第8章 都市始動 シレンティウム同盟成立篇
シレンティウム行政府・大会議室
シレンティウムに協力的な各部族の族長達が勢揃いした大会議室は緊張に包まれていた。
今まで個別に交渉することはあっても、一堂に会したことは無い族長達。
ましてや今回は部族の未来を決めかねない重要な会議である。
その会議へ招請されたのは、全員がシレンティウム籠城戦で志願兵を送った部族の族長やそれに準ずる者達。
表だってはハルの援軍要請を断った族長達であったが、全くの非協力で有った訳では無く、食料の供出や情報提供を行って側面から戦いを支援した。
しかし、同盟については時期尚早を理由に断っていたが、今回、ハルの改めての呼びかけに対しては全員が応じたのである。
各部族はシレンティウム籠城戦でハルが示した武勇と、その姿勢を認めたのだ。
族長達は部屋に入る前から互いに牽制し合い、とりとめの無い会話の中に相手の真意を探ろうとするが、それも果たせず、全員が程なく集合した。
まだ会議を主催した辺境護民官は到着していないようで、部屋まで族長達を案内した帝国兵も、部屋の入り口で全員がことごとく引き返してしまった。
大会議室と呼ばれる部屋は、クリフォナム人好みの穏やかな装飾や浮き彫りで飾られているが、その精巧さは帝国の技術の高さを見せつけていた。
最初は入り口のある待合室で手持ちぶさたにしていた族長達だったが、隣接する会議室の扉が開かれていることに気付き、暇を持て余していたこともあって部屋を覗いてみることにした。
しかし、その部屋の中に置かれているものを見て、族長達は戸惑うことになる。
部屋の中に鎮座しているのは巨大な一枚板の円卓。
間隔を等分に開けられて木造の椅子が置かれているが、特に席次表や指定表は無く、また先程引き返してしまったので、当然案内役もいない。
「何じゃこれは?」
真っ先に素っ頓狂な声を上げたのは、60に手が届くかと言うくらいの、アルペシオ族長のガッティ。
声も身体も大きい、若い頃から武闘派でならした南方諸族一の暴れん坊族長である。
「特に指定は無いのだな?では・・・」
そう言いつつ手近な椅子へ座ろうとするのは、アルマール族の城邑、ヘオンの村長グーシンドであるが、こちらは物静かな雰囲気の30歳。
「まあ、待て、席次はあるかもしれん。担当者を呼べば良いではないか。」
そう言いつつグーシンドを制したのは、50歳くらいの長いあごひげを生やした、ソダーシ族長マルドス。
「その担当者が見当たらないのですが・・・」
そう言いつつ周囲を見回すのは、ソカニア族長のボーディー。
こちらは未だ20歳前半の若者である。
「ふむ、しかし、ここへ案内だけして立ち去るとは不親切だな・・・」
つぶやくように言う、40過ぎの口ひげを生やした男はアルゼント族の族長セルウェンク。
「では、しばらく待つとするか!」
そう言いながらもどっかりと椅子に座ったのは、オラン人ベレフェス族の族長ランデルエス。
「おい、まだ早かろうが!」
ガッティが早速ランデルエスに文句を言うが、ランデルエスはちらりと一瞥するのみで全く意に介した様子も無い。
「お主!」
「まあまあ・・・せっかくの会議ですから。」
グーシンドに抑えられながらも、文句を続けようとするガッティ。
その様子を苦笑して見つつ、手近な椅子へと腰掛けるボーディー。
「うむ・・・まあ、良いか」
つぶやきながら同じように手近な椅子へ座るセルウェンク。
「お主ら・・・!」
「ガッティどの、私たちも座りましょう。」
次々と腰掛け始めた族長達へ文句を言おうとするガッティを窘めるマルドス。
不満げであったが、窘められて渋々ガッティはグーシンドと隣り合わせに着席した。
「お待たせしました、そして皆さんご足労をおかけします。」
そこへアルキアンドとヘリオネル、アダマンティウスにベルガンを伴ったハルがようやく現われ、挨拶を述べる。
族長全員が注目する中、アルキアンドとヘリオネル、そしてアダマンティウスにベルガンがそれぞれ空いた席へ座り、ハルも目の前の残った席に着席した。
「では、会議を始めます・・・まず、先程の戦いで援助を頂き有り難うございました、お陰様でシレンティウムは勝ちを拾い、私は今日ここで皆さんと会うことが出来ました。」
その言葉に族長達は僅かに身じろぎする。
確かに陰からの援助は行ったし、志願兵にかこつけて各部族の様子見で僅かな戦士達を送りはしたが、逆に言えばそれ以上のことはしていない。
