第5章 都市伸張 帝国軍派遣依頼篇(その2)
ハルがデキムス・アダマンティウス司令官への手紙の文面を考え始めた頃、帝国北方辺境関所では1つの騒ぎが起こっていた。
「だから、何度も言ってるだろう!友達が廃棄都市ってとこにいるんだよ!」
「駄目だ、廃棄都市は死霊や魔獣が昼日中から徘徊する危険な場所だ、元治安省官吏とは言え今は一市民をそんな危険な場所へやるわけにいかない。」
関所北側、クリフォナムの民が住み暮す地域への入り口となっている門の内側で、がっちり鎧兜に身を固めた兵士と押し問答をしている若い男は、ルキウス・アエティウス元治安省官吏。
今は灰色の制服では無く、緑色の貫頭衣に厚手の上着を重ねて着ており、足下も革の長靴でしっかりと固め、腰には短い双剣。
後には荷物を積んだ馬を連れており、どこからどう見ても道行く旅人である。
もうかなりの時間を押し問答で費やしていたので、ルキウスは面倒くさくなって嘘をついた、この門を通れれば良いのだ。
「じゃあ、行かないから通してくれ。」
「本当か?」
「・・・なんだよ。」
兵士がそう言いつつルキウスの目をのぞき込むので、ルキウスは思わず目をそらした。
勝ち誇った兵士の声がルキウスの耳に届く。
「駄目だな、お前はウソを付いている、行く気だろう?」
「い、いいじゃないか、お前はクリフォナムの村へ行く旅人を通したってそこの帳簿へ書いておきゃ良いんだよ!」
「ふざけるな、俺は腐っても帝国兵士、そんな不正はしない!」
「・・・その台詞を帝都の腐ってる官吏共に聞かせてやりたいぜ・・・ってそうじゃない!固い事言うな!そんな流行らない事言ってるのはここだけだぞ!」
兵士がさらりと発した気持ちの良い言葉に、ルキウスは一瞬聞き惚れるが、すぐ我に返って文句を重ねる。
しかしそれでも生真面目な兵士はとりつく島も無い。
「他は知らん、ここで不正は許さんから、帰れ。」
「・・・職場の同僚にはこういう奴いないと困るけど、余所でこうまで言われると腹立つなっ、帝都からわざわざ来たんだ!イイから通してくれよ!」
そんな調子で兵士と押し問答をしていると、ルキウスは後ろから肩に手を置かれた。
振り返ると立派な体格だが60歳に達しようかという、兵士と同じように鎧兜で身を固めた帝国軍将官が立っている。
兜から覗く髪も口元の立派な髭も真っ白で、黒い目は柔和であるがその輝きは強い。
ルキウスが何かを言う前に、ルキウスと押し問答していた兵士がその将官に向かい、慌てて敬礼をする姿が視界に入った。
「申し訳ありません司令官、この旅人が・・・」
「ああ、話は聞こえていたよ、君、すまんな、兵士をそれ以上責めないでやってくれないか、帝国人の越境は基本的に認められていないのだ、とりあえず話は私が聞こう。」
兵士が鯱張って報告しようとするのを制し、将官がルキウスに話しかける。
「失礼だが、あんたは?」
「デキムス・アダマンティウスだ、この北方辺境関所の守備司令官を務めている、せっかく遠くからここまで来たのだ、要望は出来るだけかなえるようにしよう。」
デキムスの先導で、ルキウスは見晴らしの良い兵士食堂へと案内される。
見張り所を転用したと思われる兵士食堂には、勤務を終えた当直の兵士達が食事をしている以外は閑散としており、デキムス自らが粉茶を木杯へ淹れてルキウスに差し出した。
「すごいな・・・」
「ここからはクリフォナムの大森林地帯が一望だ、もっとも、この森の中には10万以上のクリフォナムの民が住み暮しているが。」
ルキウスが木杯を受け取りながら発した言葉に、デキムスがふっと寂しそうに微笑んだ。
ここ、デキムスが守備司令官を務める北方辺境関所は、帝国とオラン人地域を分ける北辺大山脈と、東照やシルーハとの境になる東部大山塊が合わさる峠に設けられた関所。
帝国側、クリフォナム側にそれぞれ門があり、門と門の間はちょっとした町のようになっている。
かつてクリフォナ・スペリオール州の帝国側玄関口として、元にあった小さな砦を改修し、拡張して整備された関所。
今は帝国北方辺境の砦として機能しており、帝国人の越境を監視し、蛮族の商人や傭兵の越境審査をして、入国証明を発行する場所でもある。
戦争状態にはないものの、いわば帝国国境の最前線であり、国境防衛隊としては規模が大きく、兵士は常時1200名が詰めていた。
また、施設維持の為に帝国の雑貨商人や鍛冶職人、衣料職人、医師、薬師、大工、石工、風呂職人、武具職人、馬喰などがおり、人数だけを見れば小さな町位の規模がある。
それに、西方郵便協会の支部もあり、クリフォナム人やオラン人で家族が帝国内で働いている者達はここから手紙を発送する事も出来る。
直接来る者もいれば、村でまとめて出しに来る者、商売に出かける者へ頼む者もいるが、郵便協会前は、人が集まっている。
席へ着いたデキムスが、徐に尋ねた。
「それで、君はどこへ行こうというのか?」
「ああ、友達が廃棄都市ってトコへ行ったらしいんで、会いに行こうかと思ってね。」
そう言った後で受け取った木杯を傾け、驚くルキウス。
