不案内なものも大勢いるのだ。
おそらく今まで帝国やその文化自体に触れる機会が殆ど無かった部族達で有ることから、シレンティウム市内の様子がもの珍しくて堪らないのであろう。
馬から下りた後もその族民達は毛皮の帽子を取り、インスラ(集合住宅)や水道橋を見上げ、奇麗に清掃されている舗装路や街路樹、建物の壁を触り、そこに施された精緻な浮き彫りに驚嘆し、辻に警備の為に立っている北方軍団兵を指さして目を丸くしながら何事かを言い、仲の悪いオラン人とクリフォナム人が会話しつつ歩いている姿を驚いて見つめた。
顔は興奮気味で目は好奇心で子供のように輝いている。
ルキウスはその様子をしばらく見送り、再度騎乗したり道に迷っている様子が無い事を確認してから、直ぐに別の場所で迷ったと思しき族民の集団を見つけて近寄る。
「どこへ行くのか?」
ほっとした様子で自分の行き先を告げる族民に道案内をしつつ、ルキウスはこれからの会議の大変さを思って、ハルのいる行政庁舎を見るのだった。
シレンティウム市・行政庁舎、大会議室
北方平定後初の同盟全体会議。
既に主だった族長達が円卓に腰掛けているが、その面々がこのように一堂に会するのは初めてである。
今回参加しているのは
シレンティウム市
辺境護民官兼シレンティウム最高行政官及びフリード王
ハル・アキルシウス
付属都市
コロニア・メリディエト市長 デキムス・アダマンティウス
コロニア・フェッルム市長 ペトラ・スィデラ
コロニア・ポンティス市長代 ティベルス・タルペイウス
フレーディア市長兼城代 ベルガン
第1同盟者
アルマール族族長 アルキアンド
アルペシオ族族長 ガッティ
ベレフェス族族長 ランデルエス(オラン人)
アルゼント族族長 セルウェンク
ソカニア族族長 ボーディー
ソダーシ族族長 マルドス
北部諸族
ロールフルト族族長ヒエタガンナス
カドニア族族長 モールド
セデニア族族長代 ディートリンテ
ポッシア族族長代 トルデリーテ
クオフルト族族長 ジェバリエン
スフェルト族族長 ヤルヴィフト
サルフ族族長 レーデンス
サウラ族族長 バルシーグ
フレイド族族長 ルドウス
フリンク族族長 ヴィンフリンド
外部同盟(オラン人代表)
クリッスウラウィヌス(アレオニー族族長)
であるが、この他にクリフォナム東部諸族の族長達にオラン人の各部族長達、それに加えて東照城市大使の介大成が陪席者として列席している。
コロニア・フェッルムはペトラが伝手を使って精霊付き採鉱師を呼び集め、あらゆる意味で採鉱師達の拠点市となった。
また採鉱作業に従事するオラン人やクリフォナム人の族民の移住も相次ぎ人口が増えたことから晴れて1市として扱われることが決まった。
また、コロニア・ポンティスについては基礎となる大架橋は完成したものの、未だ造営作業中であるため、フレーディア都市改良事業を完成させたタルペイウスが市長代行として都市の完成を目指すこととなったのである。
その都市改良事業の終わったフレーディアは市に昇格し、ベルガンが城代と兼ねて市長へと就任した。
大会議室での会合は終始順調に進められ、北方諸族の各部族長が同盟誓約書に署名を為し、また東部諸族はサウラ族を除いた残り5部族
トーラル族族長 ベイスード
ティシンク族族長 エウクータ
ミリフィア族族長 ガイシント
フェキス族族長 オーロフ
ルット族族長 パラウェン
が同盟参加を表明したため、早速署名を行った。
東部諸族は元々シレンティウムはおろか、帝国とも交流がほとんど無かった事もあって、シレンティウム同盟への参加はその設立当初から見送る方針であったが、近隣諸族がシレンティウム同盟に次々参加し始め、また東照やフィン人からの情報も入ってくるにつれ、次第に同盟への興味を持ち始めていた。
