第18章 帝国内戦 決着篇
帝都東部平原、シレンティウム軍
弓矢の応酬が激しく続き、最前線では帝国式装備の重装歩兵同士による白兵戦が延々と繰り広げられていた。
練度は低いが数に勝るルシーリウス軍。
戦線で剣を打合うまでもなく倒される者も多いが、数に頼んだ戦法を取り続ける。
翻ってシレンティウム軍は少数ながらも兵を頻繁に入れ替えて休憩を取らせつつ、防御に徹する事で損害と疲労を最小限に抑え続けていた。
しかし、次々と湧くように現われるルシーリウス軍の無頼歩兵達に不意や隙を突かれて倒される者も少なくない。
兵数差がじわじわとシレンティウム軍を圧迫し始め、戦線は膠着から次第にルシーリウス軍有利に傾きつつあった。
相変らず特殊火炎弾と爆裂弾の射撃に晒されているルシーリウス軍の後衛だったが、前線での展開が徐々にではあるが有利なものに変わりつつあるのを見て、ヴァンデウスはようやく笑みを浮かべる事が出来る。
両翼から突撃させた騎兵が弩の連射によって大打撃を受け、後退してしまうのを見て青くなったヴァンデウス。
さらにはなかなか打ち破れない正面の戦況を見て気が気でなく、傍らに居るグラティアヌスをちらちらと見てそわそわと爪を噛んでいたヴァンデウスだったが、ようやく味方有利の状況が生まれつつある事に気を良くし始めたようだ。
その顔を見て取ったグラティアヌスがすかさず進言した。
「若、総攻撃の命令をお願い致します」
「おう?いよいよか?」
「はい、頃合いは良かろうかと思います。敗走した騎兵も再集結が完了致しましたので、歩兵による総攻撃の後に本陣の兵と併せて正面から乗り崩しを掛けようと思っているので御座いますが…宜しいでしょうか?」
「ははは、これであいつも終わりか!やれっグラティアヌス!」
興に乗ってきたヴァンデウスが威勢良く応じると、グラティアヌスはヴァンデウスに目礼を返し、顔を前に向け直して号令を発した。
「総攻撃はじめいっ!!損害を恐れるな、攻めて攻めて攻めまくれい!!!!」
その号令と同時に本陣と敗走していた騎兵をまとめ直した兵達を率いてグラティアヌスが前へ出る。
ヴァンデウスがしっかりと護衛騎兵に囲まれているのを確認しつつ、グラティアヌスはそのまま突撃を続行した。
どっと戦場の大地を蹴り上げ、人馬一体の突撃が開始される。
「左右に弩が配されておるのならば、前面から堅陣を抜くまでの事!この兵数差で無謀な戦を挑んだ事を後悔するが良いわっ!!」
突如始まった大攻勢に、シレンティウム軍が一気に押され始めた。
それまでの攻撃も数を恃んだ無謀で強引なものだったが、今度は桁が違う。
ルシーリウス軍全軍が一気にシレンティウム軍を押しつぶそうと前へ押し出してきたのである。
一気呵成の突撃を受けて動揺するシレンティウム軍の最前線であったが、何とか大盾の列を崩さずに後退する事に成功する。
少しづつ圧力を受けて下がるシレンティウム軍の戦列に、勢いづいたルシーリウス軍が躍りかかってきた。
「列を乱すな!」
前線の百人隊長の号令で、後列の兵士達が最前列で大盾を構えて敵ともみ合いを続ける兵士の背中を押し、押し込まれて転倒しないように支える。
それでもずるずると後退を続けるシレンティウム軍。
次第にその前線は中央部がくぼんだ半円状になっていった。
「そろそろ頃合いでしょうか…」
ハルの傍らで最前線の様子を見ていたアダマンティウスが言うと、ハルが応えるより早くアルトリウスが口を開く。
『うむ、よかろう…あほ貴族共に文明と金、兵数の優位に胡座をかくとろくな結果にならんと言う事を教えてやるのである!』
「…確かに、軍事技術においてはシレンティウムが一部突出していますからね、今や帝国の軍事技術の優位性は崩れました」
ハルが言うと、アダマンティウスが難しい顔で応じる。
「それがどのような影響を今後帝国に与えるか…ま、その辺は後ほど、この戦いが終わってから考えるとしますか」
「そうですね、避けては通れない問題ではありますが、ゆっくり後ほど考えるとしましょう。今は勝利に向かって最大限の努力をする時ですからね…では…赤い旗を揚げろ!!」
アダマンティウスの含みある言葉に応じながら、ハルは伝令兵に命じた。
すかさず命じられた伝令兵が大きな赤い旗を揚げる。
「お、あがったぞ!」
最前線で軍団の指揮を執っていたルーダが赤い旗が本陣に掲げられるのを見てほっとした声を出した。
