第18章 帝国内戦 激突篇
ルシーリウス軍本陣
「お、おい、グラティアヌス!兵の間隔を広げたりしなくて良いのか?」
周囲にちらほら爆裂弾や特殊火炎弾が落ち始め、その飛来音が気になって仕方無いヴァンデウスが悲鳴じみた声を上げる。
もちろん、最前線ではヴァンデウスの周囲とは比ぶべくも無い、容赦の無い爆炎が兵達を次々と飲み込んでいた。
しかし爆炎が迫ろうともグラティアヌスは平然としており、ヴァンデウスに顔を向けてゆっくりと答えた。
「そんな事をすれば烏合の衆はたちまち逃げ散ってしまいます。我々が唯一敵より優位を保っていられるのはこの無頼共を含めた兵士の数で御座います。今でこそ左右と後方を古参私兵で囲んで逃げ道を塞いでおります故に我等に付き従っておりますが、これを外せばたちまち無頼共は逃げ出す事で御座いましょう。今はこちらの弓矢の射程まで我慢して突き進む他ありませぬ」
「そ、そうは言っても…お前、敵の射撃が止まないぞ?」
どんっという重々しい爆発音と共に、近くにいた護衛騎兵の数騎が爆炎に飲まれ、ヴァンデウスは思わず首をすくめた。
人馬がすさまじい絶叫をあげる。
しかし、グラティアヌスはちらりとその様子を見ただけで視線を前に戻すと、普段と変わらない様子でヴァンデウスの質問に答えた。
「…確かに…これは誤算では御座いましたが、今言った以外の戦法は我等に御座いませんので、今しばらく辛抱頂く他御座いません。我等の弓矢が届く距離にはまだ遠すぎますし、騎兵だけを突出させたところで後が続きませんと討ち破られてしまいます。歩兵と騎兵は連動して攻撃を行わねば、効果が半減してしまうので御座います」
前線に連続して特殊火炎弾の炎が吹き上がり、後衛にまで兵士達の絶叫が届く。
その阿鼻叫喚の戦場に思わず顔が引きつるヴァンデウス。
「心配御座いません。我等は大軍、もうしばらくすれば辺境護民官は包囲殲滅される事必定で御座います」
グラティアヌスの言葉に、ヴァンデウスは再びの爆炎に首をすくめながら頷く他無いのだった。
雨のように降り注ぐ特殊火炎弾と爆裂弾にもめげず、平然と前進を続けるルシーリウス軍は、ついに弓矢の射程にまで到達した。
無頼の兵士達はそのまま前進を続ける一方、弓矢を装備したルシーリウス家子飼いの私兵達は直ぐさま弓射の準備へと入る。
また、グラティアヌスの指令で両翼に配置されたルシーリウス家の騎兵が動き始めた。
ここに到るまで既に1万以上の死傷者を特殊火炎弾の炎と爆裂弾の爆発によって出しているルシーリウス軍であるが、まだまだ軍全体にしてみれば余裕がある。
ルシーリウス家の騎兵隊は左翼右翼それぞれ2万程度で、片翼だけで既にシレンティウム軍の騎兵総数を上回っており、順当に行けば盗賊上がりのにわか騎兵が混じっているとは言え包囲を為し、敵陣を蹂躙する事が出来るだろう。
グラティアヌスは、いかな辺境護民官とは言え圧倒的な数による騎兵突撃を防ぐ術は無いだろうとみていた。
槍兵を配備しているようであるが、両翼にごく少数。
先程行われたシルーハとの戦いにおいても両翼に騎兵を配置する事が出来ず、片側からの騎兵により本陣の突破を狙うという奇策を取っている。
前回はシルーハの騎兵に反対側の前線を突破されそうになりながらも、なんとか歩兵が粘って勝ちを拾ったようであるが、今回の兵数の差はそれを上回っており、また正面からかかる歩兵の圧力も惰弱な南方歩兵とは比ぶべくも無い。
兵質においては大差ないだろうが何と言っても数が違うのだ。
グラティアヌスは本陣を弓部隊の後に配置して止めると、弓射を指令する配下達を眺める。
一斉に大量の矢がシレンティウム軍の前線へと射込まれ、また相手側から矢が飛来してきた。
