第10章 シレンティウムの一年 夏・監察とその後篇
今回は少し長めです。
宜しくお願いします。
結婚式からしばらく後・シレンティウム行政庁舎
シッティウスとカウデクスの指示で、行政庁舎の執務室へ予算や財務に関連する書類が集められ、その項目ごとに並べられる。
しかしその量は決して多く無い。
ハルと並んで座っていたユリアヌスが訝しげに首を傾げた。
「なんだ、これだけか?」
「未だこの都市は徴税をしている訳ではありませんし、本格的に始動し始めて1年と経っていませんから、財務関係の帳簿と言ってもこのような物しかありませんわ、殿下。」
ユリアヌスが持ち込まれた書類を見て拍子抜けした様子で答えると、財務長官のカウデクスがあでやかに微笑みながら答えた。
その言葉に唸りながら、ユリアヌスは言葉を発した。
「しかし、3個軍団もの兵士を養い、官吏を雇い、学習所を建てて、薬事院を経営し、これほど短期間で都市造営、街道整備、農地の開墾と圃場整備、水路開削、湿地帯の干拓を行ったんだろう?どこから出たんだこの金は?」
「殿下、前期からの繰越金はご覧になりましたか?」
「うん?繰越金?・・・ああ、これか・・・・って、何だこれは!大判金貨89325枚!?」
カウデクスから言われ、一番手元にあった書類をめくり、ユリアヌスが繰越金の欄をみると、べらぼうな数字が記載されていた。
「ちょっ・・・!?ま、待て待て、何だこれは!?」
「繰越金ですわ。」
「そう言うことを言ってるんじゃない!」
『ふん、我の在任中に中央官吏共がせっせと集めて貯め込んだ金である。この都市で集められ、この都市で集計された歴とした予算であるぞ。それを我の後任者であるハルヨシに引き継いだだけのことだ、何か文句があるのか。帳簿もほれ、そこにあるのである。』
アルトリウスが示すのは汚くもきっちり整えられたハルモニウム時代の予算表。
失陥した日にきっちり“後任者へ引継ぎ予定”とも書き込まれている。
ユリアヌスがその古臭い40年前の書式で記され、綴られた予算表を開いてその記載を見つけ、呆れたように言う。
「・・・アルトリウス、あんたまだこんな裏の手を持ってたのか。」
『失礼な、裏も何もないわ。都市は我が40年間にわたって保持してきたのだ、帝国の帳簿にもクリフォナ・スペリオール州とハルモニウム市の記載があろう?』
その言葉にユリアヌスは複雑な表情でアルトリウスを見た。
確かに、クリフォナ・スペリオール州の失陥は帝国内の公式文書に記載されていない。
今も州から辺境護民官担当地域に格下げされているとはいえ、きっちり帝国の公文書には残されているのだ。
そして、アルトリウスはハルが来るまで毎年第21軍団長兼クリフォナ・スペリオール州担当官として年賀の任命式で名を読み上げられ続けていた。
ハルがシレンティウムを復興した事でようやくアルトリウスの名が削られたのである。
「・・・まあな」
『そういうことだ。』
苦々しげに言うユリアヌスを見たアルトリウスが勝ち誇ったように答えた。
「特に・・・問題は無いな。」
「そうですか、まあ、そんな問題は最初からありえませんが。」
最後の帳簿を閉じながら言うユリアヌスに対し、シッティウスはすらりとそう答えて帳簿を回収し始める。
その様子にユリアヌスは口角を少しゆがめて言った。
「お前、本当に変わってないな、よくそれでやってこれたな。」
「そうですな、今の上司は私が何を言っても受け入れるだけの度量も度胸もあります。以前仕えたどこかの腐れ貴族や腰抜け上司と違いましてね。かと言って責任から逃げるわけではありません。馬鹿正直なところは玉に瑕ですが。」
「・・・それだけ言っても怒らないんだから相当なんだな。」
シッティウスの言葉に、特別顔色を変えることも無く傍らにいたハルを見てユリアヌスが呆れて言う。
こちらを見つめているユリアヌスにハルは首をかしげながら問いかけた。
「どうしましたか?」
「なんでもない・・・いや、お前凄い奴だな・・・」
「?」
ハルの不思議そうな顔にそれ以上の言葉を継ぐ事をあきらめ、ユリアヌスは設けられた監察官席から勢い良く立ち上がった。
「これにおいて全ての監察は終了した。シレンティウム市の財務や行政に不備や不手際、不正は認められない、これからも励むように!以上皇帝代理の監察官としてユリアヌスが宣言する。」
