第5章 都市伸張 帝国軍派遣依頼篇(その3)
デキムス・アダマンティウス司令官が関所を出発してから15日後の昼下がり、シレンティウム西側郊外の農場。
オラン人と一緒に畑へ出て蕪の間引きの手伝いをしているハルの元に、アルトリウスが姿を現した。
『ハルヨシよ、帝国兵が西の方から接近中だ、数はおよそ200、だな。』
「帝国の関所は南ですね・・・アダマンティウス司令官とは別の部隊でしょうか?」
『おそらく。』
ハルの言葉に神妙な顔で答えるアルトリウス。
ハルは手を止め、間引いた蕪の苗をかごに入れて近くの用水路まで行き、蕪の苗を水洗いする。
今日はこれで汁物の具に彩りが出るだろう。
ハルがかごを近くに居たオラン人の農夫に美味そうだよと言いながら手渡し、腰に付けた手布で手を拭きながら執務室へと歩き始めると、アルトリウスが解説を加えた。
『ここから最も近い国境防衛隊は、遙か彼方のオラン人居住地域にしか無い、そこまでは北辺大山脈という天然の壁がある故にな、であるから、用心せよ、いずれにせよ何らかの目的があって出張って来たと見て間違いなかろう。』
「・・・問題は何が目的かというところですか・・・」
『うむ、万が一に備えよう、素行の悪い奴らだと面倒だ、原因は何であれ、市民に怪我でもされて我らの評判が落ちても困る。』
帝国軍の素性を気にするアルトリウス。
帝国軍による乱暴狼藉で自分達シレンティウム行政府の評判が落ちれば、増えてきた移住者や物売りが減ってしまうだけでなく、最悪たまった不満が行政府に向き、帝国軍が目的を達して都市を離れた後、都市内で暴動が起きるかも知れない。
「分かりました、すぐにみんなを行政区の方へ避難させましょう、ろくでもない理由なら危ないですからね。」
『うむ、良い判断だな、あそこなら城壁も残っている・・・ふっふっふ、しかしハルヨシよ、帝国兵から市民とは言え蛮族を守るとはよく言ったものであるな、本来のお主の業務は帝国の威信を高め、蛮族を征服することであろう?』
急ぎ足のハルに追いすがりながら、アルトリウスがからかうと、ハルはにやっと口角を上げて答える。
「何を言いますか、威信は”高める”のでは無く”高まる”のです、そしてそれは国の行動だけが実現可能な手段です、私は帝国の威信を賭けて市民を守りますよ。」
『わははは、左遷されて腐っておった奴がよく言うようになったわ!それでこそ我が見込んだ後任よ!』
ハルの余裕ある答えに、アルトリウスは心底おかしそうに笑った。
ハルが戸外の全員を都市の行政区へ避難させ終わった頃、帝国軍国境防衛隊の百人隊長、ボレウス・カデシウスは、シレンティウムの西の城門前で戸惑っていた。
「こんな所に帝国の都市があるとは聞いていないぞ、一体何だこの都市は?」
「分かりませんが・・・地図上ではクリフォナ・スペリオール州の州都、ハルモニウムが記されています。」
律儀な様子で、ボレウスの何時も冷静な副官が質問に答える。
「ハルモニウムだと?・・・ああ、あれか、英雄アルトリウスの物語の・・・」
「そうです、しかし、廃棄都市のはずです、このように整備されたとは聞いていません。」
いつも通り冷静に見える副官の額から一条の汗が落ちた所を見ると、相当に驚いているようだ。
廃棄都市とは思えない都市の光景に圧倒され、帝国軍国境防衛隊、シオネウス砦の兵士達は息を呑んでいた。
帝国の技術が使用されている事は分かるが、随所に帝国とはひと味違う工夫が為されている。
都市中に張り巡らされた水道橋は、豊かで清浄な水を隅々まで行き渡らせ、最後は城壁跡の北側で大きな滝となって池に落ち込んでいる。
そして池に1度貯められた水は、小さな幾重もの水路で周囲の土地を潤していた。
部隊が進んできた西側は森の一部が切り開かれて農地が整備され始めており、根菜や牧草らしい作物が規則正しく並べて植えられている。
兵士の1人が試しに近くの溝を流れる水をすくって口に含むが、喉を転がるような清水にその兵士はそのまま思わず飲み下してしまった。
よく見ると、今は人が居ないようであるが随所に生活の痕跡が見受けられる。
馬車の轍、人の足跡、草を刈った後、真新しい切り株、そしてたき火の跡。
「思わぬ獲物が転がっていた、しみったれた蛮族のシオネウスなど放って置いてもお釣りが来るな。」
無防備な都市を前に、略奪した後の戦利品を皮算用して思わず舌なめずりをするボレウス。
廃棄されていた都市だ、見た感じでも住人とて多くて1000人程度だろう。
戦士がいても、せいぜい100人、もっと少ないかも知れないが、帝国の重装歩兵の攻撃で正面から当たれば怖い事は無い、他愛無く蹴散らす事が出来る。
城壁は低くて防備の役には立たないし、城門には扉も無い。
塔が残っているようであるが、人が居る様子は無く、気にする事はなさそうである。
どうせ住んでいるのは蛮族ども、それにここは帝国の法典の威力も届かない辺境の地である。
