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第17章 決戦 決戦直後篇

 シルーハ王国、ティオン沖合


 南方歩兵1万5千、シルーハ騎兵5千の軍兵を満載し、すべるように航海を続けるシルーハの商船団は、もう間もなくティオンの軍港に到着しようとしていた。

 港から出迎えだろうか、艦隊が向かってきている。

 シルーハ商船団の船団長はティオンへ軍兵を下ろした後、根拠地である南のサルスへ向かう予定であった。

 ジードからやって来た海賊艦隊とサルス沖で合流し、一路北のポゥトルス・リーメスへと向かったが、途中アスファリフ将軍からの伝令船によって入港場所を変更したのである。

ティオン市にも戦艦は配置されているが数はそれ程でも無い。

 それに軍兵を大量に運べる商船は、東照との交易が途絶えがちになってしまったために、ティオンにはそれ程多く停泊していなかったのである。

 かく言う船団長ももともとはティオンで船舶交易に携わっていた。

 しかし群島嶼が帝国の一部となって交易を禁じられ、更には東照物品がシレンティウム経由で遣り取りされるようになると交易量や輸送量が激減し、ティオン市での船舶運用に支障を来すようになったのである。

 そのため船団長は南のサルス市へ拠点を移し、南方大陸との交易や西方諸国との交易に移行したのであった。

 

 残念ながら戦争には負けてしまったようだ。


 アスファリフ将軍がユリアルスを落とし、帝国の東部諸州を制圧するのを聞いて、これでまた故郷であるティオンへ戻れるかと期待した船団長であったが、そうは上手くいかなかった。

 北の護民官が動き、シルーハ領を横断してシルーハ軍の背後を取るという恐るべき大戦略でアスファリフ将軍をも討ち破ってしまったのである。

 シルーハは敗れたことにより更に勢力を削られるだろう。

 領土の割譲か、賠償金の支払いか、はたまた交易路の譲渡か…

 西方帝国の要求がどのようなものになるのか知らないが、いずれにしても今まで以上にシルーハの商売がやり難くなってしまう事は確実だろう。


 そんな事を考えながらため息をついた船団長が向かってくる戦艦を見て首を捻る。

 どことなく違和感を感じたのだが、間もなく合流するので、その違和感の正体もすぐ明らかになる、そう思い回頭の合図を出そうとした船団長の顔が凍り付いた。


「…!せ、戦闘準備!!!!」


 絶叫する船団長を気が触れたのかと驚きつつ振り返る船員や船長達の目に、巨大な矢が轟音と共に帆柱へ突き立った。

 絶句する船員達を余所に、甲高い笛を吹くような音と共に次々と降り注ぐ巨大な矢。

 そしてその矢は容赦なくシルーハの軍兵を貫いた。

 最初は何が起こっているのか全く把握出来ず、目の前で串刺しになって甲板に縫い止められた同僚兵士達をぼんやり眺めていたシルーハの兵士達であったが、次いで自分の腕が矢に吹飛ばされるに至ってようやく絶叫をあげる。

 甲板へ載せていた馬が胴を撃ち抜かれてすさまじいいななきを発し、船体に炸裂した巨大な矢が漕ぎ手達を櫂と共に物言わぬ肉片へと変えた。

 甲板を掠めて飛ぶ巨大矢は何名ものシルーハ兵を撃ち抜いて反対の海へ飛び込み、別の矢は慌てて盾を構えたシルーハ兵を、その盾ごと甲板へ縫い止める。


 帆を引き裂き、船体を撃ち抜いて浸水を誘い、櫂や舷側を撃ち抜いて兵士達を貫通する巨大な矢に、シルーハの船団は為す術べなくたちまち混乱の坩堝へと放り込まれた。

 やがて陸に近い船が軍兵を満載したまま沈没を始め、更にその後方に居た船が攻撃を受け始めると、混乱は最高潮に達する。

 何とか攻撃を回避しようと右往左往するシルーハの船団であったが、最初に船団長の船が撃沈されてしまった事で指揮を執る者が居らず、左右へと向かった隣同士の船が衝突したり、櫂が絡み合ったりして更に混乱に拍車を掛けるばかりであった。


