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第17章 決戦(その1)

 深夜、シルーハ領・ユリアルス城南門



 夜鳴き虫の声が止んだ。


 それまでうるさいぐらいに鳴き通しであった虫たちの声が一斉に止む。

 ふとその異変に気が付いたシルーハの南方歩兵が城門の外を見るが、あたりは暗闇で動くものなど一切ない。

 新月の夜の深淵が広がる山麓を見つめるが、そこは自国側の領土であり、本来異変など有るはずも無い。

 兵士は風音に驚いた虫が鳴き止んだのだろうと思い、哨戒を再開した。

城門の上を黙々と歩く歩兵。

 いつもと同じ夜。

 召集された時は此の世の終わりかと思い、父母や妻子と別れを惜しんだが、思いがけず安全な後方に残されることが決まった。

 故郷へ無事帰れるかもしれない。

 そう毎夜思いを強くしていた兵士は、ただ故郷を思って城壁の上を歩く。


 しっ


 鋭く、静かな音がしたと同時に歩兵の視界が衝撃でぐらついた。


 何事だ?


 ふと下を見れば、黒い矢羽根の付いた矢が半ば程まで自分の首を貫通している様子が見て取れた。

 驚愕に目を見開き、叫び声を上げようとする歩兵。

 しかし矢の貫通した彼の喉は声を発せられず、ひゅうっと空気漏れの音がするばかり。

 息苦しくなった歩兵が膝を着き、槍を持った手を城壁に突いて前を見ると、先行した同僚兵士が喉から矢を生やして事切れている姿が目に入った。


 ああ、なんだ…おれもしぬのか…なんだ…


 ゆっくり視界が暗転し始め、身体を横たえる兵士が最後に涙目で見たのは、異境でも故郷と変わらず輝く満天の星であった。




「…よし、いけ!」

「…了解」


 草木を鎧兜に差し込み、暗闇に紛れた北方軍団兵達はハルの指令で直ちに素早く、そして静かに動き出した。

 先行した陰者が垂らした縄を伝って城門を開け、味方がその城門から雪崩れ込むまでの間、彼らが開かれた城門を再び閉められないように守るのである。

 ハルが見張りの兵士が巡回してくるパターンを読み、矢でその兵士達を射殺し、その隙を縫って少しずつユリアルス城へと忍び込む北方軍団兵達。

 シルーハ軍のユリアルス城守備隊は戦場から遠く離れ、兵士達の士気は著しく弛緩している。

 これはシルーハ軍の歩兵が半強制的に徴集された南方歩兵主体である事と無縁ではない。

その隙を見抜いたハルは、陰者からの報告を基に夜襲を掛けることにしたのだ。

 帝国や西方諸国、果ては東照においても夜の戦闘は同士討の危険性が高く、地形や野獣といった敵以外の危険も無視出来ないほど大きくなるため実施することは殆ど無い。

 しかし、ハルの故郷である群島嶼では大氏同士の小競り合いなどで夜戦はしょっちゅう行われていた。

 ハルは、今回の敵となるシルーハ兵は北方軍団兵とかなり人相風体装備が異なるので同士討の危険性が低いことや、敵が少数である事を理由に反対する将官達を説き伏せ、敢えて夜の戦いを選択したのである。


闇夜に紛れる城壁の陰から続々と北方軍団兵が城門へと向かう。

 その姿を見届けたハルは、後方に続く主力へ手を小さく上げて戦闘の準備をさせた。

 北方軍団兵達も元は皆クリフォナムの戦士達であり、帝国兵と違って伏兵はお手の物。

 実に巧みに身を伏せることが出来る。

 今も間近で装具の立てる音を聞かない限りはここに多数の兵士が潜んでいるとは分からないほどであった。


 しばらくして地に伏せたハル達の耳へ待ちに待った騒ぎが聞こえてきた。

ドスンバタンと言った重い音や剣戟の音、小さな悲鳴が聞こえてくる。

 やがて静かになった城門の兵士詰所から、夜目にも分かる白い旗が振られた。


「成功だ!」


 ハルの躍る声に続いて城門が静かに、ゆっくりと開かれてゆく。

 潜入した北方軍団兵達が見事城門を占拠し、作戦を成功させたのだ。


「行け!雪崩れ込めっ」


うおう!!


