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第9章 シレンティウムの一年 春・方針決定篇

 シレンティウム行政庁舎・執務室


 ハルの前に、シレンティウムの主立った者達が集まっていた。

 執務室の中央に置かれた机には、ハルを頭に

   行政長官シッティウス

   アルマール族長のアルキアンド

   街区代表のレイシンクにヘリオネル

   コロニア・メリディエト市長アダマンティウス

   コロニア・フェッルム市長ペトラ・スィデラ

   フレーディア城代ベルガン

   治安長官ルキウス

   戸籍長官ドレシネス

   都市守備隊長クイントゥス

   太陽神殿大神官エルレイシア

が着席している。

 顧問官のアルトリウスは、ハルの少し後ろでぼんやりと浮かんでいるが、今や誰も驚かない。

 ここに集まった者達が今のシレンティウムと北方辺境を動かしていると言っても過言では無い。

 全員が着席した所で、司会役のシッティウスが立ち上がり、徐に口を開いた。


「では、シレンティウムの施政方針についての会議をこれより行います・・・まずは、アキルシウス最高行政官殿の結婚について・・・」


「ちょっと待った!」


「なんですかな?」


 ハルが慌ててそう制止をかけると、シッティウスが空とぼけた声で応じる。


「そ、それはこの場で話し合う事では無いと思います・・・」


「そんなことはありませんな、これは我がシレンティウムにとって一大事です。」


「・・・そうなんですか?」


「そうです。」


 シッティウスにきっぱりと言われ、助けを求めるように周囲を見回すハルであったが、その席に着いているもの全員がこの件についてはハルの敵である事が直ぐに分かった。

 平静を装ってはいるが口元がにやついている者、あからさまににやにやと笑みを浮かべてこちらを見ている者、興味深そうな顔でこちらを眺めている者、うんうんと何故か同情的に頷いている者など・・・

 唯一エルレイシアだけが本当の笑顔でハルを見つめている。


「・・・よろしいですか?」


「どうぞ・・・」


 シッティウスがハルの様子を見計らい、絶妙の間合いで声をかけると、ハルは諦めてそう言った。

 シッティウスはハルの承諾を得ると満足そうに頷き言葉を継ぐ。


「では・・・先程アキルシウス殿の結婚が一大事と申しましたのは、決して誇張ではありません。今後予想される交渉相手や帝国の有力者、果ては諸外国からの婚姻策を防ぐという意味ではかなり重要です。幸いなことに、帝国に一夫多妻の制度はありませんから、ここでエルレイシア殿と結婚すれば、少なくとも帝国内の勢力からの婚姻による取込みは防げるでしょう。」


「しかし・・・諸外国はどうか?」


「問題はそこです。」


 アダマンティウスの言葉に、シッティウスはいつもの物より少し薄い資料を手に取り、それを繰りながら答える。


「シルーハと東照は、社会的地位の高い者において妻を多数持つ事が許されている場合があります。また、クリフォナムやオランの民も、貴族や王は妾を持つ事が多いようです。」


「ああ、既にその類いの動きがあるが・・・族長達はあれだけ発破をかけたにも関わらず辺境護民官殿に動きが無い事に業を煮やしているだけだ、エルレイシア殿との婚姻を発表すればおさまるだろう。」


 アルキアンドの発言にレイシンクとヘリオネルが苦笑しながら頷くと、シッティウスが言葉を継いだ。


「結婚をしていれば、諸外国に対しても帝国の風習に合わないと突っぱねる事が十分可能です。ですから、重要なのです。それで式次第と日取りなのですが・・・」


「ち、ちょっと待った!」


「なんですかな?」


 ハルはさっきと全く同じ言葉の遣り取りで話の流れを中断させると、恐る恐るといった風情で疑問を投げかけた。


「今ふと気が付いたんですが・・・どうしてみんな、その・・・自分が申し込んだ事を知っているんですか?」


「顧問官殿から聞きましたが、ご相談などされなかったのですか?」


「・・・誰にもそんな話はしなかったはず。」


 さも当然だという口調で答えるシッティウスに、ハルが考え込みながらつぶやくが、はたと思い当たって勢い良く振り返ると、既に明後日の方向を向いているアルトリウスが居た。


『・・・覗きの誹りは敢えて受けよう。』


 明後日の方向を向いたまま腕組みをしたアルトリウスが答える。

 ハルはここ数日間の市民や官吏達の生暖かい声援や視線の理由、あるいは言われなき?怨嗟の声に合点がいった。


「・・・先任っ・・・」


『・・・』


 ハルの非難めいた呼びかけにも応じず、アルトリウスは無言で明後日の方向を見ている。


「よろしいですかな?」


「・・・はい。」


 シッティウスの言葉に、ハルは追及を諦めて席に向き直った。

 皆の自分を見る視線が痛い・・・

 下手をすればエルレイシアに言った言葉まであちこちで吹聴されているかも知れない。

 照れからにこにこと満面の笑みを浮かべているエルレイシアの顔を見る事も出来ず、ハルはシッティウスの配り始めた日程表と式次第が記された紙に目を落とした。

 全員にその紙を配り終えると、シッティウスは徐に言葉を発する。


「・・・皆さんのお手元にお配りしました表は、今回のシレンティウム同盟締結式と併せて執り行いますアキルシウス殿の結婚式を含めたものです。同盟締結式を済ませた後はそのまま結婚式へと自動的に移ります。参列者の顔ぶれは変りませんが・・・1人難物が来賓として来るかも知れません。」


