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第8章 都市始動 辺境護民官の1日篇(その1)

 シレンティウムにおける、辺境護民官の一日

 

 辺境護民官ハル・アキルシウスの朝は早い。

 今日も既に薄暗い内から目を覚まし、手早く衣服を身に着ける。

 春間近とは言え、北方辺境のこと、外はまだまだ寒い。

 ほんのり温かいシレンティウムの水道水を使って洗顔を済ませ、ハルは同じ建物の下の階にある執務室へと向かった。


 その途中に、木刀を2本持った楓と出会う。

 楓の部屋はハルと同じ階の階段脇にあり、ハルはその前を必ず通る為、早起きして待ち構えている楓とは必ず毎朝会うのである。


「ハル兄おはようっ!」


「・・・楓、頼むからもうちょっと静かにしてくれ、まだ寝ている者達も居るんだ。」


「え?なんで?せっかくの朝なのにっ!」


「・・・だから、まだ寝ている者もいるって、言ったろ。」


 ハルが再度窘めると、楓は不満そうに口をとがらせながらも大人しく従う。


「む~・・・ま、いいや、それより今日もお願いっ。はいっ!」


「全く、毎日毎日飽きないな・・・」


 元気一杯に左手の木刀を差し出し、朝稽古のお誘いをする楓に、ハルは苦笑しつつもそれを手に取った。


「裏庭へ行こうか、それ程時間は無いからな。」


「うん!」

 


 

 時間は無いと言いつつ、結構な時間を費やしてハルが楓と剣術稽古を終えて執務室へ入ると、良いパンの匂いがふわっと2人を包む。


「ハルさん、おはようございます。朝食をお持ちしました。」


「おはよう、ロットさん。」


 いつものことだが、プリミアが来て朝食を用意していたのだ。


「やっ、プリミア~きょうもありがと~」


「おはようございます、楓さん。」


 楓がプリミアに近づき、プリミアが胸の前に差し出した両手のひらへ自分の手のひらをぱちんと打ち合わせる。


「いつもありがとう。」


「いえ、これぐらいしかお役に立てませんので・・・」


 ハルが楽しそうにはしゃいでいる楓とプリミアの横から声をかけると、プリミアは少しはにかみながら答えた。

 雑談を交えながら旅館の経営状況や設備で不備があったことなどを報告しつつ、楽しそうにしているプリミアを見ながら、楓がつぶやく。


「むむ・・・プリミアめ・・・でも、プリミアの焼くパンは美味しいし・・・」


 ハルの机に置かれた籠からパンを一つ取り、もしゃっとかぶりついた楓は、もぐもぐと口を動かしながら2人の様子をいつものようにうらやましそうに見つめるのだった。




「おはようございます、アキルシウス殿。今日も宜しくお願いします。」


 食事が終わり、楓とプリミアが執務室から出てしばらくすると、両手に資料を持ったシッティウスがいつも通りのしかめっ面で入ってきた。

 毎日ぴたりと同じ時刻に執務室へ入ってくるシッティウスは、シレンティウム行政府の時計代わりであり、彼が廊下を通った時が始業時間である。


 シレンティウムにもかつてアルトリウスが設置した青銅製の水時計が修復、整備されており、40年前に製作、設置されたとは思えない正確さで時を刻んでいる。

 当番兵が朝昼夕にそれぞれ交代の際に見回り、水時計の時刻を確認した後、時鐘を打ち鳴らすという方法で都市への時刻告示をしているが、シッティウスの出勤、昼休憩、退庁の時刻はそれに劣らず正確であるので、専らシッティウスによって時刻を確認しているシレンティウム行政府。


 一度当番兵がうっかりして昼の時鐘を鳴らし忘れた時でさえ、シッティウスは正確に昼のお茶の準備を始めてハルやドレシネスの度肝を抜いた。

 本人曰く「自分の能力とその日のやる気、体調を勘案すればどの程度の時間が経ったのかは仕事量で分かります」とのことである。

 


「あ、どうもおはようございますシッティウスさん、今日の案件は?」


「まず、最初に・・・通りの整備についてですが、建築資材の置き場所を通り以外に確保するよう触れを出したいと思います。」


 ハルの前にある自席へ資料を一旦置き、その中から2枚程紙を抜き出してハルへと示すシッティウス。


「なるほど・・・通りでは無く、隣接する空闊地に置くようにするのですね。それでも駄目な時だけ通りへ一時的に置くことを許すと・・・」


「はい、加えて建築資材は使用予定分を搬入させるようにしまして、夕方には通りに建築資材を残さないように致します。」


「街路表示はどうしますか?」


「これは今すぐという訳には参りません。シレンティウムは日々成長しておりますので、まだ通りの名前がきっちり決まっていない所もあります。ただ、それではいかにも不便ですので、とりあえず大通りへの進行方向とその先の大通り名を記した看板を辻へ設置したいと考えております。」