 そうして行き足が止まったシルーハ船団の横っ腹へ、陸側からやって来た戦艦が次々に突撃し始める。

 すさまじい轟音が辺り一帯に鳴り渡り、船首の衝角に貫かれたシルーハ船が木の裂けるもの凄い音や軍兵の悲鳴と共に海水の渦に飲み込まれていった。

 左右へと展開した戦艦は、シルーハ船団が逃げる隙や暇を与えず次々と衝角を激突させ、あるいは巨大な矢を船腹の吃水に集中させて大穴を穿ち、撃沈してゆく。

 容赦の無い攻撃は数刻続き、やがて全てのシルーハ船が撃沈された後に残るのは夥しいシルーハの兵士や船員、それに漕ぎ手と馬の溺死死体のみであった。




「副皇帝陛下!敵船団を撃滅しました!」


 報告を受けるまでも無い事だが、艦長からの戦勝報告を受け、ユリアヌスは鷹揚に頷き口を開く。


「よし、では進路を北へ取れ!目標はポゥトルス・リーメス!」

「了解しました!」


 帝国海軍遊撃艦隊は、ユリアヌスが座乗する旗艦から手旗信号を受け、一斉に北へと進路を変え始める。


「輸送船団へ合図を出せ」

「はっ!」


 更にユリアヌスの命令で旗艦からもくもくと狼煙が焚かれると、ティオン市から武装の無い船団が現われた。

 船団の甲板には帝国兵が多数乗船しており、きらきらと海の陽射しにその鎧兜が反射しているのが見て取れる。


「副皇帝陛下、輸送船団も事故無く全兵士収容完了との信号です」


 手旗信号担当の兵士が、輸送船団の先頭船から振られた手旗信号を読み取ってユリアヌスへ報告した。


「そうか、分かった…」


 言葉少なく答えるユリアヌスに、甲板指揮を終えて船橋へ上がってきた遊撃艦隊司令官のアウルス・デルフィウス提督が力強く言う。


「しかし、ジード市、ティオン市と立て続けではありましたが…兵士達はよく働いてくれました」

「そうだな、これで後は帝都の馬鹿共を一掃するだけだ」


 いかにも海の男らしい日焼けしたデルフィウス提督が白い歯をきらりと輝かせて笑顔を見せると、ユリアヌスも笑顔を見せて答えた。




 ユリアヌスは異変に気付くとアルテア市ですぐに退役兵を中心とする募兵を行って1個軍団5千名の帝国兵を集め、更に弓兵や槍兵、騎兵については西方諸国の傭兵を7千ほどかき集め、6千名の軍団を2個編制した。

 そして西艦隊の半分を抽出し、遊撃艦隊へ編入するとその兵士達を積載してまずはジード自由市を急襲したのである。

 シルーハの影響と庇護の下、海賊の拠点となっていたジード自由市であるが、軍備の備えはそもそもそれ程無い。

 拠点としていた海賊もユリアヌスが本腰をあげて掃討し始めた事によって大きく勢力を減じており、出撃はしたもののユリアヌスの海軍に一蹴されてしまった。

 更に陸路からのユリアヌス軍団1万2千と、海上からユリアヌス率いる帝国海軍の攻撃を受けてあっさり陥落し、その市域を帝国領へと編入されたのであった。

そして帝国新領南方州となったジード市で軍備を改めて整え、一旦リブリア市に入ったところでユリアヌスはハルの戦勝を聞いたのである。

 越境許可の件については気になっていたが、アダマンティウスと連絡が取れ、クィンキナトゥス一族が動いている事を知ったユリアヌスは、改めてアダマンティウスに対して辺境護民官の越境を認める事を通知した後出撃したのであった。

 そしてシルーハが船舶を使って撤退を行う他無い状態にある事から、兵のほとんどいないティオン市を攻め取り、撤退してくるシルーハ軍を壊滅させようと考えたのである。



「残念ながら傭兵とアスファリフは乗船していないようです。アスファリフは罷免され、その上に違約金の支払いを求められて海賊船に乗り西方諸国へ逃亡したと、拾い上げたシルーハの船長が申しております」

