第17章 決戦(その2)
コロニア・リーメシア郊外、シルーハ軍本陣
アスファリフは何度かコロニア・リーメシアを攻めさせていたが、これはあくまでもコロニア・リーメシアの防備体制や士気を探るための小手調べで、本格的な攻勢は未だ掛けていなかった。
これは本格的な攻城兵器が無い事が大きな原因で、梯子程度の物しか用意出来ていないシルーハ軍は、敵の士気が十分落ちきってから攻撃をすることにしていたのである。
そしてその士気を探るためにアスファリフは今日も少数の兵で城門を攻めさせたが、すぐに敗退してくる南方歩兵達を見て眉を顰めた。
おかしい、今までと様相が違う。
明らかに今までとは違い、攻撃の激しさを物語る南方歩兵達の惨状。
アスファリフが何かに気付きかけてつぶやいた。
「あん?何か今日はやられ方が半端ないな…どういうことだ?」
今までコロニア・リーメシアの守備隊は、籠城で補給の目処が立たない矢玉を節約しての攻撃に終始していたのであるが、ここへ来て一気に苛烈な攻撃がなされた事になる。
厳しい包囲網によって補給路は当然寸断されており、補給が届いたりした形跡は見られない。
どこかで大量の埋蔵されていた矢玉が見つかったというのであれば別だが、使われている矢玉を見る限り昨日までの物と変わらず、変わった物や古い物は混じっていないので、それも当て嵌まらなさそうであった。
「…援軍の目処が付いたか?」
一廉の戦術家として、その結論に至ったアスファリフ。
コロニア・リーメシアに直前まで節約しなければならなかった矢玉を大量に使っても良い状況が生まれたのだろう。
包囲が解除される見込みが付いたのか、それとも矢玉の補充の目処が付いたのか、いずれにせよ包囲しているシルーハ軍を排除出来るか、もしくは遠ざける事が可能な状態が間もなく訪れると踏んだからこその行動変化に違いなく、それは何方からかの援軍以外に考えられない。
しかし帝国軍は未だ立ち直っておらず、残余の軍はいないはず。
それは南方大陸でほぼ全滅に等しい打撃を、他ならぬアスファリフ自身の手で与えて知っている。
それに、今帝都ではシルーハと密約を交わした帝国貴族が政変を起こしているはずで、シルーハに対する動きは無い。
帝国以外でここに駆けつけられるのは、帝国の同盟者であるところの辺境護民官の軍以外に無い。
しかし、本来であれば北の辺境護民官は帝国からの要請や命令が無ければ動けないはずで、これも帝国貴族から得た情報を信じれば、州総督のいない東部諸州に要請を出す事は不可能であるし、また元老院は件の帝国貴族が押さえたのであるから命令や要請を出すはずが無い。
「どういう手を使ったのかは分からんが、来るなら来ればいい、受けて立ってやるさ」
折角ここまで追い込んだコロニア・リーメシアの包囲を解くのは勿体ない気もするが、ここは一旦退いて迎撃態勢を取った方が良いだろう。
北方辺境で蛮族相手とは言え、華々しい軍事的活躍をしていると聞く辺境護民官。
その軍を構成するのはかつての蛮族戦士を鍛え直し、帝国風の重装備と戦術を身に着けさせた北方軍団兵だという。
今までに無い強敵の出現に、アスファリフは身を震わせた。
帝国も強かったがどこか物足りない。
兵は強く戦術も完成されてはいるが将がいないのだ。
包囲を解くべく伝令を出し、周囲の情勢を探るために騎馬斥候を放つアスファリフは、近隣の小都市を攻めている部隊にも本軍へ合流するよう使者を出す。
解かれてゆく包囲を見て目を丸くしているコロニア・リーメシアの守備兵を尻目に、アスファリフは郊外の平原に陣を構えるべく移動を開始する。
いよいよ現われた強敵に、アスファリフは腕を組み、唇をぺろりとなめ上げた。
「ははっ、これでなくちゃいかん!この緊張感が堪らんなっ」
ユリアルス城、帝国側城門
ユリアルス城の帝国側城門に、シレンティウム軍が勢揃いしていた。
