第7章 都市再整備 振興計画篇(その2)
ハルとアルトリウスがあれやこれやと図を眺めながら感想を述べているのを尻目に、シッティウスはぺらりと新しい資料をいくつかめくると、徐に質問を再開した。
「徴税や財務についてはどうしているのですか?」
『うむ、金はあるのだ。』
シッティウスからの質問に、慌てて図から振り返ったアルトリウスが金の出所について解説すると、シッティウスの顔が驚きの表情へと変わる。
「そうですか、それ程の財がこの都市に眠っていたのですか・・・いや、そうであればこの急発展も納得がいきます。基礎になるのはやはり金ですから、これが無いのでは話になりませんが、それだけの金を最初から自由に使えるというのは強いですな。尤も、それだけでは無い事は街の中を見ていれば分かりますが、これからは少しばかり金のかかる事が多くなりますので、助かります。」
「税は開拓の目処が立つと考えた3年先までは取らないつもりですが、良かったですか?」
そしてハルが言うと、シッティウスは納得した顔付きで頷いた。
「ええ、徴税は3年後からでよろしいでしょう。財政には余裕があるようですし、異論はありません。市民には地力を付けて頂かなくては取れるモノも取れませんし、行政府が一旦約束したことを翻すのはよくありません。貨幣経済が最低限浸透するにもそれぐらいの時間は必要でしょうし、第一に行政は市民との信頼関係があってこそ初めて円滑に回るのです。信頼は何にもまして大切ですから、大勢に影響が無い限りは約束を守りましょう。東照商人の商品に対する措置も今のままで構いません。」
『うむ、ホーが持ってくる東照の品は今のところシレンティウム行政府唯一の収入源であるからな。』
シッティウスの言葉にアルトリウスが応じた。
徴税を3年間しない事になっているシレンティウムは、今のところこれといった税収は無く、ホーが持ち込む東照の商品を北方関所で帝国商人へ売り渡して得られる収入以外に収入らしい収入が無いが、シッティウスは更に資料を繰り、首を傾げる。
シッティウスの資料には青空市場で売りに出されていためぼしい商品が記されており、その中には有用な薬草や香草、動物資源が多数有る。
今のところシレンティウム市内でのみ消費されているが、これを活用しない手は無い。
「・・・帝国や東照で重宝される香草や薬草の類いが随分と産出しているようです。これは分類の上整理し、産出場所を精査して生産できる物は商品作物として生産しましょう。生産できない物は保護と規制を掛けて採取を継続できるように致しましょう。そうすれば直ぐにでも収入は得られるはずです。後は鉱物ですね・・・温泉がありますが、硫黄はとれるのですかな?」
『アクエリウスが落とす湯を処理しておるはずである。おそらくその際に出来ているのでは無いか?』
アクエリウスが引いた温泉は濃い硫黄泉で、硫黄が大量に含まれているため、アクエリウスはこの湯から硫黄や成分を抜いてから水路へと戻している。
そのままでは土壌を汚染してしまう可能性が有ったからで、その抜いた硫黄や成分についてはアクエリウスは一所に集めているはずであった。
今のところ特に使い道の無い硫黄であるが、薬品や消毒薬としての用法は古くから存在する。
硫黄があると聞き、シッティウスは目を輝かせながら資料に何事かを書き加えて言った。
「それは良い・・・純度の高い硫黄は薬品原料になりますし、秘薬としてシルーハに高値で売る事も出来ます。他に鉱物資源はありますか?顧問官殿は何かご存じではありませんか?」
『うむ、結局は間に合わなんだが、我はかつて北辺山脈のこちら側で鉄鉱と銅鉱を見つけて開発しようとしたのである。しかし今は適さんのではないか?』
「どうしてですか?」
その答えにハルが不思議そうに尋ねると、アルトリウスが答えた。
『湿地帯の排水と開拓が進んでおるのである。かつては鉱毒の入った水を湿地帯へ流せたが、今はそんな事をすれば農地が汚されてしまうであろう?せっかく開拓の目処が立った土地を汚すのは気が進まんのである。』
