第5章 都市伸張 シレンティウムの日常篇
帝国兵が到着し、一時的に緊張状態になったシレンティウム市街はしかし、丸1日が経過し落ち着きを取り戻し始めた。
帝国兵や帝国人が今まで辺境にやって来たような暴力的な性質を持たない事が次第に明らかになってきたからである。
町の様子を見計らっていたアダマンティウスはその状態を見極め、指揮下の兵士達を連れて早速測量へと向かった。
ヘリオネルとレイシンクは移住希望者を募るべく手配の為既に自分達の街区へと戻っている。
ルキウスは差し当たっての仕事は無いものの、治安維持に地理把握は必須だと出かけてしまったので、最後に残ったのはハルとエルレイシア、それにアルトリウスの3人。
シッティウスへの手紙を書き終えたハルは、お茶でもと、残っていた2人を誘って執務室の一つ上階のバルコニーへ移動する。
さわさわとバルコニーの脇を流れる上水道の水音を聞きながら、ハルが自ら淹れたお茶を飲みつつエルレイシアが感慨深そうに言った。
「・・・あの時何にも無かった廃棄都市がこうなるなんて、思っても見ませんでした。」
バルコニーからは都市の大通りだけで無く、街区の方まで見渡す事が出来るが、ここに最初来たハルとエルレイシアが見た廃棄都市の面影はどこにも無い。
大通りでは、まだ午前中ではあるものの周辺近隣の村々からオラン人、クリフォナム人の族民が農産物や畜産物を持って集まり、青空市場を開いていた。
山暮らしをしている者達が猟で獲った獣の肉や炭、山菜や薬草を持ち込んでいたり、遠くハレミアの民が珍しい海獣の毛皮を売っていたりもする。
帝国の行商人もちらほら見かけられ、こちらは帝国産の鍋や釜、刃物にたわしといった日常生活用品を売っていた。
街区の方では槌音や木挽きの音が遠くに響き、真新しい家々の屋根が見える。
遠くには切り開かれた森の合間に、作付けされた蕪や牧草の葉が小さな緑の列を作っているのが遠望できた。
心地よい喧噪と、人の生活感が都市には満ちあふれているのである。
「ここ最近は忙しくて、そんな事を考えてる時間もありませんでしたが・・・賑やかになりましたよね。」
ハルも大通りの様子を眺めながら、律儀にアルトリウスの前にも茶を淹れて置いた。
以前淹れずに放置した所、こういうものは気分だから淹れろと本人から怒られた為である。
『・・・ハルヨシよ、成果は確実に上がっておる、誇って良い事であるぞ。』
「確かに、このお茶も族民達が持ってきた物ですし。」
ハルがお茶を自分の前に置く様子を満足げに眺めながらアルトリウスが言うと、エルレイシアもお茶の香りを楽しみながら言う。
クリフォナムの南部に自生する山茶草と言う1年草の薬草で、滋養と鎮静の効果があるがクリフォナムでは煎じて飲用にする事が多い。
東照の薫り高い茶とは趣が違うがハルは好んで飲用しており、またこれらが不自由なく手に入るようになったのは青空市場が出来た為である。
ハルが自分のお茶を淹れながら席に着き、苦笑しつつ口を開いた。
「左遷されて廃棄都市へ行けという追加命令書受け取った時はどうしようかと思いましたが・・・分からないものです。」
「そうですね、あの時には2人静かな暮らしが待っているものとばかり・・・あら、でもそれはそれで愉しそうです。」
エルレイシアは一旦ハルの言葉を肯定しかけたが、少し思い直したように言い、カップを置くとハルを見つめて言葉を継いだ。
「ハルもそう思いませんか?」
「思いませんね。」
「・・・いじわるです・・・2人きりだったなら、そんな憎まれ口きかせませんでしたのに・・・今頃きっと・・・」
ハルに取り付く島も無く即答されてむくれたエルレイシアは、ぶつぶつと小さくつぶやきながら恨みがましくハルを見るが、ハルはカップに口を付けたままついっと視線をそらした。