そこへイネオン河畔の戦いの詳細な情報が届けられ、とにかく無視することは得策では無いと判断してハルからの招待に応じたのである。
当初は招待を受け、シレンティウムの見学だけするつもりであった東部諸族の各部族長やその随行員達だったが、大規模に改修されたアルトリウス街道の威容に驚き、シレンティウムの城壁や内部の殷賑振りを目の当たりにし、イネオン河畔の戦いにおける北方軍団兵の精強さやシレンティウム軍の大勝を改めて詳細に聞き、徐々に気持ちが同盟参加へと傾いていく。
最後はハルから同盟における緩やかな条件を聞いて署名に至ったのだ。
一方、最初からシレンティウム同盟への正式参加を切望していたオラン人の各部族長達。
しかしオランの各部族は個別にシレンティウム同盟へ参加するのでは無く、ベレフェス族を除いたオラン人全体がまず同盟を結び、その後シレンティウム同盟と連合するという形を取る事になった。
ハルが王位を授与された後には個別に同盟参加を行う方向で話はまとまっているが、シレンティウムとしてはクリフォナムと同一政策を行うのでは無く、オラン人にはオラン人独自の自治を行わせるつもりである。
代わりにオランはシレンティウム同盟のトロニアの支配権、街道敷設権、都市建設権を認め、またシレンティウムに対する兵力提供義務が課された。
オラン人は技術支援や文化振興策についてはシレンティウム同盟と同等に受けられるが、防衛協力については当面保留となり、部族長達を落胆させる。
しかし各種の負担を課されはしたものの、これによりオラン人はシレンティウム同盟に参加する事で辺境護民官の担当地域としてある意味正式に、具体的支配権の及ぶ形で帝国の一部となった。
それまでオラン人の地域で好き勝手をしていた帝国軍部隊は管轄外越境を禁じられる事となったのだ。
帝国からの労役賦課や臨時徴発から解放され、また帝国軍の越境侵入がなくなったことによって陸側からの脅威が無くなり、海岸からの襲撃のみに備えれば良くなったオラン人地域であるオラニア・オリエンタ。
その部族戦士団は専ら海賊と島のオラン人という海洋勢力の対処に集中出来るようになったため、治安が著しく回復することとなる。
会議後、シレンティウム行政庁舎、ハルの執務室
「見て欲しいものがあります」
「なんですかな?」
シッティウスを筆頭に各長官とアルトリウス、アダマンティウスが集まった自分の執務室で、ハルはまずユリアヌスからの手紙を回覧させる。
読んだ者達が順に驚愕し、最後にシッティウスがぴくりと片眉を上げて読み終えると、その手紙をハルへと返した。
「…ご覧の通りです、ユリアヌス殿下が副皇帝となりました」
『うむ、これは思いもよらぬ展開であるな…ハルヨシよ、これはひょっとするとひょっとするやもしれんのである』
ハルが置いた手紙を覗き込みながらアルトリウスが腕を組んで言う。
ユリアヌスからの手紙は他に、辺境護民官ハル・アキルシウスは今後副皇帝であるユリアヌスの指揮下に入りその指示を仰ぐことと併せて、その任命権や人事権については今後ユリアヌスが保持することが記されていた。
『ううむ、これでユリアヌス殿下とやらはハルヨシという強力な手駒を手に入れたという事になるのであるな…面白くないが、まあ、あ奴ならば下手をしてハルヨシを解任したりそれを盾に脅すようなこともあるまい…まあ、そうされたところでどうとでもなるのであるが』
シッティウスはアルトリウスの言葉に頷きながら口を開く。
「そうですな、アキルシウス殿はシレンティウムに確固たる地盤を築き上げておりますからな、たとえ解任されたとしても痛くも痒くもありませんな、万が一そうなれば自立すれば良いだけの話ですし、何なら東照に身売りして官位を授かってしまえば良いでしょう。我々は既にそれだけの事が出来るだけの力を持ちました」
