第6章 都市増強 シレンティウム籠城戦(その3)
志願兵到着から数日後
太陽神殿は、表の喧噪に比べてひっそり静まりかえっている。
かすかに響くのは2人の男女の声。
片方はシレンティウム太陽神殿神官、エルレイシア。
そしてそれに対するのは、難民の男。
衣服は見窄らしく、顔は泥で薄汚れているが、手指に泥は無く、鍬や鋤を持った時に出来るものとは異なる手まめ。
そして何よりその態度は尊大で、太陽神官に告解を果たしにやって来た難民には全く似付かわしくない。
それどころか刃物を持ってエルレイシアの喉元に突きつけている。
「・・・と言うことですが、分かりましたな?攻撃開始は大幅に遅れますが、することは変わりません。」
「いえ、お断りします。」
「・・・何ですと?」
眉を顰め、不快感をあらわにする男にも動じず、エルレイシアは毅然と言い放った。
「私は一介の太陽神官に過ぎません、何故今更終世を誓った辺境護民官を裏切ってまで、あなた方の味方をしなければならないのですか?」
目の前の難民を装った男から説明されたことは、エルレイシアにはとうてい受け入れられないことだった。
例え刃物を突きつけられ、命と引き替えにと迫られているとしてもである。
「・・・貴女はアルフォード王に連なる血筋を否定されるのか?」
「否定は・・・しません。それは紛れもなく私の身体に流れる血、しかしそれに流されもしません。第一、その血を否定するような行為をしているのはあなたではありませんか。」
自分の喉元の刃物を示し、揶揄するエルレイシアに、男は顔をゆがめて刃物を手元へと引いた。
「こうせねば話も聞かれないからですぞ・・・そもそも、貴女は一介の族民では無いのですよ?何故お父上に逆らうのですか?」
「・・・彼の者を父と思ったことはありません。母も、きっと夫と思ったことは無いでしょう。」
懐柔しようとする意図も見え見えの言葉に、エルレイシアは不快感もあらわに言い返す。
エルレイシアの母親は既に儚くなったが、アルフォード王に愛を感じていたかどうかは疑問だ。
エルレイシア自身、母が父の話を亡くなる直前までしなかったこともあり、何時しか自分にはいないものと思い定めてしまっていた。
王族に連なることを知らされた時には既に太陽神官の修行を始めており、権力に興味も無かったので、そのまま叔母の下で修行を続けたエルレイシアは、王や周囲に宮廷官の声を無視して大地の巡検に入った。
クリフォナムの地を離れ、遙か遠くの地まで巡検に出かけたのは、自分を探す戦士や宮廷官を鬱陶しく感じていたからでもある。
しかし、男は諦めずにエルレイシアの揚げ足を取った。
「先程は血を否定はしないと言ったではありませんか。」
「否定はしませんが、流され無いとも言ったはずです。私の身と心は私の物、私は辺境護民官に協力することを誓った身です。既に結符も済ませました。」
「・・・何っ!?」
驚愕する男。
確かに、辺境護民官の腰には黄色の結符が為されていた。
エルレイシアの他に、近づくクリフォナムやオランの女を確認することが出来ていなかったので、もしやと思ってはいたが、まさかこの様な事になっていようとは。
男は驚愕と共に改めて報告する事案が増えた事に気が付いた。
庶子とは言え姫を取られたのだ、王は怒り狂うであろう。
下手をすれば帝国とクリフォナムの一大戦争になる可能性がある。
「通報されたくなければ疾く立ち去ることです。私は、シレンティウムの太陽神官、裏切りはお断りです。」
「・・・今回は諦めた方が良さそうですが・・・このことは報告致しますぞ?」
「ご随意に・・・」
最後の脅迫も効果無く、エルレイシアがふいっと背を向けると、男は苦々しい顔で踵を返した。
と、その視界に透けた帝国兵の着ける、金属製の臑当てが入る。
ぎょっとして見上げた男の前に立っていたアルトリウスは、男と目が合うとにやっと笑みを浮かべた。
『報告であるか・・・それはちと困るのであるな。』
「くっ!死霊将軍!!」
