第11章 シレンティウムの一年 秋・北の戦い(その1)
「詳しい内容は早馬にて為される旨記されておりますが、ベルガン殿は辺境護民官殿の一刻も早い出陣を要請しています」
続けてクイントゥスから報告が為されると、ハルはぐっと目をつぶった後に静かに口を開いた。
「……直ぐにコロニア・メリディエトのアダマンティウスさんに連絡を、軍団を率いて至急シレンティウムへ集合するよう伝えて下さい。先任、すいませんが留守はお願いします」
『うむ、任せておくが良い。存分に戦え』
「アルトリウスさん、ハル兄と一緒に行かないの?」
ハルの依頼とアルトリウスの答えに驚いて目を丸くする楓。
アルトリウスは腕組みをすると、難しそうな顔をわざと作って言う。
『実戦で軍指揮の要訣をハルヨシに伝授してやりたいのは山々であるが、我はこの都市から動けんのだ』
「え?そうなんだ……」
再び驚く楓にアルトリウスは腕組みしたまま僅かな笑顔で答え、ハルに目を向けた。
『……我の呪いは未だ解けきっていないのである。残念ながら都市から遠く離れた場所である此度の戦いでは力になってやれん、が、心配はしてはおらん。我の後任者は極めて優秀であるが故にな!』
「……任せておいて下さい、先任の期待は裏切りませんよ……クイントゥス!」
「はっ、第21軍団と第23軍団には既に出動準備をするよう指示を出してあります」
笑顔でアルトリウスに応じつつハルが呼ぶと、クイントゥスはよどみなく既に軍団の出動準備が始まっていることを報告する。
「分かった、それから今回はシレンティウムの都市守備隊と工兵隊を臨時軍団として編制するから、そのつもりでいてくれ」
「了解致しました」
クイントゥスが編成作業を行うべく駆け足で部屋を去ると、シッティウスがハルの横へすっと進み出る。
「後方支援は任せて下さい。兵糧、矢玉、予備の武具は後発で補給致しますので、アキルシウス殿は一刻も早くフレーディアへ向かって下さい」
「分かりました、宜しくお願いします、それから重兵器とスイリウスさんのあれ、何と言いましたか……」
「スイリウス工芸長官の秘密兵器ですか?」
ハルの言葉に思わず顔をしかめるシッティウス。
ハルが言う兵器は、スイリウスが技術を持ち込んで製作した帝国の最新兵器。
「兵器を選り好みしている時間はありませんし、取扱いの出来る工兵隊もいます。使い方にも私に案がありますから、この際です、重兵器と併せて持っていきましょう。それからシッティウスさん、軍団を編制しておいて下さい」
ハルの言葉に再び眉を顰めるシッティウス。
「軍団ですかな?帝国から許可があったのは3個軍団のみで、幾ら非常時とはいえこれ以上の軍団編制は厳禁されておりますが……」
「ええ、ですから補助兵で編制した“補助軍団”を2つばかり編制しておいて貰えませんか?確か補助軍の装備に制限はありませんでしたよね?装備の内容が正規軍団と同じであっても問題はないはずです」
「……なるほど、補助軍であれば帝国の許可は必要ありませんな……なるほど、その様な手がありましたか……承知致しました、新たな補助軍団を早速編制しましょう」
『編制後の訓練は任せておくが良い、帝国戦法の神髄を叩き込んでやるのである!加えて装備であるが武器防具の在庫は全て使えば良い。あんな物は貯めておっても意味を為さん。使ってこそである』
シッティウスが納得した様に何度も頷きながら資料へ書き込みを始めると、アルトリウスが兵士の装備について申し添えた。
ハルがお願いしますと返すと、アルトリウスはにっこり笑って倉庫の封印を解きに姿を消す。
「それから、フレーディアのベルガンさんへ、難民の収容はフレーディアで一時的に行うように伝えて下さい。決して街道を使わせてシレンティウムへ難民を送り込まないように」
「……軍団の移動を妨げないようにするのですな?承知しましたが……大丈夫ですかな?フレーディアには2部族の難民を収容しきれるだけの容量はないと思いますが……」
「食糧や住居用の木材、天幕などの物資はこちらで用意してフレーディアへ送りましょう。今彼らをシレンティウムへ移動させている時間はありません。心苦しくはありますが、一時の感情に流されてしまうと全てを失ってしまうことにも繋がりかねませんからね」
「承知しました、それでは軍需物資と共に一足早く護衛を付けて送り出してしまいましょう、市民へも今回の件を布告致しますが宜しいですかな?」
「お願いします」
ハルの言葉に、シッティウスは分厚い資料を片手に頭を下げる礼を残して部屋から去った。
ハルは残っていた金髪の官吏を呼び、各長官達へ言伝をする。