 ハルの号令と共に喊声が周辺から起こり、同時に北方軍団兵が一面の草むらと見えた場所から一斉に立ち上がった。

 北方軍団兵が自分の鎧兜に付けた草木で草むらを偽装していたのだ。

 夜鳴き虫も途中まで気付かぬ完全な伏兵。

 その兵士達が一気に開かれた城門へと雪崩れ込んだ。

 たちまちユリアルス城のあちこちで戦いが始まる。

 怒声と悲鳴、剣戟と喊声が城内を飛び交い、血しぶきと肉片が城内に飛び散る。

 驚いて動きが鈍っているシルーハ兵を北方軍団兵が容赦なく攻め立てており、碌に抵抗も出来ないまま次々と血祭りに上げられるシルーハの兵士達。

 深寝入りしていた者もいるようで、寝ぼけて起き上がってきた途端に準備万端で攻め入った北方軍団兵に斬り殺される者も多い。

 程なく地下室から塔の屋上まで北方軍団兵で満ちたユリアルス城。

 僅か数刻で落ちた難攻不落の城が、またもや僅か数刻で奪還されたのだ。

 


『わはは、何が難攻不落のユリアルスか、実に他愛ないのである!油断というものはした時こそが一番危ない、そう言うものなのである』


 アルトリウスが腕を組み、ハルの肩で得意げに言う。


「まあ、確かに油断ってそんなものですね…しかし上手く行って良かった」

『何を言うっ、我の作戦に手抜かりはないのであるっ』


 ほっと息をつくハルをアルトリウスが心外だと言わんばかりに叱責する。

 アルトリウスからすれば用意周到に準備した作戦であり、ハルが言外に含ませたような投機的要素のない作戦であったのだ。


「ああっ?ち、違いますって!いや、凡人の自分にはどうも先任の見立てが理解出来なくって…先任はすごいなあと…」

『ふふん?まあ、よかろう』


 慌ててご機嫌を取るハルに、アルトリウスが曲げていたへそをなおす。

 再びほっとしたハルは、今度は慎重に言葉を選びながらアルトリウスに尋ねた。


「…でも、既にユリアルス城へはルグーサ陥落の知らせが届いていたはずです。どうしてここまで油断していたんですかね?」

『それは自明の理である。ルグーサが落ち、退路を断たれた事を知れば南方歩兵達が錯乱して反乱を起こすやもしれんからシルーハの指揮官は情報を下へ知らせていないのである。召集兵達は無償であるので、望みは何とか生き延びて故郷へ帰る事だけ、これが覆った時に彼らの取る行動やその怒り、不満の矛先は指揮官へと向かうのである。故に詳しい情報は兵士へ伝えないのであるな。指揮官と兵士の間に信頼関係が無い故の行為であるが、実に悲しい事だ…』

「…なるほど」


 アルトリウスの説明に納得するハル。

 確かに決して高いとは言えない召集兵の士気を維持するのは難しいが、逆に特定のきっかけで不満も爆発しやすいということであろう。


『うむ、故に召集兵というのは本当は非常に扱い難い兵士達なのだ。権力者は廉価ですぐ集められるという理由で兵を召集するが、目的と理由のない兵士は実に扱いが難しい。それであれば傭兵達の方がはっきりしている分扱いやすいのである。お主も気を付けるのである』

「分かりました」


 ハルの素直で神妙な返事に満足そうな笑みを浮かべたアルトリウスは言葉を継いだ。


『いずれにせよ、我等はまた勝った。これで帝国東部とシルーハの連絡路が遮断されたのであるから、シレンティウムと連絡を取り他の首尾はどうなっているか聞けるのであるな』


