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第13章 北方平定 オランと東照の使者篇

 シレンティウム北城門前


街路や山々に生える木々の若葉も出そろい、水路を流れる清浄な水の冷たさも消える季節。

 シレンティウム郊外の農地は更に広がり、冬小麦の元気で真っ直ぐな葉が天を突き、牧草は可憐な花々を咲かせている。

 そんな季節のまっただ中、シレンティウムの北城門一帯は笑顔の市民で埋め尽くされていた。

 今日は北方遠征を終えたハルが帰還する日。

 3個軍団と部族戦士団を率いてハレミア人を破り、クリフォナムの北部諸族を平定した英雄の帰還する日である。

 事前に伝送石通信と早馬で伝えられた通り、今日、待ちに待った軍団と辺境護民官が帰ってくるのだ。


城門前にはシッティウスを筆頭とする主要官吏に、アルマール族長のアルキアンドら街区代表達、それに随分とお腹が目立つようになったエルレイシアとアルスハレアが居る。

 その横には、満足そうな笑みを浮かべるアルトリウスもいた。


『うむ、流石は我の見込んだ者である!見事クリフォナムの地を統べるとは、残すところあと僅かである!』

「……負担は増えてしまいましたが、これで良かったのかもしれません」


 シッティウスがいささか渋い顔で言うが、エルレイシアが笑顔で付け足す。


「ええ、これで北の動乱や混乱は収まることでしょう。今までと違って、人の交流がどんどん盛んになっていますから、シッティウスさんが心配する程負担にはならないのではないですか?」

「で、有れば良いのですがな。いずれにせよ今は大勝利と平定を喜ぶべきなのでしょうな…」


 シッティウスは渋い表情をいささか緩めて応じた。


「お、来たぞ!」


 ルキウスが指さす方向を見ると、ハルとアダマンティウス、ベリウスにクイントゥスを先頭にしてシレンティウムの軍団が現われる。

 そして、足音も高らかに北の台地の裾を回り込んで現われた軍団へ、市民の歓声が爆発した。

 