「そうか…本命は西だったか」


 デルフィウス提督の報告に残念そうな顔のユリアヌス。

作戦は大成功を収めたが、肝心のアスファリフは進路を別に取ったようで、壊滅したのはシルーハの船団と正規軍のみ、傭兵将軍とその配下、そして足となった海賊は西へと逃げてしまった。

 シルーハ正規軍よりアスファリフの方が厄介だと思っていたユリアヌスであったが、まさかそれ程優秀な傭兵をシルーハがあっさり手放すとは思わなかったのである。


しかしこれでシルーハ王国は国軍のほぼ全てを失い全くの丸裸となった。

 今であれば帝国悲願のセトリア内海沿岸統一も夢ではないが、帝都の情勢を鑑みればシルーハに拘っている時間は無い。


「では、進路はこのままで?」

「ああ、頼む。辺境護民官と一回会わなきゃならんからな、作戦の摺り合わせもしたい」

「了解しました…しかし辺境護民官軍がまさかここまで強いとは思いませんでした。いや、正直脱帽です。まさかあのシルーハ軍を破って撤退させてしまうとは…!」


 感嘆の声と共に北を見るデルフィウス提督に、ユリアヌスは笑みを返す。

ユリアルス城を落とし、帝国軍2万を討ち破って東部諸州を一時なりとも制圧下に置いたシルーハ軍とアスファリフを退け、撤退に追いやったのである。

 これでおそらく辺境護民官は今後帝国内の政治に絶大な影響を及ぼす事になるだろう。

 今後帝国内の勢力は、北の重要国として辺境護民官の動向や影響力をあらゆる意味で無視出来なくなるのだ。

 シルーハや東照にとっても新たな強国の出現は無視出来ないだろうが、その影響を一番強く受け、また一番強く影響を及ぼせるのもまた帝国なのである。


「まあ、本人はそんな事望まないだろうが…尤も、それを望まれても困るが…」


ユリアヌスの独り言は海風に散らされ、誰の耳に届く事も無かった。





 帝都中央街区、元老院議場


「…以上の顛末により、辺境護民官軍は敵国シルーハを討ち破り、帝国に平和と安寧をもたらしました!」


 誇らしげに報告する帝国兵。

 しかしその誇らしげな表情とは相反する空気が議場に流れる。


「ご苦労だった…君は帰隊しなさい」

「はっ!」


 コロニア・リーメシアから駆け通しでやって来た元第3軍団の兵士は、ルシーリウス卿がこめかみをぴくつかせている事に全く気付かず、嬉しそうに一礼すると議場を退出した。


 兵士が議場から去ると空気が更に重くなる。


 しかし大半の議員達は、敵を打ち破ったという報告にも関わらず、何故このような雰囲気になっているのかが分からないまま戸惑っていた。

 その事情を知っているのは、貴族派貴族の中でも高位の者達だけ。

 シルーハとの裏取引があったなどとは明かせるはずもなく、ルシーリウス卿は爆発させたい怒りと不満を何とか抑えるのに精一杯であった。


 しかしこのまま辺境護民官を捨て置くのはまずい。

 ユリアヌスと繋がっている事はほぼ間違いないだろうし、精強な北方軍団兵をもって帝都に繰り込まれては、今後の政権運営にも影響が出る。

 ましてやかつてかの者を辺境護民官にして左遷させるべく動いたのは自分であるのだ。

 恨まれていたとしても不思議では無い。


 ただ、ヤツは失敗を犯した。

 誰の許可を得る事無く国境を侵したのである、これは辺境護民官権限を逸脱する行為であるばかりで無く、何の権限も無い者が軍を率いていれば元老院の議決で明確に反乱であると指定が出来る。