 ユリアルス城には伝送石通信が可能な西方郵便協会の支部がある。

 シルーハが破壊したり持ち去ったりしていなければであるが、アルトリウスはこの点については楽観視していた。


『情報が命の商人共が、その情報を握っている西方郵便協会を敵に回す事は絶対にないのである。今後の商売に大いに差し障る』

「だと良いのですがね、あ、準備が出来たみたいですね。行きましょう」

『うむ、リキニウス将軍とやらと会ってみようぞ…尤も、無事でいればであるが』


 最後の塔が制圧された事をしめす白い旗を揚げたのを確認したハルに促され、アルトリウスはその肩の上で重々しく頷くのだった。




 翌日、ユリアルス城・軍団長執務室


「どうやら帝国軍は負けてしまったようです。更に悪い事にポゥトルス・リーメスは陥落、現在シルーハ軍はコロニア・リーメシアを包囲しています」

『ううむ、シルーハの将軍、アスファリフとか言ったか…なかなかのものである。この短期間に東部諸州をほぼ制圧するとは、侮れんのであるな』


 伝送石通信でシレンティウムやコロニア・メリディエト、更にはコロニア・リーメシアとの遣り取りで情勢を把握したハルとアルトリウスはうなり声を上げた。

 ハルとしては帝国軍はシルーハより兵数が圧倒的に少ないので持久戦法を取ると考えていたのだが、一戦して蹴散らされてしまったようである。

 コロニア・メリディエト近郊に敗走した帝国軍が再集結しており、アダマンティウスが対応しているようであるが、取込みは難しいだろう。


 一方のシルーハ軍を率いるアスファリフは帝国軍からの圧力が無くなったので自由に分遣軍を動かせるようになり、実際アスファリフはコロニア・リーメシアに対する孤立化作戦の必要からもその好機を逃さず東部諸州の小都市を次々と陥落させていた。

 持ちこたえているのは2、3の小都市とコロニア・リーメシアのみ。

 それも何時陥落してもおかしくはないところまで来ている。

 情勢は厳しいが、良い情報もあった。


『ふむ、帝都は酷い有様のようであるが…分裂した元老院から越境許可が出たのであるか、これは朗報である』

「はい、既にその元老院文書を持った元老院議員がコロニア・メリディエトに到着しているみたいですね。これで晴れて帝国領へ入れます」


 ハルが笑みを浮かべると、アルトリウスは机の上で顎に手をやり、難しい顔をした。

 その目の前には、帝都の惨状を記したクィンキナトゥス卿からの手紙が転送されたものが置かれている。


『あ奴は…マグヌスめはどうなったか…』

「…無事でいらっしゃると良いですね」


 ハルの言葉にしばらく目をつぶって考えてからアルトリウスは徐に口を開いた。


『うむ、あ奴には言ってやりたい事がたくさんあるのでな…まあ、帝都などへ行くつもりはないのであるが、情勢如何によっては我等が帝都を攻める事も考慮の内に入れておかねばなるまい』


 当初はユリアルス城を制圧した時点でハルとアルトリウスの作戦は終了であった。

 後方の連絡拠点を落とされたシルーハ軍は前後に圧力を受け、また陸路による補給を断たれるため、シルーハを停戦交渉の席につけさせる事が出来ると考えたのだ。

 しかし、前から圧力を掛けるはずの帝国軍が敗れ、シルーハ軍はその気になれば帝都へも進軍出来る状態になってしまった。

 シルーハ軍が帝都へ進軍する様相を示せば、ハルとすればユリアルス城に立て籠もっているわけにも行かず、野戦を挑まざるを得ないが、越境許可が無ければそれも果たせない。

ただ、越境については目処が立った。

 後は後方の安全を確認してから帝国領へ進軍するだけである。


『ユリアルス城はまともに守備さえしておれば、5000程度の兵で10万の大軍にも耐えられる。リキニウス将軍がおらずとも十分である』


捕虜達からこの城をアスファリフがどうやって抜いたか、そしてここを100年に渡って守っていたリキニウス将軍がどのような最期を迎えたかを聞き取っていたアルトリウスが言った。

 城の造りや防備体制を見る限り、リキニウス将軍に頼らずとも少数の兵で守れるようになっている国境守備の堅城ユリアルス。

 リキニウス無き後この城は人の手だけで守らなければならないが、それも十分可能な造りであり、アルトリウスからしてみれば何故敢えてあの豪腕将軍を縛ってまでこの地に留めておく必要があったのか、という思いがした。


「では、この南にある砦を落としてティオンを攻める勢いを示しておいて一気に転進しますか?」

『うむ、それが良かろう。ルグーサを放棄してユリアルスには1000ほど残せば良いのである。我等が南の砦を落とす頃にはユリアルスへ補給部隊も到着しているであろうからな』


 アルトリウスはハルの言葉に顎の手を外し腰に当てるとそう言い、にやりと不敵に笑う。


『アスファリフとやらがどれ程の者か知らぬが、我とハルヨシの実力を思い知らせてくれようぞ…我等こそが西方最強なのである!』


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