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第18章 帝国内戦 帝都制圧篇

 ルシーリウス邸包囲から約10日後


 白亜の邸宅は大弩によってその外壁のあちこちに穴を空けられ、また太い矢が突き刺さっている無残な姿へと変わっている。

 白亜の邸宅では激しい攻防が幾度か繰り広げられたが、帝都の中心地区で投石機オナガー巨大弩弓バリスタを使用する訳にもいかず、軽投石機スコルピオ大弩ガストラフェテスを使うのがやっとである為、ユリアヌス軍は城壁までとは行かずとも分厚い壁に囲まれた頑丈で豪華な邸宅を攻め倦ねていた。

 最初の数日は降伏勧告や離間策をもって邸宅からの投降を促していたこともこれだけの日数がかかってしまっていることと無縁ではない。


「…しぶといな」

「はい、全くです…なかなか攻め口が見つかりません」


 ユリアヌスの愚痴にロングスが生真面目に応じた。

 実際、防御を考慮に入れて建築されたルシーリウス邸は攻めるに難く守るに易い。

 この邸宅を建築した初代ルシーリウス卿は、帝都に危急のある際は自分の邸宅にて外敵を食い止め、皇帝を守るためにこの様な砦めいた邸宅を設計したのであるが、今やその子孫は皇帝家と一戦交えている。

 初代が見れば卒倒しそうな事態であったが、当代のルシーリウス卿はその様なことに頓着するような余裕は無く、ただ必死に私兵達を督戦して防戦に努めるのであった。




「配置完了致しました」


 ロングスが報告すると、ユリアヌスが厳しい表情で頷いた。


「そうか、ではやれ」

「はっ!…射撃準備開始!」

「了解!」


 ユリアヌスの指示でロングスが命令を下し、兵士達が動き出す。

 第4軍団の持つ重兵器でも比較的軽便な大弩ガストラフェテス軽弩弓オクシュベレス軽投石機スコルピオがその目当てをルシーリウス邸の白亜の壁へ向けた。

 居並んだ第4軍団の帝国兵から準備完了の合図が出される。


「撃てっ!!」


 一斉に発条や弦の弾ける音と共に撃ち出された丸石や大矢が次々にルシーリウス邸の白亜の外壁に当るが、効果はそれ程無い。

 大矢は壁に突き刺さるだけで貫通することが出来ず、丸石も数発が弱い場所に命中して穴や外壁に使われている石材を砕くが、撃ち破るにまでは到らないのだ。




「射撃中止!」


 数刻の間続けられた投射兵器による攻撃はさしたる効果を上げられないまま、一旦終了となる。


「…うぬ、これ程固い壁だとは!」


 ロングスが悔しげに呻くが、船舶に登載出来なかったので重兵器を持参していないユリアヌス軍。

 帝都の武器保管庫に収められている物はあるだろうが、その保管庫は皇帝宮殿の近くにある第1軍団駐屯地にあり、そこへ行くにはこのルシーリウス邸を中心とした貴族派貴族の邸宅群を抜かなければならないのであった。



悩むユリアヌス軍首脳陣の元に辺境護民官から伝令が到着したのは、正にその様な時であった。

 伝令はソダーシ族の若き次期族長メリオン。

 メリオンは伝言の他に桶を2つ持参しており、それらは直ぐに軍議の席へと運ばれる。

 帝都へ入ってその壮大さと偉大さ、また翻って荒廃振りを目の当たりにして目を白黒させていたメリオンだったが、皇帝ユリアヌスに野戦陣での謁見を許され、緊張に身を固くした。

 クリフォナム人とは言え次期族長の立場ともなれば、強大な西方帝国の威容は知っている。

 その頂点に立つ皇帝への謁見である、緊張しない方がむしろおかしいのだ。

 軍事調練ですっかり身についてしまった帝国式の礼をぴしっと決め、メリオンは蛮族の将がと侮ったロングスらの目を見張らせると、静かに口上を述べ始める。


「辺境護民官ハル・アキルシウス率いるシレンティウム軍4万余は、敵将ヴァンデウス率いるルシーリウス軍15万余を帝都東部平原の戦いにおいて撃破致しました。現在は残敵掃討中です。最早帝都に戻る貴族派貴族の軍は一切ありませんっ」