あくまでもアルフォード英雄王率いる北方辺境最強の軍を打ち破ったのは、この目の前でにこやかに話している辺境護民官とその兵士達なのだ。
唯一、アルマールのアルキアンドとグーシンド、それにヘリオネルだけが笑みを浮かべているが、他の族長達は身を固くした。
・・・皮肉か?・・・
矢面に立つことを厭うた事を糾弾されたような気持ちになり、黙り込む族長達。
ハルの顔からその発言の真意を読み取ろうと、族長達は必死にその顔を見つめるが、ハルの表情に変化は無く、むしろお互いが必死な顔でハルを見つめていることに気が付いて苦笑を禁じ得なくなってしまう。
ハルは、そんな族長達を見まわし、少し間を置いて全員が落ち着いたことを確認してから徐に口を開いた。
「それで・・・戦いの前にお願いしていた同盟のことなのですが、どうでしょう。シレンティウムが盟主となる同盟に同意して頂けませんか?条件は特に追加しません・・・あ、一つだけ、西方郵便協会の支局を設置させて下さい。」
自分の武勇におごるでも無く、以前村を訪れて援助を訴えた時と同じような雰囲気で発言するハルに、族長達は拍子抜けした。
もっとかさに掛って様々な要求や条件を付けてくると思っていたのだ。
シレンティウムと辺境護民官にはそれが許されるだけの実力があり、それを実際に示しもした。
ましてや一度は断っているのは、族長側である。
本来であればこちらから同盟話を持ちかけたいぐらいなのだ。
今までの帝国なら、付帯条件を増やし、威圧的な態度で同盟の締結を迫ってきていただろう。
しかし、この辺境護民官は違うようだ。
シレンティウムでの族民達の扱いを聞いていても分かるが、帝国人に珍しくあまり北方辺境に対する差別意識や偏見に囚われていないようで、それは腰に付いた結符を見ても分かる。
いくらクリフォナムやオランで崇敬されている太陽神官とはいえ、帝国の官吏である者がいつまでも大人しく受け続けるということはない。
その気があればとっくに外してしまっているわけで、取りも直さず蛮族という不快感や忌避感を抱いてはいないと言うことであろう。
「・・・それくらいなら・・・」
おやすいご用という訳では無いが、各部族長達はお互いの顔を見合わせながら頷いた。
ハルが出している条件は、今までフリード族が上位にあった状態と比べれば、負担がかなり緩和されたものであり、文章でシレンティウムの上位が強調されてはいるものの、特に問題は無い。
それに、この辺境護民官であれば上位者である事を理由に無理難題をふっかけてくることも無いだろう。
「では、条件について再確認をします。」
ハルが取り出したのは、エルレイシアが祝福を与えた同盟誓約書。
そこに記されている同盟の条件は
1 各部族はシレンティウムを盟主とする相互同盟を結ぶ
2 同盟を結んだ各部族は相互不可侵とし、紛議はシレンティウムが仲裁する
3 隣接する同盟部族は、同盟者以外から攻撃を受けた際は相互に援助する
4 同盟部族に属する族民は、シレンティウム市へ自由に出入りできる
5 同盟部族は、シレンティウムに一定数の兵力を提供する
6 同盟部族は、シレンティウムの敷設する街道建設に協力する
7 シレンティウムは、同盟部族の建設要請や街道敷設要請に応じる
8 シレンティウムは、同盟部族の防衛戦争に協力する
9 シレンティウムは、同盟部族の要請で技師、医師その他の技術者を派遣する
10同盟部族の指導者にシレンティウムとその付属都市の代表者を加え、年1回の定例会議を設ける
11各部族の中心村邑に、西方郵便協会の支局を設置する
というもので、貢納や労役には定めが無い。
同盟誓約書を物珍しそうに眺める族長達。
この同盟誓約書は帝国で作られている物を真似て、エルレイシアが太陽神の祝福を込めたもので、条件の下に各部族の部族名と族長名を署名する欄が設けられていた。
「アキルシウス王、この下の空欄は、いささか数が多いようですが?」
ベルガンが空欄の多さに気付いて尋ねると、ハルはにっこりしながら答えた。
「まだまだこれから同盟者は増える予定ですので、空欄は多めに作ってあります。」
「今更ですが・・・辺境護民官どのは本気ですな?」
「はい、最終的にはこの北方辺境をまとめようと思っています。尤も、帝国になるかどうかは分かりませんが・・・」
セルウェンクの問いに、ハルが答えると、各部族の族長達は絶句した。
この辺境護民官は何を言っているのだ?
