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第12章 シレンティウムの一年 冬・北の戦い(その9)

 2日後、シレンティウム軍兵営


 戦場となったイネオン河畔に橋を架ける作業が終了したシレンティウム軍は、戦場での使用兵器回収作業を継続して行い、何とか1回戦分の矢玉を補充することが出来た。

 但し、鏃は研ぎ直す必要があり、手投げ矢は加えて錘がずれていたり外れていたりする場合も多く、また火炎放射器の使用によって焼けて使えない物も多い。

 取り敢えず鏃や錘などの金属部分は溶解していても再利用が可能なので回収作業を続けてはいるが、効率は良いとは言えなかった。

 それでも、武器防具の手入れや兵士の休息も順番に実施が終わり、シレンティウム軍の準備は着々整いつつある。


 そんな中ハルはアダマンティウスやベルガンを伴ってイネオン川とエレール川の合流地点を視察して回っていた。


「エレール川からオラニア海への航路を開ければ便利になりますね」

「確かに、ここからであれば難所もなく、オラニア海へは出られます」


 大河の水面を見ながら、ハルが言うとベルガンがそれに応じた。


「しかし、両岸の部族…左岸はオラン人、右岸はクリフォナム人でしょうが、承諾か平定が必要ですか」


 アダマンティウスが言う。

 確かに大小複数の部族がひしめくエレール河畔は河川漁業や河川交通として着目された事もあるが、大規模輸送を必要とする勢力が育っていない北方辺境ではそれ程強い必要性や要求もなく、また勢力圏の複雑な絡み具合から船舶交通は成立したことがない。

 安全とは言えない交通手段を敢えてとる必要も無く、エレール川はただの境界線として悠久の時をただあり続けたのであった。


「…まあ、今はそんなことをいっている暇はありませんが……」


 ハルが残念そうにため息をついた。

 ハルはハレミア人を破った後北方軍団兵を率いて極北地域まで遠征し、近隣のハレミア人を叩きのめした後にフレーディア近郊で冬営を行う事を計画していた。

 フレーディアの都市改良事業を軍団兵の補助で実施すると共に、難民の処遇を決めるつもりだったのだ。

 基本的にはそれぞれの土地へ帰す予定ではあるが、帰郷の意思を持たない者についてはフレーディアかシレンティウムへ移住を勧めようと思っていたハル。

 しかし、イネオン河畔を見て、考えを改めた。

 ここであれば河川を使用した防御も容易であるし、交易拠点としての将来性もある。

 また、避難民の故郷からそう離れてもおらず、なじみもあるだろう。


「全てはフレーディアを奪還してからの事ですね」


 ぽつりと漏らしたハルは、2人の返事を待たずに踵を返した。

 明後日にはフレーディアへ向けて出発することになっている。

 強く冷たい風がハルのマントを巻き上げて南へと去っていった。

 

 


 同日、フレーディア近郊、避難民の集落


「…結構フレーディア市民の不満は溜まってるって事?」

「はい、強圧的な方針を打ち出し、帝国寄りの施策をことごとく否定致しております。薬事院を破壊されたことで罹患者や傷病者が不満をため、施策に迎合的だったと商人や有力者が次々と監禁され、学習所が閉鎖されたことで子供にまで怨嗟の声が及んでおります。」


 楓の質問に陰者の1人が答える。

 ハルからフレーディアの偵察を頼まれた楓達は、自分達の風貌が北方辺境では目立つことを考慮して完全な隠密行動での情報収集を心掛けることにした。

 人と会わず、人に見つからず、情報は専ら陰からの盗み聞きに依ったのである。


 夜の城壁を突破し、出来たばかりの下水道を通り、あるいは運ばれる荷に紛れてフレーディアへ潜入した楓達は、一両日飲まず食わずでひたすら情報を集めた。

 そして夜、一旦城外へ出た楓達は避難民集落で落ち合ったのである。

 避難民達はハレミア人と行動を共にしていたフリード王子の顔を見知っており、楓達が依頼するまでもなく積極的にフレーディアの情報を提供してくれたのである。

 フレーディアから行われていた避難民の支援がダンフォードの入城と共に打ち切られたのは言うまでも無いが、加えてシレンティウムから提供された物資もダンフォードは戦時徴発と称して取り上げてしまったのである。


