第8章 都市始動 役割分担篇
若干改訂しました。
いつもすいません。
1週間後、シレンティウム行政区・太陽神殿裏庭
「これは、熱冷まし草、こっちは毒消し草、こっちは痒止草・・・」
「叔母さま、これは確か目薬になるのでしたね?」
「・・・そうね、それは煮出してあげれば良い目薬になるわ。」
「煮出して使用する、ですね。」
「ええ、但し沸騰した湯は使わない事と、但し書きを付けておいて。」
アルスハレアとエルレイシアは薬師を助手にして、青空市場で買い求めた薬草や薬効のある物品を分類していた。
周辺のみならず、遠い場所から運ばれてきた薬草も採取場所や採取時期を記し、薬効と使用方法を記した木の札を付けてゆく。
全員が薬草等に関して基礎的な知識を持っており、採取時期や場所に間違いがあるかないかはある程度分かるので、おかしな所のある物はあらかじめ商人や持ち込んだ人間に確認をして、後日採取場所を確認することになっていた。
しかし、知識として身に付けてはいたが、改めてこうした形で分類し区分けを行って記録するという発想は今までクリフォナムには無く、この件を依頼された時はなるほどと大いに感心したエルレイシアとアルスハレアであった
「エル、ちょっとこれこれ!」
「えっ?何ですか叔母さま?」
分類と効能を帳面へと書き写していたエルレイシアが、アルスハレアの声に振り返ると、赤い顔をしたシオネウスの女性薬師が持つキノコに目が行った。
「・・・!」
「・・・滅多に手に入らない珍しいものだけど、エルあなた・・・」
エルレイシアがその奇妙な形をしたキノコを目にした途端固まりかけるが、慌ててそれが入っていた籠を確かめる。
「わ、私の籠に・・・」
キノコの入っていたのは、はたしてエルレイシアが持ってきた籠であった。
薬草を売りに来ていたクリフォナム人の老女に全種類を見繕って入れるよう依頼はしたが、まさかこのような物を自分の籠に入れているとは・・・
確かになかなか態度をはっきりさせない自分の想い人に対する愚痴をこぼしはしたが、それはあくまで買い物途中にする世間話の一つに過ぎなかったはず。
しかし、今思えば自分の言葉にいちいち頷いては、慰めの言葉をかけてくれたので調子に乗ってしまった部分は無い事も無い。
道理でおまけをしておいたと妙な笑みを浮かべながら、あの薬草商の老女が別れ際に言っていた訳である。
てっきり頼んだ薬草の分量を多めにしてくれたものと思っていたエルレイシア。
頼んだ薬草の種類にこのキノコは含まれていないので、愚痴に対する慰めと、一度に大量購入をしてくれる上客に対する本当の意味でのおまけだろう。
くすくすとエルレイシアの後ろで笑う薬師達は全員が女性で、まだ若い。
恥ずかしさでエルレイシアが耳までゆでだこのように真っ赤にしていると、その耳に叔母の呆れた声が入ってきた。
「恋は盲目とよく言ったものだけど、こんな方法は止めておいた方が良いと思うわ。」
「ち、違いますっ」
慌てて帳面を胸に抱きしめて叫ぶエルレイシアであったが、滋養強壮に絶大な威力を誇るという棒茸をその薬師から示されて視線がふらふらと泳いだ。
それを見ていたアルスハレアが呆れた声を出す。
「・・・やっぱり・・・いくらハル君がその気になってくれないからって薬に頼るのはどうかと思うのだけど。」
「だ、だから、これは違います!薬草商のおばあさんが勝手に!」
「・・・だったら捨てれば良いじゃ無い。」
薬師から棒茸を受け取り、籠へ戻そうとしたエルレイシアを見てアルスハレアが言う。
「え、でも・・・勿体ないですし・・・ち、違います!あのおばあさんへ返すだけです!」
一瞬意味が分からないまま答えるるエルレイシアだったが、こっそり取っておくつもりだと勘違いされた事に気付き、慌てて否定をするがもう遅い。
「・・・まあいいけど、分量は間違えないようにしないと大変な事になるわよ?」
心底呆れかえった声で言うアルスハレアの視線が別の方向に向いた隙を突き、エルレイシアは素早く棒茸を別の籠の中へ放り込む。
それを見ていた薬師達の含み笑いをなるべく聞かないようにしながら、エルレイシアはアルスハレアの後について帳面付けを再開したが、その顔は火を噴きそうな程赤く染まっていたのだった。
同日・シレンティウム北側台地