 シッティウスがもう1枚の資料を取り出してハルへと示す。


「・・・そうですね、加えて頂けるなら、街区の地番表示をして頂けますか?街区や番地については既に決定をしていますから、例え空き地でも表示は出来るはずです。」


「なるほど、自分のいる場所をまず把握できるようにする訳ですな・・・早速手配致しましょう・・・そしてこちらが今日の決裁です。」


 シッティウスは資料へ書き込みをしながら、決裁書類の束をハルへと手渡した。


「はい、分かりました、目を通しておきます。何か特に注意することはありますか?」


「いつも通り、重要なものを一番上にしておりますが、特に注意をして頂きたいのは、この案件、そうです、それに記してありますが、アダマンティウス市長からの報告書です。帝国東部の各州から、有事の際の派兵要請があったそうでして・・・」


 ハルが尋ねると、シッティウスは一番上に置いた紙を示しながらそう答える。

 帝国の東部及び北部諸州で治安が悪化して、様々な影響が出ているという報告は、以前から受けていた。

 シレンティウムへやってくる行商人が口々に申し立てたこともあるが、一番顕著な影響は帝国製品の物価高騰である。

 盗賊や山賊、果ては海賊の横行によって流通が滞り始め、またそれを見越したあくどい商人達が物品の買い占めや売り渋りを始めた影響である。


 幸いにもシレンティウムの生活用品生産は順調で、帝国から買い入れるのは専ら貨幣と資源金属、それに武具であるので、これについては帝国の統制がある為、それ程価格に変動は無い。

 しかし治安の悪化を是正する帝国軍は南方へ集中しており、討伐や警備もままならない状態に陥っているのが今の帝国北部と東部であるのだ。

 ハルが資料から顔を上げてシッティウスに質問する。


「それは・・・無理ですよね?」


「辺境護民官の権限については、帝国国境外のみとするという法令がございますな。」


「ううん・・・」


 州総督達も法令を知らない訳は無く、これは苦渋の決断であろう。

 裏を返せば、それほど事態は悪化しつつあると言うことである。

 悩ましげに唸るハルへ、シッティウスは帝国法典を開き、ぱらぱらとその分厚い本をこともなげに片手で操りながらページをめくった。

 そして、目当ての法令が記された箇所を探し当てると、ハルへと示す。

そこには辺境護民官権限について記されており、任命権者やその権限の条文の最後に特例措置についての記述がある。


「但し、一つだけ、ご覧になっておられます条文の通り、内乱があった時と、外国勢力が進出してきた時は直近の州総督や軍司令官の要請と承認により、国内に戻ることが出来ますが・・・おそらく辺境護民官が創設された時はアキルシウス殿のように力を持った辺境護民官の存在を想定していなかったのでしょう。その際の軍権や行政権については特に規定はありません。ですので・・・」


「可能ではある・・・ということですか。」


「はい、法の抜道を使うと言うことになりますので、本来余り褒められた方法ではありません。しかし、そうも言っておられない事態に陥ることもありますので、想定をしておいて損は無いと思います。」


 ぱたんと帝国法典を片手で閉じ、シッティウスが言った。


「では、私は各所を回って参りますので、その件を含めご検討下さい。」


 シッティウスは自席へ帝国法典を置き、今度は先程置いた資料を片手にハルへ一礼すると執務室を退出する。

 シレンティウム行政府は、ハルのいる2階と1階に各部署によって事務室が設けられており、シッティウスは各部署を兼務している為、1日かけて担当する部署を回るのである。


「ご不便をおかけしますが私の知り合いを伝送石通信にて呼び集めておりますので、もうしばらくお待ち下さい。いずれも偏屈であったり、貴族嫌いであったりではありますが、仕事は出来る者達です。シレンティウム行政府に無くてはならない存在になるでしょう。」


