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第10章 シレンティウムの一年 夏・周辺地域編

 極北地域、ハレミア人バガンの大集落


 大集落の中心にある大天幕。


 ダンフォードは目の前に座る巨躯の持ち主と対面していると、酷く落ち着かない気分になった。

 自分が望んだ事とは言え、今までは不倶戴天の敵として相対してきた相手とこうして間近にまみえると、恐怖感と忌避感、そしてその様相に侮蔑の気持ちがわき起こる。

 粗末だが長大な獣皮の上に座るその男は、まともな上衣も纏ってはいない。

 肩から腹にかけて申し訳程度に獣皮を編んだ物を巻き付けているだけで、ほぼ素っ裸と言える格好をしている。

 肌はくすみ、伸ばし放題の髪はぼさぼさ、乱ぐい歯を剥き、髭は伸び放題の乱れ放題で整えるどころの話ではない。


 しかし、その目だけはぎらぎらと粘着く視線をダンフォードに送り続けていた。

 その周囲には同じような…いやもっと見窄らしい格好をした男達が、剥き出しの剣を手にして立っている。

 鞘という物がないのか、剣は一様に錆と汚れでまみれており、お世辞にも鋭いとは言い難いもので、おまけによく見ると帝国製やクリフォナム製のものばかり、恐らく自分達で剣を鍛える技術がないのだろう。


 おまけにこの臭い。

 鼻が曲がりそうである。


「族長殿、返答を戴けないか?」


 ダンフォードが腐臭に近い体臭に耐えながら静かに言うと、その男はげへげへと世にも怖ろしげで下品な笑い声を上げた。


「見返りは何だ?」


 だみ声を響かせ、ハレミア人の大族長であるその男バガンは嫌らしい笑いを顔に張り付かせたままダンフォードに問い返す。


「……帝国の都市とその民に食い物だ、帝国の都市にはきらびやかな金銀が豊富にあるぞ、民は奴隷として使えば良いだろう、食い物は街に集めてある」


 先程説明した内容と同じことをもう一度言うダンフォードに、バガンは腹を揺する。

 どうやら大笑しているらしい。


「そんなうまい話にだまされるものか、お前らは敵だ、敵が良い話をもってくるはずがない!」


 笑いを収めた途端にそう大声で言うと、バガンは厳しい腐臭のする屁を一発ひり出す。 そして臭い出した屁に対して心底嫌そうな顔をするダンフォードを見て、バガンはまた大笑いした。

 一頻り笑い続けると、バガンはダンフォードを小馬鹿にしたような目で見て言い放つ。


「帰れ、フリードの小倅」


 周囲の男達が用は済んだだろうとばかりにダンフォードをつまみ出すべく動き出す。

 しかし、ダンフォードは不敵に笑うと切り札とも言うべきその言葉を口にした。


「……アルフォードは死んだぞ」

「………何だと?」


 色めき立つバガン。

 周囲の男達も思わず動きを止めた。


「アルフォードは死んだ、噂は知っているのだろう?それは噂じゃない、息子の俺がはっきり言ってやる、アルフォードは死んでしまった、お前らの進路を遮る者はもういない」


 ダンフォードの吐き捨てるような言葉にバガンの顔色がさらに変わった。

 アルフォードが死んだという事はハレミア人の間へ確かに噂として広まってきていたが、長年自分達を完膚無きまでに叩き、抑え込んできたあの魔神のようなアルフォードが死んだとは誰も本気で信じていなかったのである。

 特にハレミア人の族長の間でその傾向が強く、一部に様子見的な動きはあるものの、本格的な動きは未だ起こしていない。


 ここ40年にわたり、アルフォード王とは戦う度に負けていたのですっかり怖じ気づいてしまっていたのだが、これは動物的な感性を強く残す蛮族であるハレミア人にとってはむしろ自然な反応であろう。


 しかし、ハレミアの眷属とも言うべきフリンクの族長から紹介されたアルフォードの息子とやらが、そのアルフォードが死んだのは間違いないと言うのである。

 それであれば話は別だ、あれほどの邪魔者がもういない。

 この寒く痩せた土地を捨て、豊かで温暖な南へ移住することができる。

 豊かな土地を奪い、奴隷を狩り、食い物を手に入れることが出来る。

 そう考え込んだバガンに、ダンフォードがいやらしい笑みを浮かべて告げた。


「族長、あんたらにここより数倍収穫の見込める土地を紹介できるが…どうだ?」


「………いいだろう、お前に道案内をさせてやる、但し!約束を破った時はどうなるか分かっているだろうな?」

「わ、分かっているとも。早速支度をしてくれ、ここから遙か遠くシレンティウムという土地だ、今から出れば収穫時期に間に合うだろう」


身を乗り出しながら言うバガンの凍てつくような視線に震えながらも、ダンフォードが答えると、バガンは満足そうなうなり声を上げ、乗り出していた身をゆっくり引いた。


「分かった、直ぐにみんなには準備させる…お前もついてこい」


 存外素直なバガンの返事に、ダンフォードは外見を取り繕いつつも内実は喜びと達成感で飛び上がりたいぐらいの気持ちで頷いた。


 それ程貧しい生活を強いられ続けていたと言うことだろう。


 かつてであれば自由に南下し、略奪の限りを繰り返していたハレミア人であったが、アルフォードが優位に立ってからは逆に収穫期になると先手を打たれて攻め込まれ続けていたのだ。

