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第18章 帝国内戦 帝都市民蜂起篇

 帝都南街区、港湾隣接商業地区


 規則正しい軍靴の音に、何事かと帝都の市民達が窓からそっと顔を覗かせる。

 シルーハの大軍が東部諸州へ雪崩れ込み、帝都から帝国正規軍が出陣した。

 そしてその穴を埋めると言う名目でヴァンデウスが野獣共を帝都に引き連れ、そしてそれらを放った。

 放たれた野獣は帝都中を荒らし回り、帝都は一瞬にして地獄と化した。

 その後辺境護民官が副皇帝ユリアヌスと組んで反乱を起こし、北から蛮族を引き連れて帝国東部諸州を荒らし回っているという触れ込みで、帝都からヴァンデウス率いる15万の野獣の群れが出陣した。


 今、門は全てが閉じられている。

 市民達は薄々何が起こっているのかを察してはいたが、正確な情報が入って来ない今の帝都でうかつな行動を起こす事も出来ず、じっと息を潜めていたのである。

 それがどうやら討ち破られようとしていた。

 港から聞こえてきた歓声に、帝都市民達は静かな期待を寄せつつその時を待っていた。

 そして、期待したとおりのものが今眼前を通り過ぎている。

 そこには見慣れた帝都守備を担う帝国第1軍団の軍旗を先頭に、規律正しい帝国正規軍の姿があった。


 無頼兵士達が帝都を占拠し日々理不尽な暴力と略奪に怯え続けていた市民達の目に、力強くはためく軍旗がしっかりと映り込む。

 しばらくは事態を把握出来ずに戸惑う市民達も大勢居たが、市民派貴族元老院議員の小クィンキナトゥスや軍団長のロングス、更には副皇帝になった奇人殿下ことユリアヌスが軍の中央にいるのを見つけてようやく今帝都に何が起ころうとしているのかを悟った。

 無頼兵士が屯していた治安官分所が帝国兵に急襲され、酔い潰れていた全員が血祭りに上げられ、大通りへ引きずり出されているのを見て確信を得た市民達は、次々に家から飛び出してきた。


 群衆は次第に脹れ上がり、歓声とユリアヌスを連呼する声が轟く。

 その声に押され、ユリアヌスは兵士達が差し出した盾の上に乗り、民衆へと呼びかけを行った。


「副皇帝のユリアヌスだ!市民の安全と権利は私が保障しよう、一旦家に戻りこれからの戦いに備えてくれっ、無頼共の屯している場所があるのなら近くの兵士に申し出るように。今日この日をもって圧政は終結した!市民諸君!平和と自由を奪還するために協力を惜しむ事無かれ!!」


ユリアヌスが市民達にそう呼びかけると、歓声が爆発した。

 小クィンキナトゥス卿が次いで前に進み出て熱弁を振るう。


「市民派貴族の同志達よ!帝国の危急の時にこそ我等の存在意義が、真価が問われるのだ!今こそ立ち上がれ!市民派と銘打った我等真の帝国貴族の役目を果たそうではないか!集え我が副皇帝陛下の元へっ、尽くせっ、帝国の正常化に我等が力の限りを!!」