 最後にそう言い置いてシッティウスは去って行った。

 後はハルの仕事、書類に目を通し、許可の署名を行っていくのだ。

 単調だが重要な仕事、しかし眠くはなる。


「うう・・・きつい・・・」


 文字を必死に読み下しながら、ハルは書類の処理に時間を費やした。




 昼は軽くお菓子を食べるだけで済ますのが帝国の流儀である。

 戦争時はともかくとして、クリフォナムやオランにも昼食を食べる習慣は無く、1日2食が基本で、こちらは特に昼時は何も口にしない。

 しかし、帝国人達がお茶と共に軽食を口にしているのを見て、まず女性や子供達がまねを始めた。

 やがてそれは市民全体に広まり始め、そうしてシレンティウムでは昼時の軽食が習慣として根付きつつあったのである。


 ハルは薬草の分類と整理が終わったという報告をエルレイシアから受け、その書類と標本を受け取りに太陽神殿へとやって来たが、そこでエルレイシアからお茶に誘われた。

 アルスハレアはアルペシオ族の村へ薬草指導に出かけていてここ数日は不在であり、今太陽神殿はエルレイシア1人だけ。

 隣の薬事院には薬師や薬師見習達がいるが、彼女等は彼女たちでお茶を楽しんでいるのだろう、太陽神殿の方へ来る気配は無い。


 太陽神殿の裏庭に設えられた椅子と机には、エルレイシアが淹れたハルが好きな香草茶が2人分、それに小麦と蜂蜜を混ぜて練り上げて焼いた菓子が出されている。

 蜂蜜はエルレイシアがフィクトルから購入した非常に質の高い物で、香り味とも申し分ない。


「ハル、こちらの蜂蜜菓子、とても美味しいですよ。」


「そう?じゃあ・・・」


「はい、どうぞ。」


「エルレイシア・・・さすがに、その、それは・・・」


 暗にあ~んの姿勢を要求するエルレイシアに、ハルは恥ずかしさで赤くなる。


「良いじゃないですか、誰もいませんし・・・私たちだけですよ?」


「うう・・・」


 先日の族長からの要求が効いているのか、いつもと違って強く意識してしまい、どうにも断り辛く、ハルは周囲に人影が無い事を念入りに確かめてから、エルレイシアへと向き直った。


「はい、あ~ん。」


 ぱくり


「・・・美味しい・・・蜂蜜の風味がよく生きている・・・」


 恥ずかしさで顔が赤くなるのが自分でも分かるが、それをお菓子の解説で誤魔化そうとするが、エルレイシアの攻撃はそれだけでは終わらない。


「うふふふ・・・こっちのお菓子もどうぞ。」


「あの・・・」


「あ~ん、です。」


 ・・・ぱく


 1度やってしまって抵抗感が薄れてしまった事と、2度目を断る理由が思いつかなかったハルは目をつぶったままエルレイシアの要求に応じた。

 心底嬉しそうに微笑むエルレイシアの顔に見とれているハルの目の前に、すいっと同じお菓子が差し出された。


「うふっ、じゃあ、今度はハルが私にして下さい。」


「・・・え?ええっ!?」


「はいどうぞ・・・」


「うう・・・は、恥ずかしい・・・」


 更なるエルレイシアの要求に抗しきれず、お菓子を優しく手渡されたハルは、恐る恐るエルレイシアの口元へお菓子を差し出した。


 ・・・かぷり


「あ!?ちょっ!!」


「あん・・・どうして指を引くんですか?」


 指ごとお菓子を口に含もうとしたエルレイシアに驚いたハルが指を引くと、エルレイシアが拗ねたように抗議する。

と、その時、太陽神殿の裏扉が勢い良く開かれた。


「ハル兄っ!なにしてるのっ!?」


「な、何だ楓じゃないか・・・どうした?」


「何だ、どうした、じゃな~いっ!今変なことしてたでしょっ!?」


「し、してないぞ。」


「そうです、変なことではありませんよ?」


 楓の剣幕にしどろもどろで答えるハル。

 それとは対照的に、優雅な仕草で香草茶を喫しつつ平常に答えるエルレイシアへ楓が噛み付いた。


「・・・してたっ!」


見えない火花を散らす2人に、耐えきれなくなったハルが声をかける。


「・・・楓、お前も一緒にどうだ?」


「とうぜんっ!ボクも良いもの持って来たんだっ。」


 ハルの言葉に楓はころりと態度を変え、笑顔を見せながらそう言いつつ早くもハルの隣に椅子を持ってきて座った。


「あっ・・・ハル、酷いです・・・せっかく2人きりでしたのに・・・」


「ま、まあ、まあ・・・あの、また、夕食は一緒に・・・」


「・・・お待ちしていますから・・・」


 その様子を見たエルレイシアが少し悲しそうにこぼすと、ハルは何かを袋から取り出そうと悪戦苦闘している楓に聞こえないよう、小声で埋め合わせを誓う。

 エルレイシアもそれで少し機嫌を直したのか笑顔を戻した。


「ハル兄!これこれっ!エティアさんから貰った果物のジャムだよ!」


 2人の遣り取りを余所に楓がそう言いながら取り出してハルへ示したのは、お茶へ入れるジャムが入った小さな壺。

 エティアはヘリオネルの妻で、シレンティウムへ到着した際は身重だったが、今は無事子供も生まれ、今は子育てをしつつ元気にヘリオネルを助けて街区を束ねている。

 因みにこの子はシレンティウムで生まれた最初の子供で、太陽神殿でエルレイシアの生誕詩を送られ、セリアと名付けられた。


「エティアさん、もう動いて良いのか?」


「うん、赤ちゃん見せて貰ってきたよ。すっごい可愛かったあ~女の子だったよ!」


「そうか、赤ちゃんかあ。」


 目を閉じ、うっとりした楓がジャムの入った壺を胸に抱きしめて言い、それに対して感慨深げにつぶやくハルを見るエルレイシアの視線に熱が籠る。

 そして、ふと何かを感じたハルがエルレイシアの方を見た途端、ハルはその視線に絡め取られてしまった。

 しばらくしてその静寂に気付いた楓が怪訝そうに目を開くと、目の前でじっと見つめ合う2人の姿がある。


「だ、ダメッ!?」


 とっさに楓はジャムの壺を持ったまま、慌てて2人の間に分け入った。



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