後は弓矢の応酬となるが、矢数では圧倒しているものの、時折シレンティウム側から飛来する重兵器の特殊火炎弾や爆裂弾、そして巨大弩弓の攻撃で射撃戦はようやく均衡が保たれ始めた。
弓矢兵士達の損害は大きくなったが、耐えられないほどでは無い。
兵数の差がそのまま出ているのだ。
それに加えて味方からの射撃が始まったことによって、兵士達も一方的に撃たれる状態では無くなったので少し落ち着きを取り戻したようである。
シレンティウム軍は前線の歩兵から弓部隊へと重兵器の攻撃をシフトさせており、ルシーリウス軍の弓攻撃の効果がそれなりに上がっている事がグラティアヌスには分かった。
「相手はこちらの弓矢を嫌がっておりますな」
「どうして分かるんだ?」
自分の言葉に珍しく素直な口調で疑問を返したヴァンデウスへ、薄い笑みを含みつつグラティアヌスは丁寧に解説を加える。
「重兵器の攻撃がこちらの弓部隊へと移って御座います。それまで前線の歩兵を薙ぎ払っておりましたモノを効果の薄い散開している弓矢部隊に振り向けてきたと言う事は、こちらの弓矢攻撃が相手にそれなりに打撃を与えている証左で御座いましょう」
「…そうか」
「はい、そうで御座います…若、間もなく騎兵が突撃を開始致します」
ヴァンデウスがグラティアヌスの指さす方角を見ると、ルシーリウス軍の騎兵達が左右に勢揃いして突撃の準備を整えている様子が目に入った。
対するシレンティウム側の騎兵は本陣へ固まっており、目立った動きは無い。
それに伴い前線へようやくルシーリウス軍の歩兵が到達する。
重兵器による猛烈な攻撃をあれほど受けていながら、死傷した兵士は2万程度で、大勢に影響は無かったことになる。
シレンティウム軍は大楯を並べて堅陣を敷き防御の構えであるが、比べるまでも無いほどの兵数差にヴァンデウスの顔には笑みが戻った。
やはりグラティアヌスの言ったとおり、数の差は圧倒的であったのである。
「最初の重兵器での射撃には些か驚きましたが、これで終わりで御座います」
グラティアヌスは自信満々に言うのだった。
シレンティウム軍
『さて、いよいよ衝突であるが…まさかこれ程簡単に乗ってくるとは思わなかったのである』
アルトリウスがハルの肩でにんまりと笑みを浮かべた。
その視線の先には、無精髭を生やしたルシーリウス軍の無頼歩兵達がいる。
既にルシーリウス軍の騎兵は左右に展開しているようであるが、こちらもシレンティウム軍の仕掛けに気付いた様子は見受けられれず、単純に突撃を敢行しようとしているようだ。
「いくら威力のある重兵器であっても、これ程の大軍を全滅させる事は難しいですからね、まずまずの損害は与えられたと思います」
『うむ、敵側の死傷者は1万から2万と言ったところか。まあ、順当であるな』
ハルの言葉にアルトリウスが肯定の言葉を返す。
弓矢の応酬は相変らず激しく続いているが、こちらはやはり兵数の差がもろに出てしまっており、シレンティウム軍は劣勢であった。
ただ、重兵器の狙いを敵の弓兵に振り向け、また巨大弩弓を投入してなんとか五分五分に持ち込んでいるのだ。
その重兵器兵達も無傷では無い。
扱う重兵器自体が重量物である事もあって、身に着けている鎧や兜は帝国風の質の良い物であるが盾を装備していない上に、重兵器の操作にかかりきりで矢を防ぐ事が出来ないのだ。
後方に配置されており、その前にいる弓兵達同士の撃合いが主体である事から重兵器隊に降り注ぐ矢はそれ程多くないとはいえ、矢は鋭く数も多い。
それに矢が命中して割れる特殊火炎弾や爆裂弾もあり、危険極まりない上にそれらの片付けにも人を割かねばならず、重兵器の発射速度は次第に落ちてきた。
