第3章 シレンティウムへの道 ルキウス篇
帝都治安省第18街区詰所は、ただならぬ気配に包まれていた。
「所長、処分なしとはどういうことですか?」
治安官吏のルキウス・アエティウスは、立派な机にふんぞり返って座っている18街区詰所所長に詰め寄る。
ルキウスの後ろには、意を同じくする18街区詰所の治安官吏たちが続いている。
「どうもこうも無い、ハルが行った取締りは違法で無効であるという事だ、だから処分もしないし、呼び出しもしない、ルキウス、ルシーリウス卿の屋敷へ預かっていた馬を全部返してきてくれ。」
「何を言っているんですか?ハルは取締りに際しては最大限以上に法を遵守していました、警告は2度、3度にわたって行っていましたからね!それに、馬は預かったのではなく、没収したのですから、返す必要などありません!」
ばんっと所長の机を強く叩くルキウスに、所長は若干気圧されて身体を後ろへ退く。
「・・・そ、そう言っても、仕方ないだろう?」
弱弱しく返答する所長に、ルキウスは激昂して強く問いただす。
「何がですか?」
「ルシーリウス卿から私宛に正式に抗議とハル・アキルシウスの違法行為に対する訴えが為されているのだ。」
ルキウスと治安官吏たちは、いったい何を言っているのだと言う風情で所長を見る。
ルキウスは、呆れながらも話を続けなければならないという義務感から、所長に先を促す。
「それでなんと返答したのですか!?」
「うっ・・・ルシーリウス卿はハルの取締りを無かった事にしてくれれば暴行について訴える事はしないと・・・」
「罪を犯した相手に対する制圧行為で暴行?所長!あなた正気ですか!?」
「ええい、うるさい!決めたのだ、ここの所長である私が決めたんだから正しいのだ!ハルの取締りは無かったんだ!!」
ルキウスの正論を聞いた所長はそれ以上真っ当な反論が出来ないとなると、途端に権限を振りかざし、駄々をこねる子供のようにみっともなくわめき散らした。
「馬鹿な事を・・・!被害者はどうなるのですか?ハルは何のために左遷されたんですか?貴族を取り締まる代償として、ハルは・・・!!」
ハルは、貴族を取り締まる代償として左遷された。
当初の説明はそうであった。
詰所に配属されていた騎馬を1頭、所長の取り計らいでハルに融通もした。
しかしそれは良い意味での取り計らいではなかったのだ。
ハルがこのまま帝都で勤務し続けても、あの有力貴族であるルシーリウス卿に逆らって無事ですむ訳が無く、それならばいっそ左遷であろうとも遠い地でほとぼりを冷ますのも悪い事ではないと思ったので、ルキウス達はその時点で反対はしなかったのだ。
貴族の非違行為を取り締まるたびに官吏を左遷させるような馬鹿な話は無いと思ったが、そもそも取り締まり自体を成立させてしまえば、こっちのものである。
貴族だって取締りを受ける可能性があるとなれば、帝都で貴族も気ままに振舞えない、その結果横暴が減るのであればと思い、しぶしぶハルの左遷を受け入れたのであったが、その前提が崩れつつある。
いや、とっくに崩れていたのだ。
とうの昔に自分たちが敗北していた事を今更ながら思い知ったルキウスたちが黙り込んだのを、所長は好機と見たのか、どもりながらも言い募る。
「・・・わしは何も、し、知らん、あいつが余計な事をしたから、私がこんな抗議を受ける羽目になったんだ、被害者はまだ起き上がれもしない、訴えを起こすことなどできないじゃないか。」
「そんなものは我々が出向いて書類を作れば済む事ではないですか・・・それに・・・」
所長の無茶な断言に、呆れたルキウスが即座に言葉を返す。
「駄目だ、被害者が直に詰所に来なければ訴えは受理しない!」
ルキウスの反駁を、更に途中でぶつ切った所長が言葉を重ねる。
「そんなめちゃくちゃな、15日間の訴え有効期限が過ぎてしまいます!」
「有効期限は当然守らなければならん、有効期限内に被害者が来なければ被害受理はしないっ、治安官吏が被害者の家に近づく事も禁止だ!近づいた事が分かったら即、首だからなっ」
悲鳴じみた所長の叫び声に、ルキウス達は一様にうなだれた。
必ず出されるであろう被害の訴えを合法的につぶすための詭弁である。
これではっきりした、所長はルシーリウスのどら息子をかばっている。
全く話にならない、と言う以前に、恐らくルシーリウス卿から硬軟両面から懐柔されてしまっているのだろう。
自分たちはハルの左遷を阻止すべきだったのだ。
こうなる事はうすうす分かっていた、しかし群島嶼出身とはいえ、ハルのような胆力を持った官吏は他におらず、ハルさえ居なくなれば自分たちに累が及ぶ事は無いと考えてしまった事も事実。
しかし、甘い幻想は木っ端微塵に打ち砕かれた。
ハルの左遷は事件から3日後に決まり、北方辺境へ出発したのは事件から5日後の早朝。