「お帰りなさい」


 軍団を城門前に止め、事務手続きについて話し合うアダマンティウスやシッティウスを余所に真っ先にエルレイシアの元へと駆け寄ったハル。


「た、ただいま……って、エル、そのお腹……」


 驚きつつも喜びを隠しきれないハルの妙な顔に、エルレイシアとアルスハレアが思わず笑い声を上げた。

 エルレイシアは笑いすぎて目尻に涙すら浮かべている。


「ハルが北へ行く前に、実は……どうしようか迷ったのですけれども、気持ちを鈍らせてはいけないと思って……でも、本当に無事で良かった……!」


 そう言ったエルレイシアの涙の質が変わる。


「…心配かけた、ありがとう、もう大丈夫だ」


 お腹を気にしつつゆっくり、そしてしっかりエルレイシアを抱きしめるハル。

 そして抱き合う2人を温かい目で見るアルトリウスとアルスハレア。


「兵士達!辺境護民官殿の奥方がご懐妊!喜べ!讃えよ!」


 アダマンティウスが剣を抜いて叫ぶと、北方軍団兵達も剣を抜き放ち、その剣と盾を一斉に打ち鳴らして歓声を上げた。

 その声に応えるハルとエルレイシアの姿を見たシレンティウムの市民も再び歓声を上げる。


 2度目の歓声が北の城門に轟き、シレンティウムは2重の喜びに沸き上がることとなったのだった。





 シレンティウム市、行政庁舎、執務室


「夫婦水入らずの所を申し訳ありませんが、そちらは夜にでも存分にして頂くとして…早急にカタを付けなければいけない問題が3つばかりありまして、まずは2つ」


 久しぶりに聞くシッティウスの仕事優先を強調した言葉に懐かしさを覚え、苦笑するハルであったが、これもいつものことと軍装のまま促されて執務室へと入る。

 そこには、対照的な2組の使者が既に着席しており、シッティウスが紹介を始めるより先にその使者達が動いた。


「おう、あんたが辺境護民官にしてフリード王の秋留晴義殿か!ますは戦勝お見事!わしは東照帝国西方府都督の黎盛行じゃ、お見知りおき下されい!」

「オランの都、トロニアから参った…オランの民はアレオニー族の族長、クリッスウラウィヌスと申す…この度の大勝利にはオランの民を代表して祝辞を贈ります」


 陽気な声で派手な身振りを交えつつ近寄る黎盛行に対して、物静かな様子で話すのは、オラン人の代表者としてシレンティウムを訪れているクリッスウラウィヌス。

 2人の用件はそれぞれ違うが、シレンティウムの力を当て込んで誼を通じに来たという点では一致している。


ハルは既に東方郵便協会の設置要望について伝送石通信で了承する旨を伝えており、西方郵便協会とは道路を挟んだ反対側への設置が既に済んでいる。

 黎盛行の訪問目的についてもその際報告を受けているハル。

 ハルは2人に着席を促すと自分もシッティウスと並んで席へ着く。


「それで、黎都督、東照はシレンティウムに何をもたらし、シレンティウムに何を求めますか?」

「おう余談無しか、まあ、若さ故じゃな、善き哉善き哉…しかしそうじゃな、東照といおうか、わしとしては交易協定とシルーハに対する共同戦線と言ったところかの」


 ハルの直言に、黎盛行は好ましいものを見る目でその目を見つめて口を開いた。


「対シルーハ?東照はシルーハと事を構えるのですか?」

「違う違う、国境紛争は常にあるが、そんなつもりは毛頭無いわい。事を構えたいのはむしろシルーハの方じゃろう」


驚いて問い返すハルに、黎盛行は苦笑しつつ手を目の前でひらひらと振りながらその勘違いを否定した。

 そして、椅子に座り直すと言葉を継ぐ。


「最近東照の物品がシレンティウム経由で帝国に流れ始めたんでな、シルーハの商人連中は利が貪れんでピリピリしとる、交易路を押さえようと考えるやもしれんのでな」

「……それは帝国の東部諸州や我々に対する攻撃があるかもしれないと言うことですか?でもそれでは東照には関係ないのでは?」


 眉を顰めるハルに、黎盛行は大げさに天を仰いで言葉を発した。


「何を言う!おおありじゃい!帝国に売るわしらの商品は、知っての通り陶器、磁器、絹、茶に高級紙など嗜好品が多い、それ故に平和でないと売れんのじゃ。戦争になったら嗜好品など買う奴は居らんようになってしまう……まあ、その嗜好品の流通を巡っての戦争に原因があるわけじゃが…世の理とはおかしなもんでな、往々にしてそう言うことが起こる。まあ、その辺シルーハの連中も分別あるとは思うが、このままの状態ではあやつらもじり貧じゃ、戦争に勝てば交易路を確保出来てその後の流通を押さえられるから、賭に出ようとする奴は居るかもしれんわ」

「なるほど……しかし、官位は帝国官吏である以上頂くわけには参りません」

「おう、またもやいきなりそこへ来るか、しかし、貰うといて損は無いぞ?」

「それでは東照の官吏として働くことになります」


 猫なで声を出して懐柔にかかった黎盛行の言葉をにべもなく拒むハルに、黎盛行は笑みを消し、真面目な声色で語りかける。


「貰ったところで構わんのじゃないか?フリードの王位も兼ねているのじゃ、東照の官位を兼ねた所で問題は無いはずじゃ」

「残念ながらその手には乗りません、王位であれば最上位ですからね、命令する者はいませんが、官位には上級者が必ずいます。もし、私が東照の官位を授与されて、皇帝の命令を出されでもしたら抗えませんし、命令を拒否して不服従を理由に討伐軍を差し向けられても困りますのでね」


 ハルの言葉に、満足そうな笑みを浮かべてシッティウスが頷く。

 ちらりとその様子を見て悔しそうな顔をした黎盛行であったが、直ぐさま元の剽軽さを取り戻して言葉を続けた。


「…むう、なかなかよう考えとる、しかし、余り言いたくは無いが、東照にこのような西方にまで遠征してくる力は無いぞ?東照も本国では忙しい」


 黎盛行の言うとおり、東照帝国は本国で勃発した反乱に手を焼いており、更には南では新興国の攻勢に遭い、その対応に苦慮している。

 大国である為その体力は帝国やシルーハと比べて桁違いである為、未だ西方府にはその影響が表われてはいないものの、以前のように西方へ自由自在に兵を出すことは少なくなった。