「無理をするな!安全第一で攻撃しろっ」
クイントゥスが重兵器を操る特殊工兵達に注意を喚起する。
弾が破損した場所に火矢の一筋でも命中すれば大惨事、たちまち重兵器隊は誘爆に次ぐ誘爆で味方を巻き込み、シレンティウム軍は名実ともに壊滅するだろう。
間近に迫る敵にどんどん弾を浴びせたいが、実際はなかなか上手くいかず、連射の影響から幾つかの重投石機は破損した。
それでも幸いな事に、ハレミア人と戦ったイネオン河畔の戦いの時とは違って弾は大量に用意されており、攻撃自体に影響は無い。
「破損した重兵器は後ろへ下げろ!今は修繕している暇は無い、弾と人員は別の機へ回せ、急ぐんだ!」
クイントゥスは焦りを部下に気取られないよう平静を装いながら命令を下すのだった。
ルシーリウス軍は帝国兵の装備は身に付けているものの、手投げ矢や投げ槍などの投擲兵器を持っていない。
これは投擲兵器をにわか軍隊、しかも歩兵だけで10万以上の全員に装備させられないという物理的な理由と、まともな投射訓練を行っていない無頼兵士に投擲兵器を渡したところで、本番で肩を痛めるのがせいぜいで効果的な攻撃が見込めないという理由からであった。
手槍と剣を持った無頼兵士達が上官の号令で前に出る。
それを見てシレンティウム軍は大楯を構え直し、投擲兵器の柄を握りしめた。
「進めっ!!」
「放てっ!!」
双方同時の号令でついに正面衝突が始まる。
突撃するルシーリウス軍の無頼兵士達にシレンティウム軍の手投げ矢が降り注いだ。
不意を突かれて一時的に混乱する無頼兵士達だったが、続々と後から続く無頼兵士達に押され、前線の無頼兵士達も進む他なくなり、ばたばたと手投げ矢でなぎ倒されながらもついにルシーリウス軍はシレンティウム軍の前線へと到達する。
たちまち激しい盾同士の突合い、押し合いが始まった。
双方質や大きさの同じ帝国風の盾であるが、身体が大きくて力のあるクリフォナム人の北方軍団兵に、小柄な帝国人で構成されている無頼兵士達は力一杯盾をぶつけるが、膂力や体格の差からびくともしない。
それに訓練を受けていない無頼兵士達は戦い方が稚拙で、集団戦闘においては隙だらけ。
盾の縁を北方軍団兵の盾にぶつけようとした無頼兵士が後方から投じられた手投げ矢に顔面を撃ち抜かれ、盾ごと体当たりした無頼兵士はその直後に頭上から手槍を差し込まれて絶命し、更に剣を振りかぶって盾に叩き付けようとした無頼兵士は正面から剣を腹に突き込まれ、血を吐きながら前のめりに倒れた。
それでも後から後から湧いて出てくる無頼兵士達。
倒しても倒しても後から後から、無頼兵士達が北方軍団兵の盾目がけて攻撃をしかけてくるので、北方軍団兵は順次最前線を交代し、戦線を維持する。
最前線から交代した兵士達は後方で手投げ矢の補給を受け、装具を再点検して再び戦列へと戻る。
北方軍団兵は兵数の差をまざまざと見せ付けられながらも挫けず盾を固く閉じ、隙を見つけては反撃する方法で戦線を維持するのだった。
一方、両翼ではルシーリウス軍の騎兵が突撃を敢行しようとしていた。
シレンティウム軍は騎兵の前面に大盾と中槍を装備した槍兵を配置しており、その布陣は薄い。
ルシーリウス軍の騎兵は帝国風の重装騎兵では無く、シルーハ装備の軽装騎兵が主体である。
何を隠そう彼らこそ東部諸州の治安を不安に陥れていた盗賊団であった。
シルーハから提供された彼らはアスファリフの帝国侵攻軍に協力した後は帝都へ奔り、今度はルシーリウス軍に加わっていたのである。
軽装とは言え革の鎧兜に身を包み、槍を手に騎乗突撃してくれば立派な突破力となる。
