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第15章 帝国動乱 元老院篇(その1)

 帝都中央街区、元老院前広場


「…以上の顛末により、北方辺境護民官ハル・アキルシウスは北方辺境はイネオン河畔において蛮族ハレミア人40万の大軍を殲滅し、その部族王バガンを討ち取り、北方辺境に安寧と平和をもたらしたのみならず、これを統一した。マグヌス帝はこの功績を激賞し、北方辺境護民官に新たに報奨金と共に……」


 告示官吏が自慢の大声を轟かせる広場には、いつぞやの時と同じように帝都の市民達が詰めかけていた。

 普段は激しく行き交う馬車や荷車、人や馬に帝国兵の行進、更には物売りや訴訟をする者達の怒声とも言える大声に、

建設現場の騒音が加わってすさまじい状況であるが、この日はしわぶき一つ聞こえない。

 市民が辺境護民官の活躍についての告示内容に固唾を呑んで聞き入っているのだ。

規定通り2回読み上げられた告示文を終い、告示官吏が壇上から降りると、帝都市民達はしばらく動かず、その内容をかみしめる。

 そして一緒に聞きに来ていた知り合いや身内、隣に居た見ず知らずの者達とその内容について小さく語り始めた。

 その声は何時しか普通の大きさとなり、終には歓声が爆発した。


「またやったぞ!」

「すげえ、すげえよ!」

「英雄だ!帝国に英雄が現われたっ!」

「素敵っ!」

「帝国万歳!」 





 元老院前広場で歓喜の声を上げる市民達を見る男達が居る。

 その視線は元老院の2階からのもので、決して良い感情を抱いていないのは、その表情を見るまでも無い。

 その男達は騒ぎを聞付けて元老院議場から出てきたのであるが、元老院議員である事を示す白く格式張った楕円長衣を身に纏っている。


「庶民共が…たかだか群島嶼から引っ張ってこられた若造の活躍に踊らされおって…」


 苦々しげに吐き捨てたのは、貴族派貴族次席の地位にある、高位貴族のタルニウス卿である。

 貴族然とした痩身に短い白髪、白い口髭を蓄えている口元は民衆の歓喜の声を聞いて引きつっている。

 年のせいもあるだろうが、こめかみに浮いた血管がぴくぴくと動いてその怒りの深さを示していた。

 数人の貴族達が同じように苦々しげに広場で喜び騒ぐ民衆を睨み付けている。

 そこにもう1人、にこやかな笑みを浮かべた老齢の元老院議員がやって来た。


「おや、市民の歓声に釣られてきてみれば…皆様方もですか?」

「貴様……市民派貴族が何用だ?失せろ、貴族の面汚しめ!」


 口汚く罵るタルニウス卿の取り巻きにも動ぜず、その貴族は見事に禿げ上がった頭をなで上げ顎髭を悠然としごき、目を細めて歓喜に包まれている市民達の様子を見遣る。


「じじい!聞いているのか!!」


 その様子にいきり立った貴族派貴族達をちらりと片眼だけで見たその老齢の元老院議員はようやく口を開いた。


「おやおや、市民の模範たる貴族ともあろう者がその様な口の利き方をするとは…帝国の貴族派貴族も地に落ちたものですなあ」

「なに!?貴様」

「年長者を敬うというのは帝国においては貴族に限らずとも最優先されるべき道徳ですがな…それすらも忘れ果てたと見える、さながら北の蛮族のようだ」

「きさまあ……よりによって誇り高き貴族である我等を北の蛮族などと!訂正しろ!」

「……ふむ、議論は平行線か」


 いきり立つ貴族派貴族達とは対照的に面白がる様な雰囲気のその元老院議員。

 そこへタルニウス卿が辟易した様子で言葉を挟んだ。


「もうその辺にしておいて貰いましょうか、長老。貴方こそわざわざ我々が居るこのバルコニーへ出てきたというのはどういうことですか?それこそ挑発でしょう?」

「ほう、では“これは心外な”と言っておこうか」


 苦々しげなタルニウス卿とは別に長老と呼ばれた元老院議員は言葉の遣り取りを面白がる様子を崩さずに言う。

 ようやくそこでタルニウス卿も笑みを浮かべて言葉を返した。


「ふふ、ここで化かし合いをするつもりはありません、いずれにせよ、我々とあなた方が犬猿の仲である事は周知の事実、その我々がいる場所へ敢えて出てきたのですから、誰が見ようと挑発以外には考えられませんよ」

「ふむ、化かし合いはしないのでは無かったのかね…では言うが、年を取ると遠くへ行くのが億劫になってなあ~。一番近いバルコニーへ来てみた所、君たちが居るのは分かったが体力の衰えには敵わない、今更別のバルコニーへ行くのも大変だ。仕方なしに此処へ来たというわけだよ」


 のらりくらりと言い訳めいた言葉を口にしつつも、悪びれた様子は一切無い長老の様子に、タルニウス卿が呆れてため息をつく。

 その矍鑠たる姿、老齢とは言え衰えとは無縁なのは見るまでも無い事で、それでなくても元老院で長老の演説と来れば、居眠できる者など誰1人としていないほどの迫力と声量であるのだ。