「ま、大丈夫だとは思います、殿下は恐らく私の身分や官職が貴族によって奪われたり、権限を制限されたりすることを避けたかったんだと思いますから…それはそうと、この文章が気になりますね?」
過激な2人の発言に苦笑しつつハルが手紙の一部分を指で示す。
ユリアヌスからの手紙には、自分が副皇帝に任じられたこと以外に、シレンティウムに対する許可や協力依頼が綴られていた。
その1つが軍備増強の許可であるが、そこに具体的な制限や目標値は記されていない。
そこにはただ“軍備増強を許可する”とだけ記されていた。
「…軍備増強の許可とありますが、具体的な数字が示されておらん」
『ふむ、なるほど、これでは抽象的すぎるな』
アダマンティウスとアルトリウスが言うとおり、そこに具体的な記載は無い。
下手に野心を持った存在にこのような曖昧な文章で軍備を認めれば、際限なく軍備増強に走り、新たな火種となってしまうだろう。
しかしそこにある隠された意図に気が付いたアルトリウスが徐に口を開いた。
『不用意とも言えるが…我々を信用しているのだという意味合いにも取れるのである』
アルトリウスの言葉を受け、感心したハルが何度も頷き、それから脇の席に座っているカウデクスへと話しかける。
「なるほど、そうでしたか……カウデクスさん、シレンティウムで財政的に適度な軍備となればどのくらいの規模になりますか?」
「そうですわね…徴税の無い今の財政収入でははっきり言いまして今の規模でも大きすぎるくらいですけれども、税収と市の事業収入が一定以上見込めるという前提であれば…最大で6万人といったところでしょうか」
「6万…概ね補助兵を入れた軍団8個分強ですか…」
帝国の約4分の1の兵力ではあるが、これはあくまでもシレンティウムに限った兵力の話で、オランやクリフォナムといった同盟諸族の部族戦士団を加えれば、帝国に匹敵するだけの兵力を集めることも可能となっている。
ただ防衛戦争限定の縛りがある部族戦士団は自由に動かせないので、シレンティウム独自の兵力となれば、まだまだ力が足りないのだ。
「シレンティウムは人口以上に財政収入がありますから……その中身は東照や帝国との交易、鉄と銅の採鉱収入、農業事業による収入、寄付収入と多彩ですわ。それに来年からは徴税も始まりますから、資金を潤沢に集められますので、軍備に回すことは十分可能ですわ」
カウデクスが資料をパラパラとめくりながら答える。
『今やシレンティウムに北の地において敵はそう居らぬ。島のオラン人と海賊は頭の痛いところではあるが…ハレミア人は我等に敗れて以降は内乱状態でとても南へ下るような状態では無いのであるし、東方のフィン人は東照と我々が友好的な関係を結んでいるお陰でこれまた攻めてこれないのである…故に、この手紙から読み取れるのは…』
「……帝国内で兆しがあると言うことですかな、あるいは…シルーハが?」
アルトリウスの言葉にシッティウスが言葉を補足する。
『それ以外考えられんのである、尤も、どの時どの場所でということが分からん。故に対処するとは言っても、我等に出来るのは動かせる軍をしっかり養い、厳しい訓練を積むこと以外無いのである』
「折角繁栄で手に入れた力を軍備に注がなければいけないというのは残念ですが、ここは勘所と考えて兵を整えましょう」
ハルが言うと、その場にいた全員が頷き、アルトリウスが張り切った声を上げた。
『うむ、訓練は我に任せるが良いのである!』
「…いや、先任は今回裏方でお願いします」
『なんと!?』
やる気を示す握りしめた拳をそのままに、信じられないものを見る目でアルトリウスがハルを返り見る。
「北方軍団兵達から先任の訓練は、その、やり難いと…苦情がですね…」
『なっ…なんでであるか~?!』
その場にいた全員が意味ある幽霊の悲鳴という世にも珍しいものを聞く羽目になったのだった。