「なんだ、東照の茶じゃないか・・・久しぶりに飲んだな。」
砦の他は足の踏み場もない程の峻険な山岳であり、人が通れる場所はない。
ルキウスの驚きに軽く笑みを浮かべると、デキムスはそう考えてから尋ねた。
「その友人とは何者かな?先程も言ったとおり、基本的に帝国人の越境は認められていない、この関所をすり抜けていったとは考えられないのだが。」
「今はたぶん辺境護民官になっているから、恐らくここを通っていったんじゃないか?名前はハル・アキルシウスだ。」
ルキウスの口から出た役職とその名前に軽く目を見張るデキムス。
しかしルキウスは茶に気を取られてデキムスの様子が変わった事に気が付かなかった。
ただ、たとえ気が付いたとしてもそれは今まで他人の扱いであったものが、身内を見るそれに変わったので、問題となるような事ではないが。
デキムスが質問を重ねる。
「ほう、あの辺境護民官殿のご友人か・・・ふむ、それで彼がどうして廃棄都市にいると知ったのか?」
「うん?ああ、それは村の産物を売りに来てたクリフォナム人のオヤジが教えてくれた、アルマールって村のオヤジらしいが、食料と馬糧を買った時に色々話をしてね。」
旅路で必要な食料や生活用品を探していたルキウスは、たまたまアルマールから産品を売りに来ていた男達と出会い、旅に必要な物を購入したのであった。
「なるほど・・・」
デキムスはルキウスの説明に納得したように頷くと、自分で淹れた粉茶をぐいっと一気に飲み干し、椅子からゆっくり立ち上がってからルキウスへ言った。
「君はここでゆっくりしていくと良い、3日か4日待ってくれれば越境の許可を出そう、それまでは兵士の宿舎に泊まれるよう手配をしておくが、どうか?」
「向こうへ行けるのなら問題ない、待つ事にするよ。」
手を上げて答えるルキウスに、デキムスは頷いて言った。
「では、私はここで失礼する、何か用があれば勤務中の兵士に声を掛けてくれ。」
ルキウスと分かれたデキムスは、1人執務室で黙考する。
もうあの戦争から既に40年がたった。
あの頃壮健だった自分の身体は衰えを隠しきれず、今や引退を待つばかり。
師とも言うべき人を見殺しにしてしまったあの後の人生は何と味気なかった事か、そしてそれも間もなく終わろうとしている。
おそらく、引退すれば子供達のいるアルビオニウス州、アルトリウス軍団長の故郷でもある田舎へ引っ込む事になるだろう。
そうすれば老いぼれ1人でこの地を訪れる事など出来はしない。
ましてや、帝国は表面的にはともかく、斜陽の時を迎えようとしている、これから政治情勢や社会情勢はますます悪くなるだろう。
40年に永き時間を辺境の間際で、師の墓守をしながら過ごしていても見えてくるものは多い。
留めようのない腐敗に階級闘争、軍閥の台頭、派閥争い。
ここは幸い辺境、鼻をつまみたくなるような帝都の腐臭もここまではまだ届いてはいないが、それも時間の問題であろう。
自分の意志でやってくる壮健な多くの若者達を教え、鍛えることに没頭できた事は自分に一定の満足を与え、慰めにはなったが、私の時は40年前のあの時、ハルモニウムが陥落し、アルトリウス軍団長が討ち取られた時から止まってしまっている。
左遷とは言え、辺境護民官が赴任してきた時も驚いたが、今またその者と志を同じくする者があの廃棄都市へ向かうという。
辺境護民官が色々と動いている事は伝わってきている。
クリフォナム人の商売人や村人、オラン人の逃亡者、紙を買い込んでいった珍妙な東照の商人。
そして、その傍らにクリフォナムの太陽神官と亡霊将軍が居るという。
これは天の采配か、それともこの老いぼれに対する最後の罠か・・・
「いずれにせよ、最後に師へ挨拶ぐらいはしたいものだな。」
自分の気持ちを締め括り、つぶやいてみると、デキムス・アダマンティウスは自分の止まっていた時間が動き出すのを感じた。
4日後の関所北門前。
完全武装の帝国兵300名が輜重隊を連れて勢揃いしていた。
「・・・何であんたが来るんだ、司令官だろう、大丈夫なのか?」
「ここの関所の兵は帝国の最精鋭だよルキウス君、近衛兵と戦ったとしてもひけは取らないだろう、私がいないぐらいでどうにかなる程柔では無いよ。」
上機嫌でルキウスと馬を並べるデキムス・アダマンティウスはそう言うと振り返って砦に居残る兵士達へ手を振った。
砦から敬礼と号令が返されるのを満足そうに見たデキムス。
「・・・全く、物好きなじいさんだな、第1、辺境護民官の時には護衛を付けなかったくせに俺に付けるというのはどうなんだ?」
「ああ、それを言われるとな、心苦しいが・・・あの時は私が臆病だったのだ、40年の時は怖ろしいなルキウス君、自分でも気付かないうちに保身の精神を身に着けてしまっていたようだよ・・・とそれから・・・」
「ん?」
「私はまだじいさんでは無いっ現役だっ!」
「お、おおっ!?」
驚いて馬上で無様にのけぞるルキウスを見て、デキムスは大笑した。
英雄アルトリウスの弟子っこ(じじい)登場ですね。