 完全におちょくられている事に今更ながら気が付いたタルニウス卿は諦めてバルコニーを譲ることにした。

 まさか追ってまでは自分達に付きまとっては来るまい。


「……そうですか、では年長者を立てて、私たちが別の場所へ移るとしましょう」

「おお、それは助かる、気の合わない者と何時までも一緒に居るのは疲れるのでな…おお、そうそうこの隣のバルコニーが良い具合に空いておるな」

「……むぐ、くっ、行くぞ!」


 一瞬、怒声が出掛かったタルニウス卿であったがどうせここで言い返した所でやり込められるだけだと我慢し、取り巻きを引き連れてバルコニーから立ち去った。

 その後ろ姿を愉快そうに眺めていた長老は、その姿が見えなくなった所で再び視線を元老院前の広場へと移す。


「さて、たかだか左遷官吏の辺境護民官がここまでやるとは誰も予想はしておらんかったからな…上手く良い方向へと結び付けられれば良いが…取り敢えず皇帝執務室へ行くとするか」


 間もなく元老院が開催される。

 血の流れない、しかし激しい戦いが始まろうとしていた。




 帝都中央街区・皇帝宮殿、皇帝執務室


「…ここらで少し、反撃を加えておかねばいかんか…」


元老院前広場から聞こえて来る市民達の歓喜の声に耳を傾け、笑みを浮かべたマグヌスはそう1人つぶやく。

 その手には、副皇帝に任じたユリアヌスからの手紙がある。


「…後事を託したとは言え、丸投げではこちらも心苦しい…次期皇帝陛下の負担を少しでも軽減してやらねばならぬわい」


 マグヌスは静かに、しかし確かに覚悟を決め、ゆっくりとその手紙を閉じ、顔を上げる。


「貴族派貴族とは今日ようやく決別するか…ふふふ、上手くやらねばな…」

「今まで日和見が得意技の皇帝が、何を血迷ったのかと思ったが…そうか、未来に希望を見つけたのだな?」


 遠い目をしてつぶやくマグヌスを揶揄するような声が響く。

 その声の先には、先程タルニウス卿とやり合った禿頭の貴族が皮肉げに口を歪めて立っていた。

 マグヌスは少し驚いたが、自分が当人を呼びつけていたことを思い出し、苦笑しつつ椅子へと手招き、口を開く。


「まあ、そのようなものだ…で、協力はしてくれるのか?」

「……いいだろう、軍部首脳陣が遠征で欠席、中央官吏派と貴族派貴族が交渉決裂とあれば、我等にも取れる手段がある」


 その禿頭の貴族、元老院議長でもある長老が椅子に座りながらマグヌスの提案を受け入れる旨の発言をすると、マグヌスはほうと安堵のため息をついた。

 中央官吏派と貴族派貴族の政策調整が失敗に終わり、物別れに終わったことはマグヌスが使者を通じて知らせたものだ。

 近衛兵が持ち込んだこの情報を、決裁書類を持ってきたカッシウスにそれとなく下問し、その反応から情報の正確さに確証を得たマグヌスは、直ぐさま子飼いの部下を通じてユリアヌスにこの情勢を知らせると同時に、貴族派貴族とは少し距離をいている長老派の貴族達に渡をつけた。


「では…?」

「ユリアヌス殿下の副皇帝指名については協力しよう」

「……宜しく頼む」


 自分の促しの言葉に応じる長老へ、マグヌスは率直に礼を言う。

 その礼を聞き、長老が呆れたように漏らした。


「……あと40年、その言葉が早ければ変えられたものもあったろうにな」


再びの揶揄の言葉。

 40年前のあの時、貴族を力で抑え込もうと奔走したマグヌスは、結果として多くのものを失った。

 今は長老と呼ばれ、その見識や人格の高さを謳われてはいるが、その当時元老院随一のプレイボーイとして鳴らしたこの男も当時は野心に燃え、貴族の頂点たらんとしてマグヌスへの協力を申し出たのだった。

マグヌスは貴族を抑え込むことしか念頭に無かった事からこの申し出を拒絶してしまい、結果としてより多くの貴族を敵に回し、元老院が機能不全寸前となった。

 これ以後マグヌスは自らの政策を封じ、やむなく派閥均衡政治を行うこととなったのだ。

 そして年月が過ぎるに従ってその結果生じた垢や澱、しがらみはマグヌスをがんじがらめに縛る事となる。


「後悔は最早し尽くした…とは言っても未だし足りないのだが…それは言っても仕方の無いことだと思うぐらいの分別はついた。時は移ろい、我々に残された時間は少ない。だが、あの時の選択が無ければ今この好機も無かったと、思いたい…ま、捨て石の感は有るのだがな…」