それを見ていたアルトリウスは笑いを含みながらエルレイシアを励ます。
『まあまあ、太陽神官どの、物は考えようであるぞ?我は”前途はあるが左遷された若者”に生き甲斐を思い出させたのだ。現にこうして素晴らしい町が出来上がりつつあるではないか。神官殿も夢も希望も無い、暗い森の中の小屋で、左遷されて腐った男の妻として何の刺激も無く一生暮らすよりも、大きな町の行政官として辣腕を振う有能な生き生きとした行政官の妻の方が良かろう?』
アルトリウスの言葉に小首を傾げてハルを見ていたエルレイシア。
両方を想像してみたのだろう、しばらくするとそれまでの暗い雰囲気が、ぱっと明るくなり、にっこりして答えた。
「・・・それもそうですね。」
「そうですね、じゃあないですよっ、先任!無責任な事を言わないで下さい!」
『町と太陽神官どの、どっちについてであるか?』
「うえっ?」
立ち直ってしまったエルレイシアが、椅子をいそいそとずらしてハルの真横へ移動するのを見ながらハルが抗議の声を上げるが、アルトリウスに切り返されて詰まってしまった。
「両方です、ね、ハル。」
ハルが答えかねていると、椅子の移動を終えたエルレイシアが、先回りして答えながらハルの隣で身体を預け、うっとりと町の景色を眺める。
「ああ、ハル、町の眺めが素敵です・・・2人っきりです・・・」
「変な方向へ妄想すんなっ!」
『・・・我もおるんだがな。』
ハル達がバルコニーでお茶を楽しんでいる頃のシレンティウム市街。
「ふわあああ、すごいねっ!おじいちゃんっ。」
「ああ、すごいなあ、こんな事も人には出来るんじゃなあ。」
アルマール村のマークは、祖父のデニスとシレンティウム東の城門をくぐり歓声を上げた。
デニスも孫の声に頷きながら頻りと驚いているようすである。
城門はマークもよく知るクリフォナム人の創世神話にて語られる世界樹が象られているのだが、村で見る装飾の何倍も精緻で、しかも固い石に刻まれている。
街路は石畳であるし、その脇にある石造りの高い建物も思わず見上げてしまわずにはおれない為、マークは見上げすぎて首が痛くなってしまった。
「あ、おじいちゃん、あそこでみんな物を売っているみたいだよ!」
マークが指さす先には、様々な族民達が集まって青空市場を開いており、本当に雑多な人々がたくさん居るのが見て取れた。
マークの父親と母親は農作業で手を離せない為、今日は祖父と一緒に作った籠や笊、綱などの手工芸品を売りにシレンティウムまで来たのである。
小さい頃は、死んだ帝国の鬼将軍が未だに支配する都市だから近づいては行けない場所と教えられていたが、最近は物を売りに行く人たちや、買いに行く人たちが多い。
以前は、遠い帝国の関所まで行って商売をしていたようだが、帝国の商人達もシレンティウムまでは来るようになったとかで、近い場所で帝国の産品を買う事が可能になったため、最近アルマール村の人々は専らシレンティウムで物の売り買いをしている。
道は帝国の兵士達が巡回して安全を確保しており、盗賊や野獣、魔獣の類いもめっきり姿を見せなくなった。
「おじいちゃんっ!あれ何?」
「・・・あれは西の帝国の戦士じゃよ。アルマールの戦士と同じ役割を持った人達じゃ。」
「ふーん・・・なんか重そうだね~」
マークが指さしたのは2列に整列して大通りを警備している帝国兵の十人隊。
銀色の金属を幾つも組み合わせて作った鎧に銀色の臑当、頬当ての付いた見事な円形の兜、そして四角い大楯と投槍を持ち、腰には両刃の短い剣を差している。
マークは村にいる、羽根飾りの付いた兜に革の鎧、細長い盾に長剣と槍といった姿の部族戦士達の姿を思い出して凄く違うなあと、感心しきりである。
