第14章 都市飛躍 市民生活篇(その3)
シレンティウム南城門
楓と2名の陰者が城門付近にある兵士の詰め所で椅子に座って暇そうにしている。
今日楓がここに来ているのは、故郷の群島嶼から陰者達が到着するとの知らせが伝送石通信であったからで、城門には待合場所が無いので顔見知りの兵士にお願いして詰め所の端っこで待たせて貰うことにしたのだ。
イネオン河畔の戦いが始まる直前、群島嶼へ陰者の派遣を依頼する手紙を送っていた楓。
直ぐに情報収集のために北へ旅立ってしまったため、返答があったことを知ったのは随分後になってからであった。
その陰者達であるが、予定の時間である午前中を過ぎて随分時が経ったがまだ姿が見えない。
楓は青空市場で陰者が買ってきた、大麦粉にハチミツを練り込んだ焼き菓子を食べ、兵士達から水を貰って飲みつつ待っていたが、それでも時間を持て余していた。
帝国からの荷を運ぶ馬車や人、商人、帝国人の移住者、それにシレンティウムから帝国へ出て行く馬車や人が城門を盛んに通りはするが、目当ての人物らしき者は見当たらない。
「…まだかなあ…」
机に頬杖をついて手持ちぶさたに楓が言った時、陰者の1人が立ち上がり、楓に声を掛ける。
「姫様…」
「うん?…あ、来た?」
「はい……しかし、少し人数が多いような……」
「え?」
楓が椅子から立ち上がって、陰者達が見る方向に視線をやると、そこには明らかに300名以上の群島嶼人が居た。
全員地味な色の羽織袴に身を包み、黒色の帯を締め、短い刀を腰に差して編み笠を被っている。
またぱんぱんに膨らんだ旅帯(荷物入れ)をそれぞれが背負っている。
先頭を歩く中肉の男は楓も見知っている陰者の長。
長はその口元に皮肉げな笑みを浮かべて驚く楓達を見ていた。
その人相風体雰囲気の異様な集団が南城門へ近づいてくるにつれ、城門警備の兵士の動きが慌ただしくなる。
警備隊長が警戒命令を発したのだ。
「だ、大丈夫だよっ、あれボクの知り合いだから!」
慌てて近くの兵士にそう言って伝え、事なきを得た楓は連れてきた2人の陰者と共に城門の外へと飛び出した。
楓の姿を認めて立ち止まった陰者達が一斉に跪き、先頭の長が丁寧に挨拶をする。
「お久しぶりで御座います」
「ちょ、ちょっと、こっち来てっ」
慌てて陰者達を城門脇の広場へ誘導する楓。
ぞろぞろ歩く陰者達の異様な風体とその数の多さに、付近を行き来するシレンティウムの市民や商人達が立ち止まって見物する事態になってしまった。
「ど、ど、どうしたのさ、これは!?」
街道の交通を塞ぐほどではないものの、妨げてはいる陰者達が気になって仕方ない楓が思わずそう聞くと、長が心外だと言わんばかりの口調で答える。
「どうもこうもありませんぞ、秋瑠家の姫君が良い務め先を紹介してくださると言うのでこうして郷を上げて馳せ参じた次第」
「うえええっ?」
確かに長宛に伝送石通信を使って何人かの陰者を派遣してくれるように頼んでいたし、その給金はシレンティウムで持つことを記してはいた。
確かに派遣する人数は明示してはいなかったが、それでも10人か20人程度だろうと思っていた楓は素っ頓狂な声を上げる。
手紙を受け取った陰者の郷は、長が直々に300人以上の陰者達を率いてやって来てしまったのだ。
見れば赤ん坊を背負ったり、子供の手を繋いでいる者達も居る、正に郷を上げての移住なのだろう。
驚く楓を余所に、長が訥々と語り始めた。
「帝国の支配が行き届き始め……戦や小競り合いも無くなり、大氏同士の謀略戦や政争もすっかりなりを潜めてしまいましてな、我等としても働き所が無く、収入は途絶え、山深い地にある郷では農作業もままならずに難渋していた次第、いや、助かります」
「ぼ、ボク聞いてないよっ?こんな大勢来るなんてっ!」