 その御陰で大量に出る餓死者や戦死者で冬の食糧が何とか保っているというのは皮肉な話であるが、気が付いているハレミア人は1人としていない。


 ハレミア人にとってはアルフォードという巨大な壁が南への道を閉ざしていたのであるが、その壁がなくなった。

 噂が確証へと変わるとなれば、ハレミア人は一斉に動き出すだろう。

 これで20万とも30万ともいうバガン率いるハレミア人部族を先頭に、ハレミアの蛮族達は大挙してシレンティウム目指すだろう。


 真性の蛮族たるハレミア人の恐ろしさは、その人的資源の無尽蔵さと、一切の文明化を拒み続けたその真なる野蛮さにある。

 恐らく陥落した都市には布一切れ、麦一粒落ちてはいまい。

 男は殺され、女は犯され、子供は奴隷として掠われる。

 間もなくだ、もう間もなくそれがあの憎き帝国人の治める都市に訪れる。

 絶望と破壊と暴力と劫掠の大嵐があの土地に吹き荒れるだろう。


「では、我々も準備を進めるので、失礼する」


配下の戦士長達に指示を出し始めたバガンにそう言うと、ダンフォードは大天幕から外へと出た。

 クリフォナムの地であればもうすっかり夏だというのに、この地には未だ肌寒さが残っている。

 人間が荒れているから土地が荒れるのか、それとも荒れた土地に住む人間が荒んでいくのか、草もまばらなこの土地に生きるハレミア人の恐ろしさを新たにし、ダンフォードは率いてきた1200名の戦士を引き連れ、極北地域のハレミア人居住区を進むのだった。




 同時期、リーメシア州・ポータ河畔


 帝国第四軍団軍団長トレボニウスは頭の痛い問題を抱え込むことになってしまった。


 第四軍団は今回南方遠征に参加する為に移動中であったのだが、その途中リーメシア州で足止めを受けてしまったのだ。

 それというのも治安悪化に伴いリーメシア州で増加していた盗賊と交戦したからである。

 交戦相手は既に盗賊というような生やさしいものではなく、紛れもなく盗賊団と呼ぶに相応しい規模と戦意をもっていた。

 しかし、幾ら大人数と雖も厳しい訓練を積んだ帝国兵と正面からぶつかって勝てる道理もなく、コロニア・リーメシア近郊の戦いで盗賊団を苦もなく打ち破ったトレボニウス率いる第四軍団。


 しかし、問題はここから始まった。


 コロニア・リーメシア市長であるパーンサから正式に盗賊討伐依頼を受けてしまったのである。

 パーンサとしてみれば、こんな好機は他に無い。

 頼りになる軍団が移動中とはいえ盗賊と交戦したとあればその脅威を把握しているはずと踏んだのである。

 実際、馬匹を大量に揃えた盗賊団は無視できない規模に育っており、トレボニウスもその移動速度の速さで背後を突かれることを嫌がった。

 一方、軍総司令部のある南方大陸のウティカ市からは、一刻も早く集結するようにと矢のような催促が来ている。

 トレボニウスも裁定をして貰おうと思い立ったが、帝都の皇帝宮殿へお伺いを立てた所でまともな回答が来ないことは重々承知している。


 正に板挟みになった訳であるが、トレボニウスは盗賊退治を優先した。


 スキピウス総司令官宛に盗賊討伐で遅延する旨の報告を為した後は、盗賊団の本体を壊滅させるべくリーメシア州内を右往左往していたのである。

 ようやく盗賊の本拠地を突き止め、進軍している最中の第四軍団は、その途中のポータ河畔で盗賊団がこちらに向かって来ているという地元住民からの通報を受け、準備に入った。


 副官が地図を広げながらため息をつく。


「これでまた南方出発が遅れてしまいます」

「全く面倒なことだが、苦しむ臣民を見捨てるわけにもいくまい」


 トレボニウスは副官にそう言うと、広げられた地図を覗き込む。


「しかし、我々だけではいかにも手がたりん。我が軍団は補助騎兵隊も居らん純粋な歩兵部隊だからな、打ち破ったとしても追討ちをかけるのが難しい。今回の盗賊のような身軽な輩を捕捉するのは一苦労だ」


 本来は北方蛮族やシルーハに備えた予備部隊として帝都近郊に駐屯する第四軍団。

 あくまで予備部隊で防御的な性格を持って編制されている為、重兵器や弩、弓の装備は充実しているが、追撃に向いた騎兵や軽装歩兵は付属していないのである。

 先の対戦でも盗賊団を打ち破りはしたものの、追撃不足からさして打撃を与えたとは言い難く、故に数度にわたって盗賊から嫌がらせ的な攻撃を受ける羽目になった。

 今回勢いを盛り返した盗賊が挑んで来るのも、分が悪くなれば逃げ散ってしまえば追い掛けてこれないと高を括っているからだろう。


「全く!どうして盗賊如きが馬を大量にもっているのだ!面倒で敵わん」


 トレボニウスはそう愚痴をこぼして部下に戦闘配置の指示を下し始めた。



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