楓は故郷から引き連れてきた陰者と呼ばれる従者を伴って、シレンティウム市の北側にある台地の斜面を登っていた。
周囲は紅葉が進んだ落葉樹で覆われているが、楓が目当てとするものはなかなか見当たらない。
「楓様、こちらにありました。」
「えっ、本当?」
陰者の1人が楓を呼んだので、楓は急な斜面をするすると器用に木と岩を避けながらその場所へと急いだ。
「これです、間違いありません。」
「・・・本当だ・・・ハル兄の言ったとおりだ。」
楓の目の前にあるのは冠黄櫨の成木で、すでに全ての葉を真っ黄色に染め上げているが、楓の視線はその先端に鈴なりに生っている木の実へと向けられている。
群島嶼では見たことの無い鳥がその実を盛んについばんでおり、楓が木を揺さぶると、驚いたその鳥はけたたましい鳴き声を上げながら飛び去った。
「実も生ってるし、ここならよく育ちそうだねっ」
「はい、あの実はどうしますか?」
「うん、一応“収穫”しておいてくれるかな。ハル兄に見せないと。」
楓の言葉にその陰者は頷くと素早く木へ登り、実の生っている枝を葉ごと折り取って、木から身軽に飛び降りる。
楓は呼子を鳴らし、周囲に散っていた陰者を呼び集めた。
「どう?他にあった?」
しばらくして、陰者が全員揃ったことを確認した楓が持っていた図面を差し出すと、何人かの陰者が自分の見つけた冠黄櫨の在処を木炭の切れ端で書き込んでゆく。
図面に書き込まれた冠黄櫨の在処を見ると、概ねこの北の台地の全体にぽつりぽつりと生えていることが分かった。
「何だ、案外直ぐに見つかっちゃった。」
台地から戻った楓がハルの執務室へ入ると、丁度ハルは書類を仕上げ終えた所であった。
ハルはその書類を文箱にしまうと、執務室へ意気揚々と入ってきた楓に顔を向ける。
「お疲れさん、どうだった?」
「ハル兄の言ったとおりだったよ、ハイこれ。」
楓が差し出した実が鈴なりに生った冠黄櫨の枝葉に、ハルの口元がほころぶ。
「これは・・・台地に生えていたのか?」
「うん、そんなに数は多くないし、変な鳥が凄い勢いで食べてたから、実はあんまり残ってなかったけど。」
手渡された枝葉を眺め回し、ハルが尋ねると楓は更に得意げな表情で答えた。
楓はハルから陰者を使って冠黄櫨が自生している場所を見つけるよう頼まれ、寒い中北の台地の山林を徘徊していたのである。
ハルは、シレンティウム周辺で切り倒された木を見て、故郷と同じ樹種がいくつか自生していることに気が付いていたが、冠黄櫨がこの地に自生しているかどうかはっきりは分からなかったので、楓へ調査を頼むことにした。
似た樹種があれば持ち帰ってもらった上で調査し、冠黄櫨の栽培に生かそうという考えであったが、楓は若干特徴は異なるものの、冠黄櫨そのものを持ち帰ってきたのである。
「・・・よし、じゃあ、北の台地は黄櫨畑にしよう。楓、木蝋作りは覚えてるか?」
「うん、もちろんっ。」
ハルから頼りにされたことが嬉しく、思わず声が弾む楓。
秋留領では黄櫨の大規模な栽培を行い、秋にはその実の収穫を行っていた。
木蝋作りは帝国に併合される以前は群島嶼の一大産業で、秋留領でも米の収穫が一段落した後に良質な黄櫨の実を大量に集め、領の住民総出で木蝋作りに励んだものである。
実は蒸してから圧搾し、最後に丸く形成した上で冷やし固めて木蝋を製造するのだが、今はその余裕も無く、木蝋作りは一旦断絶している。
しかしながら断絶したのは商品としての木蝋作りで、自家用の木蝋は今も製造を続けている。
そのため子供の頃から木蝋作りに参加している楓も、全工程をなんら問題なく再現できるので、ハルは楓を木蝋作りの責任者兼指導員として使おうと考えていた。
胸を張る又従妹に、ハルは少し意地の悪い笑みを浮かべて言う。
「じゃあ、お前に黄櫨畑と木蝋製造を命じる。畑作りは春からで良いぞ。」
「はいっ!て、ハル兄・・・」
「なんだ?」
元気よく答えた楓だったが、ふと疑問を感じてハルへ質問する。
「木蝋作りはいつから?」
「今からだ。」
ハルの笑みの意味に気付いた楓の顔が引きつった。
「・・・山を駆けずり回って、なってる黄櫨の実を集めろって事なのっ?」
この寒い山中を、それ程多くない冠黄櫨を探して彷徨うのである。
さっきは見つけるだけで良かったが、今度は実を集めて持ち帰らなくてはならない。
「そうだぞ。道具は用意しておいてやるから、行ってこい。」
