第6章 都市増強 シレンティウム籠城戦(その8)
ダンフォードにとって理想的な展開となった。
策は失敗したが、辺境護民官が父王を討った。
堂々の一騎打ちであった事が玉に瑕であるが、これで辺境護民官を討つ理由も出来たし、上手く射殺す事ができれば都市の戦士や兵士の士気も下がるだろう。
父王を討った辺境護民官を討ち取って非難されるいわれは無いはず。
そもそもこのまま包囲を続けていても、強攻しても余裕を持って落とせる都市なのだ。
帝国の辺境護民官を手に掛けるのが自分になってしまうが、父を手に掛けるよりは遙かに良いし、聞けば左遷されてきた不良官吏、言い訳は幾らでもたつ。
また帝国から遠く離れた地の事、誤魔化しようはあるだろう。
未だ戦いは続いており、父王から自分に対する兵権の委譲も問題は無い。
今を逃せば王位は遠のくどころか、他の有力な貴族や戦士長が立候補してしまい、自分へお鉢が回ってくる話すら無くなる可能性もある。
この好機は何が何でもモノにせねばならない。
「やれ。」
ダンフォードの命で、一斉に辺境護民官に向けてフリード戦士達の弓から矢が放たれた。
戦いを止めないという事は予想の通りであったが、こんな直接的な手段に訴えるとは思っていなかった。
これでは誰が手を出したか明白になってしまう。
「・・・まさか本気で・・・?」
ハルはうめくように言い放ったが、今は飛来するであろう矢を何とかしなければならない。
帝国製の胴鎧を身に纏ってはいるが盾を持っていない為、慌てて身を地面に投げ出したが、渾身の一撃を放った後の事でとっさの反応が遅れた。
「うぐっ。」
衝撃と激痛がハルの左肩と左腕に走る。
急所を庇ったハルの左半身にフリード戦士が使う、大型の矢が命中したのだ。
左脇腹に当たった矢は鎧のおかげで弾かれたが、剥き出しの肩口へ2本の矢が突き立っていた。
辛うじて左手の聖剣は取り落とさずに済んだが、しびれて感覚が無い。
「ごほ・・・すまぬ、な・・・よもやこの様な誇り無き所行をする者がおろうとは・・・我が一族ながら情けの無い仕儀である。」
ハルが苦痛に顔をゆがめながらも、肩に刺さった矢の柄を折っていると、未だ息のあったアルフォード王が吐血でむせ返りながら謝罪した。
「アルフォード王・・・正気に?」
「ふふふ、この期に及んで、な。そなたに斬られた痛みのせいかもしれんな。」
シレンティウムからの応射が即座に開始され、戦闘が再開される。
ダンフォード王子直属のフリード戦士達が剣を手に2人に迫るが、シレンティウムから弩の一斉射撃を受けその行き足が止まった。
「辺境護民官どの!」
そして間一髪、アルキアンドが各部族の若者を従え、帝国兵とクリフォナムの戦士を引き連れて駆けつけ、2人の周囲に大楯で壁を作りあげた。
「盾を一つ寄越してくれっ。アルフォード王を運ぶんだ!」
ハルの指示で、後衛の帝国兵が盾を差し出し、その上へアルフォード王を載せる。
シレンティウム軍は城壁からの援護射撃を受けながら、ハルとアルフォードを守りつつ慎重に城門へと後退した。
「・・・この様な姿でそなたと最後に相見えるとはな、運命とは分からぬものよ。」
「・・・アルフォード王」
「父、とは呼んでくれんか・・・仕方ない事ではあるが。」
生きた心地もせず、城門の陰で想い人と父による戦いを見守っていたエルレイシアは、運び込まれたハルとアルフォード王に駆け寄った。
幸いにもダンフォード王子の命令はだまし討ちであり、フリード族はもとよりクリフォナム人の常識から考えればあるまじき事であった事から直属の戦士以外は動きが鈍く、ハル達は上手く城門内へ逃げ込む事が出来た。
「・・・あまねく照らし導く太陽神の光に祈りを捧げて希う、この者の苦痛とその元を和らげん・・・」