「なるほど・・・それは。」
ハルが言葉を濁すと、シッティウスはアルトリウスに向き直った。
「鉄鉱と銅鉱が、ある事はあるのですな?」
『うむ、間違いない。その時は帝国の採鉱師を呼んで鉱脈を探させたし、今はどうなっておるのか分からぬが、試掘もしておったのでな。また、それ以降に開発されたという話も聞いていない。』
「それは間違いなさそうですな。ま、金鉱や銀鉱よりは良いでしょう。そのような物が有っては帝国からの横槍が入ってしまいますのでね。鉄や銅の方が実用的ですし、早速採鉱師を呼んで採掘を始めましょう。鉱毒の問題は、私にあてが有りますので大丈夫でしょう。」
『・・・ふむ、もしや精霊付きの採鉱師を呼ぶのであるか?』
アルトリウスの言葉に、シッティウスは黙って資料を繰りながら頷いた。
『ううむ、まあ市内の話では無いから大丈夫だと思うのであるが、一応アクエリウスに話を通しておかなければならんな・・・』
精霊付きの採鉱師とは、帝国西方発祥の採鉱師達の事で、採鉱した際に出る汚染水や有毒な物質、果ては砕石を精霊の力で浄化しながら鉱物の採掘を行う採鉱師達の事である。
一般的に採鉱は汚染を伴う為に、その地域の住人、とりわけ農民達と軋轢を生じる事が多く、移動しながら鉱物を採鉱する採掘師達にとっては迫害の原因ともなってきた。
そんな中で採鉱の際に汚染を発生させないよう汚染を除去する能力を持った精霊と契約を結び、採鉱する集団が現われたのである。
当然汚染を気にしなくても良いという地域もあり、そういった場所では従来通りの採鉱が行われているが、大体は国家直営の大規模鉱山などがほとんどで、今や流しの採鉱師達は概ね精霊付きである。
ただ、元は地形や自然物を司る精霊を司る場から引きはがす為、狂い精霊となる場合もあり、その際に及ぼす被害や退治にかける時間と費用は莫大な物になることから、一概に良いことばかりでは無い。
また、雇用費も高いので、アルトリウスも費用対効果の面を考慮し、以前は湿地帯に廃水を流せば事は済んだので、わざわざ精霊付きの採鉱師は呼ばなかったのだ。
シッティウスはしばらく資料をめくっていたがやがて目当ての資料に行き着いたのか手を止める。
「その農業ですが、農法はアルマール族が過去に取り入れた帝国式と聞きました。しかし私の見たところ、これはもう陳腐化しております。農作物は気候に合わせて少し変える必要がありそうですが、帝国で普及している最新式の輪作を取り入れましょう。幸いまだ圃場整備だけで作物を大々的には植えてはおりませんので、来春から早速導入することにします。灌漑設備の設置と圃場整備はこのままの計画で申し分ありません。」
シッティウスが農業に触れたところで、ハルはふと思い出して自分の懐より、楓から手渡された革袋を取り出した。
「シッティウスさん・・・これなんですが、冠黄櫨という木の種です。群島嶼では蝋を採るのに栽培していました。おそらくここの気候に合うと思うのです。」
「素晴らしい!・・・しかし、木ですと直ぐに収穫は出来ませんね?であれば長期的に見なければなりませんので、差し当たっては・・・そうですな、蝋で思い出しましたが、最近群島嶼産の木蝋が無くて蜜蝋の値が跳ね上がっておりますから、養蜂業を興しましょう。シレンティウムの冬は厳しいようですが、防寒対策を取ればどうってことはありません。蜂蜜と蜜蝋は帝国内でも高い需要がありますし、それ程時間をおかずに採取も出来ますからな。」
シッティウスはハルから種を受け取ってじっくりとその形を確かめつつそう言い、革袋ごと種をハルへと返した。
そして、養蜂業を興すことを提案してその内容を資料に書き付ける。
シッティウスが資料へ書き込みを終えると、アルトリウスが口を開いた。
『大理石の類いもたくさん取れるのであるが・・・どうであろうか?』
「大理石や石灰岩といった建材は、まだこれからシレンティウムで必要ですので販売はしないようにしましょう。木材も同様です。薪炭はどうなっておりますか?」
「アルマール村の入会地があります。」
