第1章 シレンティウムの亡霊 その2
「・・・嘘だろう?」
『嘘では無い、尤も未だ生があるとは言わぬよ、我が身は既に此の世のものでは無い。』
まだ日は高い。
しかし、ハルの前には確かに古めかしい鎧兜をまとった男がおり、その姿はハルだけでなくエルレイシアの目にも映っている。
エルレイシアは、額に冷たい汗を流し、握りしめていたハルの袖を強く引く。
「ハル・・・あれは人ではありません、太陽光を浴びて平気で、しかもまともな意志を保っているというのは希有な例ですが、死人の霊体です。」
「本物か・・・。」
ハルの額にも冷たい汗が流れる。
しかし、その男は目の前の2人の様子が変わった事に余り頓着した様子も無く話を続ける。
『まあ、信じられぬのも無理は無い、お主がまだ生まれてもおらぬ時代に此の地を統べていた者であるが・・・戦に敗れたのだ。』
「その話は知っている、敵も見事に戦った英雄アルトリウスを讃え、丁重に遺骸を清めて帝国に送り返し、英雄は帝都の廟に祀られたとある。」
かろうじてハルがそう返すと、アルトリウスは口を皮肉にゆがめた。
『ふん、そのような世迷い事を言ったのは帝国のあほ貴族共だろう?平民で被征服地出身の我がそのような厚遇を受ける訳が無い、我が身は既に朽ち果てたが墓所と棺は此の奥にある、見てみるか?』
「い、いや、構わない。」
『そうか?・・・まあ良い、40年ぶりの客だ、歓待しよう、こちらへ来るといい。』
踵を返すアルトリウス。
ハルとエルレイシアは一瞬顔を見合わせるが、ハルがぐっと頷くと、エルレイシアもこくりと頷き、アルトリウスの後を追った。
軍団司令室と思われる建物に導かれたハルとエルレイシアは、アルトリウスに勧められるまま石造りの椅子に座る。
『それで、辺境護民官を寄越したと言う事は帝国に此の州を復興させる決心が付いたと言う事であるかな?』
「いや、そう言う訳では・・・」
アルトリウスは律儀に自分の執務机に回り込んで腰掛けると徐に切り出した。
しかし、ハルはアルトリウスの問い掛けに口を濁す。
アルトリウスの顔が僅かな笑顔から怪訝なものへと変わる。
『・・・辺境護民官とはいえ、後任を寄越したと言う事は我はお役ご免であろう?』
「と、そういうことになるか。」
肌身離さず持ち歩いている命令書と追加命令書を取り出しながらハルが言う。
帝国では役職が消滅したり、非違行為があって解任される以外、後任者が命令書を持参して赴任地に到着し、引き継ぎを終了した時点で前任者は自然に役職を解かれる事になっている。
引き継ぎ期間は、赴任先や役職の特殊性に鑑みて期間は長短することがあるものの、原則は1週間である。
『我も職務を引き継ぎたかったのだがな、我の責任とはいえ州は無くなったのに、皇帝陛下は解任して下さらないのだ。』
確か英雄アルトリウスを讃え、消滅した北方守備軍司令官と第21軍団軍団長はそのままアルトリウスが任じられ続けている。
毎年行われる高位官の任官式で、英雄アルトリウスと東照帝国との戦いで勝利しながらも戦死したリキニウス将軍は一番最初に名を読み上げられており、ハルはその事を思い出した。
「律儀だな。」
『何を言うか、帝国軍人であれば職務を果たすのは当然の事だ・・・尤も我は中途でしくじってしまったのであるがな、職責を全うしたとは口が裂けても言えん・・・だが、後任者がこうしてきたからには、我もようやく任務から解除されると言う事だ!』
アルトリウスは音も無く立ち上がるとすいっと人間ではあり得ない挙動でハルに迫る。
ぎょっとして身を引くハルとエルレイシアを意に介せず、アルトリウスはぎらつく目でハルの手元を指さした。
『さあ、引継書を渡して貰おう!命令書を持っているのだから当然持っているだろう?過不足無く引継が出来るよう都市は清潔に保って置いたぞ!』
「引継書は無い、俺の任務は誰からも引継を受けないからだ。」
アルトリウスの異常とも言える剣幕に若干引き気味に答えるハル。
『何?』
「俺は左遷されてここへ来たんだ、引き継がれるような任務も役職も無い。」
鋭く問い返すアルトリウスに、ハルはやけくそ気味に答える。
『さ、左遷だと・・・な、何と言う事だ・・・このような重大極まりない地を放置し、あまつさえ左遷官吏を派遣するとは・・・帝国のあほ貴族共め!』
鬼の形相となるアルトリウス。
ぶわっ
アルトリウスの背後から鬼火が立ち上がり、周囲の床からは帝国兵の亡霊達がぼこりぼこりと立ち上がり始める。
剣を抜き、破れた鎧兜を身にまとった兵士達が周囲を埋め尽くす。
素早くハルは刀を抜くが、亡霊相手に効果があるかどうか迷い、切り付ける事に躊躇した。
「地に彷徨う霊よ、安らかなる眠りを天にて得られん事を・・・清浄!」
シャアアアアア
エルレイシアはとっさに杖を構え、浄化の呪文を唱える。
たちまちどこからともなく太陽光が降り注ぎ、周囲を明るくそして暖かく照らす。
『・・・クリフォナムの太陽神官殿か、なかなか強力な術であるが、我には効かん、帝国皇帝から毎年任官式に名を借り、呪いを新たにされ、此の地に縛られ続ける我にはな。』
アルトリウスは鬼火を伴いながらも悲しげに降り注ぐ太陽光に身を任すが、その姿は留まり続け、やがて太陽光が途切れる。
現われた兵士達も全員が顔をゆがめ、悔しそうに下を向くばかりで襲って来るような様子は無い。
「まさか任官式にそのような呪が込められていたとは。」
『我も此の身になって初めて知った、東照国境のリキニウス殿もさぞかし悔やんでおろう、帝国に尽くしたが故に帝国の盾にされ続ける羽目になろうとはな・・・』
ハルが絶句したことに対して自嘲気味に答えるアルトリウス。
その様子に先程までの鬼気迫る雰囲気は無い。
「・・・どうにかならないのか。」
「私にこれ以上のことは・・・先程の清浄術は最大に力を入れたのですが・・・」
思わずエルレイシアへ尋ねるハルであったが、エルレイシアは些か疲れた様子で答えた。
「すまん。」
『御主が謝る事ではあるまい、まあ、我も最初此処へ来た時は左遷であった、お仲間と言う事だ・・・ふむ、では最後に一つ手合わせを頼もう、不甲斐ない前任者からの贈り物だ。』
「いや、遠慮する。」
『何を遠慮する事がある?構わんからこっちへ来い、闘技場があるのだ。』
「いや、やらんぞ。」
『・・・そう言われると意地でも試したくなるものでな、まあ、付き合え、手加減はしてやる。』
「・・・やらないって言ってるだろう。」
『・・・・・・・』
「・・・・・・・」
『・・・おい貴様ら、辺境護民官殿を丁重に闘技場へお連れしろ。』
ざざっ
兵士達が無言でハルとエルレイシアを囲む。
「ハ、ハル・・・」
兵士達の隙の無い動きに怯えるエルレイシア。
自分の術が効かない相手である事もあるのだろう、心細そうにハルへぴったりと寄り添う。
「・・・。」
脱出する事は出来そうに無い事を見て取り、ハルはあきらめのため息をついた。
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