 わっと市民や下野していた市民派貴族から更に大きな喊声と歓声が上がり、たちまちユリアヌスとクィンキナトゥスの名前が連呼される。

市民派貴族達は直ぐさま武装を整えてグナエウスの元へ集結し、市民達も積極的に帝国兵達を無頼兵士の屯する場所へと誘導し始めた。


 帝都市民達の反撃が始まったのだ。




「…市民と市民派貴族の蜂起で形勢は逆転した、一気に貴族派貴族を追い落とすぞ!」


 ユリアヌスの言葉でロングスら軍団長と小クィンキナトゥスを始めとする帝都に暮していた主立った市民派貴族が頷く。

 ハルの放った陰者達からの情報で、無頼兵士達は軍の体を為さず、治安官吏分所や気に入った酒場、または宿屋で思い思いに過ごしている事が分かっていた。

 また、市民派貴族が元老院の控え室に未だ監禁されている事、貴族派貴族はルシーリウス卿の邸宅で会合を度々開いている事も報告されている。


帝都の城門は閉じられているものの、城壁や城門に詰めている無頼兵士達はごく僅か。

戦いは帝都から若干離れた場所において行われており、無頼兵士達は15万の大軍がよもや蛮族を寄せ集めただけの辺境護民官軍に負けるとは思っていない。


「これ程上手くいくとは思いませんでしたが、これぞ作戦勝ちというヤツでしょう!」

「…認めたくは無いが…作戦の見事さについては異論無い」


 小クィンキナトゥス卿が興奮気味に言うと、ロングスも渋々ではあったが辺境護民官の作戦の妙を讃える。


「今こそ帝都奪還の時!じじ…じゃなく、マグヌス陛下をお救いし、我等の正当性を内外に知らしめよう!」


 ユリアヌスの言葉に一同は深く頷き、それぞれの役目を果たすべく各部署へと散っていくのだった。





 屯所や酒場、宿屋で次々に血祭りに上げられる無頼兵士達。

 帝都の城壁を守っていたルシーリウス家の私兵達は、雪崩れ込んできた市民派貴族と市民達にあっけなく打ち殺されてしまう。

 市民の案内で無頼狩りは順調に進んでおり、この分で行けば帝都市街区の掃討はそれ程労せず終わるだろう。

 帝都の城壁は後方から敵が現れるなどとは夢にも思っていない無頼兵士達の大いなる油断のお陰でたちまちの内に占拠され、帝都の外郭や市民街区は市民達自身の手によって解放されるのも時間の問題となっていたのであった。


 また同時に闇の組合の力を削ぐべく、ユリアヌスは帝都の貧民街へ傭兵達を派遣する。

 ルシーリウスら貴族派貴族の知己と支援を受けて肥大化した闇の組合は、以前では考えられない程拠点にあからさまな構えを取っており、直ぐに所在が分かるのだ。

 傭兵達はその建物に容赦なく火を掛け、女子供の境無く闇の組合に属する者達を斬捨てる。

 貧民街はたちまち騒然となり、あちこちで怒号と悲鳴が飛び交う酷い様相となったのだった。

 全く攻められる事を想定していなかった無頼兵士と闇の組合員達は、たちまちユリアヌス軍に追い詰められ、突き殺され、斬り倒されてゆく。

 5万もの無頼兵士達は、こうして軍としてのまとまりを一度も持てないまま、碌に抵抗出来ずにユリアヌス側の組織だった攻勢にその命を散らしていったのである。




 元老院、控え室


 市民派貴族や中央官吏派の議員達がここに監禁されてから既に2か月以上が経った。

 食事や排泄については問題ないのだが、身なりと清潔さについては非常にいただけない。

 大クィンキナトゥス卿は、既に匂い始めて久しい自分の楕円長衣の臭気をかいで顔をしかめた。

 心なしか純白の楕円長衣も黄ばんでいるようである。


「臭いのう…」

「しかたありません、贅沢を言える立場でもありません」


 カッシウスが大クィンキナトゥス卿のその滑稽な仕草を見て笑いながら言う。

 最初にいた控え室に全員を収容するのはいかにも無理があり、それ以後はいくつかの部屋を使って分散させられはしたものの、狭苦しく何もする事が出来ない。

 しかも窓の無い部屋で2か月も閉じ込められていれば、身体の一つや二つ、臭くもなろうというものである。

 たった一つ厨房を使った作戦、辺境護民官に越境権限を与えるという策略は成功したが、それ以降は完全に外部と遮断された市民派貴族や中央官吏派の元老院議員達。

 それも権限を与えると言う内容の文書を送付する事については成功したが、辺境護民官が確かに受け取ったかどうかは定かでは無い。


 シルーハの侵入も気になるが辺境護民官や副皇帝となったユリアヌスの動静すら入ってこないので、大クィンキナトゥス卿らは焦燥感に駆られ始めていた。

 当初考えていた市民派貴族に対する蜂起の要請も、辛うじて元老院厨房の料理人を介して届ける事が出来たが、それ以降は連絡を取る術を失い、議員達は監視の隙を見つけられず、ずるずると今まで無為に過ごす他なかったのである。