 かつて帝国と大陸の覇を競った東照も、老いた大国となっているのである。

 しかし、老いたとは言え大国は大国、油断は出来ない。

 ハルも顔を引き締めて黎盛行へ言った。


「今は無いかもしれませんが今後は分かりません、それに、東方で革命があった場合は後継国家から残党として狙われることにもなりかねません」

「……全く、交渉相手の国が滅びるなどと、言い難いことをずばずばとよく言う、しかしその懸念は至極尤も、参った参った」

「アキルシウス殿は日々成長しておられますので」


 黎盛行が苦笑いと共に吐いた言葉に対し、シッティウスがうっすらと笑みを浮かべて応じる。

 黎盛行はどっかりと椅子に深く腰かけ直すと、両手を広げた。


「むう、敵はシッティウス殿、あんただけと思うておったんだが、これは介大成の見込み違いじゃな。全く目当てが外れたわ」


 あからさまにがっかりした様子でため息を吐く黎盛行の姿を苦笑しつつ見ていたハルが徐に口を開く。


「官位はお断りしますが、その他については交渉の余地があると思います」

「……と言うと?」


 再び身を乗り出す黎盛行に、ハルが静かに言った。


「シルーハに対する共同戦線は傾聴に値すると思いますが……如何ですか?」

「ほう……では、軍事協力については交渉の余地有り、と?」

「はい、我々の不満分子がシルーハへ逃げてもいますので、お互いの協力は意味あるものと考えます」


 再び椅子に身を沈め、ハルの言葉を思案していた黎盛行はにかっと笑みを浮かべ、自分の膝をぽんと打って言う。


「……よっしゃっ!乗ったっ。今帝国と東照は準同盟国じゃから、形は地方機関同士の国外協力協定と致そう、本国へそれぞれ承認を求めることとして、承認が得られ次第締結じゃ!……後は交易協定じゃな、これはどうするかの?」

「こちらからは麦、肉類、乳製品、野菜類などの食料品が相当量お売り出来ます」

「むう、畜産品は兎も角として穀物や野菜は是非欲しいのう……こちらは、さっき言った絹布、陶器、磁器、茶葉などの嗜好品じゃな……それから、街道整備はそちらでやってくれ、ウチよりそっちの方が街道普請の技術は優れておる。代わりにこっちで出来ることは何か無いか?」