そろそろ敵の圧力に耐えかねていたところだったのだ。
北方軍団兵達も、最後の手段、奥の手があると思っているからこそ耐えてこれたが、これが普通の戦いであればとうの昔に戦線は崩壊していただろう。
クリフォナム人は爆発力に優れているが、元来それ程粘り強くは無い為、守勢は得意ではないのである。
「よし…放てっ!!」
満を持して特殊工兵達が手押しポンプを力一杯押し込んだ。
北方軍団兵の構える盾の隙間からそっと差し出された噴射口がきらりと光る。
不思議に思った無頼兵士の1人がその噴射口を覗き込んだと同時に、轟音とすさまじい勢いで火炎が噴射された。
一瞬で物言わぬ炭と化した無頼兵士。
火炎を浴びて物体と化したのはしかしその兵士だけでは無かった。
伸びる炎は次次と無頼兵士達を飲み込み、たちまちシレンティウム軍の最前線に取り付いていた無頼兵士達は消滅してしまった。
また、火炎放射がなされたのは一カ所だけでは無い。
シレンティウム軍の戦列のあちこちから噴き出した炎は殺到していた無頼兵士達を焼き焦がし尽くし、最前線に大穴を開ける。
眼前につい先ほどまで大勢居たはずの味方兵士達が一瞬で消滅し、ぽっかりと開いてしまった空間に後続の無頼兵士達がただ呆然としているところへ、手投げ矢が撃ち込まれる。
押し込まれていたはずの敵、シレンティウム軍の北方軍団兵が突撃して来たのだ。
それまでずっと防御に徹し、反発力を溜めに溜めていた北方軍団兵の勢いはすさまじく、手投げ矢で撃ち倒された無頼兵士達を押しやり、喚声とともに大盾を構えて突っ込んできた。
大盾を介して敢行された体当たりに小柄な帝国人である無頼兵士達は一瞬で吹き飛ばされ、押し倒されてしまい、立て直す暇も無く北方軍団兵の剣で仕留められる。
まだまだ敵と斬り結ぶのは先だと油断していた事もあって、突如戦闘の真っ直中へ放り込まれた形の無頼兵士達は、北方軍団兵の苛烈な攻撃を受け止めきれずに討ち取られていった。
形勢はたちまち逆転してしまったのである。
「お、おいっ!!今度は何なんだあれはっ!?やられてるぞっ!」
ヴァンデウスの悲鳴を聞くまでも無く、最前線の味方が火炎放射によって一掃されてしまった事は見ていれば分かる。
グラティアヌスにはそのからくりが分かったが、それでも為す術が無いという事実はたとえ相手の使った作戦や機械が理解できたとしても変わらないのだ。
つっとグラティアヌスのこめかみに冷や汗が流れる。
「お、おい…どうするんだ!」
しびれを切らしたヴァンデウスが再度問いかけると、ようやくグラティアヌスの口から言葉が発せられた。
「おそらくは、火炎放射器の一種だとは思われますが…私は今までこれほど凶悪な威力のある火炎放射を見た事が御座いません…」
「なっ!?」
押し上げられた前線に、再び火炎放射が見舞われた。
あれ程の優勢が一気に覆されてしまうとは思ってもみなかったグラティアヌスは、すぐに弓兵達へと指示を飛ばす。
「敵の最前線を…火炎放射器を狙え!」
火矢での攻撃であれば効果的だろうが、合図用に幾ばくかの用意があるだけで一斉射撃に使えるだけの本数は無い。
しかも、最前線にあると言う事は北方軍団兵の大盾に守られていると言う事である。
矢だけでは損害を与えられるかどうか分からないが、特殊な兵器である事は確か。
その操作には熟練した兵士が必要であろう。
操作している兵士を仕留めるか、燃料の詰まった部分に損害を与えられれば、火炎放射器による攻撃は掣肘できる。
よしんばそれが不可能であっても、火炎放射器が狙われているという事が敵に分かれば、用心して行動や攻撃が慎重になり、結果攻撃頻度が鈍くなる。
グラティアヌスはそう考えたのであった。
しかし…
どどどんっという連続した爆発音が響き、爆炎が舞う。
「おわっ!」
ヴァンデウスが驚愕で顔を引きつらせたのは、弓兵達の布陣する後衛に次々と特殊火炎弾と爆裂弾が炸裂したからである。
しかもそれまでに撃ち込まれていた物より威力が大きい。
間隔を開いて配置され、弓射していたルシーリウス軍の弓兵達が炎と爆発に巻き込まれて悲鳴を上げた。
「なっ…?」
驚くグラティアヌスを余所に、次々と連続して落下してくる爆裂弾に、ついに弓兵達は恐慌状態となって逃げ惑った。
「こ、これは…こんなばかな…うぬ!」
そして再度の火炎放射が行われ、壊滅的な打撃を被った無頼兵士達。
