第13章 北方平定 平定成立篇
フリンク族の城邑・ハランド、族長館
まだ寒さの残るハランドは、南からやって来た精強な軍を迎え、静まりかえった。
第21軍団を率いてハランド郊外へと進駐したハルは包囲こそしなかったものの、兵営を築いて正門前の街道を封鎖し、無言の圧力を加えた。
3日程経ってようやく新族長であるヴィンフリンドからの使者がやって来て、街道封鎖の解除と降伏交渉をしたいという内容の口上を述べる。
ハルはこれに応じることとし、レイルケン十人隊の北方軍団兵10名を護衛として引き連れ、フリンク族の族長館へと入ったのだった。
正面には新たにフリンク族長へ就任したヴィンフリンドが座り、その左右には主立ったフリンク族の戦士長達が居る。
ハルはいずれも背の高いレイルケン達を少し下がらせ、族長席に座るヴィンフリンドへと近づいた。
「辺境護民官ハル・アキルシウスです」
「族長のヴィンフリンドだ……今回の敵対行為についてはフリンク族の総意ではない」
「……それはどういう意味ですか?」
訝るハルを余所に、ヴィンフリンドは顔を歪める。
「言葉の通りだ、我々はシレンティウムに反抗する意思は持たない」
「意思がないのに反抗したとでも言うんですか?それはおかしい。使者が既にあなた方の宣戦布告ともとれる前族長の言葉を持ち帰っている。前族長を出して頂きたい」
厳しく追及するハルに、ヴィンフリンドは一旦唇をかみしめ、それから絞り出すように言葉を発した。
「……親父は……死んだ」
「え?」
「……シレンティウムに抗う意思は無い事を示す為に、敵対行動をとった父である族長を討った。ダンフォードの弟と妹も、抵抗したので殺した」
「………」
衝撃で絶句するハルの顔を不満の意思表示と感じたヴィンフリンドが言葉を足す。
「…足らないのか?ではこれも引き渡す」
ヴィンフリンドが配下の戦士長に持って来させたのは、アルスハレアが奪われていた大神官杖であった。
「これはなんですか?」
一見すると古くさい大きな杖でしかないそれを手渡されて戸惑うハルに、ヴィンフリンドが口角を歪めて言う。
「……大神官杖だ、あんたの嫁が必要としているだろ?」
「ああ、これが……なるほど」
ハルの思いの外薄い反応に、表情は変えずに焦るヴィンフリンド。
これはまずい。
冷や汗を額ににじませたヴィンフリンドの内心を知るや知らずや、ハルは徐に口を開いた。
「私たちが求めるのは、セデニア族とポッシア族に対する謝罪と賠償です」
「なに?」
思いがけない要求に、間抜けな顔で聞き返すヴィンフリンドへ、ハルが言葉を継いだ。
ヴィンフリンドとしては、てっきりもっと苛烈な要求をされると思っていたのである。
「言うまでもないことですが、そちらが協力してダンフォード王子がハレミア人を引き込んだことは分かっています。その野人共の被害に遭ったセデニア族とポッシア族に対する謝罪と復興支援……具体的には食糧、衣服、家畜、生活用品、労働力の提供を命じます」
「……命じる?我々は……」
まだ我々は降伏したわけではない。
命じるという言葉に反発を覚えて言い返そうとしたヴィンフリンドであったが、続いて発せられたハルの言葉に絶句する。
「では、滅びますか?」
「………」
ハランドを半ば包囲している北方軍団兵の威容を思い出し、再び額に汗をにじませるヴィンフリンドを余所に、ハルはそれまでとは異なり、強く怒りの籠った口調で言った。
「我々を滅ぼそうとする者に手を貸し、兵を与え、あまつさえ同族であるはずの2部族を破滅の縁に追いやっておきながら、この程度の懲罰で済ますといっているんですよ?これを受けられないというのであれば我々はあなた方の降伏に意義を見いだせません」
「しかし、我々がやったわけでは…」
このように甘い辺境護民官であれば、交渉次第で負担を減らせるかもしれないと高を括ったヴィンフリンドは、責任回避を試みる。
自分達の仕業で無い事を主張すれば、みだりに要求をしては来ないだろう。
それに、実際問題として武勇や勇気についてはともかく、経済的なことで言えばフリンク族は貧しい。
痩せた土地に粗放的な農業、収穫出来る小麦の質も良くはない。
自分達が食ってゆくだけで精一杯であるのに、壊滅しかけた2部族への援助など思いもよらないことである。