「おお、良い場所が空いておった、マーク、ここに敷物を広げるんじゃ。」
行進して去って行く帝国兵を興味津々に見送っていたマークは、祖父に声を掛けられ慌てて祖父の居る青空市場の一角目がけて走った。
その途中で、前をよく見ていなかった為に人とぶつかってしまうマーク。
地面へ派手に投げ出され、祖父が慌てて駆け寄ってくるのが見えた。
「大丈夫か、坊主?」
ぐいっと腕を引かれて立ち上がると、赤色の貫頭衣を着た、茶色の短い髪に同じ色の瞳の若い男がいた。
「だ、大丈夫です・・・」
そう言いながら立ち上がるマークの身体に付いた砂埃を払い落とした男は、親切にもマークの持っていた籠や笊を拾い集めてくれている。
今日まで村から出た事の無いマークにも姿服装から帝国人だとすぐに分かった。
道中も行き会わなかった為、帝国兵を見るのは初めてだったが、帝国人は村に貢納を要求しに来た事があるので見た事がある。
大人達は激しく忌み嫌っていたし、確かに村に来た帝国人は意地が悪そうだったが、マークの見るこの帝国人はとてもそんな嫌な感じはしない。
「申し訳ありません、孫が粗相を致しまして・・・」
「うん、気を付けてな。」
恐縮している祖父を余所に、帝国人は集めた籠をマークの背負っている大きな籠へ入れてくれると、それだけ言い置いて立ち去ってしまう。
「・・・何とも奇妙な事じゃ・・・ここの帝国人はわしらと普通に話す。」
祖父が驚いたようにつぶやいていたが、マークは特にどうと感じる事も無いので、祖父に言われた場所へ敷物を広げて商品を並べ始めた。
同時刻頃、シレンティウム郊外オラン人の開拓地。
オラン人のテオネルは力を振り絞り、止めとばかりに太い木の幹に斧をを打ち込んだ。
がつんという強い手応えと共に、木が耐えかねたようにメリメリと生木の裂ける音を発しつつ、思い通りの方向へ地響きを立てて倒れたのを見て満足し、額の汗を拭う。
「よし、これで一段落だな。」
「お疲れだったな、ようやくここも開けたよ。」
周囲で木の倒す方向を綱で調整してくれていた従兄弟や親戚達が近寄ってねぎらいの言葉を掛けてくるのを、テオネルは息を切らしながら首肯で答えた。
テオネルはシオネウス族の族民で農民、妻と3人の子供がいる。
移住決定の時はやむなしと従ったが、妻や子供の事を思えば一刻も早く安住の地を見つけたかった。
幸いにも死霊都市を治める辺境護民官が、シオネウス族を受け入れてくれた為に、意外というか、予想を遙かに超える形で農地と居住地が見つかった。
それからはひたすら木を切り、切り株を掘り起こし、畑を耕して過ごした。
今、ようやくそれが形になりつつある。
「昼飯前に切り株を掘ってしまおう。」
上衣を取り、汗だくの上半身を荒い息で上下させながらテオネルが言うと、従兄弟達も頷き、すぐに縄と梃子、馬に鍬、鋤が用意された。
がっちり根を張っていた切り株は予想外にテオネル達を手こずらせたが、無事掘り起こしも完了し、テオネル達は用水路を流れる水を汲んで喉を潤し、泥で汚れた手や身体を洗った。
全く、この土地は素晴らしい、水は美味く、清潔で、居住場所も不快さとは無縁である。
土地はまだまだこれから耕起していかなければならないが、切り株を掘った時に出てくるミミズの太さや長さを見れば、ここが如何に肥えた土地であるかが分かる。
「おとうさ~ん。」
「・・・おおい、ここだ~」
息子と娘が妻の作った弁当を持ってきてくれたようだ。
治安が良いので子供にも安心してお使いをさせる事が出来る。
テオネルが手を振ると、子供達は喜び勇んで駆けだした。
と、テオネルの手が止まる。
「・・・何故帝国兵が・・・」
子供達の後から、帝国兵が5人じっと行き先を見ているのが見えたからである。