「外の情報が欲しいが…」


 ぽつりと漏らしたカッシウスのもたれていた横壁に、ぴしりと亀裂が入る。

 衝撃と音でそれに気付き、訝しげに自分の脇の下を除いたカッシウスが驚く間もなく亀裂は広がり、最後にはその部分の大理石が丸々1個、壁の内側へと落ち込んでしまった。


「なんじゃなんじゃ?」

「下がってください!」


 大クィンキナトゥス卿が驚きで目を丸くしてその穴へ近づこうとしたが、傍らにいた息子のクィンキナトゥス卿に制止される。

 その穴から、黒づくめの男達がのっそりと現れた。


「…何者だ?」


 一番近くにいたカッシウスが鋭く誰何すると、その男達の先頭に立っていた者は深く礼をすると、ゆっくりとくぐもった声で話し始める。


「群島嶼…今は帝国新領ク州秋留村の近くに住まいましたる、名も無き陰者が1人でございます。今は縁あってシレンティウム近郊にて秋留晴義様にお仕えしております」

「…辺境護民官殿の手の者か?」

「いかにも」


 クィンキナトゥス卿へ言葉少なく応じる陰者。


「ほう、このような者達まで配下におるとは、辺境護民官殿は底が知れんのう」


陰者達の異様な風体に飲まれている議員達も居る中、大クィンキナトゥス卿は、顎に手を当て、感心した様子で声を上げる。


「それで、カゲモノとやら、我々をどうするつもりじゃ?」

「現在、ユリアヌス副皇帝陛下が軍港からこの帝都を攻略中です」


 大クィンキナトゥス卿の質問をはぐらかすような言葉を、跪いたまま発する陰者。

 大クィンキナトゥス卿の質問に答えたとは言い難いが、その言葉を咎めるよりも内容にカッシウスが驚いて声をあげる。


「何だと?」

「…む、それはいかんな」


 しかしそれとは逆に、大クィンキナトゥス卿は何かを察して厳しい表情で言った。


「どうかされましたか父上?」

「お前もまだまだじゃな…ここに安閑としておれば我らは体の良い人質とされるじゃろ」

「…あっ」


 父親の言葉にむっとした様子を見せたクィンキナトゥス卿であったが、次いで出た言葉に愕然とする。

 絶句しているクィンキナトゥス卿を余所に、陰者は大クィンキナトゥス卿へと言葉を継いだ。


「はい、それで…高貴なる身分の方々には申し訳ありませんが、地下の下水道から帝都の軍港へ脱出して頂きます」

「げ、下水道だと!?元老院議員の我々に糞尿や汚水にまみれ、惨めに脱出せよというのかっ」

「まあ、致し方なかろう」


 陰者の示した脱出方法に激高した議員達を宥めるように、大クィンキナトゥス卿が言うと、悲鳴じみた声が議員達から上がる。


「議長!?」


 そんな議員達を眺め回し、大クィンキナトゥス卿は悪戯を思いついた悪ガキのような顔で言葉を継いだ。


「お主ら、自分の身体の臭いをかいでみよ」

「え?」

「良いからかいでみよと言うに」

「……うっ」

「あぐっ…」


恐る恐る自分の腕や身に纏った衣服の臭いをかいだ議員達が苦悶の表情を浮かべる。

 それを見ていた大クィンキナトゥス卿は、今度は悪戯を見事成功させた悪ガキの笑顔で口を開いた。


「どうじゃ?下水から湧き起こる臭いと質こそ違えど凄まじさは些かも変わるまい」

「しかし…」


 それでもなお抵抗を示す議員達に、大クィンキナトゥス卿は顔から笑顔を消し、厳しい表情で言葉を発する。


「今更汚れを気にしたとてなんとなる、既に我々はルシーリウスの暴走を議場にて止められなんだという汚れをたっぷりと纏うておるのだ。実際の身体が些か汚れようとも如何程の事があろうか。我々の名誉はこれ以上傷付く余地は無いのじゃからな」


 厳しい自分の言葉に何も言えずうなだれた議員達へ、大クィンキナトゥス卿は更に言葉を継いだ。


「ここで言い争っている時間は無いのじゃ…今は我々の汚れを少しなりとも解消せんとすれば、ユリアヌス陛下に勝利して頂く他無い。それであればルシーリウスの人質と為され、陛下の足手纏いにならぬようにする事こそ肝要、急がねば奴らが来るじゃろう」

「…分かりました」

「これ以上の不名誉はごめんですからな」


 ようやく議員達が動き出し、陰者の先導で穴へと入ってゆく。


「カゲモノとやら、皇帝陛下は如何致すのか?」


 ふと気が付いたように大クィンキナトゥス卿が穴に入る間際、陰者を振り返って問う。


「…そちらへも数名が向かっております、心配いりません」

「そうか、宜しく頼む…尤も、あの頑固爺はごねるやもしれんから、その時は気絶させても構わんからな」


陰者はごく平静に答え、その言葉に安心した大クィンキナトゥス卿はそう軽口を叩くと穴をくぐり、臭気漂う下水道へと身を落とすのだった。


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