とっさに進行方向を変えて逃げ出そうとする男だったが、アルトリウスの反対方向から現われたハルが素早く杖を投げつけると、杖が足に絡んで男は僅かに体勢を崩す。
そしてその場へ移動したアルトリウスに右手で僅かに触れられた途端、男は昏倒した。
周囲の椅子や机を巻き込み、派手な音を立ててひっくり返る男。
『うむっ、不味い!根性のねじ曲った味がするわ・・・全く、間諜の精気など吸うものでは無いな・・・』
どす黒い気を纏いながらぺっとつばを吐く素振りをするアルトリウス。
「殺しては居ませんよね?」
『当然である。聞かねばならん事が山のようにあるのであるからな。』
ハルの質問に渋い顔のまま答えるアルトリウスは黒い気を収めた。
その2人の背中をエルレイシアは呆然として見つめて言う。
「ハル、アルトリウスさん・・・聞いていらっしゃったのですか。」
『うん?聞いてはいないが・・・全く、我の体内とも言うべき都市に間諜を入れるなぞ、馬鹿にするにも程があるぞ。』
エルレイシアに振り返りながら答えるアルトリウスの横から、ハルがエルレイシアを気遣わしげに見る。
「大丈夫でしたか、エルレイシア?」
「こ、怖かったです・・・ハルっ」
「わっ!?」
心配して近寄ってきたハルへ堪らず抱きつくと、エルレイシアはわっと泣き始めた。
「すみません・・・取り乱してしまいました。」
しばらくハルの胸で泣いた後に、落ち着きを取り戻したエルレイシアは、照れつつそう言ってから太陽神殿の神官控え室へ2人を招き、茶を淹れて振る舞うと自分の素性を明かした。
『で・・・太陽神官殿は、アルフォードの娘という事で良いのか?』
「はい・・・庶子で、母は既に亡くなりましたが。」
エルレイシアは、そうして自らの生い立ちを話し始める。
アルフォード王が北のハレミア人討伐の際に立ち寄った村で、小さいながらも神殿を構えていた太陽神官がエルレイシアの母親、アルシレアで、アルスハレアの妹であったことが、アルフォード王の興味を引き、アルシレアもこれを受け入れた。
その後、アルシレアはしばらく側室的な扱いを受けたようではあるが、討伐が終了し、アルフォード王が村から引き上げるにあたって、既にエルレイシアを身籠もっていたアルシレアは宮廷への同行を拒む。
英雄王の側妻として生きるよりも、太陽神官として村で生きる道を選んだのだ。
アルフォード王は、生まれる子供は王族の待遇を与える事を約束したがアルシレアはこれをも拒み、娘が生まれると、しばらくした後大神官である姉アルスハレアに預けて太陽神官見習いとした。
本人にもその素性は隠されたまま修行は続き、アルシレアが今際の際にエルレイシアへ初めてその事実を告げ、王族として生きる道もあるが、太陽神官として人に尽くすことを選んで欲しいと願ったのだ。
母の遺志を汲み、その死後もアルスハレアの下で修行を続けるエルレイシアの非凡さがフリード宮廷へ伝わるにつれ、アルフォード王や宮廷官達は必死にエルレイシアを王女に取り立てようとしたものの、早々に大地の巡検へ出たエルレイシアを捕まえきれず、今に至ったのである。
アルフォード王が耄碌してしまったことを知り、自分にちょっかいを掛ける者はもういないだろうと見越して、クリフォナムの地へ戻ったエルレイシア。
予想通り、あれほどしつこかった使者も姿を現さず、エルレイシアは安心して神殿を設ける場所を探していたのである。
そして、数奇な運命をたどり、今このシレンティウムに神殿を設けたエルレイシアであったが、しかしアルフォードが軍を起こしたことで情勢が変わった。
こうなっては身元を明かさなければと思い、如何に明かすべきかで悩んでいた時、これまでの使者とは全く異なる強力な間諜が強引に太陽神殿へ入り込み、エルレイシアへ面会を迫ったのであった。
「・・・私は一介の太陽神官です。アルフォード王とは何の関わりもありません。」
『とは言えども、なかなか無視は出来ぬ事柄であるぞ?事はそう単純では無い。』
腕を組んで唸るアルトリウス。
「どうすれば・・・いいのですか・・・ハル・・・」
「いや・・・どうすればって言われましても。」