「姫様の手紙には人数が記されては居りませんでしたしな、そこは“いっそ一思いに”というヤツです。最早我等路銀も使い果たしました次第で…ここで雇って頂かなくては進退もままなりません次第です」
楓の抗議も何のその、涼しい顔で答え、更には帰る術は無いと半ば脅かしてくる長に、楓は頭を抱えた。
「うう…ハル兄に何て説明しよう……」
「旅で見聞きするに帝国は政情が揺れておりますし、この地においても晴義様が辛うじて押さえては居られますが北の地もまだまだ不安定、このような時勢であれば我等はお役に立ちますぞ?」
「それはわかってるけどっ…」
陰者の雇用と招聘は楓に一任されているため、恐らくハルは怒ったりはしないだろうが、この300人は楓が面倒を見なくてはならないのである。
衣食住の手配に給金の査定、その他の手配りも楓持ちである。
「それはそうと長、これだけの大所帯でよく騒ぎにならずここまで…」
予想外の事態に頭を抱えて悶えている楓を余所に、楓付きの陰者がそう言うと長はにやりと口角を上げた。
「呆けたか?我等は陰者ぞ…道無き道をゆき、光無き夜を自在に歩く…全員が合流したのはつい先頃その先にある兵士詰所での事、それまでは皆バラバラにここを目指したのだ」
「…お見それしました」
陰者と長が会話していると、楓がついに叫び声を上げた。
「もーっいいやっ、考えてもしょうがナイっ!何とかなるっ!」
「……姫は変わっておらんな?」
「はあ」
長の言葉に苦笑を返す他無い陰者だった。
シレンティウム郊外、野戦訓練場
「違う!そうじゃない、槍は盾の隙間と上から平行にするんだ!」
クイントゥスの叱責する声が響く。
シレンティウム郊外に設けられた野戦訓練場で、北方軍団兵と補助軍槍兵がクイントゥスの指揮の下厳しい訓練を積んでいた。
初めての実戦とも言うべき北の戦いで蛮族相手には十分以上の成果を上げた北方軍団兵達であったが、騎兵に対する防御や攻撃方法に問題があることと、突発的な事態への対処がいささか遅いという弱点が見つかった。
騎兵に対する方法は、投射兵器の大量発射で対処するのが帝国風の戦法であるが、ハルは帝国本土と異なり自由自在に矢玉が補給出来るわけでは無い北方辺境においてそれだけでは不十分と考えたのである。
ハルは軍団の補助に槍装備の部隊を付け、また北方軍団兵に長槍の訓練を施すと共に、一部の北方軍団兵の装備を槍へと変えることにした。
これで無様に騎兵部隊にしてやられることは無くなるはずである。
加えて騎兵部隊の充実も図ることにした。
今まではクリフォナムの部族戦士達で馬に乗る事が得意な者達だけを軽装騎兵として雇っていたが、帝国風の重装騎兵を備えることにしたのである。
もちろん、基本となるのは北方軍団兵で、新設された騎兵隊の訓練はハルが専従して行っていた。
ハルはシレンティウムにおける軍団に新兵科を加えることにしたのである。
更に、ハルは今回の北方平定で同盟部族となったクリフォナム人の東部諸族に属するサウラ族から同盟部族騎兵を導入した。
クリフォナム人の戦士達は概ね歩兵戦士が基本で余り馬に乗るのは上手くない。
戦士の嗜みとして乗ることは出来るが、騎馬戦は森林地帯に暮すクリフォナム人にとって余りなじみの無いものであり、移動手段としては兎も角、騎馬戦士はあまりいない。
ただ、クリフォナム人でも森林地帯から草原地帯に変わる地域に住み暮す東部諸族だけは別で、隣接する遊牧騎馬民族であるフィン人との交流や戦争を経験し、その戦士達は騎馬戦闘を身に付けている。
フィン人の戦士は騎乗弓射を得意とする軽装騎馬戦士であるが、クリフォナム人は比較的重装備を身に付けた両手持ちの槍を装備した騎馬戦士が主体で、突破力に優れる。
ハルはこの騎馬戦士を得るべく、東部諸族へ同盟参加を呼びかけると共に自由戦士を積極的に雇用したのであった。
「突撃開始!」
ハルの号令で歓声と土煙を上げて槍を前に突き出し、苛烈に突撃する騎兵達。