シレンティウムの監察は不備なく終了したのであった。
監察後、シレンティウム行政庁舎・地下
監察終了後、ハルとユリアヌスの2人はアルトリウスから行政庁舎の地下へと呼び出された。
理由を問う2人に、アルトリウス『来れば分かるのである』といい置いて消えたのだ。
顔を見合わせて訝る2人であったが、監察も終了し書類を片付け始めたシッティウスたちの邪魔にもなるので、執務室を後にし2人で地下へと向かったのである。
『おう、来たであるか2人とも。』
2人が階段を下りた先にはアルトリウスが待っていた。
行政庁舎の地下は未だに整備が行き届いておらず、昔のハルモニウムの軍団庁舎の時代のままであるため、壁は薄汚れており、時折ねずみが走るものと思しき小さな音がする。
水はアクエリウスが供給しているため、ハルがここを初めて訪れたときのような淀みや腐敗は無いが、地下の雰囲気にそぐわしいゆったりとした早さで廊下の端を流れている。
カンテラを手にしたハルとその後ろに続くユリアヌスにそう声を掛けたアルトリウスは2人が返事するよりも早く、自分の周囲に青い鬼火を浮き上がらせた。
周囲の様子が青白く浮き上がる。
『ま、ちと暗いのであるが我に続けば差し支えない、こっちである。』
アルトリウスの案内で進むと、奥にもう一段階段があった。
巧妙に曲がり角を使って隠されている為、近寄らなければ分からないその階段を下りた先には幾つかの部屋があるが、その一番奥の少し広い部屋へ入ったアルトリウス。
続いて入ると、そこにはぽつんと一つ、石の大きな箱が置かれている。
他には何の飾り気も無い。
「先任、ここは?」
『我の墓所である。』
「墓所?」
『そこに石棺があろう、それが我の身体が納められておった棺である、首はないが・・・ま、いずれにせよもう朽ち果てておろうがな。』
「・・・」
ユリアヌスが無言でアルトリウスを見つめていると、アルトリウスが皮肉っぽく言う。
『ユリアヌス殿下とやら、帝都の廟に我の身体はないぞ?知っているのであろう。』
「ああ、聞いた事があるよ。」
ユリアヌスが言葉少なく答える。
「あの御伽噺は本当ではなかったんですね?」
『その御伽噺がどうなっているのか詳しくは知らんかったが、最近子供達が学習所で御伽噺を音読するのを聞いて知ったのである。まあ御伽噺であるからな、流れだけで後はほとんど真実とは異なる。』
ハルの言葉にアルトリウスは両手を広げて答えた。
『ハルモニウムは援軍を約束されていたのだ、現皇帝陛下のマグヌスによって・・・しかし援軍は来なかった。』
『まあ、ちと昔話を交えて話をしようではないか。ここであれば余人が来る心配もない、ユリアヌス殿下とやらにもハルヨシに話したい事があるだろう?』
アルトリウスは自分の棺の上に腰掛けると、そう前置きしてから徐に語り始めた。
『我はどの派閥にも属していなかったのであるが、皇族であったマグヌスとは馬が合ったのでな、奴が軍に所属していた折は仲良くしていた、立太子した時は本当に嬉しかったものである。マグヌスは頭の出来が良く、今の帝国の閉塞が何処から来ているのか的確に見抜いていた、それは偏に皇帝に力が無いからである、とな。』
「どういう事でしょう?」
アルトリウスの謎解きのような言葉に更に質問するハルに、ユリアヌスが代わって解説を加える。
「最終的な責任や決定権は皇帝にあると規定はされているんだが、実質的に帝国を動かしているのは別の者たち、つまり軍、官吏、貴族。今皇帝はただその地位にあって、軍や官吏、貴族が進める施策を追認するだけの存在に成り下がってしまったんだ、ここに全ての元凶がある。」
「本当の権力はないと言う事ですか?」
ハルの言葉に頷きつつ、ユリアヌスは言葉を補足した。
「だから、本来皇帝宮殿の後ろで座ってりゃいい俺みたいな皇族が、兵やお供の人間も無く直々に出張って来て間諜の真似事や、使節の代わりをしないといけない。まあ、出張って来たと言えば格好は良いが、じじいが・・・現皇帝が政治的な信頼を置ける・・・本当に信用できる人間はもう俺ぐらいしかいないってことだな。」
自嘲気味に言葉を重ねるユリアヌスに、ハルは思わず言葉を漏らす。