 意気揚々と報告するメリオンであったが、しかしその報告を聞いた帝国軍の軍団長達や元老院議員達の表情は驚愕に占められる。

 ロングスなどは棒を飲んだような顔をしており、軍首脳の驚愕は官吏や貴族達のそれより大きい。

 と言うのも、あくまで辺境護民官の役割は足止めに過ぎないはずだったからである。

 本来の作戦計画は辺境護民官軍がルシーリウス軍をおびき寄せ、足止めすることによって生じた帝都の隙に乗じて、海路ユリアヌス率いる帝国正規軍が帝都を奪還してしまおうというものであった。

 ユリアヌスやロングスからすれば15万の無頼兵士を強いとは言えたかだか4万余の辺境護民官軍が討ち破るなどと言うことは最初から不可能な事であり、そもそも撃破する事までは辺境護民官軍に求めてはいなかったのである。


 その計画の趣旨そのものが根底から覆されてしまったのだ。


 …無頼兵士とは言え、あの15万もの軍をわずか4万で撃破?

 …一体どのようにして?

 …そして現在は残敵掃討中だというが、そこまで完膚無きまでに撃滅したのか?


 これによって武功の順位が大きく変動し、戦後の論功行賞に多大な影響が出てしまう。

 それだけでなく、最大の戦功を挙げてしまった辺境護民官の発言力が大きいなどと言うのも生易しい強大なものとなってしまうことは必定で、今後の帝国の政策や施策に影響が出る事は避けられない。

 有り体に言えば辺境護民官の意向や意見を無視出来なくなってしまうのだ。

 渦巻く疑念と疑問、今後の政治権力の闘争を思い、その場に居る者達の視線が次第に鋭いものとなり、その視線はメリオンを射貫く。


 味方への戦勝報告に来ただけのつもりであったメリオンは、帝国首脳達の強い視線に戸惑いを隠せなかった。

 しかしそうした飾り気のない挙動がかえってメリオンの言葉に信憑性を与え、次第に帝国の首脳達は報告を真実のものと捉え出し、思考は驚愕と恐怖の感情に彩られ始めた。

 自軍の3倍以上の敵を討ち破れる精強極まりない野蛮人で構成された軍が、ユリアヌスに味方している辺境護民官配下とは言え、帝都近郊に存在しているのである。

 もし辺境護民官がその気になれば帝都は辺境護民官の物になるだろうし、それを押し止められる勢力は今の帝都はおろか、帝国においては皆無なのだ。

 帝都を押えた辺境護民官は、程なく帝国全土を掌握することになるだろう。

帝都へ進駐する辺境護民官の姿を思い、身震いするロングスら軍首脳、一方中央官吏派もその際の混乱や負担を思って顔を青くした。

 翻って市民派貴族とユリアヌスは落ち着いている。


「それで…アキルシウス殿は今どこにいるのだ?」

「はい、現在はコロニア・リーメシアに移動中です。間もなく残敵掃討も終わりますので、それが終了し次第シレンティウムへ戻ります。ただ国境警備の関係がありますので、ユリアルス城へ至急交代の軍団を派遣して頂くこと、また引き続きシレンティウム支配下に残っているルグーサ市やシルーハ領の占領地の処遇について早急に検討頂きたいとのことです」


 小クィンキナトゥス卿ことグナエウスがごく普通の口調で尋ねると、メリオンは幾分ほっとした表情で答える。

 しかし今度はその回答に元老院議員達が目をむいた。


「なにっ?帰ってしまう、じゃとっ!」

「良いのではありませんか?これで敵性勢力が1つ減る」


 大クィンキナトゥス卿の大声に顔をしかめながらロングスが言うと、大クィンキナトゥス卿は口角から泡を飛ばしてロングスに反論する。


「馬鹿を言うでないっ、これ程世話になりながら何も与えず帰したとあっては、新皇帝どころか帝国自体の沽券に拘わるわい!」

「それだけではありません。このまま放置すれば、辺境護民官が北方辺境において自力で独立自存してしまう事態を阻止出来なくなります。ここは何としても辺境護民官に帝都へ戻って頂き、叙任なり叙爵なりをして帝国に縛っておかねばならんでしょう」