エルレイシアはハルの肩の怪我を診察し、痛み止めと止血の神官術を行使する。
ハルの肩から沸き上がるように出ていた血が止まり、痛みが退いていった。
「直ぐに鏃を抜いて下さい。」
エルレイシアの指示を受け、太陽神殿で働く薬師がハルの肩と腕に酒精を塗りつけ、治療に取りかかる。
ハルの肩の怪我が命に関わるものでは無い事が分かり、安堵のため息を漏らしたエルレイシアは、次いでその傍らで盾に載せられたまま止血処置を受けるアルフォードを複雑な表情で見た。
ハルの一撃は王の革鎧を大きく裂き、腹部の傷は内臓をも傷つけている。
神官術で止血は出来るだろうが、既に命の残りが少ないアルフォードにとっては一時しのぎにしかならないだろう。
「最早老耄して幾ばくも無い命・・・このまま捨て置け。」
出血量も多く、助かる見込みが無い事は明らかで、アルフォード王自身も包帯を巻こうとしたシレンティウムの薬師にそう言ってそれ以上の処置を拒んだ。
そして、傍らに居るエルレイシアを笑顔で見る。
「・・・大きく、そして美しく、賢く育ってくれた・・・耄碌した父にも直ぐ分かったぞ、娘よ。・・・ふふふ、今際の際にしか会えんとは、情けなき事である。」
「・・・」
アルフォードの呼びかけに言葉無く立ち尽くすエルレイシアだったが、それでもアルフォードが差し出した手をしっかり握る。
その感触を確かめ、アルフォードはゆるゆると笑顔を浮かべ、エルレイシアからの返答が無い事も意に介さず言葉を継ぐ。
「今更である上に、月並みではあるが・・・済まなかったな。」
「・・・いいえ。」
アルフォードの万感の思いのこもった短い謝罪を、初めてエルレイシアは受け入れる。
今までは直接では無いにせよ、アルフォードの姿や言葉を拒否していたエルレイシアであったはずだったが、初めて直に接した父という存在の中に英雄王の勇姿は無かった。
年頃の娘を案じる、余命幾ばくも無い老いた父の姿だけがそこにあったのだ。
受け入れられた事を悟ったのか、アルフォードは更に表情を緩める。
「娘よ、そなたの花嫁姿が見れんのは残念だが・・・想い人と幸せになって欲しい・・・この辺境の護民官となれば道は険しかろうとも、そなたの結符に託した望みはきっと成し遂げられよう・・・辺境護民官。」
アルフォードは言い終えてから自分の頭に嵌めていた王冠を震える手で外し、鏃を抜き終えて包帯を巻かれているハルを呼び寄せた。
「辺境護民官、わしは良き王たらんとしたが、継承という事については失敗してしまったようだ・・・わが不肖の子達は器が小さくその位に値しない・・・そこで、その方にこれを授けたい・・・娘よ、手を貸してくれ。」
そしてエルレイシアの手を借り、その王冠をハルへ手渡した。
王冠がアルフォードとエルレイシアの手から、ハルの右手に委ねられる。
「わしを倒し・・・実力で勝ち取った王位ぞ、遠慮は要らん、望みのままに使うが良い・・・これで継承が成れば、わしの最後の失策も打ち消せよう。」
呆然と手にした王冠を見つめるハルは、徐に口を開いた。
「しかし、王、私はクリフォナムの民ではありません。ましてや帝国人としても半端者です。」
「・・・先程の戦いの最中の言葉に嘘偽りはあるまい?」
アルフォードがいわんとしている言葉は、ハルの放った、帝国にも必要があれば刃向かうという言葉。
当然、ハルの本心であり、そこに嘘偽りは無い。
「それは、ありませんが・・・しかし・・・」
尚も言い淀むハルに、アルフォードは強い視線でその顔を見据え、最後の力を振り絞りハルの王冠を持つ手を握りしめた。
「アルトリウスの後継者と見込んで頼む、クリフォナムの民の良き導き手となってくれ。」
「分かりました・・・力の及ぶ限り、継承した勤めを果たします。」