「皇帝陛下がですか?」
「ああ、皇帝陛下が、だ。」
そしてアルトリウスが口を挟む。
『今や帝国皇帝に本当の意味での力は無いということであるな。兵を動かす権限は軍部に握られ、財は貴族に握られ、行政は官吏共の思うがまま。皇帝が何かを動かそうと号令したところで、それぞれの者の思惑に乗らない限りはまず何も動かん。』
「しかし、制度というのはそういうものでは?組織が上手く動けば動く程、頂点に立つ人間は仕事が無くなってゆきます。」
ハルの言葉に、頭を左右に振りつつ皮肉っぽく口を歪めてユリアヌスが答えた。
「かつてはそれでも良かったが、その権限を持った者達が強くなり、その上てんでばらばらに帝国を動かそうとしている、これが今の帝国の乱れの元だ。つまりは芯が無い。じじいはこれを正そうと長年努力してきたが上手くいかなかった・・・だから、それぞれの持ち込む施策を天秤に掛け、余計な物をそぎ落とす代わりに良い部分があればその施策を実行する、あるいは敵対派閥をあおって施策を潰させるなどして何とか今までやって来たんだ。」
ユリアヌスの解説に、ハルとアルトリウスが頷く。
そしてアルトリウスが語りを再開した。
『そこで我らは一計を案じた、我が北に左遷されたのを利用し、北で力を蓄えた我がマグヌスの皇帝即位の暁には軍事面と財政面で協力しようと。もちろん我の部下は皆このことを知っていた上で協力してくれたのであるが・・・最初は順調であったのだがな、今思えば浅はかであった。ハルヨシには以前語ったが、ハルモニウムが中央官吏に目を付けられた。マグヌスにこの動きを掣肘してくれるよう頼んでいたのであるが、あ奴は何もせんかった・・・何もできなかったのかもしれんが・・・』
アルトリウスは寂しそうに言い、一旦言葉を切ったが、ハルとユリアヌスが神妙に聞き入っているのを満足そうに眺めると言葉を継いだ。
『徴税や差別意識に凝り固まった官吏共によってクリフォナムの民が不満を募らせることも容易に予想できたのである。しかし、あれほど大規模な反乱に発展するとまでは思っておらなかったのであるが、まあそれでも我はマグヌスに万が一の時は援軍の派遣を求めていたし、皇太子ともなればそれぐらいは出来るとあ奴も約束してくれたのであるが・・・援軍は来なかった。』
「それが、クリフォナムの大反抗ですね。」
ハルの言葉に対してアルトリウスは頷きながら言う。
『我らには脱出するという選択肢もあったのであるが、我はマグヌスを信じた、故に籠城する事にしたのである。結果として5か月の長きに渡って粘りぬいたが、部下達は次々に倒れ、残された兵士達だけでは都市を守りきれぬと判断し我は最後の賭に出たのである・・・ま、今更言っても詮無い事だ、我は賭けに負けた。』
アルトリウスは自分の棺をぽんと叩くまねをする。
当然手は棺に触れる事はない。
ユリアヌスがその姿を痛ましそうに見ながらも言った。
「しかし、いくら英雄アルトリウスと言っても無謀な賭に出たものだな、大怪我をしているのに彼の英雄王に勝てる道理はないだろう?」
『何を言っている?満身創痍の我がアルフォードに勝てないのは当然であろうが。我が討たれるのは計画の一環であったのだ、謂わば掛け金である。我が負けたのはマグヌスが来るか来ないかという賭けにである。』
ユリアヌスに向き直ったアルトリウスは語る。
『北の動乱を収めれば、マグヌスの威に服するものも出てくるだろうと思ったのである。それに平民の英雄といわれた我の敵討ちを為せば、帝国市民はマグヌスを支持するだろう?市民の強い後ろ盾を得られれば、マグヌスが皇帝になった際に自由度が増すと考えたのであるが、これもダメであった。我はアルフォードに首を落とされ、その首を旗印の上に掲げたアルフォードは開城を迫ってアダマンティウスの守る当時の関所へ押し寄せたが、アダマンティウスが固守したが故にアルフォードは引き上げたのだ・・・翻ってマグヌスは何もしなかった。』
「・・・」
『マグヌスがその後も来たという話は聞かんのである。マグヌスはそのまま順当に3派閥の上に立って皇帝に即位したようであるな・・・我との約束や夢は忘れ果てたと見える。』
遠い目で何も無い壁を見つめるアルトリウス。