帝国から自立した形で北方辺境をまとめるというのか?
「半独立と言いますか、幸いにも自分の権限は曖昧ですので、そう言う曖昧な形をいかそうと思います。あ、もちろん今日署名して貰う皆さんは“第1同盟者”として名誉を受けて頂きますので、ご心配なく。」
ハルの言葉に、アダマンティウス、アルキアンド、ヘリオネル、それにベルガンは然もありなんといった風に頷き、順番に署名をした。
そして、グーシンドがためらいつつも署名を行う。
しばらく固まっていた他の族長達だが、ガッティが我に返ってハルをまじまじと見つめた。
真っ正面から見つめるハルと視線をぶつけ合ったガッティはふっと表情を緩める。
「ふふふ・・・わあっはは、面白い!彼のアルフォードが認めた男にわしもかけてみるとしよう!」
ガッティは大笑するとそう言い、乱暴にペンを取って、太いが意外と流麗な署名を済ませる。
「・・・約束はした、約束は果たす。」
続いたのはベレフェス族長のランデルエスで、力強くガッティの下へ署名を行った。
「・・・わしは帝国でも、シレンティウムでも無い、辺境護民官殿を信じる。」
ソダーシ族長のマルドスがそう言いつつ署名をし、続いてアルゼント族長のセルウェンクが署名をした後に笑顔で言葉を発した。
「私は族民が受けた恩を忘れておりませんのでね、これからも宜しくお願いします。」
「・・・まあ、期待しています。」
ソカニア族長のボーディーが言葉少なく署名し、全員の署名が終わった。
「有り難うございます、では自分も・・・」
最後に盟主の欄へハルが署名を終えると、柔らかい光が誓約書から発せられ、部屋をあたためる。
そして、その右上にじんわりと日付が滲み出し、最後は全員の署名と同じ濃さで落ち着いた。
光も静かなものへと変わり、いまはうっすらと文字を浮き立たせているのみである。
「今日この日をもって、シレンティウム同盟が発足しました。何事があっても同盟を堅持し、相互扶助の精神で難局に対しましょう。」
ハルの宣言に、族長達は同時に力強く頷いた。
「同盟も成ったことですし、これから酒宴となりましょうが・・・我々が酔い潰れる前に一つ糺しておきたいのですが宜しいですかな?」
「何でしょう?」
最年長のアルペシオ族長ガッティが、ハルに言うと、ハルが応じた。
「他でも無い、大神官のエルレイシア様と辺境護民官どののことだ。」
「ええっ?」
同盟に関する質問かと思いきや、エルレイシアのことを持ち出され、ハルはあからさまに狼狽えた。
それまで冷徹な政治家を演じていた仮面は外れ、年相応の青年の姿がそこにある。
周囲に集まる族長達の目もそれまでの真剣なものから面白がるようなものへとすっかり変わってしまっており、ハルは逃げ道が無い事を悟った。
「辺境護民官殿はこの廃棄都市であったシレンティウムに来られて以来、ずっとエルレイシア様と行動を共にされ、またかの結符を受けておられる、これは“その気がある”と解して宜しいか?・・・と言うか、それ以外に解しようが無いのだが?」
「・・・そ、それは。」
ぐいいっと迫る巨体に仰け反りながら答えるハルに、その巨体の持ち主であるガッティは真剣な眼差しで言葉を継いだ。
「我々には一抹の不安がある。それは辺境護民官どのがこの北方辺境に骨を埋める覚悟が本当におありなのかどうかと言うことに対してだが・・・それは、まあ、今示しては頂いたのだが・・・それでも何故かというと!いつまで経ってもエルレイシア様と婚約すらされないからだ!正直やきもきしておる!いつまで待たせるのだ!?」