入会地とは、共同体で共有する土地の事で、その共同体に所属する者達が利用できる土地である。
アルマールの村は既にシレンティウムへと合流したので、アルキアンドからシレンティウムへ利用権限が委譲されてはいるが、未だ所有権等は曖昧なままである。
「・・・そうですね、それでは正式に行政府の土地として、人を雇い管理させて薪炭を最低限供給できる体制を整えましょう。北方辺境は寒いと聞いております。おそらく薪炭の確保は食糧と並んで重要になるでしょうから、建築後に出る端材や反故材を捨てずに燃料と出来るよう確保しておきましょう。それから燃料と言えば、石炭です。この近辺で石炭はとれませんか?」
『フレーディア近郊では石炭が露出している場所があるのであるが、活用は為されていないはずである。今なら我らが利用できるだろうが、以前は手が出なかった。』
当然、アルフォード王が居た頃の事であるので、採掘はおろか、取引すら出来なかったアルトリウスであったが、情報だけはしっかり集めていた。
しかしながらその情報はアルトリウスの死と共に失われており、未だ帝国で知る者はいないだろう。
『何分良質な石炭であったようでな、帝国へも売れると踏んだのだが、残念ながら叶わんかったのである。』
製鉄や製鋼の際に必要な高温を実現できる良質な石炭は帝国において常に需要が逼迫しており、帝国内における石炭鉱山の開発や深掘だけでは足りず、南方大陸や西方諸国からも帝国は石炭を買い求めている。
鉄鉱山は良質の物が帝国内に多数あるが、それ故に石炭燃料は不足しがちで、今回軍閥が南方大陸に目を付けた一因ともなっていた。
武器や防具を大量に消費する軍に鉄や鋼は必須であり、その源である鉄鉱石や石炭を安価にそして大量に手に入れる事を軍は常に欲しているためだ。
「・・・石炭がここにある事を知らせれば、軍は南方侵攻を諦めるでしょうか?」
『いや、おそらく無理であろう。戦争を始める一つの目的ではあるだろうが、それが全てでは無いであるからな。』
アルトリウスに続いて、シッティウスもハルの意見に反対する。
「そうですな、それに、ここに大量の石炭がある事を軍が知れば、軍は自分達による直接統治へ切り替えようとするでしょう。それは大きな不幸をこの地にもたらします。」
軍政によって故郷が受けた屈辱とその厳しさを知るハルは黙りこくってしまった。
この土地に住む人たちにあんな思いをさせるようなことは、そんなことはしたくない。
黙り込んだハルを見て何かを感じたアルトリウスであったが敢えて言葉にはせず、そのまま静かに見守る。
シッティウスもハルの出生地に思い至ったのか、こちらも静かに資料を繰り直して言葉を継いだ。
「むしろそれを利用して我々が製鉄と製鋼を興した方が良いでしょう。帝国製の農具や生活刃物は人気があるようです。シレンティウムへ入っている帝国の行商人達が取扱っている商品は、1が日用品で、2が釘や鎹を含めた帝国製の鉄製品です。何も武器防具だけが鉄を必要とする訳ではありません。」
『うむ、確かにな・・・しかし、武器防具が大量の鉄を必要とすることも真実の一つであることを忘れてはいかんのである。悲しいかな、武力によって守られるものも此の世には多い。忌避してばかりでもおられぬである。』
シッティウスのハルを慰めるような言葉を肯定しつつも、現実を見据えるアルトリウスの言葉が響く。
シレンティウムを守ったのはハルの武力に拠る力であり、また、帝国の平和と繁栄を築き守っているのも剣の力に拠る所が多いのは周知の事実。
ハルはかつて領を持つ剣士として主君に使え、帝都で治安官吏となり、今また都市の指導者としてあるというように、今まで常に“武”というものを身近な所で扱う立場に居続けた者であるため、その要諦は知っている。
要は使う者の心掛け次第なのである。
「分かっています・・・武器防具の製作をシレンティウムで行うのですね?」
「いえ、実はこれについて少々事情がありまして・・・差し当たって豊富な在庫を転用できますので、第21軍団分は問題ありません。それ以降の武器防具は帝国からの輸入に頼ろうと考えています。」