「街の帝国人はどうかな?無事?」

「今のところは…地下牢に押し込められておりますが、いずれ折りを見て全員殺す腹積もりではないかと…」

「……どうしようか?」

「ダンフォード派はまだ晴義様が蛮族に圧勝したことを知らない様子です。恐らく大軍を率いてきた晴義様を見て腰を抜かすのが関の山かと思いますが」


 陰者の1人が言うと、周囲にさざ波のような笑いの雰囲気が広がる。

 ダンフォードの稚拙振りは街の評判を聞くまでも無く、あちこちで行われている子供じみた帝国排除の動きで十分以上に分かった。


「……でも、なんかひっかかるんだよ。あんな間抜けの割に作戦自体は怖ろしく時機に嵌まっているからさ。博打みたいな作戦だけども、勝率の高い博打だよ?」


 しかし、楓は納得がいかないのか陰者達の嘲笑にも似た笑みがダンフォードへ向けられているにも関わらず、そう言って腕を組んだ。

 鮮やかとも言うべき、作戦。

 巧みに人の心理の裏を掻き、油断を誘い、一気に事を進めてしまったダンフォード。

 今までの彼の児戯にも等しい行動や作戦、謀略を知れば知る程、今のダンフォードの行動は優秀すぎて不可解である。

 ましてや今フレーディアで進めている政策を見れば、その本質が何ら変わっていないことは十分推察出来た。


「…確かに、誰ぞ有能な参謀でも就いたのかもしれませんな……」


 別の陰者が思案した後にそうつぶやくようにい言うと、楓は意を決した。


「…よし、ボクが直接王城へ忍び込んでみるよ!」


 これは、何がどうなっているのかその原因を突き止めなければいけない。

 陰者が言うとおり、参謀が就いたというのであれば、その参謀の能力や人となりを見極めておきたかった。


「…お供仕ります」

「私も……」


 陰者の中でもとびきりの手練れ2人が楓へ同行を申し出る。


「うん、よろしくね!」




 フレーディア城、王の間


 楓と2人の陰者はタルペイウスが敷設した下水道を通ってフレーディア城下町へ入り込むと、そのまま夜陰に紛れて本城へと向かった。

 フリードの戦士達は有能ではあるが、フリード族そのものが陰働きや間諜に重きを置いていないこともあって、間諜に忍び込まれるということについて警戒をしている様子は見受けられない。

 どちらかというと市民、今は族民であるが、フレーディアの城下町に住む住人達の蜂起や動静を警戒しての警備が行われていた。

 その為、楓達は誰何を受けることも無く、フレーディア城へと入り込むことが出来た。


 フレーディア城は閑散としていた。

 宮廷官や下働きをしていた者達が殺されてしまい、辛うじて逃げ出せた者も戻ってはいない。

 その後、ダンフォードは城で働く者を雇っていないので、人気が殆ど無いのである。

人の居ない空き部屋やバルコニーを伝い、王の間へと近づく楓達。

 途中、高位者の者と思われる部屋もあったが、しばらく様子をうかがっていたところ、フリードの戦士長とフリンクの戦士長が戻ってきた。

 他の戦士達は全員が兵舎で寝泊まりをしており、参謀の地位にいるような者は見当たらなかったのである。

 楓はダンフォードの様子を探れば、参謀の有無について分かるかもしれないと考え、王の間へと向かった。

 王の間の裏側、普段は護衛戦士が詰めている場所が空いているのを確認し、楓達はその場所から王の間の各所へと潜んだ。

 しばらくすると、扉が開く音がし、若い男、ダンフォードが少し甲高い声で話しながら王の間へと入ってきた。

 話し声は途切れずに聞こえてくる。

 楓が見ると、驚くべき事にダンフォードは護衛戦士も付けず1人で、黒い箱を手にしていた。


「……ではどうすれば良い?」

『簡単なことだ、帝国の重装歩兵は機動力に欠ける、歩兵と騎兵を引きはがし、遠射で追い込めば良いのである。フィン人の軽装騎兵やシルーハの軽弓騎兵に対して帝国兵は為す術がない。また重装騎兵の突撃にも弱い、槍を装備しておらぬ故にな。西方諸国の密集方陣であれば騎兵に対処する方法もあるが、歩兵は騎兵に勝てぬのである』