戴ける物を戴き尽くし、使えそうな女や子供は掠った後は、焼き払って更地にしてしまおう。
愚かにも貢納を拒んで逃げたシオネウスの村と同じように、跡形も無く。
そうすれば帝国の市民が居ようが、行政官が居ようが関係ない。
全ては辺境の闇が隠してくれる。
「・・・しかし、これだけの都市です、行政官が居る可能性が高いと思われますが・・・」
「ああ、そんな者はここに居ない、ここは廃棄都市だからな、少なくとも俺は知らない。」
副官が苦言を呈するが、ボレウスは聞き入れないどころか、詭弁を弄して帝国の都市からの略奪という贖いがたい悪行を正当化しようとした。
しかし、その言葉はボレウスの神経を逆なでする結果となる。
「・・・そういえば、貴様この前も俺の指揮に逆らったな?」
「ご忠言申し上げるのが副官の仕事ですので。」
シオネウスの村を焼き払った時に反対意見を堂々と述べた副官は、今度も特に何を感じさせるでも無く、ボレウスの粘つく視線の中そう言った。
「では、一部を聞き入れよう・・・戦利品は一切やらんが、攻撃に参加したくない者は手を上げろ!ここで待機させてやろう!」
30人ほどの兵士達が手を上げ、これにはボレウスと副官の両方が驚いた。
ボレウスは予想外の多さに、そして副官はそんな者が存在した事に、である。
「・・・ちっ、まあいい、貴様らはここで輜重を守っていろ、臆病で向上心の無い貴様らには食料のお守りがお似合いだ!」
ボレウスは早速居残る準備を始めた副官達に捨て台詞を残し、残りの170名の兵士を率いて都市へと進撃を開始した。
『・・・ハルヨシよ、残念ながら交渉の余地はなさそうであるな、戦闘態勢で進んでくるぞ。』
盾を並べ、槍を突き出した帝国軍部隊が進んでくるのを見て取ったアルトリウスがハルに警告する。
「そんな・・・ここには帝国の辺境護民官が居るというのにですか?」
アルトリウスの決定的とも言える言葉に対して、帝国兵からさんざん痛め付けられてきた経験を持つヘリオネルは早くも恐慌状態で、悲鳴とも取れる声を上げる。
ここ、行政区の東にある軍団基地の壁際には、オラン人戦士50名とクリフォナム人の戦士10名、それからハル、アルトリウス、ベリウス、ヘリオネルが完全武装して隠れている。
エルレイシアは行政区の元太陽神殿へオラン、クリフォナムの族民を区別する事無く避難させ、現在はその場を取り仕切っている。
レイシンクはアダマンティウスと面識があるので、ハルの手紙を持って20日程前に護衛の戦士を連れて旅立った。
全員が緊張に顔をこわばらせている中、ハルとアルトリウスは落ち着いて言葉を交わす。
「これは困りました・・・どこの部隊か分かりますか?」
『いや、砦の場所は変わってないだろうが、流石に40年経っておるからな、旗も掲げておらぬし、見ただけでは分からん。』
アルトリウスとハルは、行政区の低い城壁の陰から東の城門を慎重にくぐり始めた帝国兵の部隊を眺める。
ヘリオネルが、2人に続いて覗くと、見覚えのある顔が兵士の指揮を執っている事に気が付き、あっと声を上げた。
怪訝な顔で振り返るハルとアルトリウスに、ヘリオネルは気まずそうに説明をする。
「・・・あれは東オランの砦に駐屯している、帝国軍のボレウス隊長です・・・恐らく我々を追ってきたのだと思います・・・」
ヘリオネルの言葉にげんなりするハル。
「・・・帝国軍って、暇なんですか?」
『知らん、我に聞くのでは無いわ、聞くのであればあの百人隊長に聞け。』
ハルがヘリオネルの説明を聞いて、アルトリウスに質問すると、アルトリウスは心外だと言わんばかりにそう吐き捨てた。
「いや、今は無理ですからね、先任だけなんですよ?帝国軍にいた事があるのは。」
『・・・40年前の昔ならばいざ知らず、今の帝国軍がどのような思惑で動くかなど分からん。第1、あんな少数で辺境を行き来しておっては我の現役時代では自殺行為だ。それにも増して、百人隊長ごときに管轄外への指揮権を与える事などあり得ん。』
ハルの重ねての質問に、アルトリウスは憮然と答える。
それに対し、ヘリオネルが恐る恐る言葉を発した。
「村に来た時、女を差し出せと・・・そう言っていましたが・・・まさか。」
「スケベ心で?こんな所まで!?」
『馬鹿な!腐っても栄えある大帝国軍ぞ!?』
素っ頓狂な声を上げたハルに、アルトリウスが怒声を上げたものの、ヘリオネルが冷静に言った。
「いえ、あれは腐ってる帝国軍です。」
『・・・うぬっ。』
何故か言い負かされた形になってしまい、悔しそうに黙るアルトリウス。
気まずい沈黙が辺りを占める。
「ま、まあそれは置いといて、どうしますか、この都市は辺境護民官の統治下にある事を告げましょうか?」
『・・・一応、後事の為に布告はしておいた方が良かろうが、効果は期待はせん方が良いだろうな。』
自分の驚きの言葉がアルトリウスを結果として言い負かす原因になってしまったハルが、慌ててとりなすように言うと、アルトリウスは幾分立ち直って答えた。
「そうですか、では・・・」