かつて自分の身を犠牲にまでして帝国に尽くそうとしたアルトリウスの衝撃的な話に、ハルとユリアヌスは言葉を失った。
絶句する2人を余所にアルトリウスの話はまだ続く。
『最初はそれでも仕方ないと思っておったのでな、部下をまとめてしばらく彷徨っていたが、しばらくして・・・そうであるな、数年経って様子がおかしい事に気が付いたのである・・・誰1人昇天せんのだ。そうしているうちに、この都市から離れられなくなっている事に気が付いた、これは呪い以外の何物でもない。そして呪いの元にも思い当たった。我も帝国の将官であったのでな、亡霊化して未だにユリアルス城に居るというリキニウス将軍の噂を聞いておった、故に我らに掛けられた呪いも同じものだろうと分かったのだ。更に数年が経過し、元帝国兵の山賊が悪戯をしに来たのでちょいと脅しつけてやったところ、腰を抜かしてしまったのでな、色々話を聞いた。するとあろうことか皇帝になったマグヌスがその呪いをなしているのだという、これには我も愕然としたのである。裏切りどころの話ではない。』
「それは・・・」
「・・・」
言葉を途中で失うハルに対し、ユリアヌスは顔をアルトリウスから背けた。
アルトリウスはその姿を見てふっと笑みを浮かべて口を開く。
『故にユリアヌス。我はお主ら皇族と帝国の事を毛程も信用しておらん。責任を果たす能力も責任も無い者が軽々しく期待しているなどと言う言葉を口にするのでない。曲がり形にも皇族、権勢はあるのだぞ?』
「発した言葉を取り消すつもりはないが、肝に銘じよう。」
ユリアヌスが目をアルトリウスに合わせて答えると、アルトリウスがその目を怒らして言う。
『では聞こう。ハルヨシがフリード王である事を不問にするのは何故か?』
「不問というわけではないが、有り体に言えば今回の監察範囲に含まれていないからだ。」
『ふん、ものは言い様である、そうして時が来ればそれをあげつらい、我らの足を引っ張る心づもりであろうが。』
「じじいがどうだったかは知らないが、前にも言ったとおり俺は派閥とは完全に距離を置いている。何度も言うが、この都市には頑張って貰いたいんだ。」
「どうしてですか?」
今度はハルが質問を投げかけた。
ユリアヌスは幾分ほっとした顔で答える。
「それは・・・いずれは俺の後ろ盾になって貰いたいからだ。」
「後ろ盾?シレンティウムはようやくクリフォナムの3分の1程度を緩くまとめたに過ぎません。そんな私たちに何を期待するんですか。」
「期待しているのはこれからの可能性だ。俺は帝国を立て直したい。帝国を乱している官吏と軍、それに何より貴族の強すぎる力を削ぎ落としたいが、俺には何もない。今のままだと立太子できるかどうかも怪しい。軍は自分達に近い伯父のユニウスを推し始めているし、貴族派は皇位から遠いじじいの伯父に当たるグラティウス家と組んでなにやら画策している。中央官吏派は一応皇帝であるじじいの意向に沿うと言ってはいるが、おそらく俺の大叔父のマエドゥス殿下を推すだろう。」
「支援の中身をはっきり言えば・・・どうなりますか?」
言葉を切るユリアヌスを促すハルに、ユリアヌスは一度天を仰いでから答えた。
「これはまだ言うつもりはなかったんだが・・・俺が帝位に就くのを後押ししてくれ、場合によっては帝都まで兵を出して欲しい。」
『正気か?』
「そんなこと・・・本気ですか?」
衝撃的な発言にさすがのアルトリウスも目を剥き、ハルは辛うじてそれだけを答えた。
「俺は真剣だ、まだこのシレンティウムは力不足だが、半年暮してみて分かった、この地には今の帝国にない希望と未来、そして意志がある。」
「・・・」
ハルの無言を肯定と捉え、ユリアヌスは熱っぽく言葉を継ぐ。
「皇帝や皇族には手足が無いも同然だ、まずは手足を作る事から始めないといけないが、その手足になりそうな才能と気骨ある者はことごとく貴族の馬鹿どものわがままのせいで潰されている。しかし、そんな仕打ちを受けても頑張っている奴らがいる場所がある。」
ハルへ意味ありげな視線を送るユリアヌス。
その視線を受け、ハルは顔を歪めて口を開いた。
「・・・それがこのシレンティウムという訳ですか?ユリアヌス殿下、お言葉ですが私が以前漏らしてしまったとおり、この地は帝国とは一線を画そうとしています。最後はおそらく帝国の制度を取り入れはしても別の国となるでしょう。」