「サックス農業長官には所定方針通り小麦の冬蒔きの準備と耕起に入るように告げて下さい、その他の長官達にも、動揺すること無く、自分の仕事を全うするように伝言をお願いします……楓!」
「ん?なに?」
ハルから呼ばれてきょとんとする楓に、ハルは真剣な表情で告げる。
「悪いが、陰者と一緒にフレーディアの情勢とハレミア人の動向を探ってきてくれ。危険だから無理はしなくて良いし断っても文句は言わない。でも頼まれてくれるか?」
「ハル兄の頼みだし、それは全然構わないけど……情報はどうやって伝えれば良い?」
「ああ、それは大丈夫だ。直ぐに俺も軍団を連れて北へ行くから、フレーディア近郊で落ち合おう」
「うん、わかった、じゃあ、ボク準備してくるね」
ハルから頼られていることが嬉しいのだろう。
楓が機嫌良く軽やかに部屋を出て行く。
「ルキウス、プリミア。2人には留守を頼む」
「ああ、任せとけって……ま、先任もいるし、こっちは大丈夫だろ、な?」
「は、はい、問題ありません、お役に立てないのが心苦しいですが……」
「そんなことないって、プリミアちゃんはもっと自信持って良いと思うぜ?」
「そ、そうですか……?」
2人の様子に何となくエルレイシアが向けていた視線の意味を知ったハルは、その2人を余所にエルレイシアとアルスハレアに顔を向ける。
「エルごめん、少しの間留守にするから。アルスハレアさんも宜しくお願いします」
「いいえ、大丈夫です。私の愛する夫はきっと勝利を持って帰ってきてくれます」
「そうね、きっと、ね」
ハルの言葉に満面の笑みを浮かべたエルレイシアとアルスハレアに、今度はハルが笑顔を返しつつ答える。
「うん、約束する、だから安心して待っていて欲しい」
「はい、待っています」
そっとハルの手を取り、エルレイシアはその手を自分の頬へ当てると目をつぶり、誰にも聞こえないような小さな声で言葉を継いだ。
「待っていますから……無事に帰ってきて下さい……」
3週間後、シレンティウム北街道
整然と整列したシレンティウム軍は真新しい石畳とセメントで作られた街道を完全装備で足音を揃え、力強く進軍していた。
強行軍で到着したアダマンティウス率いる第22軍団を加え、臨時のシレンティウム軍団を加えたシレンティウム軍2万5千の精鋭は、一路フレーディアへと向かったのである。
ベルガンからの早馬によれば、突如南下を開始したハレミア人はポッシア族の集落をいくつか襲ったところでクリフォナムの部族戦士団から迎撃を受けた。
ポッシア族とセデニア族の連合戦士団は善戦したが、ハレミア人の圧倒的な数に飲み込まれて全滅、戦士団を打ち破ったハレミア人は両部族の居留地へと雪崩れ込み、乱暴狼藉の限りを尽くした後南へ向かってきているとのことであった。
収穫直後で相当の略奪品があったにもかかわらず、ハレミア人は未だ南へと向かって動いており、留まる気配がない。
ベルガンによれば、略奪と劫掠を目的とする今までのハレミア人にない動きであり、また、フレーディアを目指して最短距離で動いている事から、誰かが手引きをしている可能性があるとのことである。
また、セデニア族に隣接するロールフルト族の戦士団がハレミア人に挑んだようだが、敢え無く撃破されている。
しかしハレミア人はこれを追撃してロールフルト族の居留地へ向かってもいない。
劫掠が目的であるとすれば、戦士団が壊滅し、守り手のいなくなった部族を襲わないというのは明らかにおかしい。
本来であれば、略奪品に満足して自分達の土地へ引き返すか、弱った部族を襲ってその地に居座ろうとするかのどちらかであったハレミア人が、ゆっくりではあるが南下し続けている。
30万の女子供老人を含めたハレミア人の大群は、エレール川に行きあたると、そのまま川沿いに東南方向へ向きを変えて進み続けていることが楓の飛ばした伝書鳥による報告で分かっていた。
略奪品で馬車も荷も人も一杯になったハレミア人の歩みは一気に遅くなり、ロールフルト族の戦士団を破ってからはほとんど動いていない。
それでも、移動を止めないのは、何らかの目的がある以外に考えられないのだ。
ハルは道中も情報収集を怠らず、街道を北へと向かう。
「どうにかエレール河畔で迎え撃ちたいものですな」
「ええ、色々仕掛けもしておきたいですし……ハレミア人より早くエレール川に着きたいですね」
「ハレミア人の移動速度はかなり遅いようですから、恐らく間に合うとは思うのですが……」
アダマンティウスの言葉へそう答えるハルに、クイントゥスが補足情報を加える。
ハルはクイントゥスの言葉を聞きつつ後方の北方軍団兵達を見た。
