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第11章 シレンティウムの一年 秋・北の戦い(その2)

同時期、シレンティウム市内


 降って沸いた戦いの気配に、シレンティウム市民は浮き足立った。


早くも軍団が辺境護民官を先頭に進発し、都市はその出陣式に湧いたが、その後シッティウスが出した平常時宣言や、業務専念宣言によって市民の間に広まっていた不安感や高揚感は次第に沈静化する。

 敵であるハレミア人の情報やシレンティウム軍の進軍状況は機密性の高い場合を除いて暫時市民に伝えられた事もあり、すぐに市民達は落ち着きを取り戻し始めた。


 ハレミア人との戦いが過酷なものになることは北に住み暮すクリフォナムの族民であれば知らない者は無い。

 出征した兵士の家族や友人は、彼らの無事を太陽神に祈る。

 太陽神殿にやって来る人は引きも切らず、多い時には行列まで出来てしまう程であり、外見上は平静を装うシレンティウム市民ではあったが、心の奥底では相当の不安を感じていることが如実に表われていた。


 エルレイシアは思いがけない忙しさにハルの安否に対する不安と寂しさを紛らわせることが出来たが、夜にはどうしても鬱ぎがちになる。

 愛する夫が危険で野蛮極まりないハレミア人の討伐に向かっているのであるから、無理もないことであったが、理由はそれだけではない。


 夕方、薬事院の診察室。


 アルスハレアは、寝台に横になったエルレイシアの腹部にぼんやり光らせた手を当てるとしばらく目をつぶる。

 そして手の光を収め、ゆっくり目を開けると徐に言葉を発した。


「……エル、間違いないわ、あなた子供を授かっているわよ」

「やはりそうですか」


 確信を得たような答えにアルスハレアが眉を顰める。


「気付いていたのならハル君に言っておけば良かったじゃないの」

「いえ……これから戦いだというのに、気持ちを鈍らせてはいけないと思って」


 らしくないエルレイシアの台詞にアルスハレアが呆れた声を出す。


「……全く、妙なところで健気ね。でもそれであなたが鬱いでいても仕方ないじゃない」

「そうなんですけれども、やっぱり言っておいた方が良かったのかなって……」


 寝台から上半身を起こし、かけられていた毛布を僅かに握りしめながら不安そうな顔でエルレイシアがいうと、アルスハレアは優しい笑みを浮かべて姪を励ました。


「心配ないわ、あなたのハル君は直ぐにハレミア人を打ち破って戻ってくるから!今は鬱々としていないであなたが出来ることを精一杯して、ハル君の助けになれば良いの。帰ってきてあなたのお腹を見た時のハル君の驚きが今から目に浮かぶわ~それに…あなたたちの子供でしょう?きっとすごく可愛い子に違いないわ……」


 叔母の明るい声にようやくエルレイシアの顔に笑顔が戻る。


「そうですね…私に出来ることを……ですね!」


 先程までの鬱々とした様子はどこへやら、むんと両手を胸の前で握りしめ、あっさり気持ちを切り替えてしまったエルレイシアに、呆れたアルスハレアが思わず忠告する。 


「でも、赤ちゃんが落ち着くまでしばらくは控えなさいよ」

「分かっていますわ、叔母さま!」

「……本当に分かっているのかしらねえ」


 何時もの調子を取り戻した姪っ子の姿を見て苦笑する他無いアルスハレアであった。




 シレンティウム商業区、デニス雑貨店


 アルマール村に居た頃、既に農夫としては引退して籠や木細工を作って生活の足しにしていたデニスは滞在していたユリアスことユリアヌスから商店の有り様を学び取り、同じ細工物造りの仲間達と一緒に商店を立ち上げた。

 デニスが販売や営業を担当し、仲間達の作った細工物を仕入れる方法を取り、たまには余所で製造された細工物や籠を仕入れたりもする。

 デニスらの作るクリフォナムの細工物は頑丈で長持ちが売りであることから優雅さには欠けるが、鉱山のあるコロニア・フェッルムや炭鉱での採掘が始まったフレーディアからまとまった注文が入ることもあり、少しずつではあるが稼ぎを出している。


 孫のマークは計算や数字に極めて強いという特徴がユリアヌスの見立てで明らかとなり、ユリアヌスが滞在している期間中、算学や数学、幾何学など帝国の最先端を行く学問の手ほどきを受けた。

 また元来感受性豊かな性格もあって、子供ながら商品の善し悪しや街の人達と積極的に会話することで売れ筋商品を見極める目を持ち始めており、ユリアヌスやデニスを驚かせた。

 午前中は学習所に通う傍ら、農作業に出る両親や兄たちを余所に専ら祖父の営む商店を手伝うマークは、その愛らしい容姿と相まってデニス雑貨店の看板となっていたのである。


 今日も商品である籠を店先に並べながら、マークは隣で掃除をしている祖父に尋ねる。


「ねえ、おじいちゃん、ハレミアってきたのやばんじんのことだよね?」

「そうじゃな、辺境護民官様はそのハレミア人をやっつけに行ったのじゃ」

「ふうん、まえはアルフォード王様がやっつけたんじゃなかったの?」


 マークは籠を並べ終えてその見栄えに満足そうな笑顔を浮かべてからそう言うと、デニスは手を止めずに笑顔をマークへ向けて答える。


「そうじゃが、アルフォード王様は辺境護民官様に負けてその王位を譲られた。負けてアルフォード王様がいなくなったと思ったハレミア人は、クリフォナムが弱くなったと考えて攻めてきたんじゃな」