 たとえそれが敵国を排除するためであったとしても、法は法である、破って良い道理が無いのだから、辺境護民官は国家反逆罪で逮捕して極刑に処すことにすれば良いのだ。

 そこで辺境護民官が逆らったとしても今は10万の軍が自分の息子の手元にある。

いくら精強と雖もたかだか5万程度の軍であれば、簡単に粉砕出来るだろう。

 ルシーリウス卿はそこまで考えると、徐に立ち上がり、議場の中央へと進み出た。


「仇敵シルーハを討ち破った辺境護民官にまずは拍手をお願いしたい!」


 白々しくルシーリウス卿が発言すると、議場には爆発的な拍手が湧き起こった。

 思わず額に青筋を浮かべ、拍手した議員達を怒鳴りつけそうになるのを辛うじて抑え、ルシーリウス卿は両手を広げて拍手を止めるよう促す。

 しかしなかなか収まらない拍手。

 辛抱強く拍手が収まるのを待ち、ルシーリウス卿が再び口を開く。


「しかし、彼の者は帝国の法を犯した、辺境護民官は国境を越えて権限を行使してはならない、これは帝国の基本法である…また、権限の無い者が軍を動かすと言う事は、明確な反逆罪である!反乱軍と断じざるを得ない!」


 今度は水を打ったようにしんと静まりかえる議場。

 誰かが生唾を飲む音が議場に響き渡る。


「よって、私は彼の者を国家反逆罪に問い、更には一連の軍事行動を帝国に対する反乱として認定をせざるを得ないと考える!このような提案をしなければならないのは非常に心苦しく、また残念だが法は法、法を曲げるわけには行かない!そしてこの提案を他の方にして頂くわけには行かない!帝国を命を賭して救った辺境護民官を罪に問おうというのである、その非難は私が甘んじて受けよう!その汚名は私が負おう!その責任は私が取ろう!」


 ルシーリウス卿の演説に、議員達が聴き入る。


「…彼の者を、辺境護民官を国家の敵として認定する!この提案に賛成の者は起立願いたいっ!!」


 拍手と同時に立ち上がる議員達。

 ルシーリウス卿はその光景をにんまりとして眺めると、再び顔をを引き締めて口を開いた。


「諸君の意志は私がしっかりと受け止めた!後は全てを私に任せて貰いたい…では、辺境護民官ハル・アキルシウスを国家反逆罪に問い、その軍と権限と官職の一切を解く!そしてその任は我が息子にして軍総司令官のヴァンデウスに任ずる事とする!」


 高らかに宣言したルシーリウス卿に対し、満場の拍手が再び送られた。

 そしてその拍手は何時までも止む事が無かったのである。




 帝都中央街区、元老院、皇帝執務室



「さてもまた下らぬ案が通ったか…」


 議場から聞こえる拍手にマグヌスは寝台で顔をしかめた。

 この部屋に押し込められてどれくらいの時が経っただろうか、誰とも会えず、外を見る事も出来ない状態で死病に冒されていたマグヌスの身体は弱り切っていた。

 食事についてはしっかり取る事が出来るのだが、それも弱ったマグヌスの身体はそれを受け付けなくなってきており、ここ数日はほとんど手を付けていない。

 毎日のように譲位を迫るルシーリウスであったが、頑として言う事を聞かないマグヌスに呆れ、愛想を尽かした感じで最近はこの部屋を訪れる者はほぼ無かった。

 控え室に閉じ込められたままの貴族派貴族に反した元老院議員達も気になるが、今となっては彼らの健康や動向を知る術も無く、マグヌスは静かに運び込まれた寝台で横になっている他無い。


 時折聞こえてくる議場からの熱弁や拍手も、どこか白々しくそして虚ろである。


 うるさいぐらいに聞こえていた拍手がふと遠くなったように感じられた。


「…ああ、もう、時が来たか…」


 ふっと身体の力が抜けたのを感じたマグヌスは、最期が来た事を知った。


「…何と、これで終わりか…悔いだらけの一生であったな…」


 帝国皇帝マグヌス、享年78歳。

 帝国皇帝で唯一誰にも看取られる事無く、静かに崩御した。

 その死が発覚したのは翌日であったという。


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