もはや立て直しは不可能なほどの打撃を物心共に負わされた無頼兵士達は、ついに潰走を始めた。
グラティアヌスはその様子を見て自軍の負けを悟り、最後の賭に出ることを決意する。
これをなさねば、主筋を逃がす事すらあたわぬであろう。
「若!私めはこれより騎兵にて敵正面に突撃を敢行致します。若は我々が討たれた場合は速やかに帝都へお戻りくだされ!」
「な、何だと?」
「我々の負けで御座います…左右より騎兵の圧迫を退けた敵軍が包囲を始めております上に、重兵器の射撃によって弓兵までもが大損害を受け、正面は火炎放射によって壊滅状態とあらば、もはや打つ手は御座いません。敵の火炎放射器の燃料が如何程の量あるか分かりませぬが、3回の火炎放射を行っておりますれば残りは少なかろうと存じます。故に私が突撃を仕掛けてみますが、私の目算が狂っておりました場合私たちは無事では済みませぬ、おそらく生きては戻れますまい。故にお願い致します。残兵を率いてお退きくださいますよう…お願いで御座います」
「……」
グラティアヌスの言うとおり、左右のシレンティウム軍が騎兵を退けたあの恐るべき連射式弩で私兵軍を攻撃し始めている。
盾を貫通し、兜や鎧を薄紙のように裂く弩の攻撃を受け、規律を保っていた私兵達も浮き足立ち始めていた。
「若、さらばで御座います」
グラティアヌスはそう言い置くと、騎兵達を率いて突撃を開始した。
後に残されたヴァンデウスは、呆然とそれを見送る。
しばらく突撃した騎兵達が炎と手投げ矢の雨に飲み込まれていく様子を呆然と眺めていたヴァンデウスであったが、グラティアヌスが歩兵の戦列に突っ込む直前に落馬して突き殺されるのを見るに至ってようやく我に返った。
「くっ、グラティアヌスの馬鹿め、勝手な事をしたあげくに戦死かよっ!ふざけんな、俺は悪くないっ、悪いのはグラティアヌスだっ!負けたのは俺のせいじゃない、俺は何もしてねえんだからなっ、全部グラティアヌスの馬鹿がやった事が裏目に出たんだ!あいつが悪いんだ!俺がやってりゃもっと上手くいったのに、あいつがやるって言うからやらせたらこの様だ!ふざけんな、俺が負ける訳無いっっ!!」
今まで衷心から仕えてきた家令を罵り倒すと、ヴァンデウスは逃げ出した。
「やってられっか!」
慌てて護衛騎兵達がその後を追う。
『…ハルヨシよ、あのあほが逃げるぞ?』
「ええ?まさか、あ…って、あ、ちょっと待て!?」
アルトリウスの揶揄するような口調でてっきり冗談だと思ったハルがヴァンデウスの居た本陣を見ると、脱兎のごとく逃げ出すヴァンデウスの姿がそこにあった。
「なっ…なんてやつだっ!」
「…さすが、と言いましょうか、全く見事な逃げっぷりですか」
家令が討たれ、部下が次々と戦死している中、恥も外聞も無く逃げるヴァンデウスの後ろ姿に憤るハルと、呆れ果てるアダマンティウス。
その2人にアルトリウスが声を掛けた。
『どうするのであるか?あのまま逃げてしまうであるぞ?』
その言葉が終わらないうちにハルは馬から下りると弓を馬の鞍下から取り出し、箙から黒矢羽根の矢を取り出して番えた。
逃げるヴァンデウスは上質の鎧を身につけているが、自己顕示欲からだろう、顔が見えやすいように兜を被っていない。
ハルは力の限り弓を引き絞った後、静かに呼吸を整え、遠方に遠ざかるヴァンデウスの後ろ首に狙いを付けつつ鏃を目当てにして滑るように弓を移動させ、矢を無造作に放った。
がんっと機械的な音を発し、矢が弓より放たれると、黒矢羽根の矢は山形の軌道を描かず直線でヴァンデウスに向かって飛び去る。
びいいっという風切り音と黒い軌道を曳き、飛んだ先に居たヴァンデウスの後ろ首を狙い過たず打ち抜くハルの矢は、そのまま勢い余ってヴァンデウスの喉から前へ鏃と柄の半ばまでが突き出て止まった。
首を撃ち抜かれ、ゆっくりと鞍壺から落ちるヴァンデウス。
「見事っ!」
馬上のアダマンティウスが思わず膝を手で打って叫ぶ。
慌てて護衛騎兵から治療術士らしい者が駆け寄るが、再び放たれたハルの矢で胸を打ち抜かれて事切れると、護衛騎兵達は一目散に蜘蛛の子を散らしたように逃げ散ってしまった。
「…全く、最後までとんでも無いヤツだ」
『…この距離でこともなげに当てるとは、ハルヨシこそとんでも無いのである』
弓を下ろして馬に乗り直しながら言うハルに、アルトリウスが呆れたように言うのだった。