ハルの言葉に、シッティウスは資料をめくる手を止めて気が付いたように顔を上げてそう言った。
少し慌てたようにアルトリウスが問い掛ける。
『3個軍団もの本拠があるシレンティウムに武具の生産施設がないというのはどうなのであるか?修理ぐらいは出来るであろうが、矢や投げ槍などの消耗品を含め、武具の生産が出来ないというのでは片手落ちである。』
「ええ、いずれはシレンティウムで全てを生産しなければいけない時が必ずやって来ますが、今はまだその時ではありません。帝国内の商人とある程度以上に取引をするとすれば、軍団新設の為の武器防具の購入や輸入が一番怪しまれず、かつ安定した品質の品物を大量に帝国内から購入できます。この取引を利用して政商と繋ぎを作っておきましょう。」
一般的に帝国内の武具商人は、帝国との取引を通じて官吏や軍人のみならず、貴族の情報や動向に詳しい。
シレンティウムは現役の高級将官であるアダマンティウスを通じ軍の動向はかなりの程度把握できる状況にある。
またシッティウスは引退させられたとはいえ官吏に知り合いや支持者、元部下なども多数在籍していることから、中央官吏派についても情報は入手できる。
しかしながら、明確に対立していないとはいえ潜在的な敵対関係にある貴族派貴族の情報は、外形的なもの以外は手に入らない状態である為、シッティウスは取引を通じて貴族派貴族とは密接な取引関係にある商人達と渡りを付けようというのである。
利益次第ではどうとでも転ぶ向背定かならない連中ではあるが、逆に言えば利さえ与えればそれなりに利用できるということでもある。
「こちらの情報も相手に渡る可能性がありますが・・・」
「ある程度は仕方ないでしょう。逆に全く情報がないとお互いに疑心暗鬼となり、過剰な反応をしてしまうことに繋がります。相手はどうあれ、今シレンティウムは帝国内に明確な敵を作って対立できる状態にありません。我々は、一地方自治体に過ぎないのです。武具生産の下地は水面下で進めておき、時が来るまでは伏せておきましょう。」
敵となる者との取引がこちらより遙かに長い商人をシレンティウムへ入れるとなれば、それなりの情報が相手に渡ることになる。
ハルはその点を危惧したが、シッティウスはむしろある程度情報を流して相手の安心と油断を引き出すべきであると主張する。
しばらく考えた後、ハルは徐に口を開いた。
「・・・そうですね、分かりました。武器防具は帝国本土から購入することにします。」
「意見を容れて戴きありがとうございます。間諜に成り下がらない、比較的まともな商人を選びますので。」
シッティウスはハルの回答に満足そうな笑みを浮かべ、自分の資料へ書き込みを行うと、最後の資料をめくって言葉を継いだ。
「それから、北方関所にいる間に西方郵便協会と話を付けておきました。ここにも伝送石の中継局を設置してくれるそうですので、これを活用して友好的な各部族との連絡網を構築しましょう。西方郵便協会も安定した北方辺境へ本格的な制度導入を考えているとの事ですので、シレンティウムに近々西方郵便協会の担当者が来る事でしょう。」
『ほう、郵便協会であるか!助かるのである。』
西方郵便協会がシレンティウムに拠点を置くとなれば帝国中のみならず、西方大陸に存在する西方諸国をも巻き込んだ一大情報網に北方辺境が参加することとなる。
これでシレンティウムに居ながらにしてある程度の情報は取得できるし、発信受信も容易になった。
今までは北方辺境関所まで出向かなければならなかった郵便制度の利用も可能になるのである。
これまでも配達だけは、郵便配達人が旧クリフォナ・スペリオール州内だけ行っていたが、これからは北方辺境で自在に手紙や伝送石伝達によ遣り取りが出来ると言うことである。
「差し当たってはこんな所ですな。これでシレンティウムの発展はより一層加速することでしょう。」
ぱたりと資料を閉じたシッティウスが、最後にそう締めくくった。