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第3章 シレンティウムへの道 秋瑠楓篇

 帝国新領ク州は夏の農繁期を迎えていた。


 1年に2回、稲の収穫がある群島嶼は、現在大陸より一足早い収穫期のまっただ中。


 黄色く熟れ実った水稲で田は覆われており、人々は忙しく収穫作業を行っている。


 ク州でも比較的平地の多いアキル村は、アキル山の麓からクハリ川まで一面に田が広がるク州の中でも屈指の穀倉地帯、今年は天候も良く、例年以上の収穫が見込まれそうである。


 人々は朝早く日が昇る直前から夜遅く日が沈むまでを米の収穫に費やす。


 戦乱で痛んだ土地は、5年の歳月でようやく元通りになる兆しを見せ、暗かった人々の目にも明るさが徐々に戻ってきていた。

 

 

 収穫も一段落が付き、秋留家では使用人や親族一同全員が屋敷内の温泉で汗と泥を落とした後、屋敷の大広間で収穫したばかりの米を炊き出して小宴を催していた。


 収穫した米の大半は、籾のまま貯蔵倉に入れたが、明日からは、米酒、米酢の仕込みに、保存餅づくりでまた忙しくなる。


 全員が大いに米を食べ、肴をつまんで昨年仕込んだ米酒に舌鼓を打つ。


 その内芸達者な者達が三味線や木笛の演奏を始め、何時しか小宴は本格的な宴会へと変わっていった。


 帝国に敗れて早5年、かつて誇り高き戦士や剣士を多数有し、比較的穏健な民族の多いセトリア諸国では異色の武断国家群として知られた群島嶼連合。


 近隣諸国家との抗争により纏まった群島嶼は戦術を編み、兵を練り込んでその後の帝国との紛争にも耐え抜いてきた。


 今、かつての誇り高き独立は破られ、戦士や剣士は居場所を失ってしまった。


 剣士たちは、ある者は武の誇りを持って帝国に雇われる道を選び、またある者は誇りを胸に秘め、荒れた土地を耕す道を選んだ。


 独立を喪わしめ、支配者となった帝国はしかし、それぞれが納得する道を選ぶ自由を与え、そして群島嶼のヤマト人たちはその寛大な措置を疑いながらも受け入れることで、帝国の支配下において平和を享受し始めていた。


 独立を喪った。


 誇りを失った。


 家族も失った。


 しかし、今は平和がある。


 ほとんどの群島嶼人は身内や友人を戦災で亡くしているが、元々武を尊ぶ風習から死に対する忌避感が薄いことも相まって、この5年間で人々はそう前向きに思えるまでになっていた。


 そして、ハルの故郷である群島嶼南部8州は、戦争による荒廃が比較的軽く済んだ事もあり、土地と人心の復興をいち早く成し遂げつつあったのである。

 



 宴会が行われている大広間から少し離れた濡縁に、美しく若い女が腰掛けてぼんやりと夜空を眺めている。


 涼やかな切れ長の目は長いまつげに縁取られ、すっきり通った鼻筋や細い頤と相まって、ややもするときつい印象を受けるが、瞳の色は優しい。


 他の女衆と違い、長い黒髪は群島嶼の男衆がするように後方で結われているが、凛々しさと清楚さが上手く融合し彼女の雰囲気に良く合っている。


 服装も、ヤマトの剣士が身に着けるような袴に着物で、これも他の女衆が身に着けている足下までの着物とはかなり異なるものの、その着こなしに違和感はない。


 その若い女は、夜空に浮かぶ月を眺めたまま寂しさを滲ませた声色でぽつりとつぶやいた。


「ハル兄のやつ、どうしてるのかな、元気にやってるのかなあ・・・」


 そして視線を下ろし、所在なさげに足を縁側から庭に向かって投げ出してぶらぶらと前後に揺らす。


 庭にはこじんまりとした池が設けられており、時折飼われている魚が飛び跳ね、ぽちゃりという水音と共に、波紋が水面に広がる。


 若い女はしばらく波紋で揺らめく池の水面をぼんやりと眺めていたが、池のふちに当たって跳ね返ってきた波紋が池の中心で被さり、月明かりが乱反射した際に、考えていた従兄の顔が映ったように思い、少し驚く。