何とか負担を回避しようと言い訳を試みるヴィンフリンドであったが、ハルは容赦なく言い放った。
「反論の余地はありませんね、受けるか、それとも滅ぶか、何れかを選んで貰います」
ぎっと鋭く睨み付けられ、ヴィンフリンドは渋々要求に応じることとした。
「………分かった」
「具体的な内容については追って通達します、それまでに財貨や提供物資を揃えておいて下さい」
そう言い置いて立ち去ろうとしたハルに、ヴィンフリンドが声を掛けた。
「待ってくれ、俺たちを…フリンク族をどう処遇するつもりだ?」
「それも追って通知しますが、きっちりとした対応をするのであれば滅ぼすことはしません、シレンティウム同盟に参加をしますか?」
唇をかみしめるヴィンフリンドだが、ここは耐えねばならないと思い直す。
でなければ父親と従弟達を討ってまでシレンティウムに媚びを売った意味がなくなる。
「……元よりそのつもりだ……」
ハルの言葉に不承不承答えるヴィンフリンドだった。
極北地域、ハレミア人の大集落
イネオン河畔で完膚無きまでに叩きのめされ、僅か数人だけが逃げられたバガンの一族が、更に奥地にある別の集落までたどり着いた。
火炎放射で焼けただれた背を庇いつつ、仲間と一緒に逃げのびた者。
北方軍団兵の手投げ矢で片眼を潰された者。
鋭い斬撃を受けて大怪我を負った者。
手足を焼き溶かされた者。
全くもって酷い有様の集団がよろよろと覚束ない足取りで現われたのを、集落の者達は悪鬼を見るような恐怖を持って迎えた。
恐怖は逃げ帰ったバガンの一族の悲惨な姿形自体に対するものから、元はと言えば自分と同じ人であった者達をその怖ろしげな姿へと変えてしまった、辺境護民官とシレンティウムという新たな勢力へと向けられる。
彼のアルフォード王の後継者を名乗ったそのアキルシウスという黒目黒髪の小さな者は、竜を操り火を吐かせ、クリフォナムの戦士達を鋼で覆い岩のような硬さと為し、南の小柄で決して挫けない戦士を引き連れ、火炎の塊を降らせ、烏の魂を込めて遙か遠くまで狙い過たず矢を射こむ。
シレンティウムの噂はハレミアでも有数の勢力を誇ったバガンの一族40万が全滅した事実と合わせて、瞬く間に極北地域に広まっていった。
アルフォードも怖ろしかったが、あくまでそれは人としての恐ろしさ。
抗う術はあるし、逃げることも可能だった。
それに、異民族とは言え人である以上、慈悲というものもある。
アルフォードは執拗に毎年ハレミア人を攻撃したが、それでも全滅させるようなことはなく、逃げる者は追わなかったのだ。
しかし、その後継者の残酷さは想像を絶している。
射殺され、焼き殺され、斬り殺され、突き殺され、最後は溺れ死にさせられて一族は壊滅したのである。
そこに慈悲の心はなく、ハレミア人は戦争の手段と相まってハルの示した自分達に対する姿勢に戦慄した。
戦慄は伝染し、クリフォナムに近い土地から更に北へと逃げる者や部族が現れ始め、避難した先に住む同じハレミア人との間で抗争が勃発する。
それは一所に限らず、極北地域のあちこちで多発する事態に発展し、生来の乱暴さと身勝手さがその事態に輪を掛けて混乱を招き、たちまち極北地域は乱れに乱れた。
にわかに戦国時代へと突入してしまったハレミア人達。
本来の目的や理由を忘れて戦いに明け暮れることとなり、その力を落としていったのである。
フリンク族降伏から3週間後、フレーディア城
宮宰執務室に置かれた大机に、北方平定事業を進めてきた面々が勢揃いした。
辺境護民官である、ハルを筆頭に、アダマンティウス、ベリウス、ベルガン、クイントゥス、タルペイウスが上席に腰掛け、それと対面するようにクリフォナムの北部諸族の主立った者達が着席している。
その顔ぶれは
フリンク族族長 ヴィンフリンド
フレイド族族長 ルドウス
サルフ族族長 レーデンス
サウラ族族長 バルシーグ
セデニア族族長代理 ディートリンテ
ポッシア族族長代理 トルデリーテ
カドニア族族長 モールド
ロールフルト族族長 ヒエタガンナス
クオフルト族族長 ジェバリエン
スフェルト族族長 ヤルヴィフト
の10名で、小部族や支族を含めてはいないが、北部諸族の内でも最有力となる部族の代表者達である。
サルフ族は内紛の結果、第23軍団とベルガンによる軍事的な後押しを受けた前々族長の一派であるレーデンスが族長に就任した。