再び涙目になるエルレイシアに怯みつつ、ハルも問題が大きいことは認識できた。
庶子とはいえアルフォード王の娘と、王の許可を得ないまま婚約に近い状態である。
それだけでフリード族は帝国に戦争を仕掛ける口実を手に入れたことになる。
間諜の様子を見ている限り、エルレイシアは強引に内通を迫られていたことは明白であるが、事情を知らない者は血筋を知ればエルレイシアを内通者という疑惑の目で見るだろう。
また、戦いのさなかに血筋を明かし、内通者がいるとシレンティウム内部で煽動工作を立てられても困る。
「とりあえず、主立った人たちには事情を早めに説明しなければいけませんね。」
ハルの言葉に頷くアルトリウス。
エルレイシアは頷きながら、口を開いた。
「アルキアンド族長は私のことを知っていると思いますが、他の人たちは分かりません。私の素性はフリード族でも余り知られていませんので・・・」
その言葉にふと疑問を口にするハル。
「・・・王の他にこのことを知っているのは、誰ですか?」
「はっきりと知っているのは宮宰のベルガンさん、叔母のアルスハレア、それに私の腹違いの兄弟になる3人の王子様達です。尤も、王子様達は随分後になってから知ったようで、私がシレンティウムに来てから一度だけ、ダンフォード王子の使者と名乗る方が尋ねてきていたみたいです。」
「・・・先任。」
何事かに気付いたハルがアルトリウスに目を向けると、アルトリウスはにやりと人の悪い笑みを浮かべて言った。
『うむ、アルフォードは耄碌して最早そのような知恵もあるまい。そもそもかつてのあ奴ならこんなずさんで陰険な手は取らん。正々堂々と攻め立てるであろう。宮宰は微妙だが、一番可能性が高いとすれば王子か・・・』
「ううん・・・」
予想通りの答えに唸るハルを見て、アルトリウスが言葉を継ぐ。
『どの程度王子達の勢力基盤があるのか知らぬが、アルフォード王の威を借りつつ、ずさんながらもこの件を主導しようとしているのでは無いか?シレンティウムを落とす主導を取れれば、戦後の戦利財宝の分与権を獲得できる。シレンティウムの財宝を使い自分達の勢威を高める腹であろうよ。』
戦利財宝の分与権とは、クリフォナムの民を率いる族長が持つ権限で、分捕った戦利品を部下に分配する権利のことである。
王子達はシレンティウムの財宝を狙い、その財宝を戦士や宮廷官、貴族に多く分配することで自分達の基盤と勢威を高めようとしているのであろう。
分配する財宝を多く分捕る為にも、戦いで目立った功績を挙げなければならない。
強引な間諜を派遣した者にはその意思が感じられた。
アルフォード王の陣営において、エルレイシアの素性をを知りつつ、そう言った意味での焦りを持っているのは王子達だけであろう。
ハルがぽつりとつぶやく。
「・・・発案はともかくとして、主導は王子ですか。」
しばらくの沈黙の後、アルトリウスが徐に口を開いた。
『太陽神官どの・・・アルフォードをどう思っているのだ?』
「・・・赤の他人です。血を否定はしませんが、私はずっと父はいないものとして育てられてきました。王族としての権力も財力もありませんし、それに頼ろうと思ったこともありません。これからも頼ることは決して無いでしょう。私は太陽神官エルレイシアです。」
アルトリウスの言葉に、よどみなく答えるエルレイシア。
「とは言っても・・・」
アルトリウスと同じように腕を組むハルの横で、アルトリウスが意地の悪い顔でエルレイシアに再び質問をした。
『ハルヨシがアルフォード王を殺すとなった時は如何する?』
「・・・私はハルについて行きます。」
躊躇なく答えるエルレイシアの瞳をのぞき込んだアルトリウスは、目を白く輝かせ、黒い気を身体からにじみ出させながら更に質問を重ねた。
『では、先程の間諜から告げられた策を述べよ。』
