第15章 帝国動乱 元老院篇(その2)
ルシーリウス卿の目論見では、ユリアヌス副皇帝就任案に貴族と軍部は反対に回る。
軍部は自分達の指揮権を保持するため、強い軍事権を持つ副皇帝は出来れば空位にしておきたいと常に願い、今までもそうあるよう工作を繰り返し行ってきた。
自分達の専決事項である軍事について掣肘されることを嫌っているのだ。
順当に行けばユリアヌスの副皇帝就任は阻止される。
今更このタイミングで何故皇帝がこのような無茶な発議を行ったのかは解せないが、取り敢えず今の皇帝は脅威となり得ない。
元老院にはっきりとした“皇帝派”の者がいないからである。
今回の件について中央官吏派の者達と折り合いはつかなかったが、それでも彼らだけで過半数には達しない。
ルシーリウスは席に着いたタルニウスと目配せを交わし、含み笑うと長老の決を採る声を悠然と聞くことにした。
「ユリアヌス殿下の副皇帝就任に賛成の者は立ち上がるが良い」
ざざっ
「な、なにっ!?」
思いの外多い衣擦れの音に後ろを見たルシーリウス卿の目が驚愕で見開かれる。
中央官吏派、軍部、そして貴族の一部が賛成に回っていた。
見れば立っている貴族は長老に近しい穏健派や市民派の者達。
今までは勢力が小さく、政策面や人間関係から対立こそしていたものの、表だって貴族派貴族に逆らってくることは殆ど無かったが、ここに来てまさかの造反である。
これでは過半数に達し、皇帝の人事が通ってユリアヌスが副皇帝に任じられてしまう。
「軍部は本当に……!」
「スキピウス総司令官から南方作戦の助けになる事については賛意を表明するよう言われております、また妨げになる事については反対するよう言われております」
ルシーリウス卿の言葉を遮り、ロングスが言う。
思わず唇をかみしめるルシーリウス。
そして賛成を表明した貴族達を睨み付けるが、彼らはルシーリウス卿とは目を合わせようとしなかった。
「では、賛成多数でユリアヌス殿下を副皇帝に任じる」
「ま、待て、議論に参加していない軍首脳に事後承認を受けなければならんはずだ!」
「では…仮承認と言うことで如何」
「へ、陛下…!」
ルシーリウス卿の叫びに反応したのは、この発議を行った皇帝マグヌス自身であった。
今までの皇帝であれば、軍部不在の際に発議や元老院開催は行わなかった。
偏にそうすることで軍部の反発を招き、三派のバランスが崩れることを恐れたが故の行動であったはずなのだが、その前提すら破った今回の元老院招集がおかしいと言うことについてもっと早く気が付くべきだった。
これは、罠だ。
皇帝が我々の専横に対して反撃しようとしているのだ。
「仮承認であれば問題あるまい」
「…ぐうっ!」
皇帝からのだめ押しの言葉に、それ以上反対する術の無くなったルシーリウス卿は唇をかみしめて下を向く他無かった。
後刻、帝都中央街区・ルシーリウス卿邸宅
思いがけない元老院での誤算。
ルシーリウス卿は領地から徴した最高級の葡萄酒を飲みながら、各地の貴族派貴族と連絡を取るべく手紙をしたため、また各地から寄せられた意見や情報の満載された手紙を読む。
その中には面白くない内容のものも当然含まれては居るが、そうした情報もしっかり把握しておかねばこの難局を乗り切れない。
ましてや今は帝国皇帝が、表だってではないにせよ敵になりそうなのだ。
そうした中に、気になる手紙を見つけた。
その内容は、北のハレミア人を完膚無きまでに討ち破った辺境護民官ハル・アキルシウスの名は北方辺境に並ぶ者が無い程になり、その勢威は北方辺境のみならず帝国やシルーハ、果ては西方諸国や東照にまで轟いているというもの。
ルシーリウス卿はシレンティウムに入れている武具商人から届いたシレンティウム軍の戦勝と、経済発展について記された報告書を読み終える。
酷く歪んだ文字で書かれたそれは読みにくく、最後には手が不自由になったことと、その為悪筆となったことを詫びる文章が添えられていた。
ルシーリウス卿は、その他愛ない文章を最後に読み終えると、そのまま報告書をぐしゃりと握りつぶす。
「気に喰わん……武具商売の得意先ではあるが、息子に大恥をかかせたあいつが統治する街の成功報告など面白くも無い…おい」
「………」