フリンク族の族長代行となったヴィンフリンドは父親であるグランドルを排し、従弟にあたるデルンフォード、シャルローテの首と共に大神官杖をハルへ差し出し降伏した。
ポッシア族とセデニア族は戦死した族長の娘達がそれぞれ族長代理を務める事となり、シレンティウムの傘下に入り、その後援を受けて再建が進んでいる。
ハレミア人との一戦の結果が広まるにつれ、シレンティウム同盟に対するクリフォナムの族民達の評価も変わり、それまで呼びかけを黙殺していたフレイド族、サウラ族、カドニア族、ロールフルト族、クオフルト族、スフェルト族も同盟への参加を相次いで表明したのだ。
そしてこの度フリンク族が降伏したことで、北部諸族はほぼ全てがシレンティウム同盟への参加を決めたことになる。
今日はシレンティウム同盟への参加条件やその項目内容を確認させると共に、参加条件を申し渡すことになっているのだ。
ハルがシレンティウム同盟の要綱を読み上げると、あちこちから驚きの声が上がった。
「……本当にその様な条件で良いのかの?余りにも我等に都合が良すぎる条件なのじゃが……」
シレンティウム同盟の概況を説明された族長達を代表して、最年長であるロールフルト族の族長、ヒエタガンナスがそう言いながら首を捻った。
半信半疑といったところであろうか。
以前からハルの寛大な施政は各地に届いている。
北部諸族もシレンティウム同盟への参加こそ見送ったものの、その動向には以前より注目していたし、族民達が商売や出稼ぎに出ることで情報を自然と持ち帰ってくることもあって、その内容が真実である事も確認が取れてはいた。
しかし、改めて直接では無いにせよ一度は敵対した、あるいは疎遠であったはずの自分達にさえその寛大さを示され、戸惑いを隠しきれなかったのである。
「もちろん、後発の同盟者となる皆さんは、第1同盟者である部族より待遇は若干よくありません、しかしながら、基本的な条件で差別することはしないつもりです」
ハルの言葉に、再び唸る族長達。
そして一番驚いているのはヴィンフリンドであった。
課されたのは結局ポッシアとセデニアに対する復興支援だけである。
「親父は本当に時勢を見誤っていたのだな……」
ぽつりと漏らし、天を仰ぐヴィンフリンドの目には光るものがあった。
基本的な自治は保障され、文化的な支援策が用意されているシレンティウム同盟。
規模はさておき、ほんの少し前まで自分達の住み暮す村邑と建築物や街区に大差なかったフレーディアの変貌振りを目の当たりにした族長達は、シレンティウムの持つ文明力に圧倒されていたこともあって、次第に会議はハル主導へと進んでいった。
ましてやフレーディアへ来る途中、コロニア・ポンティスの大架橋を目にしてもいる。
「ハレミア人の脅威は当面去ったことですし、これからは文化振興や経済支援に傾注出来ると思います」
ハルの発したこの言葉に、まずロールフルト族長のヒエタガンナスが首肯しつつ応える。
「うむ、シレンティウム軍の義侠心はしかと確かめておる、我が部族はシレンティウム同盟への参加を正式に申し込むとしよう」
この発言を皮切りに次々と参加を申し込む族長達。
見目麗しきポッシアとセデニアの族長代理達は既に参加表明しており、これでクリフォナムの主要部族は全てシレンティウム同盟に参加する事となった。
これで東方の数部族を除いたクリフォナムの大半がハルの傘下に入ったのである。
一方フリード族の反シレンティウム派貴族達は、ハルによる思いの外厳しい処置に参っていた。
当初は降伏すれば許されると考えていた貴族達は、ハルを侮り勢力圏の維持を条件とした降伏交渉をしようとしたがハルはそれを一切認めず、反シレンティウム派であったフリード貴族は全員フレーディアへ移住させることとし、その影響力を領地と族民から切り離した。
そして当代の者を全て隠居させ、ダンフォードによって殺し尽くされてしまった宮廷官の代りとして貴族の子弟や次代の者を使う事にしたのだ。
そしてベルガンやシレンティウム派の貴族がこれを統括することとなるため、反シレンティウム派の貴族達は宮廷官として一族を出仕させることで辛うじて命脈を保つ事態になったのである。
すいませんが、修正と感想に対する返事はまた今度させて頂きます。
今は睡眠が……