悲鳴じみた楓の言葉に平然と応じるハル。
「ひ、酷いよっ!埋め合わせはして貰うからねっ。」
「分かった、考えとく。とりあえず試作品を作ってもらいたいから、それぐらいは集めてくるんだぞ?」
恨みがましい目を向けて言う楓を手を左右に振って面倒くさそうに応じるハル。
楓はとうとう半泣きになって叫んだ。
「おにーっ!」
数日後、シレンティウム行政区・官営旅館
今日は新しい従業員さん達がやって来ます。
主に私、プリミア・ロットが勤めていた帝都の宿屋を参考に、他の旅館や宿を利用したことのある帝国人の皆さんの意見や提案、オラン人、クリフォナム人の風習、禁忌や避けるべき事を詳しく学ばせて頂いた上に、提供するサービス内容を決めさせて頂きました。
オランの人もクリフォナムの人もあまり細かいことには拘らない性格の方々だと言うことですが、色々な意味において経験豊富で、目の肥えた帝国や東照の人達もお見えになります。
私どもとしては、どなたがお見えになったとしても、サービスの質を落とすつもりはありません。
お客様の好意や気質に甘え、サービスをおろそかにするなどもってのほかです。
大恩あるハルさんに任された旅館、失敗や粗相は許されませんから。
帝都で命を救って頂いたのみならず、北方辺境へ文無し同然でやって来た私たち姉弟に居場所と仕事を与えて下さいました。
北方辺境だけで無く、帝国や東照にも評判とされる宿を提供すべく、私は精一杯、力の限り頑張るつもりです。
今日やってくるのは、帝都出身の料理人さんに、給仕係さん、そしてクリフォナムの客室担当の人達で、事務や経理、受付は私と弟のオルトゥスが担当します。
いずれは客室担当の人達から事務や経理が出来そうな人を見つけるつもりですが、とりあえずは仕事の要領や性格を見極めなくてはなりません。
客室や食堂の内装と家具配置も終わりましたし、シーツや枕などの寝具や、お皿などの細かい備品も全てチェックが終わっています。
後は従業員さん達に接客や給仕、物品手配やトラブル処理の練習をみっちりして頂き、旅館を一刻も早く開館することだけです。
私が以前勤めていた宿の支配人は、しょっちゅう愚痴をこぼしていましたが、今ならその気持ちがよく分かります。
支配人はいつもこんな大変な仕事をしていたのですね。
重圧、責任感、今自分がその立場におかれてみて初めて分かりました。
「お~すごいね!あの石剥き出しの壁がこんな奇麗になるとはね~」
「あ、ルキウスさん。」
「やあ、様子を見に来たんだ。どうだい調子は?」
「いつもありがとうございます。今日も良いですよ。」
ルキウスさんは帝都治安官吏時代にハルさんと組んでいた人で、私が貴族のどら息子に撥ねられた時、懸命に介抱して下さった方です。
ハルさんが左遷された後も、ちょくちょく尋ねて来られ、弟共々大変面倒を見て頂きましたが、言いがかりのような理由で官吏をクビになってしまい、私たち同様ハルさんを頼ってシレンティウムへ来たそうです。
そして今も時々巡回の途中、こうして訪ねてきて下さいます。
「あ、ルキウスお兄さん。」
「おう、オルトゥス、その服似合ってるぞ。」
弟のオルトゥスもルキウスさんを本当の兄のように思って、大変なついています。
ルキウスさんは私たち姉弟と同じ帝都の下町生まれと言うことで、少し街区は離れては居ますけれども、共通の話題や知り合いも多く、また気さくな性格で私も鬱ぎがちだった療養中、随分助けられました。
今も知り合いらしい知り合いの居ない私たちにいろんな人を紹介してくれたり、相談相手になってくれたりしています。
「ん?今日は忙しそうだな、また後で来るよ。」
ちらほらと従業員さん達がやって来たのを見て、ルキウスさんが言います。
「あ・・・申し訳ありません。」
「いいって、寄ったのはこっちだし、じゃ、また夕方。」
「はい。」
「ルキウスお兄さん、今日はシチューだよ、早く帰ってきてよ。」
「ん?そうか、楽しみだな。」
ルキウスさんがオルトゥスの頭に手をやりながら私に笑顔を向け、手を振りながら街路の方へと去って行きました。
本当によくして頂いて、勿体ないです。
「お姉ちゃんさあ・・・」
「なに?」
「・・・べつに良いけど。」
どうしたのでしょうか、弟が何か言いたそうですが、結局何も言わずに黙ってしまいました。