ルシーリウス卿がその声と共に振り返った先にはフードを真深く被った1人の人間が跪いていた。
フードでその顔は見えず、性別年齢は一切分からない。
言葉を発すること無く下を向いているその人物に、ルシーリウス卿は焦れたように言葉を継いだ。
「どうなっているんだ?貴様達には高い報酬を支払ってあの都市の発展を阻害せよと命じたはずだ、少しでも実行出来たのか?」
「……それが、あの街に行った間諜や暗殺者は誰1人として戻ってきません…いま私どもの組合では間諜殺しの街として恐れられてしまい、最早行く者がほとんど居りません」
男とも女とも、若いとも老いているとも取れる不思議なしゃがれ声で話す人物の発した言葉の内容に、ルシーリウス卿は苛立ちを抑えようともせずに吐き捨てた。
「なんだと?貴様、まさかそれで済むと思っているのではないだろうな?」
「……もちろんですとも…志願者は多くはありませんが居ますので、その者達を向かわせている所です」
「なら良い、いいか、必ずあの街の成長を阻害するんだ、でなければここで動乱を起こしても足を引っ張られる恐れがあるからな!あくまで帝国は無傷で手に入れねば意味が無い、内乱など金と時間が掛かるばかりで何の旨味も無い」
苛立たしげに言うルシーリウス卿にその人物は言葉少なく答えた。
「……承知しております、それから…行方不明であったユリアヌス殿下ですが…」
「奇人がどうかしたか、どこに居た?」
ルシーリウス卿が口にしかけた酒杯を止め、眉を上げる。
「それまでの所在は相変らず掴めませんでしたが、帝都の軍港に向かいました」
「……ほう、海軍を掌握する腹か…」
その知らせにユリアヌスの意図を見抜いたルシーリウス卿は含み笑いと共に酒杯を傾けた。
その人物がルシーリウス卿に言う。
「おそらくは…しかし、無駄でしょう。今の帝国海軍はルシーリウス様の手で骨抜きにされておりますので…」
ルシーリウス卿の高笑いが部屋に響く。
ルシーリウス卿は海軍総司令官を賄賂で抱き込み、作戦海域や戦法についての情報を得た上で、その情報を密貿易船や海賊に流しているのである。
また、提督に依頼して艦隊を分散させた上で弱体化を図り、海軍戦力を減退させることにも成功していたルシーリウス卿。
分散された海軍艦隊は、下手をすれば密貿易船団や海賊達よりも少数の艦艇で対処せねばならない圧倒的不利な立場に置かれており、海軍兵達の戦意や士気は地に落ちている。
そしてそんな兵士達の素行不良が問題ともなっていた。
海軍兵士達はあちこちの軍港配置都市で喧嘩や問題、不祥事を起こしており、いまや帝国海軍はかつての誇りを失った、帝国内でも鼻つまみ者の無頼集団なのである。
そんな不真面目な者達であるのでまともな取り締まりを行う訳も無く、ますます海上交易路の治安は悪化し、今やセトリア内海は無秩序状態。
それでも今までは陸上の帝国軍がしっかりしていたので陸上の都市や帝国そのものに対する襲撃や略奪にまでは至っていなかったのである。
ところがそれも南方大陸侵攻で崩れた。
軍団が引き抜きを受けて弱体化したり、防衛体制に穴が空いてしまったことによって、海賊による略奪や都市の襲撃が次第に増加しているのだ。
その様な状況を敢えて作り出し、濡れ手に粟の状態で儲けを出すルシーリウス卿の一派は、所領から上がる税収などより遙かに巨大な利益を海上で上げるようになっており、今や帝国に並ぶ者の無い財産を裏の手段で得たのである。
もちろん、ルシーリウス卿自身も密貿易に手を深く染めているが、それ以外にも密貿易に関わる者達や海賊から情報提供料としてその売り上げや略奪品の数割を徴収しており、さらに莫大な財を懐に入れていた。
当然被害に遭うのは善良な海運業者やその海運業者から物品を購入している商人達で、また食料品や生活用品の高騰が庶民生活を直撃してもいた。
そこへルシーリウス卿は密貿易で運び込んだ物品を高値で売りさばき、暴利を2重3重に貪っているのである。
その財はルシーリウス卿の邸宅に蓄えられ、専ら帝国転覆の企てについて使用されている。
「くくっ、いかなユリアヌスとて海軍提督がこちらの味方とは思うまい。情報が筒抜けではまともに海賊や密貿易を取り締まれはしないからな…しかし、海軍に目を付けるとは侮れん、監視は引き続き続けろ」