ハルがはっきり言うと、ユリアヌスは眉を少し顰めるが、その言葉に対しては特に何も言及せず、ポリポリとこめかみを掻く。
そして何かを諦めたように一つため息をついてから話し始めた。
「ああ、それは分かっている。制度や法適用の基準は全く違うし、そもそもここにはいわゆる“帝国人”がいないんだからな・・・いるのは元帝国人にオランやクリフォナムの民達だけ、それだって元の形じゃない、今ここでは帝国でもクリフォナムでもましてやオランでもない“シレンティウム人”が育ちつつあるんだ。それは半年近く暮してみてよく分かっている。この地は“いずれは”ではなく“もう”帝国じゃあ無い。」
「・・・では、どうして?それに我々が何れかの勢力にユリアヌス殿下の意図を告げたらどうするつもりですか?」
「・・・ま、お前がいる限りはそんな事はしないだろうけどな。」
ハルが言うものの、ユリアヌスは間髪入れずに答える。
「俺が期待したのはお前に、だ。何の縁もない場所で幸運な出会いがあったとしても、ここまで部族の信頼を得て、都市を発展させたお前の誠実さと意志で築いた力を借りたい。帝国を・・・立て直す手伝いをして欲しい。」
「・・・・」
「ま、今日明日の話じゃ無い、第一じじいはまだ生きてるしな。数年後か10年後か、いずれにしてもそう遠い未来じゃ無いが、今では無く未来のことであるのは間違いない。それに、何も無償でとは言わない。俺が帝位に就いた暁にはハルを“北方護民官”に任じ、クリフォナ・スペリオール、クリフォナ・インフェリオール、クリフォナ・オリエンタ、ノームリアを“北方護民官領”と為し、その他の北方辺境地域については北方護民官の領有優先権を認めよう。」
ハルに与える土地を帝国の地域区分で言うユリアヌス。
その地域は現状のシレンティウム同盟に参加する部族の勢力圏をほぼ網羅しているのみならず、クリフォナム人の住み暮す地域全域を示している。
この他に北方辺境地域に含まれるのは、オラン人の住むオラニア・オリエンテとハレミア人が主に暮す帝国未踏の地、極北地域だけであるが、それについても優先権を認めるという。
『“北方護民官”の権限はどうなるのであるか?』
アルトリウスの問いにユリアヌスは肩をすくめて答えた。
「独立国と思って貰って構わん、ただ対外的には帝国に属する“北方護民官”を名乗る事が条件だ。どうだ?」
結局答えは保留せざるを得なかったハル。
言葉だけを聞けば非常に好条件ではあるが、危険も多い。
第一、帝都に進軍するとなればそれだけで反逆者と捉えられかねないからだ。
衰えているとは言え帝国の動員できる軍兵は25万、大陸の西部を制し、セトリア内海沿岸に覇を唱える紛れもない超大国なのである。
その皇位継承に巻き込まれてしまえばどのような事になるかは、火を見るより明らかであろう。
用は済んだと先に地下室を出たユリアヌスであったが、去り際に「俺にも後がないし他に手段はないんだ。」と言い置いていった。
その姿を見送り、ハルとアルトリウスは暗い地下室の墓所で佇む。
アルトリウスが徐に口を開いた。
『ハルヨシよ、我は反対はせぬ。そもそも我は既に過去の者であるからな、そのような事についてとやかく意見できる立場にはないのである。今を生きる者達が選択し、努力し、結果を得るのだ。しかし、我の経験と失敗については今伝えたとおりである、よく考えるが良いのである。』
「先任・・・」
『・・・そのような顔をするのではない、我も生きながらえてさえおれば今を生きる者達の輪に入れたのであるが、それは言っても詮無い事である。我は今を生きる者に期待をする他無い、ハルヨシよ、我は前にも言ったがお主に期待しているのである。』
情けないような、いたたまれないような顔で自分を見るハルにアルトリウスはそう言うと、触れられないその肩へ手を置く仕草をした。
『ふむ、触れられんと何とも締まらないのであるな・・・ま、頼んだぞ、またこの地で何時来るかもしれん“良き後任者”を待つのは色々骨が折れるのである。おまけに今度は部下もおらん。そうならば暇で仕様がない。』
自分の言葉に力強く頷くハルを見てアルトリウスは笑みを深めるのだった。