第22軍団、第23軍団、シレンティウム軍団、アルトリウス軍団、フェッルム軍団の北方軍団兵を主とする3万5千の歩兵に、第1騎兵団5000余の騎兵が居並ぶ姿は壮観ですらある。
ルグーサを放棄して大量の補給物資と共にユリアルス城へ入ったグーシンド率いる5000の兵が後方となるユリアルス城を守る事になっており、準備は整った。
今頃シルーハにシレンティウム軍の動きは知らされているだろうが、東照軍も自国へと引き上げを開始しているはずで、後は帝国内に入ったシルーハ軍を討ち破るのみである。
いつものようにアルトリウスを肩に載せたハルが、兵士達の不敵な面魂を見回し、同じような笑みを浮かべてから号令を発した。
「出発!」
うおうっ
ひらりと馬に飛び乗ったハルを先頭に、精強なシレンティウム軍4万が帝国東部平原へと進軍を開始した。
シルーハ軍が包囲する、リーメシア州都、コロニア・リーメシアまでは約2週間、途中ポゥトルス・リーメスがあるが、城壁の無い港街であるのでそれ程攻略に時間は掛からないだろうし、同じ理由でシルーハ側がこの街において防戦するとも考えにくい。
恐らくシルーハ軍と衝突するのはコロニア・リーメシア郊外となるだろう。
『おお良いぞっ。これでこそ軍というものだ!』
ハルの肩でアルトリウスが続々と後ろに続く北方軍団兵達を頼もしそうに見ながらつぶやく。
「いよいよ決戦ですね」
『うむ、まあ、心配はいらんのである。我の作戦と戦略に誤りは無いっ』
ハルの言葉にアルトリウスは胸を叩いて応じるのだった。
シルーハ軍本陣
「なにいっ!?ユリアルスが落ちただって?どういう事だっ」
斥候頭の報告に流石のアスファリフも目をむいて大声を上げる。
しかし、驚くアスファリフを余所に斥候頭は淡々と報告を続けた。
「はっ、シルーハ側から辺境護民官軍に夜襲を掛けられ、城の守備隊は全滅しました。辺境護民官軍はここへと進軍してきております」
その言葉にアスファリフは天を仰ぎ、額に手をかざしてしばし考えると口を開く。
「何てこったっ!至急陣替えだ、南向きに陣を構え直すぞっ、伝令!」
「はっ」
「至急の伝令だ、各陣に南東方向を正面にして陣構えを変えろと伝えろ」
「了解しました」
「はっ」
伝令が慌ただしく本陣から出て行く。
アスファリフは本陣の兵達にも陣替えの準備を始めさせてから斥候頭に向き直った。
「一体どうやって辺境護民官軍が南から現われたんだ?」
「辺境護民官軍は北から東部山塊を越えてルグーサを落とし、パルテオンを攻める気配を示しつつ一気に転進。シルーハ山脈を越えてユリアルスを攻め落としました。その後もティオンに進軍する素振りを見せていたようですが、こちらへと進軍してきたようです」
「そうか…んんっくそぅ、そんな大戦略が…」
思わず悔しそうに声を上げるアスファリフ。
確かに油断があった事は否定出来ない。
来るならば定法通りにコロニア・メリディエト経由で帝国領に入り、自分達の正面に立ち塞がる形で現われるだろうと考えていたのだ。
「ダンフォードとか言う馬鹿はどうした?阻害に…ならなかったんだな。辺境護民官が主力を向けてきたんじゃ仕方ないか…」
まさか裏側から、しかもシルーハ領内を突破して背後に現われるとは考えもしなかった。
ダンフォードに軍を預けて辺境護民官の領域を侵させたのも、あくまで牽制であり、そちらへ力と注意を逸らすためにやった事。
あくまでも主力はコロニア・メリディエトにあると踏んでいたのである。
辺境護民官の戦い振りを見ている限り、彼は戦力を整え、正面から敵を打ち破るタイプの将だと思っていたが、このような搦め手や奇策を用いる事も出来るというのであれば、考えを改めなければならない。
戦術を思索していたアスファリフが徐に口を開く。
「首都のシルーハ軍はどうした?」
「東北国境を攻め破った東照の動きに翻弄されて、籠城以外に為す術が無かったようです…」
「…そうか」
辺境護民官が東照と連絡を取っていた事はほぼ間違いないだろう。
何故そこで連合してパルテオンを攻めなかったのか?