先頭を行くのは、北方軍団兵で構成された第21軍団と第23軍団、その後方には北方軍団兵と比べて明らかに背丈の低い帝国兵で構成されているアダマンティウス麾下の第22軍団が続いている。
補助騎兵や補助弓兵、部族兵もおり、一見すると帝国風ではあるが、どことなく北方の雰囲気を持つ奇妙な軍団がそこにはあった。
その軍団の最後尾は、シレンティウム守備隊から転用されたシレンティウム軍団と荷馬車にひかれた重兵器。
重兵器は分解して梱包しているため、一目ではこれが重兵器だとは分からない。
近くにいる北方軍団兵達は、見た事のない帝国製の巨大兵器を物珍しそうな目で眺めている。
時折、梱包してある頑丈な布をひょいと槍の石突きでめくり上げては、重兵器を管理している工兵隊長に怒鳴りつけられている者がいたりするが、概ね順調にハル達は行軍を続けていた。
このまま進めば後もう20日程でフレーディアの城下町である。
同時期、フレーディア城、王の間
ベルガンはポッシア族とセデニア族の生き残りの代表者を引見していた。
「アキルシウス王がシレンティウムから兵2万5千を率いて急ぎ北上中だ、心配は無い」
相変らず空けた玉座の脇に座るベルガンは、正面に立つ2人の村長に言った。
2人の村長は疲れ切った表情でボロボロの服を纏っており、袖の端などは焼け焦げていたりする。
明らかに剣によるものと分かる傷を腕に刻み、ポッシア族の村長がゆっくり口を開いた。
「それは有り難いが、果たして帝国人崩れの兵達でハレミア人を打ち破れるのか?我々の戦士団は全滅したのだぞ」
「……おまけに女子供は掠われ、男は殺し尽くされた、もう我々は部族としては終わったも同然だ」
セデニア族の村長が泣きそうな声で訴えると、ベルガンは思わず黙り込んでしまう。
ベルガンからすれば、シレンティウム同盟の呼びかけに応じようともせず、アキルシウス王の王位継承も認めなかった北部諸族の2つである。
ハレミア人に攻められたからと言って助けを求められる筋合いではないのだ。
今更泣きついて来たところで遅いというのがベルガンの意見であり、シレンティウム同盟としては冷たいようだが無視しても良かったのである。
しかし、盟主たるシレンティウムとそれを率いるハルは2部族の救援に直ぐさま動いた。
ベルガン率いるフリード族のシレンティウム派と併せて、周辺に位置するアルゼント族とオラン人のベレフェス族にも戦士を出すよう要請が出されており、この2部族はハルの心意気に動かされて戦士を用意し始めている。
ベルガンも常備していた3000人の戦士に加え、フリードの戦士を招集し、新たに5000の戦士を集めることに成功していた。
もう少し時が経てば戦士はまだ増えるはずである。
「ゆっくり身体を休めて行かれよ、我々は困っている者を見捨てない」
ベルガンが言うまでも無く、2部族の難民達はフレーディア郊外に仮住いをしている状態である。
最初はシレンティウムで難民を受け入れるとばかり思っていたベルガンは、ハルの難民をフレーディアで滞在させるという指示に驚いたが、その後シレンティウムから次々と送られてくる物資を見て目を丸くした。
フレーディアとしては相応の負担を覚悟していたものの、ほぼシレンティウムから送られてきた物資や食糧で事が足りてしまい、これを手配したシレンティウムの官吏達の実力を改めて知ったベルガンである。
タルペイウスは、到着した物資を次々と差配し、食糧を公平に分配し、仮設の住居や施設をフレーディア郊外に建設し始めている。
併せて軍団が駐屯する設営地の準備も開始しており、タルペイウスは休む間もないまま、それでも精力的に動き回っていた。
「……そう言うことを聞いているのでは無い、ベルガン宮宰。我々はアキルシウス王の庇護下に入れて貰えるのかどうかと言うことだ」
ポッシア族の村長が言うと、セデニア族の村長も便乗して頷く。
その様子を見たベルガンは軽く怒りを覚えた。
「はき違えて貰っては困る、アキルシウス王は自身の王位継承への支持もせず、同盟参加を断った貴様達を助ける義理はないのだぞ?それをわざわざ兵まで出してここまで遠征してきているのだ。貴様らからその様な恥知らずな要望が出ること自体がおかしいと言うことを肝に銘じて貰おうか」
「………」
「そ、そんなこと言っても……」
思いがけないベルガンの厳しい口調に対して、返答の言葉に窮した2人は目を泳がせる。
不参加を決めたのは今は亡き族長や長老達だろうが、それに賛同した中に彼らも入っていたのは間違いない。
「いずれにせよ、貴様達を判断するのはアキルシウス王だ。我が儘を言っている暇があるのなら、同盟不参加の弁明でも考えておけ!」
厳しい叱声にも似たベルガンの台詞に、2人の村長はとうとう下を向いてしまった。