「ええっ?」
ガッティの言葉に赤くなりながら素っ頓狂な声を上げるハルであったが、ガッティの言葉は留まらない。
「族民達はこう感じておる!いつまでも婚姻しないのは、いずれ辺境護民官殿は遠い故郷へ帰ってしまうのでは無いかと、この地を捨ててしまうのでは無いか、と。であるから、あんな美人で一途なエルレイシア様を前にして、いつまでも煮え切らずうじうじとして婚姻しないのだと!」
族長達がうんうんと一斉に頷く。
そのような思いを抱かれていたとはつゆ知らず、てっきりシレンティウム市民となった族民達からは、信頼されていると思っていたハルは、その言葉に衝撃を受けた。
「・・・」
「帰るのであれば、嫁を取らぬ事にも納得できる、ましてや故郷から許嫁と称する可憐な少女がやって来た、族民や我らの不安はいや増しますぞ?」
確かに、楓から以前示されたこともあり、考えなくも無かった帰郷という道。
選択肢の一つとしてある事はあるのだろうが、いまやハルがその選択をすることはほぼ皆無であろう。
当然、忙しくて私事にかまけている時間が無かった事もあるがしかし、エルレイシアとのことに踏ん切りが付かなかったのは、その選択肢を消したくなかったからとも言えなくは無い。
しかし、そんな腰の据わらないハルの態度は、シレンティウム市民に見透かされていたのだ。
黙り込んだハルを余所に、族長達が口々にしゃべり始めた。
「何か不満があるのか?あんな美人、そうそう居はしないが・・・」
「確かに、しかもあれだけあからさまに愛情を示されていながら、何故?」
「庶子とはいえ、アルフォード様の娘で、しかも太陽神殿大神官、不足は無いと思うが。」
「うむ、2人が結ばれれば、族民達もこの地との強い絆を持った辺境護民官殿をより一層支持することでしょうな。」
「確かに、これで辺境護民官殿もクリフォナムの民となる。」
「北方の民、と言い改めて貰いたいですな!」
族長達が賛意を示したことに・・・当然賛意を示すのはわかりきっていたことであったが、ガッティは気を良くし、その強面ににかりと力強い笑みを浮かべ、ハルを正面から見据えて言った。
「春に同盟締結式を行うと共に、辺境護民官殿の婚姻を行いますぞ?これは我ら同盟からの要望です。それまでにしっかりと気持ちを固められ、エルレイシア様の承諾を得て下され!」
ガッティの発言で場は一気に盛り上がり、同時に大量の料理や酒が運ばれてきたことで会議は一気に酒宴へとなだれ込んだ。
「ちょ、ちょっと待った!」
慌てるハルを余所に、酒宴はたちまち開始され、瞬く間に酔っ払いが騒ぎ出す。
『誰も聞いてはおらんな・・・ま、“年貢の納め時”というヤツである!』
「先任・・・」
いつの間にかハルの横へ現われたアルトリウスが腕を組みながら言うと、ハルは少し情けなさそうな目を向けた。
『ま、良いことだ、散々世話にもなっておるのだ、そろそろ報いても良いではないか。お主も憎からず思っておるのであろう?』
「それは・・・当然ですが、こういう形では彼女に少し失礼かと思います。」
『なに、良いきっかけである。踏ん切りが付いたなら、それはそれで良い。結果はみえておるが、まあよく話し合え。健闘を祈るのである!』
アルトリウスの言葉に、ハルはため息をつきつつも頷くのだった。