辺境護民官軍4万と、東照軍4万があればシルーハ領を分割する事も出来たはずで、いくら籠城をしたとしても、アスファリフが戻るより早くパルテオンは陥落していたはずである。
「…占領後の統治やセトリア内海の覇権争いに加わる意志はないと言う事か?だとしても首都を攻めさえすれば、シルーハは帝国から軍を引き上げさせる他無い…ううむ、俺なら首都を攻めるがなあ…」
アスファリフは誰に聞かせるとも無く首を捻りつつつぶやいた。
その思索にふける傭兵将軍へ、斥候頭が声を掛ける。
「それから将軍…」
「何だ?」
思索を中断させられて、少し不機嫌になったアスファリフが答えると、斥候頭が申し訳なさそうに言葉を発した。
「シルーハ本国から召還命令が来ています」
「ああっ?馬鹿言え!今更どうやって戻るってんだ?第1もう退路は塞がれちまってる。退路は海以外に無いが、船は用意出来るのか?辺境護民官は南から来る。ポゥトルス・リーメスは放棄せざるを得ないんだぞ?」
「はあ」
「はあ、じゃねえよ!それに今退却なんてしようもんなら辺境護民官軍に背後からやられるだけだ、くそっこれだから商人共は…戦術や戦略ってものを分かってない」
不満を爆発させたアスファリフ。
しかし本国の商人達が慌てるのも無理ない状況にはあった事を思い出す。
「その辺境護民官軍と東照が本国を攻め立てているので何とか戻るように、戻って首都と本国を守備し、征服された領土を回復するようにと言うのが命令の趣旨です」
「それって今更だろうが…どうせ東照は役目を終えて引き上げるし、辺境護民官はこっちに軍を寄越してるんだ…くそ、仕方ないか、雇い主には逆らえないからな…ただし、帰還は辺境護民官軍を破ってからだ。それまでに船を確保しておくように言え。辺境護民官を破ればポゥトルス・リーメスも再征服できるだろうからな」
「分かりました」
斥候頭の言葉に、アスファリフは深いため息と、呆れと諦めを含んだ言葉を吐いた。
恐らく命令が出た頃は首都を攻められるかもしれないという情勢下にあったのだろうが、その元凶である辺境護民官軍は今目前に迫ってきているのだ。
いずれにせよ、退路を断たれている情勢である事が知れれば兵達は動揺するし、本国からの帰還命令が出ている事を知れば更に浮き足立つのは間違いない。
「最善を尽くす他無いが…くそ、出出しが良かっただけに腹が立つ!」
アスファリフはがつんと本陣に置かれている水盤台を蹴り倒し、いきり立った声を出した。
「ちっ、面白くない展開だな、こっちは兵の補充もままならないって言うのに…すぐにポゥトルス・リーメスから守備兵を引き上げさせろ。どうせやられちまうんならこっちに合流させた方が良い、いずれにしてもこっちの兵数はもう7万を切ってるんだ、失った南方歩兵の足しにはなるだろ」
「了解しました」
伝令が派遣される。
「全く、シルーハ本国には調子狂わされっぱなしだぜ!」
アスファリフは南を睨み付けるようにして恨みの言葉を吐くのだった。