 次いでカッシウスが違う見解から辺境護民官の撤退に反対すると、ロングスは渋い顔で頷く。

ロングスとしては軍事的な貢献は自分達軍部だけが独占したいという思いがあるため、辺境護民官にはこのまま引き取って貰いたいのだが、確かに帝国内の情勢は不穏で予断を許さない。

 ロングスが引いたのを見て、ユリアヌスが口を開いた。


「それに結果的にとは言え、一応彼の者が我々の後ろ盾となって今回の帝都と帝位奪還を為したのだ、あっさり帰られれば我々に反抗するものが出てきた場合抑えられない。曲がり形にも貴族派貴族の主力軍を破った辺境護民官の軍事力こそが今の我々の力の源の大部分を占めているということを忘れては困る」


 各地方の軍指揮官達は帝都での戦いの行方を注視しており、また属州の統治を掌握している州総督達も然りである。

 貴族派貴族の家令や領地に居残っている親族達も居る上に、いまだその貴族派貴族を降し切れてもいないのだ。

 帝都とその周辺を除けば、敗戦で弱体化した南方派遣軍と南方領、そしてシルーハの侵攻で荒廃した東部諸州だけが今のユリアヌスの支配力が及ぶ範囲である。

 群島嶼や島のオラン人、更には西方諸国の動向も不穏で、特に群島嶼では反乱が今にも勃発しそうな情勢であるとの報告が内戦前に帝都へ為されてもいた。

 今ここでユリアヌスと辺境護民官が袂を分かち、辺境護民官軍が引き上げてしまえば各地の有力者や不穏分子が一斉に立ち上がるという最悪の事態も考えられる。

 辺境護民官がシレンティウムへ引き上げるにしても、せめて辺境護民官がユリアヌスの側にあるという事を内外に示しておかねばならない。


「辺境護民官を昇格させ、北の護民官に任じる。管轄地域はクリフォナ・スペリオール、クリフォナ・インフェリオール、クリフォナ・オリエンタ、ノームリア、オラニア・オリエンタ」