同じ日にルシーリウスのどら息子が出頭の予定であったが、これをすっぽかし、ルキウスが出した出頭督促書は受け取りすらされず返されてきた。
そして事件から既に14日が過ぎ、取り調べも被害の受理もできないまま、訴出受理期限の今日を迎えたのである。
何時まで経っても事件が進展しないので、ルキウスが所長に今後の方針を質問しようとしたところ、所長は暴走行為と傷害の罪については処分をしないと言い出したのであった。
「こんな無法が帝都でまかり通って良いんですか?所長!」
「帝国法は貴族平民を問わず服する法ではないのですか?」
「あんな公衆の面前で犯罪を起こしておいて取り締まれないとなると、これから取り締まり自体が出来なくなりますよ!」
ルキウスの同僚たちが口々に所長に言葉を浴びせかける。
しかし所長は耳を両手でふさぎ、首を左右に振って叫ぶ。
「わしは知らん、関係ない!とにかくこの件は終わりだっ!!」
「という訳だ、申し訳ない。」
「いえ、仕方ありません、貴族に逆らえない事は私も分かっていますから・・・」
ルキウスは詰所でのひと悶着後、ロット家に見舞いを兼ねて謝罪に出向いた。
馬にはねられた女性、プリミア・ロットは未だベッドから起き上がれないが、弟のオルトゥスがかいがいしく姉の世話をしており、その光景を見てルキウスは心を和ませる。
「ハルからも、言伝と見舞いを預かってきた。」
「・・・あ、あの時の官吏さんですね・・・左遷されてしまったと聞きました、私なんかの為に申し訳もありません。」
ルキウスの言葉に、プリミアはわずかに頷くと手紙と見舞いを大切そうに受け取った。
見舞いは、ハルが出した分に18詰所の官吏達から少しずつ足して、金貨1枚にしてある。
「色々よくして頂いて、申し訳ありません。」
「いや・・・」
プリミアの礼に言葉を濁すルキウス。
罪滅ぼしと言うにはあまりにもささやかな品。
しかし、思いやりが詰まったハルの手紙と1枚の金貨にプリミアは微笑んでくれた。
久しく忘れていた温かい、何とかしてやりたいという気持ちが自然にわく。
しかし、手立ては失われてしまった。
後は怪我が治るまでは詰所の皆で面倒を見ていくしかない。
それがせめてもの罪滅ぼし。
ロット家でしばし弟を含めて歓談した後は、指定街区の巡回に戻り、ルキウスは2時間足らずで詰所へ戻った。
そして、巡回終了の報告をすべく所長席に向かうと、そこでは見知らぬ男と楽しげに話す所長の姿があった。
「おおっ、ルキウス、言い付けを破ったな、お前は首だ。」
「・・・はっ?」
ルキウスが報告のために口を開くよりも早く、勝ち誇ったように言う所長。
ルキウスが呆けた返事を返すと、所長は傍らに立つ陰気そうな男に目をやり、その後まるで鬼の首をとったかのように騒ぎ立てる。
「お前、例の被害者の家に行っただろう?ルシーリウス卿から知らせがあったぞ。」
「・・・見舞いには行きましたが、それが何か?」
「わしは行くなと言った!お前は行った!わしは行ったら首だと言った!だからお前は首だ!!」
「なっ?」
「これが辞令だ!皇帝陛下の承認も得てある、お前は首だ!出て行け!!」
周囲を見回すが、申し訳なさそうに見つめる同僚が何人か居るだけで、他の者たちはルキウスと目をあわそうともしない。
「そうか・・・分かった。」
ルキウスは寂しそうに言うと、次の瞬間には怒りの表情で辞令を突き出している所長のにやけ顔ごと辞令を固めた拳で引ったくった。
ついでに驚いている陰気な男に殺し兼ねない視線を浴びせると、その男はわずかに顔をゆがめてあとずさる。
ルキウスは辞令とともに用意されていた退職金の入った木箱を所長の机から奪うと、殴り倒されてひっくり返っている所長のポケットや机から、金貨や銀貨をかき集めて自分の退職金の入った木箱へぶち込む。
「ふん、こんな職場に未練は無いぜ!」
ルキウスはとどめに所長の机を蹴り返し、所長の上に押しかぶせて啖呵を切り、詰所をあとにした。
「さあて、これからどうするか・・・」
生まれも育ちも帝都の下町であるルキウスに寄る辺は無い。
親は早くに死んでいないし、面倒を見てくれたおば夫婦も既に鬼籍に入っている。
兄弟は妹が2人居るが、2人とも田舎へ嫁いで今は子持ちのお母さん。
後は・・・北の辺境に気の置けない友人が1人。
「しょうがない、ハルのところへ友達甲斐に行ってやるか。」
群島嶼から来た元同僚の顔を思い浮かべ、ルキウスはそう独り言を言う。
あいつは面白い、正義感が強く、貴族だろうが上司だろうが曲がった事は正そうと動いた。
下町の悪餓鬼時代ならいざ知らず、大人になってからこんな面白い事が出来るとは思わなかった、だから、あいつの所へ行けばもっと面白いかもしれない。
辺境護民官ともなれば、私兵の1人位雇えるだろう。
「よし、北へ行くか。」