「ええ~でも、アルフォード王様に勝ったへんきょうごみんかん様の方が強いんでしょ?」

「そのとおりじゃが、ハレミア人は辺境護民官様の事を知らないのじゃ」


「そっかあ~知らないんだ~じゃあ、へんきょうごみんかん様の方が強いのが分かったらもう攻めてこないよね?」

「そうじゃな、きっとそうなるじゃろう」


 掃除の手を止め、自分の頭を撫でながら言うデニスに、くすぐったそうな笑顔を返しながらマークは元気よく言った。


「へんきょうごみんかん様、早くハレミア人をやっつけてくれると良いなっ」




 シレンティウム行政区、第21軍団駐屯地


『整列と言ったら整列である!!それは整列ではないっ、何度言えば分かるのであるかっ!整列とは整然と列を作るから整列なのであるっ!貴様らのはただ群れておるだけだっ!!整列っっ!』


 ぎこちない仕草で盾を左前に置き、持ち慣れない短い帝国風の槍を右手で持ったクリフォナムやオランの戦士達がアルトリウスの号令で動く。

 しかし、お世辞にも滑らかとは言えないその動きにすかさずアルトリウスの罵声が飛んだ。


『貴様っ、何度言わせるのだ!呪われたいかっ!?』

「ひいえっ」


『そこの貴様もだ!』

「はひっ」


『貴様っ!兜が前後ろ反対であるっ』

「ぎゃっ」


アルトリウスから罵声を飛ばされる度に奇妙な声を上げる戦士達。

 指揮に従うには指揮官の姿を見ていなければならないが、どうも帝国風の指揮方法以前に問題が存在しているようである。

 今回集められたクリフォナムやオランの戦士達は死霊であるアルトリウスに対して苦手意識があるようで、アルトリウスの姿をまともに見ていない。


 というのも、彼らはシレンティウムの周辺地域の部族ではなく、遠くからハルの盛名を聞いてやって来た戦士達であるからで、遠隔地からの参集であった為にシレンティウムへの到着が丁度この時期になったのだ。

 そうして北方軍団兵の募集に応じ、装備品を支給され、装着方法を説明された後に装備を調えて意気揚々と訓練場に入った彼らを待っていたのは、帝国の鬼将軍。


 そう、訓練担当を買って出た亡霊将軍ことアルトリウスであったのだ。


 噂を聞いてはいたが、実物を目の前にするとどうしても萎縮してしまうのは無理からぬ所であろう。


「し、死霊が訓練担当なんて…聞いてないぜ」

「あ、ああ……」


 何とか号令に合せて整列しながらぼやいた壮年の戦士とそれに答えた年若い戦士を、アルトリウスの鋭い視線が射貫いた。

 そして固まる2人に容赦なく罵声が浴びせられる。


『そこっ!訓練中に私語とは度胸があるなっ!かかってくるが良いっ』

「「ひぃっ!!」」


 何とか整列や行進をこなせるようになり、いびつながらも整列した戦士達を前に、壇上に立ったアルトリウスが腰に手を当てて高らかに宣言した。


『貴様らは今日から栄えあるシレンティウム第1補助軍団及び第2補助軍団として編制されたっ!戦士はこの瞬間兵士となるっ、今日から寝る間も惜しんで訓練に勤しむがよいのである!これからずっと我直々に訓練を差配してやるのである!』


「「「うそだろ……」」」


思わずこぼした兵士達にアルトリウスの怒声が飛んだ。


『私語は禁止であるっ!!』





 シレンティウム行政府、行政長官執務室



 シッティウスの前には人相の悪い2人の男が立っていた。


「行政長官、我々を呼びつけるとはそれ相応の見返りがあってのことでしょうな?」


 探るような目で執務机に座るシッティウスへ皮肉たっぷりに恫喝めいた言葉を発したのは右側に立つでっぷりと太った男で、脂ぎった指にはこれ見よがしに高価な指輪が幾つも嵌められている。

 しかしシッティウスはちらりとその男を見ただけで特に反応を示さない。

 その態度に太った男が怒声を上げる。


「きさまあっ、何だその態度は!都落ちした罷免官吏如きがっ!!辺境都市の行政長官なんぞで復帰した気になってるんじゃないぞ!?まだ我らの力が分からないのかっ!」


 シッティウスは目の前の2人の男、すなわちルシーリウス卿とその派閥に属するプルトゥス卿に繋がる武具商人の手代達にあからさまな侮蔑の目を向ける。

 顔を赤くし、更に激高しかかったその男を制し、左側に立つ痩せた男がその見かけ通り陰鬱そうな声色で言葉を発した。


「それで、ご用件はなんでしょうか?」

「他でもありません、武具と防具を発注したいのです。品質は前回と同様かそれ以上の物をお願いします。取り敢えず一時的な契約は私が行いますが、商品の引き渡しや搬送はオルキウス商業長官と詰めておいて下さい。数は前回と同様1万領ずつですな」