「な…それでは北方辺境の全土ではありませんか!オラン人とクリフォナム人に新たな国をくれてやると言うのですか!?」


 ユリアヌスの言葉にロングスが反対意見を即座に述べた。

 今後帝国が領土を広げるに当って最も与しやすい地域が全て北の護民官に与えられるというのである。


「…これぐらいの褒美でなければ釣り合わないだろ?それとも新たに占拠したシルーハ領をくれてやるか?今辺境護民官軍が守備している東部諸州を与えるのか?」

「そ、それは…」


 軍部が全くその獲得に寄与していないという点についてはともかく、いずれ劣らぬ貴重な領土でこれを手放すなど愚の骨頂である。

 ましてや100年にわたって果たせなかったセトリア内海沿岸地域の制覇に大きく前進することとなるシルーハ領の放棄など全く考えられない。

 ただ、今その地域の大半を実質的に押えているのは辺境護民官であるのだ。


「今だ実質的に我々のものでは無い北方辺境と、シルーハの占領地を交換しようというのであれば損は無いだろう?」

「…分かりました」


 ユリアヌスの言葉に一応納得し引き下がるロングスであったが、ただその様子を鋭く見つめるユリアヌスには気付かないまま床几に腰掛けた。


「うむ、流した血に見合った褒美とは言えぬにしても、その正当性を帝国において認められるとあらば辺境護民官にも否やはあるまい」


 大クィンキナトゥスの言葉に元老院議員や他の軍団長達も頷き、ユリアヌスの提案は認められた。





 話がまとまり、大クィンキナトゥスがようやく使者であるメリオンへと向き直り、笑顔で問い掛けた。


「それで…その桶は何じゃな?」

「首です」

「………首?」

「はい、敵将ヴァンデウスとその副将グラティアヌスの首です。戦勝の証に辺境護民官が披露するようにと申され、持参致しました」


 笑顔を引きつらせる大クィンキナトゥスや仰け反る元老院議員達に頓着せず、メリオンは首桶の蓋を外して中に入っていた首の髪の毛を無造作に掴んで取り出した。


「う…ヴァンデウスっ?」

「…む、こちらはルシーリウス家の家令か?」


 流石のクインキナトゥス卿も驚き声を上げ、ユリアヌスがグラティアヌスの首を見て思わず声を出す。

 メリオンの右手には、苦悶の表情で白目と舌を剥いたままのヴァンデウスの首が掴み上げられ、左手には安らかな死に顔のグラティアヌスの首がぶら下げられていた。


「…群島嶼の野蛮人め…」

「仮にも帝国貴族に何という真似を…」

「使者の作法を身に着けたとて所詮は北の蛮族か、人の首をもてあそぶとは…」


 嘲りと恐怖が綯い交ぜになった声が密やかに紡がれ、消えてゆく。

 しかしユリアヌスは驚きつつもその首を見てにやりと不敵な笑みを浮かべた。


「では、その者らの係累の所へ送り届けてやるとしよう」




 ルシーリウス邸


「…ユリアヌスからの贈り物だと?」

「はい、降伏勧告の書面と共に送り届けられて参りました」


 薄汚れた鎧兜姿の私兵長から2つの桶と手紙を受け取る、これまた似合わない鎧姿のルシーリウス卿。

 早速手紙を開くが、果たしてそれには益体も無い今まで通りの降伏勧告が記されているだけであった。

 ルシーリウス卿がため息をついていると、タルニウス卿を先頭に貴族派貴族の連中が部屋にやって来た。 


「…またいつも通りの降伏勧告ですか?」

「ああ、卿らも見てみるか?」


 ルシーリウス卿はうんざりしたような顔で手紙を差し出すが、タルニウス卿は首を左右に振り、机の上に置かれた桶に興味を示して言葉を発した。


「いえ…それよりその桶は何でしょうか?」

「ああ、ユリアヌスが送って寄越したのだが…」

「ほう、なんでしょうな!開けて宜しいですかな?」


 ルシーリウス卿の言葉に、プルトゥス卿が喜んで桶に手を掛ける。


「ああ、構わぬが…」

「では、失礼致しますぞ!」

「無闇に開けぬ方が良い、ユリアヌスからの贈り物だ。ろくな物ではあるまい」


 苦笑しつつ窘めるが、止めるまでもないと判断したルシーリウス卿はゆっくりとその蓋が開かれるのを眺める。

 そして、そこに現われたものを見てルシーリウス卿は卒倒した。


「ヴァ、ヴァンデウス殿っ!?」


 開けたプルトゥス卿が驚愕と恐怖でガクガクと膝を震わせながら桶の蓋を取り落とす。

 木製の蓋は、大理石の床に落ち派手な音を響かせながら壁まで転がった。

 息を呑む貴族派貴族達の前で、厳しい表情となったタルニウス卿は卒倒しているルシーリウス卿の脈を取り、直ぐに私兵長へ指示を下した。


「…大丈夫だ、ルシーリウス卿は生きておいでだ、直ぐに寝室へお運びしろ!」


 あまりの出来事に固まっていた私兵長や私兵達は、ようやくタルニウス卿の言葉で動き出し、ルシーリウス卿を寝室へと運び出す。

 タルニウス卿の手でもう一つの桶が開かれ、その中のグラティアヌスの首が露わになると、貴族派貴族達が胃の中の物を周囲へぶちまけ始めた。


「…ちっ…これまでか」


 舌打ちをするタルニウス卿。

 この2人の首が届けられたということは、ルシーリウス軍は敗北したと言うことである。

 しかも尋常の敗北では無く、名実両方の最高指揮官であるこの2人がクビになって桶に詰め込まれてしまったと言うことは、大敗、それも壊滅若しくは全滅かそれに等しい負けであろう。

 これで援軍の来る望みは完全に絶たれ、籠城する意味はこの時点で失われたのだ。


 最早降伏しかあるまい。


 皇帝に叛したとは言え貴族をそう簡単に処刑することは不可能であるし、たとえ取潰しや処刑を断行した所で、貴族派貴族ともなればその領地を含めて帝国の経営に相当な影響が出てしまう。

 そんな無茶はしないに違いない。


「…降伏する、使者を出せ」


 タルニウス卿の指示に反対するものは無く、この直後、貴族派貴族はユリアヌスに降伏したのであった。


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