大軍である敵に合せて正面へ多数の北方軍団兵を配置しているシレンティウム軍からすれば、この薄い槍兵の戦列以外に彼らを食い止めるものは何も無いのだ。
その騎兵達が指揮官の号令で一斉に喊声を上げながら突撃してきた。
大盾をしっかり閉じ、槍を居並べた北方軍団兵が迎え撃つ姿勢を示す。
そして、騎兵が緩やかな盛り土を越えた時点でその後方から弩の筒先が差し出された。
「撃てええっ!!」
最前線に陣取ったアルトリウス軍団軍団長のテオシスが絶叫し、連射式弩が風切り音も鋭く専用の短矢を連続して放つ。
射程距離の目処にもられた盛り土である。
直線で飛来する矢を避ける事も出来ず、ましてや革の鎧兜と軽装である事から狙い過たず、馬の筋肉さえも易々と撃ち抜く威力ある短矢に次々とルシーリウス軍の騎兵は打ち砕かれていった。
馬体に短矢が当り、絶命した馬ごと倒れる盗賊騎兵。
兜の上から頭を打ち砕かれて後ろへひっくり返る盗賊騎兵。
別の者は胸に数本が同時に当たり、その衝撃で馬上から弾かれたように吹飛ぶ。
咄嗟にかざした腕を撃ち抜き、目に短矢が刺さって絶叫する者。
足に刺さった矢を気にしてうつむいたところ首筋を撃ち抜かれ、そのまま前のめりに落馬する者。
たちまち騎兵達が混乱に陥り、打開しようと再突撃をしかけるものの、直ぐさま短矢を補充した弩兵にその企みを打ち砕かれた。
ルシーリウス軍騎兵達の足が止まり、馬首を返そうとする無頼騎兵や、あくまでも攻撃を続行しようとする騎兵達に短矢が容赦なく突き立ち、それによって前線はより一層混乱する。
騎兵指揮官が懸命に立て直そうとするもののその側頭部に短矢を受けて絶命、落馬してしまったことで収拾が付かなくなってしまった。
多数の騎兵が右往左往する中、テオシスは故障の多い連射式弩を一旦下げて点検と矢の補充を行わせると同時に、兵達には手投げ矢を用意させる。
「連射式弩は補充と点検実施!兵は手投げ矢を順次放て!」
その号令で2列目以降の北方軍団兵が盾の後ろから手投げ矢を取り外して構え、次々に足の止まったルシーリウス軍の騎兵目がけて手投げ矢を投じ始めた。
弩の攻撃が止んだ直後に降り注ぐ手投げ矢に為す術無くルシーリウス軍の騎兵達が打ち倒されてゆく。
帝国風の鎧兜には些か分が悪いが、革の装備しか身に着けていない軽装騎兵であれば鎧兜の上からでも十分通用する手投げ矢は、乗っている馬諸共ルシーリウス軍の盗賊騎兵を撃ち抜いていった。
反対側でも同じような光景が繰り広げられ、ルシーリウス軍の騎兵は潰走を始める。
その背中に再度射程距離ぎりぎりまで連射式弩の短矢が射込まれ、更に数を減らした盗賊騎兵達は戦場から這々の体で逃げ出したのであった。
敵の騎兵が両翼とも連射式弩の力によって撃退されるのを確認し、ハルはゆっくり南にあるセトリア内海を見つめた。
青々とした海原は波も穏やかで、櫂船の航行に影響するものは何もなさそうである。
「そろそろ狼煙を上げておきますか…」
「良い頃合いです」
『うむ、これで敵の主力はこちらに引付ける事が出来たのであるから、我等の目的は半分が達成された事になるのである』
ハルの言葉にアダマンティウスとアルトリウスが応じた。
「では、狼煙を上げるんだ」
「はっ!」
早速伝令が後方へ派遣され、狼煙係にハルの命令が伝達される。
しばらくすると本陣の後ろから濃い白色の煙が立ち上り始めた。
微風の中、煙は散ること無く真っ直ぐ天へと昇ってゆく。
その様子はシレンティウム軍のみならずルシーリウス軍からも見て取る事が出来た。
そして、遠く離れた海上からも当然その煙はくっきり見える事だろう。
帝都沖合、帝国遊撃艦隊旗艦
帝都軍港が辛うじて見えるほどの沖合を航行中の帝国海軍は、後方にロングス第1軍団軍団長率いる帝国軍1万5千にユリアヌス軍1万2千を併せた2万7千の兵士を満載した輸送船団を帯同している。