東部諸族の戦士を主体とする重装騎兵と同盟部族騎兵の一斉突撃は相当な迫力と威力があり、訓練を担当したハルを最初から満足させるものであった。
帝国風の鉄製鎧兜を身に着けている所は共通であるが、同盟部族騎兵は両手持ちの槍を構え、一方のシレンティウムで編制された重装騎兵達は片手持ちの槍にクリフォナム伝来の丸い盾を持っている。
盾は北方軍団兵の持つ大楯と同じ、青色にシレンティウムの都市紋章が描かれたものである。
歩兵用の大楯では当然ながら騎乗での取り回しが不便であるので、当初は長方形の帝国製騎兵用盾を武具商人から取り寄せようとしたハル。
しかしながら、時間も費用もかかり過ぎるので頭を悩ましていた所、ベリウスの発案でクリフォナムの盾に彩色を施したものを使用することにしたのである。
ちなみに帝国で騎兵部隊は積極的に活用されておらず、騎兵装備も高価で品薄。
それ故に直ぐに揃えることが出来なかったのだ。
しかし怪我の功名とも言うべきか、そのお陰でベリウスの提案が通り、結果、騎兵達はより軽くて取り回しの良い、そして使い慣れた装備を手にすることが出来た。
数度の突撃で号令とのタイミングや各部隊との連携を確認しつつ、隊列の幅や斜線突撃や包囲攻撃について訓練する騎兵達。
「訓練終了!」
昼もずいぶんすぎた時間になり、訓練がようやく終了した。
ハルの号令でそれまで厳しい表情だった騎兵達の顔に笑顔が登る。
シレンティウム騎兵団の誕生は間もなくである。
シレンティウム行政庁舎、ハルの部屋
「あの…エル?」
「あん、動いてはダメです……」
「いや、その、ね?」
「……ダメです」
「はい…」
1日の仕事が終わり、自室へと引き上げてきたハルを待っていたのは、その帰りを一日千秋の思いで待ち続けていたエルレイシアであった。
入り口でさっそく捕まったハルは、抱きしめられ濃厚な口付けを授けられるとそのまま部屋のベランダに置いてある椅子へと連れ出される。
北の戦いから帰って以来、朝夕の祈りを除いて大神官のお勤めを休んでいることもあってエルレイシアはいつも部屋に居り、毎日ハルを待ち焦がれているのである。
普段は昼の軽食を摂ったり、休憩で喫茶するためにと用意された椅子とテーブルであるが、今は大きめの椅子に腰掛けたハルの上にエルレイシアが頭をその胸に載せて寄りかかっていた。
お腹の大きいエルレイシアに負担を掛けまいとすると、どうしても無理な体勢で椅子に座らざるを得ず、ハルが何とか体勢を楽にしようと身じろぎする度にエルレイシアが不満げに鼻を鳴らすのだった。
しばらくそうしていると、大通りの喧噪や街路樹の梢を揺らす風の音が僅かに聞こえ、渡ってきた風が2人を包んで天へと消える。
上水道はいつもと変わらず清浄な水の転がるような音を、2人の逢瀬を邪魔しないよう気遣うかのごとく小さく響かせていた。
遂に体勢のきつさに堪りかねてハルが少し切羽詰まった声を出す。
「エル、寝台の方が良いんじゃない?寝転がれば良いんだし……」
「ダメです」
「…どうして?」
その問いに顔をたちまち赤く染めるエルレイシアは、小さな声でハルの耳元に口を寄せて囁く。
「……だって…我慢出来なくなってしまいます…」
「……そうなんだ…」
首にかじりついたエルレイシアが顔を真っ赤にして俯き、一層強く腕に力を込めると、ハルもそれ以上言えずに手をエルレイシアの背中に添えた。
そしてその額に口付け、顔を上げたエルレイシアとキスを交わし、その耳元に囁き返した。
「…俺も我慢出来ないかなあ…」
「え…あっ?」
エルレイシアが驚く間もなくハルはその身体をふわりと抱き上げ、部屋へとエルレイシアを運びながら言った。
「でも、身体の方が大事だから、寝台でゆっくりしよう」
「……はい」
ハルの首に腕を巻き付けたままエルレイシアが言い、ハルは笑顔で部屋へと入り寝台へエルレイシアを横たえるのだった。