ハルの言葉を聞き、満足そうに口を笑みの形にすると、静かに目を閉じたアルフォードは最後に息を大きくついた。
その瞬間、胸からまばゆい光を放つ人の頭程もある大きな玉がゆっくりと現われ、静かに天へと登り始める。
それを見たクリフォナムの戦士や族民達が一斉に跪いた。
続いてオランの民や帝国兵達も膝をつき、偉大な英雄王の最後に敬意を払う。
ハルは呆然とアルフォードから光の玉、魂魄が離れるのを見上げた。
王冠をそのハルに預けたエルレイシアは、神官杖を前後上下に数回振ってから、面前で捧げ持ち、静かに頭を垂れつつ跪いた。
「クリフォナムの善良で偉大な導き手、アルフォード英雄王よ疾く天に召されませ・・・太陽神のご加護が幾重にも重なりし死出への旅路を導き、そして正しき道を照し出しましょう・・・父様、安らかにお眠り下さい。」
葬送詩を述べ、最後にぽつりと、つぶやくようにアルフォードへ呼びかけるエルレイシアに、揺らめく光の玉。
『末永く健やかにあれ、娘よ。』
嬉しそうなアルフォードの声が響き、玉はゆっくり天へと登っていった。
希代の英雄王が天に召されたのだ。
「エルレイシアの父さん・・・ですね。」
「・・・戦場の習です・・・仕方ないのです・・・」
静かに涙を流しながら、エルレイシアが確認するように尋ねたハルに答えた。
アルフォードが逝った事で、認めたくは無いが自分がその者を父親と思っていた事が露わになってしまった。
父はいないものと思い定めていたはずだったが、それは逆に父が存命であるが故に成立していた感情であったのだ。
「それが仕方ないって言う顔ですか?」
「・・・いえ、すいません、私もどうしたら良いのか・・・」
泣き笑いの顔でそう言うと、エルレイシアはアルフォードの安らかな死に顔を眺めつつ、その節くれ立った手をそっと取り、胸の前で組み合わせた。
「・・・謝罪はしません。これも自分が為した事、ですから。」
ハルの言葉に無言で頷くエルレイシアの前に、アルトリウスが現れた。
『・・・逝ったか。』
「会わなくて良かったんですか?」
静かに泣くエルレイシアからアルトリウスへ目を移したハルが聞くと、アルトリウスは皮肉げに片方の口角を上げて言う。
『未練を残して此の世を彷徨うておる我が、躊躇無く彼の世へ向かう事の出来るアルフォードめに何というのだ?恥をかくだけであろう・・・』
普段とは異なり、物静かな口調でアルトリウスはアルフォードの逝った天を望んだ。
『ふっ、惚けている暇は無い、直ぐに最後の仕上げをせねばな。』
「・・・分かっています。」
視線を戻したアルトリウスに言われ、ハルは狼煙を上げるよう近くの兵士に命じた。
同時刻、フリード軍本陣
「何と言う事をするのですっ!これではまるっきりの騙し討ちっ、フリード族の誇りは何処へ行ったのですかっ!!」
弓矢の打ち合いで戦闘が始まり、フリード軍の本陣は喧噪に包まれるが、ベルガンは配下の護衛戦士を率いて本陣へ戻り、ダンフォードへ猛烈に抗議した。
普段沈着冷静なだけに、怒りを露わにしたベルガンの剣幕はものすごく、思わずダンフォードも気圧されてしまうが、アルフォード亡き後の王位を考え、弟や妹に弱みを見せる訳にはいかず、なんとか踏みとどまった。
「辺境護民官は我が父を討ったのだ、反撃して討ち取るのは当然だろう?」
「馬鹿な!一騎打ちの約定を違えるというのですか!?」
「ふん、帝国人相手に約定など有って無きようなものだ。」
その言葉を耳にしたベルガンは、呆れてしまう。
相手がどうこうでは無い、約定を果たすというのは自分に対する責任であり、王が約した事を、仮にも後継を自認する者が守らないというのは周囲にどう映るのか、この元王子は分かっていない。