「仰せの通りに…」
「副皇帝就任はごり押しで通されてしまったからな…くそ、忌々しい長老派の連中め!」
皇族であっても何の役職にも就いていないユリアヌスなど、本来恐れる理由など無い。
権限も持たないただの奇人殿下であったはずなのだが、先程の元老院で皇帝がユリアヌスの副皇帝就任を発議し、その状況が変わった。
中央官吏派と貴族でも市民派と呼ばれる長老派の連中が支持に回り、また帝国軍首脳がごっそり居ないためバランスの崩れた元老院で、貴族派貴族は思いがけなく少数派になってしまったのだ。
軍首脳の不在を理由に仮承認という形に何とか落とし込んだが、元老院はユリアヌスの副皇帝就任を、当人不在のまま認めてしまったのである。
今まで三派の合意の下で治政を行ってきた皇帝らしからぬ手法に慌てたルシーリウス卿達だったが、決定は覆らなかった。
「心配はいらんと思うが……まあよい、今回はしてやられたが、余命を知ってのことだろうが、幾らあがこうとも耄碌皇帝も最早これまで、我等の悲願はもう間もなく達成される…」
かつては帝国を共に創設した貴族と皇帝、何時しかその身分的格差は広がり、今や皇族と貴族には大きな越えられない身分上の壁が出来てしまった。
しかしそうでは無い。
かつては貴族の中から選ばれし者が、執政官となり、王となり、皇帝となったのだ。
皇族のみならず、貴族もこの国の最高権力を手に出来る、その機会を得られる、古い時代の復活、それこそがルシーリウス家が目指す帝国のあるべき姿である。
その為には、海賊だろうが、外国だろうが、悪魔だろうが、利になるのであれば手を結ぼう。
「シルーハとはよく話し合って時期を早めねばならんか……」
ルシーリウス卿は、そうつぶやくと葡萄酒を口に運び、一気に飲み干すのだった。
帝都軍港、海軍総督執務室
「わははは、いきなり何を言い出すかと思えば…ワシを首にするですと?」
「そうだ」
「うははははっ、いかな副皇帝と雖も、いきなり理由も無しにそれは無理ですな、手順というものがある」
ユリアヌスの言葉に、ウィオレンス海軍上級提督は膨らんだ腹を揺すって大笑いする。
しかし、ユリアヌスは腹を立てるでも無く余裕の表情で言葉を継いだ。
「と、言うほど無理でも無い、副皇帝には上位の軍指揮権があるからなあ~」
「………ふん、それがどうした、理由も無く本気でワシを辞めさせるのか?」
自分の言葉に大笑いを止め、ぴくりと眉を上げるウィオレンス提督に、ユリアヌスは首を左右に振った。
「お前、それだけで済むとでも思ってるのか?随分手広く賄賂を貰っているらしいじゃ無いか」
「…な、何を根拠に……」
言い募ろうとするウィオレンスを遮るように、ユリアヌスはその目の前の机に紙束をばさりと落とした。
はっとしてその内の1枚を両手で取り内容を読み進めるウィオレンスの身体が小刻みに震え出す。
「これだけ調べても残念ながらお前と貴族派貴族の繋がりは出て来なかったが、お前と海賊や密貿易船との関係は立証出来た、お前は処刑だ」
冷徹な声が降ってくる方向に目を向けると、そこにはユリアヌスの厳しい表情があった。
最早これまでと観念したかと思いきや、ウィオレンスは手にした紙を破り捨て、机の上の紙束を腕で払い落とす。
「くっ……衛兵!」
そして腰の短剣を抜き放ちながら衛兵を呼び寄せる。
「おやおや、副皇帝に剣を向けるのか…明確な反逆罪だぞ?」
「うるさい!副皇帝ユリアヌスという者はここには来なかったのだ、途中で盗賊に襲われて落命したのだろう」
「そう言う筋書きでいくわけか…まあ、それ以外に無いだろうが、あまりにも稚拙だぞ」
揶揄するような声を出しながらも落ち着いた様子で両手を広げるユリアヌスに対し、顔を紅潮させて怒鳴るウィオレンスからは完全に余裕が抜け落ちていた。
「うるさい!!衛兵!この男を殺せえっ!!」
「衛兵、そこの無能を逮捕しろ」
自分を怒鳴りつけたウィオレンスの声に顔をしかめながらも、静かに命令を下すユリアヌス。
「「了解しました」」
「なっ?」
ユリアヌスの命令で即座に衛兵達が動きウィオレンスからあっさり短剣を取り上げるとその身体を拘束した。