「えっ?ハル兄?」


 しかし、すぐに波紋は散り、池の水面は平穏を取り戻す。


 自分が発した驚きの言葉に対し自嘲気味な微笑みを浮かべると、彼女はぱっと濡縁から軽やかな身のこなしで立ち上がって空を仰いだ。


「しっかりしなきゃ!」


 と、そこへ大広間と別の方向から老爺の声が掛かった。 


「お~い楓~、晴義から便りが来とるぞ!」


「えっ、ハル兄から?分かった、すぐ行く。」


 若い女、秋瑠楓は、老爺の声に素早く反応し、濡れ縁を軽やかに駆け渡り、老爺の居る鑓水で仕切られた離れの建物へ黒髪を翻してぽんと飛び移った。


「これっ、行儀の悪い!従兄からの文は逃げたりせん、きちんと橋廊下を渡ってこんか!」


「ごめん、源爺!でもハル兄の手紙早く見たいよ。」


 息せき切って部屋へ駆け込んできた自分を見て顔をしかめる大叔父の秋瑠源継に、楓がぺろっと舌を出して謝ると、とたんに源継は相好を崩す。


「むむ、まあよい、許そう、しかし次からは気を付けい、いくら心待ちにしておった晴義からの文が届いたとはいえ、そちは秋瑠家の姫君なのだからな、所作に気を付けよ。」


「うん、分かった・・・で、ハル兄からの手紙は?」


 あまり悪びれていない楓の様子に苦笑しながらも、源継は可愛くて仕方ない甥孫をそれ以上叱る事もせず、帝国風に縦巻に封緘された手紙を楓に差し出した。


「わあ~帝国風だ~」


 楓は受け取った手紙を興味深げに眺め回すと、左右の封蝋を外し、中身を取り出した。


 しばらく時間をかけて、ハルからの手紙を読み下す楓は、一度顔を上げ、怪訝そうに源継を見ると再び手紙を読み直す。


「よく分かんない・・・左遷って、駄目だよね?」


「・・・晴義めは、左遷されたのか?」


「うん、そうみたいなんだけど・・・領地貰ったっぽいよ?」


「・・・それは左遷なのか?」


 楓と言葉を交わした源継も、楓と同じような顔で首をかしげる。


「領地を貰って左遷とは、考え難いのう・・・今まで晴義は領地もちでは無かったのじゃろ?」


「うん、帝国の都で皇帝陛下の衛士やってるって、言ってたよ。」


「ううむ、奇怪なことじゃ・・・」


 郡島嶼では官吏という者が存在しない為に生じた誤解である。


 群島嶼では地士や土豪から推薦された若者がまず、大氏の衛士として領地を持たない兵士や文官として出仕する。


 その後戦功を挙げたり、顕著な功績を挙げた者だけが、領地を貰って新たな地士や土豪となるのである。


 そのまま衛士としてしばらく勤めた後に、自分の故郷へ戻って地士や土豪の後継者となる者も少なくは無いし、そうでない者も、衛士としてのみ勤め上げ、退職金を貰って故郷で引退生活を送る程度であり、領地持ちの地士や土豪に取り立てられる事は、非常に稀な事であった。


 また、郡島嶼において土地は個人所有が基本であり、帝国における総督や貴族の支配権や官吏の統治権について理解できないための誤解でもある。


 それ故に、辺境護民官として統治権を持って赴任したハルは、帝国では左遷の措置であっても、群島嶼では領地を与えられた大出世にしか思えないため、手紙の内容に楓と源継は混乱したのであった。


「晴義は帝国の衛士として勤めていたのじゃから何らかの手柄を立てたのではないか?そのへんどうじゃ?」


「ハル兄、帝国の貴族と諍いを起こして左遷?されて、殖領を与えられたみたい。」


 殖領とは、新たに開拓される領地の事である。


 一般的に、領地を与えられる場合でも、何も無いところから開拓を始めなければならない土地であるため、格下の褒美とされる。


「ふうむ諍いを起こしたとな・・・なら左遷の理由は分かるが、それで殖領か?それでも帝国で領地持ちじゃろ?領地を与えると言うのは出世ではないのかのう、なぜ左遷なんじゃ?」


 楓と源継は2人でハルからの手紙を挟んで腑に落ちない顔をしている。


 楓はしばらく悩んでいたが、あっと思い出したことを源継に尋ねた。


「あ、それから、領地が遠くて、仕送りが当分出来ないから、まとめて金を送るってかいてある、届いた?」


「おお、それなら届いておる、かなりの額じゃが・・・お蔭さまで、もう今年から晴義の給金に頼らずとも暮らせそうじゃがな。」


 源継はハルから送られてきた、帝国金貨の詰まった奥の木箱を振り返って見てそう言う。


 この5年間はハルが送金していた給金で一族が何とか食い繋いでいる状態であったが、今年は雨期も日照も申し分なく、地力が完全に回復していないとはいえ、蓄えが可能になるくらいまでにはなった。