「・・・容易にシレンティウムが陥落しない時は、アルフォード王が勝てば助命の上開城、ハルが勝てば撤退の条件で一騎打ちを申し出るので、それにハルを応じさせること。それから、その直前にハルに毒をもって、弱らせておくこと・・・あわよくば、一騎打ちの際にハルを邪魔すること。・・・そして、勝者如何に関わらず、間諜が城門を開け放つ手助けをすること・・・です・・・」
エルレイシアが懸命に思い出しながら言うと、アルトリウスは禍々しい気配をすっと消し去ると、エルレイシアの瞳から視線を外し、しばらく思案した後、笑顔でハルに向き直って言った。
『うむ、真実を話しておるし、間諜の言っておった言葉に寸分違わぬ内容である。ハルヨシよ、太陽神官殿は信用できよう。結符を確かめてみよ。』
ハルが思い出したように腰の黄色い結符を引くが、びくともしないまま帯に結わえられている。
「・・・喰い付いてますね。」
「・・・その言い方って・・・あんまりではありませんか・・・」
ハルの言葉に地味に傷付き、エルレイシアが言う。
しばらく2人で仲良く結符を引いたり、つついてみたりしたが、些かの揺らぎも無い。
アルトリウスは2人の突き合いを妙な目で見ていたが、終わる気配がない為に咳払いを入れると、慌てて居住いを正す2人。
そして、エルレイシアがとってつけたように質問を投げかける。
「そ、そう言えばアルトリウスさんっ、私とあの間諜の会話を聞いていらっしゃったのですか?先程は・・・聞いていないと・・・」
『そう言わねば、真偽が確かめられまい?』
言い募るエルレイシアに、アルトリウスは意地の悪い笑みを浮かべて嘯いた。
「・・・先任は、なかなかの策士ですねえ・・・」
『真正直な軍人でも、帝国の軍閥内権力闘争で揉まれればこれくらいの腹芸は出来るようになるわ。甘く見るでない。』
呆れた声を出したハルに、アルトリウスは自慢げに答えた。
苦笑しながらも、ハルはふとある事に気が付く。
「・・・アルフォード王は一騎打ちを・・・と言いましたが、齢80の王が一騎打ちに出るんですか?」
『その為の策ではないのか?恐らくハルを害せる見込みがあるのだろう・・・毒か、闇討ちか・・・はたまた狙撃であるか。』
「王子達が主導していれば共倒れでも良いはずです。」
『うむ、王諸共、ということであるな。卑怯な帝国が辺境護民官共々王を手に掛けたとなれば、クリフォナムの民を大いに刺激するであろうしな。』
ハルの言葉に然もありなんといった風情で顎に手を当てながら肯定するアルトリウス。
「そんな諸共だなんて・・・ハル、止めて下さい。一騎打ちなんて危険すぎます。」
「それが最良で犠牲を最小限度に抑えられるのであれば、自分はやります。」
エルレイシアが願うが、ハルは首を左右に振るときっぱりと答えた。
良くも悪くも個人主義のフリード族である。
英雄王が討たれれば、王に個人的な忠誠心で仕えているフリード戦士達は、忠誠の対象を失って瓦解する可能性もある。
『まあ、我らは劣勢だ。そう言う風に持っていかなければならん側面もあるのである。』
アルトリウスが傍らで昏倒し、未だ目を覚まさない間諜を見て言った。
ハルがエルレイシアに質問する。
「・・・こちらから一騎打ちを申し込んだ場合は?」
「フリード族は武を尊ぶ部族ですから、拒むことは恐らく無いでしょう。ましてや仇敵で普段から弱いと馬鹿にしている帝国人相手では、受けざるを得ないでしょうけれども・・・」
「・・・では、策が成功していると思わせておいた上で、こちらから一騎打ちを申し込めば断りませんよね?」
「・・・はい、おそらく。」
最後のエルレイシアの答えに、ハルは満足そうに頷いた。
『・・・ハルヨシよ、こちらから一騎打ちを申し込むのか?』
「ええ、先任の敵を討って差し上げましょう。尤も、仕込みがかなり必要ですが。」
ハルの言に呆れるアルトリウス。
『年老いたと雖もフリードは英雄王、侮るでないぞ?』
「分かっていますよ、先任・・・エルレイシア、自分はアルフォード王を倒します。それでも良いんですか?」
「・・・先程も言いましたが、私に父はいません。私はシレンティウムの太陽神官エルレイシアです。」
きっぱりと言い切ったエルレイシアの瞳には、些かの曇りも無かった。