第9章 シレンティウムの一年 春・式典篇(その1)
初夏の日、シレンティウム
シレンティウム市街はかつてない喧噪に包まれていた。
シレンティウム同盟に参加する各部族長が、護衛兵と家族、それに部族の主立った者達を引き連れてシレンティウムを訪問している為である。
行政区にある空き建物がそれぞれの部族に宿舎として割り当てられ、それ以外の見物人やいずれはシレンティウム同盟に参加したいと考えている部族の者達がプリミアの差配する官営旅館に逗留していた。
未だ失恋の痛手から立ち直ったとは言い難いプリミアだが、それでも忙しさが悪い気持ちを紛らわせてくれる。
今日も料理やお酒の大量手配できりきり舞いしている官営旅館。
「館長!お酒が足りません!」
「館長!アルマールの猟師さんがイノシシを一頭買って欲しいそうです!」
「館長~ベッドが壊れました~」
「館長っ、会場の方から料理追加の依頼が来ました、至急という事ですっ」
次々とプリミアの指示を求め、職員達がやってくる。
「会場の料理は、譲って貰ったイノシシを使って下さい。お酒はサックスさんに依頼しておきましたから、シレンティウムの官営倉庫へ配給許可書を持って行って下さい。ベッドは地下の倉庫に予備があるから失礼の無いように手入れしてから入れ替えて。」
てきぱきと指示を下しつつ、自分は新しい宿泊客のリストを持って部屋割りを考える。
敵対している部族や、余り仲の良くない部族も宿泊している。
慎重に部屋や階を割り振らなければ流血沙汰になってしまう事だってあり得るのだ。
「館長~」
「なに?」
「間もなく時間です~出席の準備をして下さい~オルトゥス君が待っています。」
「・・・そうですね、分かりました。」
はっと我に返ったプリミアは、声をかけてきた職員にそう返事すると、踵を返した。
ルキウスはアルトリウスと組み、治安官吏を引き連れて南街区の一画へと向かっていた。
『ここに来る間諜や刺客はことごとく我が無力化しておる故にな、然程も心配ないと思うが、一か所気になる所があるのである。害意はなさそうなのだが、まあ、ちょっとおかしい。』
「いや、助かります、こういった時は申し訳ないがあんた頼みだ。」
『任せておくがよい。』
そう言うアルトリウスの先導でルキウスと治安官吏は一軒の真新しい家を取り囲んだ。
「ここですか?」
『うむ、間違いない、おそらくその者もこの家におる。人数は全部で6人。』
何の変哲も無い、北方造りの一軒家であるが、ルキウスはアルトリウスの言に緊張しつつ治安官吏章を取り出すと、合図の後一気にその家へ傾れ込んだ。
家の中には、アルマール人の夫婦に10歳くらいの息子と娘、それに老爺がいた。
驚いて自分達を見つめるその家族に、ルキウスは治安官吏章を示しながら鋭い口調で言い向ける。
「すまんな、シレンティウム治安庁だ、不審により中を検めさせて貰うぞ!」
「・・・え、そんな?何もありませんよ?」
家族の夫が驚愕しながらも辛うじてそう答えるのを余所に、棒杖を構えた治安官達は隙無く出入り口を固めて家捜しを始めた。
しかし、アルトリウスから聞いていた人数と合わない。
「もう1人いるだろう?」
「え?ああ、ユリアスさんですか?屋根裏部屋にいますけど・・・」
「ふむ、屋根裏か・・・」
娘を抱きかかえ、怯えた様子でそう言う妻の言葉にルキウスは2人の官吏を連れて油断無く屋根裏部屋へと向かった。
ルキウスが梯子を使って屋根裏部屋に入ると、そこには若い1人の帝国人の男が居た。
赤い貫頭衣に白い楕円長衣を纏う茶色の目と髪をした男は、ルキウスを不思議そうに見つめて言った。
「どうしてここが分かったんだ?」
「・・・何者だ?」
「・・・俺と分かって探しに来た訳では無いのか?」
「何者だと聞いているっ」
若者のふてぶてしい態度に、ルキウスは苛立ちを覚えて厳しく問いただす。
「見つかるのは予想外だったが・・・まあ、良いだろう、俺はユリアヌス、帝国皇帝マグヌスが養子だ。」
「な、なに?」
「下の家族に危害は加えるなよ?そうとは知らずに俺を逗留させてくれたのだからな。」
ルキウスは帝都での治安官吏時代、皇帝宮殿へ警備のために入った事があり、皇族を見た事が何度かあるだけでなく、身辺警護に着いた事もあるので、顔は見知っている。
おそらくユリアヌスで間違いない。
「ん?お前、ルキウスじゃないか?」
ユリアヌスは部屋の奥から歩み寄り、ルキウスの顔を見直してそう言った。
その言葉で確信を得たルキウスは、ユリアヌスを問いただした。
「このような所で何をしておいでですか?一体いつから?」
「ん?そうだな・・・この街へ来たの自体は随分前だ、アダマンティウスが都市にやって来たくらいかな?まあ、その後アルマールの村でしばらく世話になっていたから、正確にこの街に住み始めたのは籠城戦前からか。あの家族とはこの街で籠を拾い集めてやった事が縁でな、一緒に暮していた。」
こともなげに答えるユリアヌスに、ルキウスは絶句した。
「ど、どうやって・・・?」
「どうもこうもない、普通に仕事をしていたぞ。農場を整備したり、水路を開削したり・・・籠城戦の時には義勇兵もしてみた!あれは面白かったな~」