「しかし、フリードには無い兵科だぞ?」

『雇えば良かろう、フィン人は遊牧の民であるが、交易の民でもある。シレンティウムに溜め込まれた財貨を対価に雇えば良いのである』

「なるほど……戦士を雇うか、自由戦士を雇用するのと同じだな。ただ異民族になるだけか…」


 楓と陰者はその光景に薄ら寒いものを感じながら聞き耳を立てる。

 ダンフォードの言葉は読唇術である程度声が聞こえなくとも知る事が出来たが、話し相手になっている者が何処にいるのか分からない。

 明らかにダンフォードの持つ黒い箱から聞こえる声。

 禍々しく怨嗟に充ち満ちているその声色であるが、楓はその声に聞き覚えがあるような気がして細くて奇麗な眉をひそめる。


『…ここならば誰も来るまい、箱を開けよ。落ち着いて講義も出来ぬのである』

「分かった分かった、ちょっと待て」


 ダンフォードが箱の声に呆れつつもベルガンの使っていた机の上に黒い箱を置き、そしてその前蓋を取り外した。


『うむ、顔が見えぬでは味気ないのでな』

「俺はあんたの怖ろしげな顔などみたくは無いが…」


 黒いしゃれこうべを前にしたダンフォードが言うと、アルトリウスは揶揄するような声色で答えた。


『まあそういうな、我とて好きでこの姿形になったわけでは無い、お主の父親のアルフォードが我の首を刎ねてこの地にまで持ち帰ったからだぞ?』

「それは知っているが…まさかあんたがしゃべれるとは知らなかったぞ、アルトリウス」

『うははは、無理も無い。最近ようやく我の封印が弱まったのだ、故に我の復讐も成せるというものである!』


 笑声と共に愉快そうな声色が王の間に響いた。




「……!?アルトリウスさんっ?どうして?」


 楓の目は驚愕に見開かれた。

 しかし、驚きつつも様子をうかがっていると、アルトリウスと呼ばれたしゃれこうべは、楓の知るアルトリウスらしくない。

 一々言葉が恨みがましく、また快活さが全くないのだ。

 あるのはひたすら恨みと呪いの意思だけ。


「…偽物かな?」

『偽物では無いぞ、娘』


 思わず漏らした楓の声に被さるように不気味な声が王の間に響き渡る。


「どうしたアルトリウス?」


 驚いて声を掛けるダンフォードを余所に、アルトリウスは姿を隠している楓に向かって話し続ける。


『いずこの手の者か知らぬであるが、我は災厄の首こと、ガイウス・アルトリウスの歴とした首であるぞ?偽物とは心外である』


 驚愕と恐怖でガクガク震える楓であったが、しっと舌を小さく鳴らして引き上げの合図を陰者へと送ると、自身もすっと部屋の外へと逃れ出た。




「どうしたって言うんだ?」


 未だに何が起こっているのか理解出来ていない様子で再度アルトリウスに尋ねるダンフォード。

 しゃれこうべのアルトリウスは呆れを含んだ声色で答える。


『お主もつくづく鈍いな、間者が紛れ込んでおったぞ』

「なっ、何っ!?」


 アルトリウスの言葉でようやくダンフォードは慌てて王の間を出た。

 戦士達を呼びに行ったのだろうが、つくづく愚かしい。


『我をこのまま置いていくのは不味いでは無いか……ううむ、人選を誤ったか、しかし、他に人はおらぬし……復讐を果たすのも容易ではないな』


 黒いため息をつくアルトリウスのしゃれこうべはそう言ってから黙り込むのだった。

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