その艦隊から、うっすらと立ち上る筋が帝都の東方向に見え始めた。
「殿下、白色の狼煙が上がりました!」
見張りの兵士が帆柱の上の見張り台から甲板上のユリアヌスへと大声で報告する。
ユリアヌスが兵士の指さす大陸をしばらく眺めていると、ようやく白い筋が見え始めた。
その筋は次第に太くなり、ゆっくりと天へと昇ってゆく。
「…首尾よく進んでいるようだな、では回頭だ。目標は帝都軍港!」
「了解!右回頭始め!」
艦長が号令を出し、手旗信号を艦隊の各艦船に送る。
少し進んだ所で、艦隊は一斉に右、すなわち帝都軍港のある北方向へと回頭を始めた。
それに少し遅れて後続の輸送艦隊も回頭を始める。
デルフィウス提督が艦隊の回頭が終了したのを見届け、徐にユリアヌスへと語りかける。
「しかし、あの辺境護民官は何者ですか?このような策を思いつくとは、ただ者ではありません」
「さてね、ま、英雄の加護を持っているような感じではあるか…」
「はあ?」
自分の答えに怪訝そうな顔と声で曖昧な返答を返すデルフィウスに、アルトリウスの正体と存在をただ一人知るユリアヌスは笑い声を上げた。
辺境護民官が提案した策は、帝国正規軍とユリアヌスの傭兵軍、それに帝国海軍で帝都を海上から急襲するというもの。
帝都軍港は普段、帝国海軍帝都艦隊が守り、また軍港や商港、漁港が合一した帝都の港を経て低い城壁で帝都の市街と区切られている。
しかしながら軍港側の城壁は城壁とはいえ、陸地側の城壁とは比ぶべくも無い低く薄いしろものであるが、これは帝都が王国の都であった頃の城壁を改修せず、そのまま使用し続けているからであった。
発展した市街と港湾設備に挟まれ、城壁を拡張する空濶地を失ってしまっていたことから改修出来無かったという理由が一番であるが、帝国成立後は海からの脅威に対しては艦隊を常駐させて対処していた上に、具体的な海側からの脅威にさらされる事が今まで皆無であったためでもある。
また港と市街の間に城門等が設けられておらず、出入りは自由に出来る。
ハルは群島嶼から最初に帝都へ船で来た時に見て港の構造を知っており、またアルトリウスの時代からその構造が変わっていない事を確認した上で、この作戦を思いついたのである。
帝都艦隊は既にユリアヌスの影響下にあり、そもそも派手な陸側の戦いに気を取られて裏側にあたる軍港の防備に思い至る者は居ないだろう。
軍港に商港、果ては漁港までがある帝都の港は巨大で、軍港設備が無い場所であっても戦艦や輸送艦を横付けすることが出来るので、揚陸が容易である事も最初から分かっていた。
ユリアヌスがコロニア・リーメシアでの作戦会議の時の事を思い出していると、いつの間にかもう帝都軍港は目の前にあった。
間もなく帝都へ入る事が出来る。
念のため戦艦を先行させたが周囲に敵艦隊の存在は無く、また軍港では港湾労働者や商人達がユリアヌスの艦隊を見つけて騒いでいるようだが、迎撃の兵士達は出てきていない。
普段通りの帝都であれば直ぐにでも通報が上がったのだろうが、ルシーリウスの牛耳ってしまった帝都では、間違いの通報などしようものなら極刑に問われかねないし、第一普段通り道を歩いているだけでも私兵団に逮捕されるかも知れないのだ。
そんな情勢下で敢えて港へ出てきている勇気ある労働者や商人達ではあるが、敵か味方か判別の付かないユリアヌスの艦艇に戸惑うばかりで行動を起こす事が出来ない。
ユリアヌスは戦艦を下げ、兵士が多数乗っている輸送艦を先に港へ着岸させてゆく。
船が接岸すると海軍兵が身軽に飛び降り桟橋を設置し、渡り板を下ろして下船の準備を手早く済ませた。