「お、おい、何で帝国兵がここに居るんだ・・・」
従兄弟が不安そうにテオネルに問い掛けるが、テオネルがそれは知りたい所である。
「はい、お父さん!お弁当だよ。」
子供達が駆け寄ってきて、テオネルへパンと果物の入った手提げ籠を手渡すが、テオネルは心配さの方が先立ち、子供達に尋ねる。
「おい、あの帝国兵は何だ?」
「ん?あのおじさん達のこと?」
「そうだ、おかしな事をされなかったか?」
「大丈夫か?」
テオネルに混じって従兄弟も尋ねるが、子供達はきょとんとした様子で2人の大人を見つめる。
「されないよ?町からでる時に危ないからって送ってくれたんだよ。」
「そうだよ。」
「・・・何だと?」
息子と娘の答えに驚くテオネルが帝国兵の方を見ると、5人の帝国兵は子供達が無事到着した事を見届けた為か、既に背を向けて城門の方向へと去って行く途中であった。
「・・・こんな事が・・・」
「ああ、何かが変わるかも・・・知れないな・・・」
帝国兵と言えば、略奪、徴発、村襲撃に人掠い、ありとあらゆる悪道の権化であったはずだ。
テオネルと従兄弟は、感動と感心とも付かない、敢えて言えば期待感とも言うべき不思議な気持ちで帝国兵の背を見送った。
同日夜半過ぎ、大通りから一本入った居酒屋。
「てめえっふざけんなこのっ!野蛮人めっ!」
「何だと?よそ者の帝国人が偉そうに!」
酔っ払った帝国人の行商人とオラン人の族民2人がとっくみあいの喧嘩になった。
理由は些細というのもおこがましいが、敢えて言うならば、酔っ払いの戯言に別の酔っ払いが過剰に反応してしまったということ。
料理がぶちまけられ、皿や酒瓶がテーブルから落ちて割れる。
終いにはそのテーブル自体もひっくり返って周囲へ累を及ぼした。
まだ時間が早く、周りの客もそれ程酔っていないので、囃子こそすれ参加までは行かないでいるが、止める者もいない。
しばらく喧嘩は続いたが、すぐに複数の重い足音がし始めた。
「止めろ!行政府だっ!・・・ああ~こりゃ駄目だな・・・」
ルキウスが棒杖を持った夜警の帝国兵を率いて酒場に現れ、一喝するが、周囲の惨状と2人のぼこぼこになった顔を見て仲裁では済ませられないと判断した。
「もういいから、2人とも行政府へ連行してしまえ。」
未だ取っ組み合っている2人を強制的に引きはがして後ろ手に縛り付けると、兵士達は2人をどやしつけながら行政府へ連行していく。
「店長、悪いな、後で2人に弁償させるから。」
「・・・帝国人も拘束されてたぞ・・・」
「ああ、他じゃ考えられないな・・・」
「信じられん・・・帝国人が・・・」
ルキウスが去った後、周囲で見ていた客が噂話を始める。
その場にいた少なくない数の者が帝国内で働いた事があるが、オラン人やクリフォナム人は見た目がはっきり異なる為に、不当な扱いを受ける事が少なくない。
系統が同じで見た目も似ているセトリア諸国人より差別の程度が激しいのだ。
帝国内であれば、こういった場面で拘束されたり、帝国兵から暴行されるのはオラン人やクリフォナム人であり、帝国人に非があったとしても、訴える事も出来ないのがほとんどである。
「良いことじゃねえか!面倒くさい事を考えてる暇があったら、なんか注文してくれ!」
クリフォナム人の嫁を持つ帝国人の店長が稼ぎと客を取り戻そうと、ひそひそ話を続けるオラン人やクリフォナム人の客に業を煮やして厨房から声を荒らげた。
「ご注文はどうしますか?」
「ああ、酒をもう一杯ずつ頼む。」
「分かりました、ありがとうございます。」
店長の妻が注文を取りに来たので、噂話をしていた2人はすぐに杯を空け、追加の酒を注文する。
「・・・まあ、良い事なんだよな。」
「そうだな、ここは良い所だな・・・引っ越しを考えるか。」