「難物、ですか?」


 ハルが顔を上げると、シッティウスが頷いた。


「はい、私の州総督時代の部下で今帝都に勤めている者がおりまして、その者からの情報なのですが、まだ正式決定では無いものの皇族が1人監察官としてこのシレンティウムへ来るそうなのです。その候補に上がっているのが、“あの”ユリアヌス殿下です。」


「・・・奇人殿下か・・・」


 アダマンティウスがぽつりと漏らした奇人殿下ことユリアヌスは20代後半で、マグヌス帝の養子。

 父親はマグヌス帝の甥であるユリウス殿下で、兄妹は姉が2人に弟と妹が1人ずついる。

 ユリアヌスは皇族らしからぬ振る舞いで皇族や貴族からは鼻つまみ者扱いを受けている一方、市民や兵士、下級官吏からは非常に人気がある。

 一兵卒に混じって軍事訓練を受けたのみならずそのまま海賊討伐に出てしまったり、市井の商人に身分を隠して弟子入りし、数ヶ月間勤めた事もあったという。

 帝都の居酒屋に数名でふらりと現れて飲み食いし、酔っ払った挙げ句に道行く貴族の馬車に行き当たって喧嘩になったというのは最近の出来事であるが、過去の同じような出来事は数え切れないほどだ。


 そのたびに行方不明となった皇族を秘密裏に探す為、皇帝宮殿からかなりの人員が動員される羽目になることから、皇帝宮殿に住まう者達からの評判はかなり芳しくない。 

 皇位継承順位は高いものの、本人に余りその気がないのか、奇矯な振る舞いからか、そう言った争いとは無縁であると見なされている皇族の1人である。


「政治的にはマグヌス帝の施策には常に反抗的で、考え方はどちらかと言えば中央官吏派ですが、思想が一致すると言うだけで派閥に担がれているという事はありません。むしろ今の執政官であるカッシウス殿とは距離を置いています。監察官に任命されたとすれば、皇帝による明らかな厄介払いですな。」


 ぺらぺらと資料を繰りながら、シッティウスがそう断じた。

 幼少期は利発と評判であった為、息子のいないマグヌス帝がユリウスに頼み養子に貰い受けたが、長ずるにつれて奇矯な振る舞いが増え、今はマグヌス帝もその扱いに苦慮しているという噂である。

シッティウスの言葉は皇族に向けるものとは思えない程辛辣だが、まさにそれ以外に表現しようのない人選であるため、ハルも思わずこぼした。


「来てしまうのであれば仕方ないですね・・・」


「おそらく、近々帝都から通知が来ると思います。その日程の事を含め・・・今日は、今一度このシレンティウムの方針と申しましょうか・・・今後についてアキルシウス殿の存念を聞かせて頂きたいのです。それ次第では今後の施策や帝国への対応、諸外国への対応が変ってきますので。」


 シッティウスがそう言うと、出席者全員が改めてハルを注視した。

 ハルは全員の視線を受けながら一呼吸置き、エルレイシアを見てから徐に口を開く。


「・・・そうですね、迷いも、なくなりましたし、お話ししないといけませんか。」


「では?」


「はい、自分は最終的にこの地に“北方連合国”を立ち上げるつもりです。」


「北方連合?」


 聞き慣れない言葉に、アルキアンドが尋ねる。


「はい、今のシレンティウム同盟を発展させ、シレンティウムを首府にした北方辺境の新たな国です。当分の間は部族社会と都市社会が混在する国になると思いますが、帝国の制度を取り入れつつも、帝国の悪弊を廃した形を目指したいんです。」


「それは・・・帝国との交流はどうするんだい?」


 ペトラが続いて質問すると、ハルは一つ頷いて答えた。


「さっきも言ったとおり、帝国の制度や良い所はこれからも取り入れていくつもりですから、敵対するつもりは全くありませんし、交易もします。それにこの北方辺境は帝国の正式な領土ではありません、ですから帝国の領土を切り取って自立する訳ではないので、上手くいけば帝国にとっては元手なしで属国の一つが増えたとでも思ってくれるでしょう。元々、自分は左遷された上に帝国からは何も与えられていませんから。」


『わはは、左遷官吏であった頃が懐かしいであるな!』


ハルの言葉に、いつの間にか戻っていたアルトリウスが笑いながら言うと、ハルも笑顔を浮かべていたずらっぽく言葉を継いだ。


「尤も、アダマンティウスさんや帝国の兵士は5000人ばかり貰いましたが、こんなのは北方辺境の国境警備を肩代わりするお駄賃みたいなものです。貰った内に入りません。」