「えっ、本当?」


 楓がうれしそうに返す。


 と言うのも、ハルが帝都へ出仕したのは戦災で荒れた農地が元に戻るまでの当分の間と言う話であったためである。


 優しく強いヤマトの剣士であり、秋留一門の当主である従兄が故郷に帰ってきた段階で、楓はひとつの計画を立てていた。


 そしてその計画を知っている源継は、少し口角をゆがめながら言葉を継いだ。


「うむ、それ故に晴義をそろそろ呼び戻そうと思っておったんじゃがのう、このような手紙を送ってよこすとは、すぐには戻せんか・・・」


「ええ~何で~」


 源継の言葉にがっかりした様子を隠そうともせず、楓は脱力する。


「当然じゃ、領地持ちになったからには責任があろう。」


「でも・・・」


「もう晴義は帝国に出仕した身じゃ、ましてや理由はどうあれ賜った領地を捨てることなぞできぬだろう、そこらは汲んでやれ。」


「ううん・・・」


 源継の説得や説明にも、頬を膨らませてなかなか納得した様子を見せない楓に、源継はため息をつくと、楓に対する切り札を切った。


「・・・夫を待つのも妻の勤めぞ、それでは良き妻になどなれん、晴義にその話も出来ん。」


「い、嫌だよっ、ボクは・・・ハ、ハル兄のお嫁さんに・・・」


 慌てて縋る様な顔で源継に言いたてる楓。


 かわいい甥孫をいじめているような気持ちになってしまった源継であったが、ここでわがままを押さえておかねばと、心を鬼にして説得をする。


「であれば、我慢せよ・・・見ず知らずの地である帝国を縦断して、何もない殖領で奮闘する晴義の元へ行くのは不可能じゃし、足手まといになるだけじゃ、であるから・・・」


 源継が楓を説得するべく、言葉を尽くしてハルの道行が大変なものである事を説明し、故郷で待ち続ける事こそが最良の道であることを説いている。


 楓は神妙な面持ちで下を向いて何事かを考えているようで、源継の言葉に反応を示さないが、源継はそれを理解していると受け取って、言葉を続けた。


「・・・行く!」


 しかしそんな源継の言葉を遮り、楓は力強く宣言するように言うと、すぐに立ち上がり、準備するからと言い置いて自分の部屋へ向かおうとする。


「なあっ!?ま、待て、待たぬか!む、無理じゃと今話していた所であろうが!そもそも殖領とは何もないからこそ殖領なんじゃっ!まともな生活なぞ期待できんぞっ。」


「駄目、行く、手紙の内容も気になるし、ボクもう待ってらんないし、ハル兄、意外と人気者だし、変な女に引っ掛かってるかもしんないしっ!」


 慌てて引き止める源継に、楓はきっぱりとした表情で言い放つ。


「・・・あの朴念仁にそんな甲斐性は無いと思うがのう・・・だあっ、待たんか!」


「決めた!ハル兄の所へ行くっ!」


「ああ、薮蛇じゃったわ・・・この源継ともあろう者が失言とは・・・」


 自分の部屋から飛び出して行こうとする楓の腕をかろうじて掴み止め、源継は情けない顔でこぼした。


 一旦楓を落ち着かせ、源継は再度の説得を試みたが、楓は聞く耳を持たない。


 ついには出発の準備や引き連れてゆく人間の選定に関わらされてしまう。


「源爺、後はお願い、ボクは蔭者を10人ばかり連れていくから、これなら良いでしょ?」


「・・・わしが共を出来れば良いのじゃが、わしがおらねば秋留領を差配できるものがおらん、仕方ない、くれぐれも気を付けよ、あと出発はせめて十分準備してからにすることじゃ。」


「大丈夫だよ、これでも剣術は源爺に習ったんだし、神通術もそれなりに使えるんだから。」


 あきらめた源継が言うと、楓は明るく返事をする。


「・・・腕前を見込んで鍛えすぎたのが今は悔やまれるわ。」


 事実、楓の剣術はヤマトの剣士であるハルの師匠、源継が鍛えこんでおり、また神通術は治癒術と土操術に秀でており、ク州でも並ぶ者が無いくらいである。


「源爺、ハル兄に何か言付けない?」


 楓の言葉に源継はすっと立ち上がると、戸棚から皮袋を取り出して楓に手渡した。


「・・・ではこれを預けて置こう、晴義にきっと渡せよ。」


「分かった、源爺ありがとう!」


 袋の中身を手触りから察した楓は、そう言うと源継に抱きついた。


「お、おおっ?」


 子供とばかり思っていた楓の、思いがけない女体の感触に驚く源継。


 楓はしばらくしてから、満足そうに源継の身体を離すと、今度は橋廊下をきっちり渡り、見送る源継に手を振りながら自分の部屋へと戻っていった。


「帝国に食い込んでおけば間違いはあるまいが・・・。」


 楓が去ったあと、源継はつぶやく。


 地士という階級が失われ、平民へと転落させられたという負の感情が強い群島嶼の地士、土豪階級の老人たちに漏れず、源継も帝国にはあまり良い感情は持っていない。


 しかしながら、階級的には下がったものの、税を支払う先が帝国へと一元化され、荒れた農地が復興しさえすれば、経済的には潤うことは間違いない。


 また、降伏したとは言え元の敵を雇用する度量の広い帝国であれば、御家再興も叶うかもしれないと、当主の晴義が帝国官吏に採用されるのを止めず、むしろ反対意見を抑えもした。


 そして今回、左遷されながらも領地を押し頂いた晴義は期待するに十分な才能を持っている。


 分家筋であるが、楓を嫁にしておけば、一族の結束も固くなり、元主家の秋都家からの介入も防げよう。


 しかし・・・


「・・・晴義め、可愛い楓をたぶらかしおって・・・くっ。」


 悔しそうにうめき、源継は月と庭を少し眺めて心を落ち着けると、部屋へとぼとぼと戻った。



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