この様な者が・・・責任を果たす意思も能力もない者が王になろうとしている。
それだけではないが、ベルガンは今回については一命を賭してでも一騎打ちを止めるべきであったと悔やんだ。
戦場に生き、そして死ぬべき定めのフリードの戦士。
その王たるアルフォードが自ら戦場に立ち、そして一騎打ちに応じたのであるから、その臣下であるベルガンは本来押し止める事は出来ない。
しかし今になってだが、王子達の策謀の臭いが強くする。
そのような画策をする頭は持ち合わせていないと油断してしまった。
その事実にベルガンは気付き、自分に対する怒りと王子達に対する怒りで顔を朱に染め、猛烈な勢いで抗議する。
せめて戦場で散ったアルフォードの最後の名誉だけでも守らねばならない。
「一騎打ちの作法すら忘れ果てた愚か者どもがっ!勇猛で誇り高いフリードの名を貶め、王の名誉を汚すのか!!」
ベルガンはダンフォードが面食らってしまう程の鋭い口調で王子達を詰る。
そしてダンフォードの言葉を待たず、ふいっと踵を返して本陣から去ろうとした。
「ま、待てっ!何処へ行くのだ?」
「決まっている、降伏するのだ。それが王と辺境護民官が為した一騎打ちの約定だ。」
「なっ・・・裏切るか臆病者めっ!」
それまでの丁寧な態度はすっかりなりを潜め、ダンフォードを睨み付けるベルガン。
「・・・言葉に気を付けるんだな小僧、貴様などに従う古参戦士や戦士長はいない。今はアルフォード王への義理から貴様に従っているだけなんだぞ。」
「な、貴様・・・」
絶句するダンフォードを小馬鹿にしたような顔でベルガンは言葉を継いだ。
「お前ごときに貴様呼ばわりされるいわれは無い。私はアルフォード王の宮宰であって貴様の宮宰では無いのだからな。誇りだけで無く、フリードの習いを忘れたか?」
「い、今は戦闘中だ!王の兵権を引き継ぐのは長子の私だぞ?」
「何を世迷い事を・・・一騎打ちが終わった時に戦いは終わっている!それも約定であっただろうが!貴様に引き継ぐべき兵権など既に無い!」
そう吐き捨てたベルガンは、周囲に居並び事の成り行きを固唾を呑んで見守っていた戦士長達に視線を移す。
「お歴々も、よくよく身の振り方を考える事です・・・私はこれで失礼しますぞ。王の御遺体も交渉して引き取らねばなりませんからな!」
憤懣やるかたないベルガンが戦士長や呆然と佇むダンフォードらにそう言い置いて本陣を去ろうとしたたその時、シレンティウムから光る玉が天に昇り行くのが見て取れた。
「・・・アルフォード様。」
本陣を囲う天幕から出た所で、ベルガンはその光る玉を目の当たりにして思わずつぶやいた。
中にいた戦士長やダンフォード達も次々に天幕から出てその光景を眺める。
まばゆく光る玉はゆっくりと天に登り行き、やがて見えなくなった。
「・・・とうとう、本当に逝ってしまわれたか・・・」
戦士長の1人がつぶやくと、ベルガンはくっと下を向き、率いてきた戦士達に手で従うよう合図すると、黙したまま自陣へと引き上げにかかった。
ダンフォード如きの策謀に気づけずに、忠誠を誓った王を最後まで守りきれなかったどころか、今際の際にも立ち会えなかった。
戦場で散るのは良い。
ただ、本来多数の戦士や戦士長、族民、貴族にかしずかれ、大神官の雄渾な葬送詩に送られるべきフリードの英雄王の最後は、息子の裏切りにより一騎打ちの勝者である敵にのみ見送られる寂しいものとなってしまったのである。
その事実に気が付いた心ある戦士長達も次々と身を翻し、天幕へ戻る事無く自陣へと引き上げ始めた。
「お、おい、待てっ何処へ行くんだ!!」
必死に引き留めようと声を掛けるダンフォードの声に従う者は少なく、フリードの戦士長達はその半分以上が自陣へと引き上げてしまったのであった。