「うむ、何なら全員一旦辞職してシレンティウムに雇い直して貰っても良い。」


 うんうんと頷くアダマンティウスが言うと、シッティウスが何時ものしかめっ面で資料に書き込みをしながら発言した。


「なるほど・・・いずれは自立を、という事ですな。」


「ええ、近隣諸国や諸族とはなるべく友好的な関係を築いていきたいと考えています。」


「東照帝国は良いとして、シルーハ王国は帝国と敵対的だぞ?」


 ハルは自分の言葉に質問するルキウスへ向き直り、答えを口にする。


「問題ない、むしろ仲介の労をとって、双方へ恩を売る事も出来る。」


「・・・そうかあ、そうなればシレンティウムと帝国は別の国だもんな!」


 ルキウスが感心したように唸った。


「そこで、相談というか・・・問題なのはその監察官なんです。できれば、シレンティウムへ来る時期を遅らせて貰いたいんですが、何とか出来ませんか?」


 ハルの言葉にシッティウスがぴたりと筆を止めて反応した。


「・・・同盟締結式には参加させたくないと?」


「そう言うことです、帝国の息が掛っていると思われるのはいやですし、そもそも帝国の皇族を入れてしまえば帝国と各部族の同盟に意味がすり替わってしまうかも知れません。」


『たとえその意図が無いにせよ、そう曲解する者は特に帝国に多かろう。』


 ハルの言葉を補完したアルトリウスの言うとおり、帝国のシレンティウムに否定的な勢力は、おそらくそう曲解し、何らかの仕掛けを施しかねない。

 シッティウスは、別の資料に書き込みをいくつかすると、口を開いた。


「分かりました、では、同盟締結式と結婚式を早めてしまいましょう。万が一にも早く来てしまった場合は、アダマンティウス市長の権限で、コロニア・メリディエトで足止めをして貰います。」


「それくらいは造作もない。何日でも足止めしておこう。」




 一旦、散会となった会議の後、執務室にシッティウスとルキウスが残る。

 席に着いたままのシッティウスが徐に尋ねた。


「お話というのは何でしょうか?」


「自立するという方針を立てたのは良いんですが、その事によって市民がどういう反応を示すか、という事について検討しておきたいんです。我々行政府の人間は、多分問題ないでしょうが、クリフォナムやオランの人はともかくとして、帝国から移住してきた人たちの心情が心配です。」


「・・・たしかになあ、北方連合は実現すりゃ、故郷を捨てる事になっちまうしなあ。でも・・・」


ハルの言葉にルキウスがいつもと違って少し深刻な様子で言うが、最後は言葉を濁す。

 それまで帝国の一部として稼働してきたシレンティウムが、帝国から自立した時、帝国からの移住者達はその故郷と切り離されてしまう事になる。

 ハルは自分が故郷に戻らない決心を付けた時の喪失感と寂寥感を思い出し、同じ気持ちをシレンティウムの市民が味わう事にならないだろうかと心配したのだ。


 自立を果たした時、シレンティウムの市民に動揺が広がる事態は避けたい。

 帝国との関係が上手くいけば、その気持ちはある程度緩和されるだろうが、万が一にも帝国と干戈を交えるような事態に陥った時、その不安が爆発しかねないだろう。


「退役兵の皆さんは、ある程度心づもりも出来ているでしょうが、その家族となると話は別ですし、帝国に家族や親戚を残してきている人たちも多いはずです。」


「確かに、難しい問題である事は間違いありませんが、これは解決するにはそれぞれの気持ちを切り替えて貰うしかありませんな・・・まあ、退役兵協会やシレンティウム在住の帝国から来た市民達には、代表者を通じて話を通しておきましょう。それでも、このシレンティウムから市民達が離れる事はないと思いますが。」


 ハルの言葉に、シッティウスはそう言いつつルキウスを見る。

 ハルが怪訝そうな顔で2人の遣り取りを見ていると、ルキウスは片手を上げてシッティウスの視線に答え、ハルに向き直るとつらつら話し始めた。


「さっき言いそびれたんだが・・・そりゃ、当たり前だろ!こんな居心地が良くて住みやすい街は他にないからだよ。食いもんは新鮮で旨くて水は奇麗で清浄。街は清潔。偉そうな軍人や官吏、貴族はいないし、税金は安い。治安はいい、発展性もある、まだまだあるぞ?こりゃ俺が巡回してて拾ってきた市民の声だからな、それと、街に対する悪口は陰でもあんまり聞かないぜ。」


「と、言う訳です。アキルシウス殿はもう少し自信を持っても良いと思いますな。このシレンティウムはもう既に他の帝国の街とは違う要素で成り立っているのです。少しの動揺はあるでしょうが、私たちの見立てによれば、たとえ明日独立を宣したとしても、然程の混乱は起こりませんでしょう。」


 ルキウスとシッティウスの説明に、ハルは拍子抜けした思いで椅子に深く腰を沈めた。


「そうですか・・・」


どうやらハルの心配は杞憂に終わりそうである。


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