 答えたシッティウスは机に置かれた書類から目を離さずそう言うと、ペンを持った手で出入り口を指さした。


 出て行けと言うことだろう。


 呼びつけておいた上にこの仕打ち、男達の額に青筋が浮かぶ。

 武具商人の手代とは言え、歴とした貴族の分家や次男、三男に当たる者が務めている派閥お抱えの商人達であり、それは同時に気位や誇りというものには事欠かない類いの人間達である事も意味している。

 痩せた男がこめかみをぴくぴくさせながら口を開いた。


「注文は了解しましたが……聞いておりますぞ?なにやら北の蛮族が大軍でもって攻めてきていると……」

「よくご存じですな」

「我々を侮るなっ」


 太った男の声に片眉をぴくりと上げるシッティウス。


「貴公達を侮った覚えはありませんな……まあ、愚かで浅ましいとは思いますが」

「ななな、ききき貴様っ!?」


 怒りに顔を赤くしたり黒くしたりしている太った男を余所に、痩せた男がささやきかけるような密やかな声でシッティウスに言う。

 しかしその声は不思議とよく部屋に響いた。


「……もうこの都市も終わりでしょう、そろそろ身の振り方を考えては如何ですか?今であればルシーリウス卿は貴方の中央官吏復帰を支持しても良いと仰せです」


 明らかに周囲にいる官吏達を意識しての発言。


 しかしシッティウスは動じない。


「今何と?」


「ですから、ルシーリウス卿は…」


「ああ、帝国に巣喰う蛆虫の言葉でしたか。蛆虫に言葉があったとは驚きですが、そのようなモノは聞くに値しませんな。蛆虫は蛆虫らしく仲間と一緒に腐肉漁りでもしておれば宜しい、人の言葉を話そうなどとは身の程知らずも良いところです」


 再度同じ言葉を発しようとした痩せた男を遮り、発せられたシッティウスの言葉の余りの内容に目を剥く痩せた男。


「なっ………!」

「ああ、そうそう、我々シレンティウムは5000名規模の補助軍団を2個創設致しますので、ご承知置き下さい」

「なにっ?それは許可していないはずだ、帝国に対する反逆の意志ありと見なすぞ?」


 絶句している痩せた男の代わりに、少し持ち直した太った男がすかさずいやらしい笑みを浮かべながら言うが、シッティウスはその上を行く侮蔑の視線で応じる。


「ですから、補助軍団、と申しておりますが?虫の使いには人の言葉が理解出来ませんでしたかな?それとも貴公も実は虫でしたか……おや、よく見れば横腹に足が……おっと失礼、それは腹の肉でしたか」


「うぐぐぐ………!貴様っ!!もう勘弁ならんっ!!!」


 シッティウスの言葉で自分の横腹を思わず押さえてしまい、その言葉の意味を深く理解してしまった太った男は、余りの侮辱に湯気を頭から出す勢いで絶叫する。

 痩せた男が制止する暇も無く、太った男は意外と素早い身のこなしで怒りで顔を朱に染め上げ、自分の左から机を回り込み、椅子に座ったシッティウスに掴み掛かろうとする。


 しかし、シッティウスは動じた様子も無く、その男の手首を右手で無造作に掴んだ。


みちみちみち


「ぎいえええええええええっっつ!!!」


 シッティウスの腕が脹れ上がり、太った男の脂肪に満ちた手首が半分にまで絞られ、指という指に嵌められた幾重もの指輪がかたかたと音を立てる。


「なっ?」


 驚愕に目を見開く痩せた男を余所に、シッティウスは肉に満ちた身体を海老反らせて痛みに絶叫する太った男を見もせずにぽいっと床へ捨てる。


 どちゃっ、と湿っぽい落下音と共に床に倒れ伏す太った男。


「中央にいた頃はよく交渉相手に掴み掛かられたモノです。ここしばらくはそういった事もありませんでしたが……まあ、これに懲りたら大人しくすることですな」


 泡を吹いている太った男を介抱しながら痩せた男が憎々しげに言い放った。


「後悔しても知りませんぞ?」

「……後悔は帝国で既にし尽くしました。ここは北の都シレンティウム、後悔すら思い出に変えてくれる街です」


 捨て台詞すら切り返され、言葉を失った痩せた男は、くっきりシッティウスの手形の残った手首を抱えて未だ泡を吹いている太った男に手を貸し、這々の体で行政長官執務室を退出する。


「さて、休憩時間は終わりです」


 2人の無様な足音が完全に聞こえなくなってからシッティウスが言うと、固唾を呑んで成り行きを見守っていた官吏達が慌てて視線を机へ落とし、必死に書類を繰り、ペンを走らせ始めた。


 その様子をしばらく満足そうに眺めてから、シッティウスは新たな書類に目を通し始めるのだった。



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