「捨て石とて役目を果たせれば良いが、果たせず朽ちるものや無駄に死んだ者も大勢いるのだぞ?」


 すかさず反論する長老に、マグヌスは声を一段低く落として応じた。


「……ああ、友の死がそれを教えてくれたとも」


 沈黙が皇帝執務室を包み、その沈黙はやがて暗さと重さを帯びてマグヌスの周囲に漂う。

 しかし、マグヌスはそのまま静かに立ち上がり、長老を促した。


「ではそろそろ議場へ向かおう」

「…良かろう、日和見皇帝最後の覚悟、しかと見届けてやろう」


 そう言いながら長老はしっかりとした足取りでマグヌスの後に続いて元老院議場へ向かうのだった。




 帝都中央街区・元老院議場


 白亜の大理石で作られた優雅な議場は、今や全くその優雅さに似付かわしくない激しい論争の場と化していた。

 しかし、元々は議論を行う場として作られたのであるから、本来元老院議場というものはこうあるべきかもしれない。

 聞いている元老院議員がそう思ってしまうほど、議場は白熱していたのだ。

 口角から泡を飛ばしてがなり立てているのは、先程までバルコニーで物静かな様子を見せていたタルニウス卿である。


「……という理由から断固反対である!!次期皇帝陛下にはグラティウス大公殿下こそ相応しい!」

「まあ、そう激しく言いたてるものではない、恐れ多くも皇帝陛下の推された人事であるからな、それにまだ次期皇帝と言うことではなく、副皇帝に、と言うお話であろう?」

「副皇帝ともなれば次期皇帝と目されるのは当然ではないか!」


 窘める議長でもある長老の言葉に耳を傾ける様子もなく、タルニウス卿は叫ぶ。


「…口が過ぎるぞ、あくまで副皇帝にユリアヌス殿下を就任させるか否かという話だ」

「何を言うか!事はそれだけに留まらないではないか!」


 長老が禿げ上がった頭を光らせ、いささか怒気を含んで言うが怯まないタルニウス卿、遂に長老が発言を遮った。


「…取り敢えずタルニウス卿、貴殿の発言時間は終わったので着席せよ、他に意見のある者」

「議長」


 渋々座るタルニウス卿を尻目に、手を上げた執政官カッシウス。

 それを見た長老は、頷いて発言を許可した。


「私はユリアヌス殿下の副皇帝就任に賛成致します」

「貴様!」

「ふざけるな!たかだか官吏の分際で!」


 カッシウスが立ち上がって意見を一言述べると、貴族派貴族から次々とヤジが飛ぶ。

 しかしカッシウスは動揺すること無く静かに言葉を継いだ。


「現在東方では山賊や盗賊が横行し、民心が動揺しております。またセトリア内海で海賊が活動を活発化させており、帝都への物資が滞る事態にもなっています、ここは軍事権と専断権のある副皇帝陛下にユリアヌス殿下を任じ、事態の沈静化を図って頂くのが適当と思われます」


 発言を終えたカッシウスは直ぐさま自席へと座る。

 次いで発言許可を求めたのは、ルシーリウス卿であった。


「南方大陸での作戦を中止することは出来ないのですかな?」

「……現状では不可能ですな、既に軍はこの作戦に向けて大分動き出していますし、何よりスキピウス総司令官に中止の意思はありません」


 総司令官の代理として参加している第1軍団軍団長のロングスが答えると、カッシウスもそれを補足した。


「護衛艦隊の編制も終了し、消耗品や武具、食糧や飼料の準備も終わっております。後は搬送するだけですが…」

「そうですか…南方大陸での作戦を中止すれば、帝国本土の混乱に対処する兵力が捻出できると思ったのですが…軍部や帝国行政府はそうは考えていないのですかね?」

「………」

「………」


何を今更と言う思いを持ったロングスとカッシウスであったが、特に反論はしない。

 2人の沈黙でその意を知り、満足そうに微笑むルシーリウス卿は言葉を発した。


「私は南方作戦中止と、軍の呼び戻しによる対処を提案致します」


 確かに南方作戦を中止すれば海賊や盗賊には対処出来るだろうが、ロングスが言ったとおり軍権を掌握しているスキピウスにその意思はなく、一度動き出した計画を取りやめるのは手続きや実状の面で容易ではないし、たとえそれがなったとしても時間が掛かりすぎる。

 中止がほぼ不可能であり、また実効性に乏しいことはルシーリウスも十分承知しているが、これを敢えて口にするのは嫌がらせともう一つの目的がある。


「……それはつまり、ユリアヌス殿下の副皇帝就任には反対すると言うことで良いのか」

「そうは申しておりませんが…盗賊や海賊への対処という意味に置いて副皇帝を任じる必要があるというのであれば、そうです。軍による対処が可能であれば敢えて権力の強い副皇帝を任命することはありますまい」


 表だって皇帝の意に反する事は、他派に乗ぜられる恐れがあり得策では無いと判断したルシーリウス卿は、長老の問い掛けにおいてだけ、回りくどくそう答える。

 しばらく論争が続くものの、議論は出尽くした感が有り、長老が徐に立ち上がって口を開いた。


「では…採決をとる…」




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