「残念ながら、お前の味方は既に居ない、誇り高き海軍兵士を馬鹿にしすぎた報いだな」
「く、貴様らワシから受けた恩を忘れたのかっ!どうした?散々イイ思いをさせてやっただろう!!」
哀れむようなユリアヌスの言葉に、ウィオレンスが最後のあがきを繰り返し、そして自分を拘束している海軍兵士の衛兵達に呼びかけるが、反応がないどころか手酷く顔を殴りつけられてしまう。
「あひゃ?な、何をする…ふぐっ?おげっ」
言葉を発しようとする度に顔面や腹を殴られてくぐもった悲鳴を上げるウィオレンスに、ユリアヌスが今度は訝しげな表情を向ける。
「ん?…あ、変なこと言うなと思ったら、そうかお前、身近な部下の顔も覚えていないんだな……お前の子飼いの豚ちゃん達は収賄罪、暴行傷害罪、強制猥褻罪、官吏の評判を貶めた罪で一足先にあの世だ。お前も逝くが良い…連れて行け」
ユリアヌスの命令で、顔面をぼこぼこに殴られていたウィオレンスが無理矢理立たされて連行されてゆく。
「ひいっ…ぐひ」
そして何か口を開こうとする度に容赦なく背中を蹴られ、腹に拳を打ち込まれるウィオレンスの姿にユリアヌスが顔を歪めた
「…あいつ余程恨まれてたんだな、まあ自業自得か…」
ユリアヌスはかねてから海軍には目を付けていた。
陸軍とは様相が異なり軍閥が居らず、割合自由な気風にある海軍は、帝国軍の中でも目立たない存在であり、派閥としての勢力を形成しうるには至っていない。
それでも軍組織としての体裁は帝国の身の丈に合った立派なもので、艦艇数や兵士数から言ってもセトリア内海や周辺海域を制するには十分な力を持ってはいる。
ユリアヌスがまず海軍を掌握すべく、かねてから連絡を取っていたのは、かつて自分が海軍に潜り込み、海賊退治をした時の同僚兵士達。
ユリアヌスが排除したウィオレンス子飼いの部下達の後釜に据えたのは、激戦を共にくぐり抜けたその戦友達だったのである。
まず軍港に乗り込む直前に彼らと連絡を付けたユリアヌスは、元老院で副皇帝就任についての承認が得られたという連絡を皇帝から受けると、その深夜、たるみきった海軍の風紀や警備の隙を突いてクーデターに近い形で一気に海軍本部を乗っ取ったのである。
当初は艦隊司令官の1人を後釜に据え、自分は裏から海軍を指揮しようと考えていたユリアヌスであったが、皇帝マグヌスからの言伝がその方針を変えさせた。
仮とは言え副皇帝であれば軍指揮権が発動出来る。
「ふん、じじいもまだやる気はあったんだな…まあ仮だろうが何だろうが副皇帝は副皇帝だからな、海軍を指揮した所で構いやしない、最大限利用させて貰おう」
手紙を燃やし、マグヌスとの関係に関わるその証拠を隠滅したユリアヌスは、何も知らずに女をはべらかして出勤してきたウィオレンスが執務室へ入るのを見届けて事に及んだのであった。
今頃各地の海軍基地で同様のユリアヌス派による正常化が為されているはずである。
しばらくすると、伝送石であちこちの艦隊司令部や海軍基地からの通信が入った。
そこにはただ一言、成功、の文字があるのみ。
全艦隊の掌握が済んだことを確認した時点で、ユリアヌスは椅子から立ち上がった。
ユリアヌスは海軍兵士の更正と浄化を進め、意欲を失っている海軍兵士達のやる気を起こさせるべく大規模な訓練と海賊討伐を計画していた。
早速ウィオレンスの机を漁り、艦隊配置表を見つけて一瞥したユリアヌスは再び顔を歪めた。
「なんじゃこりゃ…こんなめちゃくちゃな配置してたのかあいつ…真性の馬鹿か、もしくは何か意図があったのか…?」
配置表に記された艦隊配置はめちゃくちゃで、重要な航路が尽く外されているのみならず、数隻単位で分散配置され、またさして重要でも無い漁村に停泊している艦隊も居る。
ある程度把握はしていたが、ここまで酷いとは…
「至急艦隊を今言う軍港へ呼び集めろ、東部海域担当はリブリア、西部海域担当はペルオン、首都警備担当と遊撃艦隊は帝都軍港だ。伝送石通信で構わないから急げ、特段もれて困る情報じゃ無いからな、任命する提督は追って伝える」
「了解しました」
海軍兵士が出て行ったことを確認し、ユリアヌスはゆっくりと椅子へ腰を落とした。
「まあ、取り敢えず出来ることからやっていくしか無い…第1段階は成功だが、前途は多難だな」