設置された桟橋を使って次々と重装備の歩兵達や騎馬兵が輸送艦から下りる。
船からも渡板が下ろされ、歩兵達が続々と船を下りてきた。
抵抗は今のところないが、早急に城壁と港湾部の出入り口を押える必要があるので、準備が出来た部隊は直ぐに城壁へと向かう。
「…よし、第1段階は成功だ。直ぐに部隊を整列させろ!」
ロングスが他の将官達に囲まれて船から下りて来るなりそう命令した。
帝都市民を支える大量の食糧や物資を荷揚げするため、帝都の港は埠頭や倉庫群も大きいので、2万や3万の兵士達が集合し整列するのには何不自由ない位の広さがあるのだ。
しばらくして帝国軍、ユリアヌスの傭兵軍、海軍歩兵隊の総勢3万の軍が終結した。
港の出入り口は押え、通報に出る者や攻めてくる者を牽制してはいるが、今のところそう言った者達は見受けられない。
続々と降り立ち、きっちりと整列し始めた兵士達を見ながら満足そうな笑みを浮かべ、ロングスは護衛兵に囲まれて下船してきたユリアヌスに敬礼を送る。
「順調だな、ロングス」
「はっ、間もなく整列が完了します。帝都の無頼共を直ぐに一掃して見せましょう!」
「ああ、頼む。我が傭兵団と海軍歩兵の指揮も預ける」
ロングスの言葉に満足そうに返答したユリアヌスは、帝都での作戦をロングスに一任することを決める。
港に居た人々も海軍や帝国軍の兵士達に混じって副皇帝のユリアヌスがいる事に気付いた。
「おい…罷免された副皇帝陛下だ…」
「辺境護民官と組んで反乱を起こしたって言ってたっけ?」
「…どうせ貴族共の嘘に決まってる!」
「そうだ、これを見れば分かるじゃ無いか、副皇帝陛下が軍を率いて帝都へ乗り込んできたんだ、反乱を起こしたのは貴族共だろ?」
「ユリアヌス陛下が貴族を討伐しに来たんだ!」
「そうだな、違いない…これでようやく安心して暮らせる…」
ユリアヌスが辺境護民官共々罷免された事は市民達も知っていたが、その罷免されたはずのユリアヌスが軍を率いて港からやって来た事に、市民達はその事情や政情を多少なりとも把握することが出来たのだ。
それで無くともユリアヌスは帝都市民からは人気があったのだ。
罷免や布告でユリアヌスの不利な情報が流される度に、市民達は貴族の態度や行動、私兵による略奪暴行の数々と相まってユリアヌスに期待するようになっていた。
辺境護民官率いる蛮族の反乱軍を迎え撃つためにヴァンデウス率いる私兵集団15万余が帝都から離れ、ようやく帝都市民は一息つく事が出来たが、それでもまだ5万近い私兵が帝都中をうろうろしており、また闇の組合員が幅を利かせているとあって安らぎとはほど遠い生活を強いられ続けていたのである。
そこに軍を率いて颯爽と現れたユリアヌス。
早速ユリアヌスは集まってきた市民達に向かって呼びかけた。
「帝都市民諸君!私は副皇帝のユリアヌスだ!みなは貴族共から私が副皇帝を罷免されたと聞いているようだがそれは違う!貴族共は帝国を我が物にせんと私を排除しようとしたのだ。だがそんな事は出来ない!私はマグヌス陛下に任命された歴とした副皇帝である。今の元老院が…ルシーリウス卿を始めとする貴族派貴族に専断された元老院の決定など無効である。私は海軍や帝国軍の支持を受け、北の勝利者こと辺境護民官ハル・アキルシウスの助力を得てここに…帝都に戻ってきた!圧政は今日で終わり、明日からは貴族派貴族のいない正常な帝国と帝都を諸君に提供することを約束しよう!」
港から帝都市民の歓声が上がる。
皆がユリアヌスの演説を聴き、乱暴狼藉を働かない帝国正規軍の姿を見て安心し、長く無いとは言え辛く押しつぶされた日々の終わりを予感したのであった。