 黎盛行の提案にしばらく顎に手を当てて思案した後、ハルが答える。


「港湾技術者や川船大工、川船の船乗りを派遣して戴けませんか?」

「……港湾技術者と川船とな?」


不思議そうに尋ねる黎盛行へ、ハルが言葉を継ぐ。


「……実は新しく河川航路を開こうと思っているのですが、帝国では河川航路が余り発達していません。しかしそちらは本国で河川航路は盛んですよね?」

「ほう……いかにも、我が国では河川航路は非常に発達しておる」


東照本国の情報をハルが知っていたことに驚きつつも黎盛行はこの提案に魅力を感じた。

 東照本国では幾つもの大規模河川が平野を形成し、水稲の栽培が非常に盛んである一方、その豊富な水を湛えた河川や湖沼が陸上輸送を妨げている。

 しかし東方人達はその河川や湖沼を障害物とは考えず、むしろ船舶交通の為の貴重で重要な水路として古来より利用してきた。

 そうして発達してきた東照の河川交通は、運河や河川における港湾整備技術や河川用船舶造船技術、操船術においても帝国より一日の長がある。

 ハルは東照に対して街道整備の見返りとしてその船舶技術の提供を要請したのだ。


「よっしゃ分かった、早速手配しよう」

「宜しくお願いします」


 黎盛行は満面の笑みでそう返答して立ち上がると、同じく笑顔で立ち上がったハルとガッチリ帝国風の握手を交わした。




 官位を記した竹簡と官服の入った行李を持って黎盛行が執務室から去ると、のっそりと長身のオラン人が立ち上がってハルの元へとやって来た。


「……あちらの御仁とは話が済んだようだな…では、こちらの話を聞いて貰いたい」


 低い声でそう言うとそのオラン人、クリッスウラウィヌスはハルの正面へと移動して腰掛けた。

 それを待ってハルが質問を発した。


「それで、お話というのは何でしょうか?」

「我等オラン人の総意が決まったので伝えに来た、シレンティウム同盟に参加したい…ランデルエスから辺境護民官は拒まないと聞いた、本当に我々を受け入れてくれるか?」


 クリッスウラウィヌスの訪問目的は薄々分かってはいたが、改めてそう明言されると、重い荷物を背負わされたような感覚を覚えるハルであったが、以前シッティウスから提供された資料の中身を思い出しながら答える。


「……正式な同盟としての参加はまだ無理ですが、参加自体はして貰って構いませんよ」

「そうか……分かった、そちらの事情もあるだろう、では、我等の王位を授けるので受けて貰いたい……」

「え?王位?」


 驚くハルを余所に、クリッスウラウィヌスはよどみなく言葉を次いだ。


「そうだ、さっきの官位は断っていたようだが、こちらのはオランの王位だ。王より上の者はいない、誰かに命令されることは無い」

「………しかし」

「聞けば、フリードの王位を継承したそうでは無いか、オランの王位はクリフォナムの1部族の王位よりは重いと思うが……受けて貰いたい」


 ハルはうなり声を上げて腕を組む。

 幾ら名のみのシレンティウム同盟参加をさせたとしても、王位を受け、オランの王として立つならば、王としてオランの族民達に対する安全保障や生活保護の責任が発生してしまう。

 同時に徴税の権利や戦士招集の権利、非常時における徴発の権利が付与されるとはいえ、今のシレンティウムには背負い切れない負担となる恐れが多分にあった。

 逡巡するハルを見守るシッティウス。

 しかし、その顔には何の表情も浮かんではおらず、静かにハルの決断を待っていた。

 その様子を知ってか知らずか、クリッスウラウィヌスは再び口を開いた。


「王位を受けてくれるのであれば、オランの都トロニアの支配権を授与する事になっている、どうか受けて貰いたい」


 トロニアはオラン王に選出された者が支配権を持つオラン屈指の街であり、その大きさは他に追随を許さない程で、人口は約10万人。

 普段は近隣の大族であるアレオニー族が王の不在中街の行政を司っているものの、徴税は王以外に出来ないことになっており、ここ数十年は王不在のオラン人達にとって一種の無税地帯として発展していた。

 その街の支配権を謂わば外国人であるハルに王位と共に託すというのである。

 オラン人の覚悟が痛い程に伝わってくるその申し出に、遂にハルは決断した。


「……分かりました、申し出お受けします、但し、今すぐではありません」

「そうか、では何時受けてくれる?」

「この秋過ぎには、一度トロニアを訪れます」

「では、その際トロニアで王位継承の儀式を行いたいがそれで良いか?」


 クリッスウラウィヌスの僅かに紅潮した顔をしっかりと見返し、ハルはゆっくり口を開いた。


「分かりました、ただ、シレンティウム同盟へオランの全部族が準同盟者という形で参加したと言うことは、内外に直ぐ宣言します。これで少なくとも帝国とクリフォナムからの圧力は無くなり、部族間抗争も一旦中止となるはずです」

「有り難い……これでオランの民にも未来が見えた、辺境護民官、英断感謝する」


 ようやくほっとした表情で謝辞を述べるクリッスウラウィヌスへハルは頷くと共に、渋い顔をしたままこちらを見つめるシッティウスに決意の籠った眼差しを向ける。


「シッティウスさん、宣言の文章起草と帝国の関係機関への通知をお願い出来ますか?」

「承知しました、では直ぐに文章を起こしますかな」


 すらりと席から立ち上がったシッティウスは、早速自席へと向かい、東照紙へ文書を書き付け始める。

 ハルはその様子を横目に見ながら再び言葉を発した。


「オランの皆さんに宜しくとお伝え下さい」

「承知、オランの民は王のご帰還を心よりお待ち致しますことでしょう」


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