愉快そうに言うユリアヌスに、ルキウスは空いた口がふさがらなくなってしまう。
治安官吏達はクリフォナム人である為、ユリアヌスの地位にイマイチぴんと来ていないようであるが、ルキウスの態度で帝国において相当の地位にある者である事は認識できたのだろう、僅かに緊張している。
「と、取り敢ず同道願えますか?」
「まあいいぞ、俺宛に辞令も届いている頃だろうしな。そろそろ仕事しないとじじいに怒られてしまう。」
「ユリアスお兄ちゃん、大丈夫?」
治安官吏に取り囲まれて屋根裏部屋から降りてきたユリアヌスの姿に、家族の息子、マークが恐る恐る尋ねると、ユリアヌスはにっこり笑いながら答えた。
「大丈夫だ、この官吏さん達は俺を迎えに来ただけだ。心配ない。」
「またおじいちゃんの作った籠、一緒に売りに行ける?」
「どうかな?マークがよい子にしていれば、また来る事にしよう。」
「・・・分かった、ボク頑張って勉強もするよ!」
「いいぞ、そうであればまた来よう。」
「うん!」
元気に答えたマークの頭をしゃがんで撫でながら、ユリアヌスはマークの祖父であるデニスに顔を向け、口調を改めた。
「御老、家庭をお騒がせして申し訳ない、かくなる次第は私の責任である。今まで世話になった。」
「いえ、どうかお気に為されずに、私どもも色々助けて頂きましたし・・・」
「うむ、そう言って頂けると救われる、では、また会おう。」
ユリアヌスは立ち上がるとルキウスを促し、歩き始めた。
その背にデニスの声が掛る。
「お元気で・・・」
ひらひらと手を振りつつも後ろを振り返らず、前へと歩くユリアヌス。
そして物言いたげなルキウスを見て、苦笑しながら言った。
「良き家族に良き街で会った、それだけの事だ、気にするな。」
シレンティウム行政府、ハルの執務室
会議用の大机の上座に座るユリアヌスを見た帝国出身の官吏達は皆一様に驚きの表情となるが、これはアダマンティウスとて例外では無い。
「・・・なんとまあ、いつの間に・・・」
「おう、アダマンティウスの爺将軍、久しいな。」
正装したアダマンティウスはその言に言葉を失う。
「全く、この忙しい最中に難儀な厄介事を増やしてくれますな、ユリアヌス殿下。」
「相変らず素っ気ないなシッティウス、6年前と少しも変ってないぞおまえ。」
シッティウスの毒舌も意に介さずそう答えるユリアヌスは、その後ろで正装してもじもじしているハルを目敏く見つけた。
「よう、ハルヨシ、久しぶりじゃ無いか、元気にしていたか?」
「・・・殿下もお変わりなく・・・」
「わははは、お前は随分変ったな!おまけにすげ~イイ嫁貰うんだって?」
「い、いえ・・・その・・・」
しどろもどろに応対しているハルを見たシッティウスがルキウスに尋ねる。
「・・・アキルシウス殿はユリアヌス殿下と面識がおありなのですかな?」
「治安官吏だった時に、俺と一緒に何度か護衛にかり出されてたんですよ。まさか殿下がいちいち下級官吏の顔と名前を覚えているとは思わなかったですが・・・」
「なるほど・・・」
2人の様子を見ながら、シッティウスは納得した様に答える。
シレンティウムに到着した官吏達も、ユリアヌスから1人1人声をかけられて驚く。
よほどの記憶力なのだろう。
しかし、感心してばかりもいられない。
意を決してシッティウスが話しかける。
「殿下、今日はどのようなご用件で?」
「用件も何も、連れて来られたのは俺の方だぞ?用があるのはそっちじゃ無いのか。」
「・・・では、今日はどうされるおつもりですか?」
「それなら答えられるな、まあ、まだ辞令も何も届いちゃ居ないから、皇族ってだけで俺はただの旅人だ。内示は貰っているが、内示じゃ効力は無いだろう?」
そう言いつつ取り出した伝送石通信文を見せつつ、ユリアヌスは言った。
確かに、正式な辞令を手にしない限り、その職に任命されたとは言えないが、内示へは確かに今日の日付で監察官に任じる旨が記されている。
ハルは渋い顔をしてシッティウスを見ると、シッティウスも同じような渋い顔をしてユリアヌスを見ていた。
その顔を見たユリアヌスがにやにやと笑みを浮かべた。
「お?何だ、随分俺が居るのが拙いってような顔だな?大方帝国皇帝の名代でも名乗って、同盟締結式や結婚式に出られたら困るって所だろう?違うか?」
「・・・その通りですが・・・」
「おまえ・・・それはっきり言っちゃって良いのか?反逆罪に繋がるぞ?」
ハルがこぼした言葉を聞きとがめたユリアヌスは、そう意地の悪い笑み浮かべたまま言うと、アダマンティウスとシッティウスが一気に青ざめた。
その様子をしばらく面白そうに眺めた後、ユリアヌスは真顔に戻り口を開く。
「と・・・まあ、意地悪はこれくらいにしとこう、俺は何もしやしない。辞令も受け取るのは明日にするから心配するな。」
「・・・どういう事ですかな?」
「どうもこうも無い、俺は別段中央官吏や貴族の手先じゃ無いからな、ここでこの街を潰す意味は無い、むしろ頑張って貰いたいぐらいだ。」
シッティウスの問いに、肩をすくめながらユリアヌスは答え、更に言葉を継いだ。
「じじい・・・マグヌス帝もそれを望んでる。」